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05 おじさま方のお茶会 ~牢の真ん前~

「尊きお方」…自分より偉そうな人を指す便利な言葉。本人に向けるときは、名前を呼ぶ許可を得てない場合や誰かわからないときなど。不敬罪を避けて噂したい時にも影で使う。老若男女問わず使える。

便利すぎてみんな気軽に使うため、たまに会話している本人たちすら互いが抱く人物が一致しているかあやふやなまま雑談を〆る場合もちらほらあるという。それでも特に問題はないようだ。


平民は基本、貴族っぽい見た目していたらとりあえずそう呼ぶ。ふざけて家族や友人に使うときもある。

下位貴族が一番便利に使っている。

身分があるので社交界に出入りできるものの情報が入りにくい立場のため、写真(富裕層と高位貴族のほとんどが撮って公表している)で見ない顔はとりあえず様子見で使って会話で身分を探るのにとても便利。

 「けいし…なに? なんて言ったの」


九才の少年に理解させたくない牢番の良心に、当然、王太子は目を白黒させる。

「ええと、尊きお方の罪って、尊きお方って結構みんな言ったり言われたりしているから誰のことかわかんないよ。

みんなが悪いって意味?

つまりアウローラはどうなるの?

レルムは?


 明日の朝になったら、三人で離宮に帰れるってこと?」


 ライリーは目を閉じ、待機姿勢を正しなおすと、そのまま黙り込んだ。


 下級兵士の彼にもわかっているのだ。

何かとてつもない思惑が上の方でうごめき、この茶番に至っているということを。

真一文字に閉じた口元の奥で、ぐっと歯をくいしばっているのがわかる。


アウローラは少し同情した。


いたいけなこどもの望む答えを言えないのは、いつだって心にくる。


 「ねぇ、寝ちゃダメだよ、ライリー!

僕ら明日になったら帰れるんだよね?! …ねぇ!! 聞いてるの!」

 焦れた王太子は、とうとう彼の腕を掴んでゆすりはじめた。


 癇癪を起こす前動作だ、と気づいたアウローラが慌ててアルフレッドを呼ぼうとしたとき、別の聞き慣れない男の淡々とした声が響いた。


「なんだ…騒がしい。こどもが何故ここにいる」

 抑揚も感情もない問いかけとともに現れたのは壮年の男だった。


 ずいぶんと背が高く、眉間のしわが深い。

いるだけで息苦しくなるような威圧感を放ち、美しく長い金髪を後ろに撫でつけた細身の美丈夫は、アルフレッドの父親であり、アウローラにとってのクズ…現王だった。



 「…陛下にご挨拶申し上げます」

ライリーが素早く最敬礼し、アウローラもカーツィをした。

内心の感情を貴婦人のほほえみで隠し、顔を伏せる。

直接会うのは実は初めてだが、湿板写真で知る顔なので間違いようがない。


 王がひとつ頷いたとき、バタ、バタ、と力ない足音が近づいてくる。

王が目線だけで振り返ると、入口から男がひょいと顔をだした。


「陛下…ひとりで行かないでください…、ああ、アウローラ。息災か…はぁ」


この階段はかなわん、とつぶやき、前かがみで扉にもたれかかる男は公爵家当主フューセル。

 アウローラの父親だった。

 最後に直接会ったのは1年以上前だが、あいかわらず丸っこい。

 小太りで、こちらも背が高いため丸というよりは縦の楕円のような体形だが、たれ気味の目といい、常にへらりと笑っているような口元といい、どこか野暮ったい雰囲気といい、とにかく丸っこいという表現がふさわしい見ためをしている。


 腰から下げた大きめのオモニエールが、はやりの「何でも叶える不思議なポケットにゃんこ」という小物を入れられる袋を両手で持つコロンと丸いぬいぐるみを連想させ、よくこどもに指先をむけられ、にゃんこ、にゃんこ、と唱えられていると聞いている。


「おや、王太子殿下もいらっしゃる…」

呼吸を整えながら、フューセルはふと気づいたように呟いた。

思いのほか響いたその言葉に、王が目線を王太子に向けた。


見下ろされた王太子は一瞬きょとんとしたものの、アウローラに視線をやりかけて、はっと気づいたように姿勢をただした。

そして黙って、深くお辞儀をする。

未成年のため発言ができないことを覚えていたらしい。偉い。かわいいだけじゃない。賢い。偉い。


 「…育ったな。」

頭を下げたままの少年をじっくり眺めた後、王は手を掲げて軽く払った。

ライリーと王太子が体を起こし待機姿勢をとると、それを眺めながらゆっくりと頷く。

 牢の中の所作として頭を下げたままのアウローラへ「良い。座ることを許す。」と告げ、牢内の椅子を指した。

「お前の娘は有能だな、フューセル。完璧に仕上がっている。予定より早く使えるようになるのは僥倖だ。…似てなくもない。」


どんな言い草だ、このクズが。


と、アウローラがほほえみの裏、心の中で毒づくと、何故か聞こえたかのようにライリーとアルフレッドがビクッと身を震わせた。なによ。


 「我が王…緊張しているのはわかりますから、まずは肩の力抜いてくださいよ」

へらりと気のぬけた笑みでアルフレッドとアウローラを見て、ついでとばかりにライリーにも目くばせしてから、フューセルは言った。

「翻訳するね。

最後に見たのは赤ちゃんだったから育った姿に驚いた。健康的で賢そうな子に育ててくれてありがとう。成人するまでは手元に戻せないと覚悟していたけど、この様子なら予定より早く家に戻してもやっていけそうだ。愛していた妻に似てかわいくて嬉しいな」


当主がしゃべるごとに王の眉間のしわが深まり、ついに額に手をあてた王が、「…おい」とうめくと、フューセルは「そのツンツン悪ぶる癖のせいで奥さんに誤解させたまま逝かせたのを後悔しているだろ。二の前にならないようにっていう僕の友情だよ。むしろありがたがるべきだ」と言いながら気安く王の肩を強めに叩いた。

「殿下、あなたの父上は有能だが、ちょっとだけ不器用さんなんだ。翻訳が必要になったらぜひ僕を頼ってくれ。喜んで力になろう」



「…、……、……。…刑の執行について説明にきた」

 何とも言えない複雑な表情をいくつか顔に浮かべてみせた王は、しかし何も言わず無表情にもどると、抑揚も感情も殺した声でそう告げた。


「看守は()()()()()を部屋に戻せ。

その後、本来の持ち場に戻るように。

ここは空になる。我らが退出した後も、指示があるまでこの塔の立ち入りを一切禁止する。

以上だ。去れ」

「は」

ライリーが素早く敬礼し、もの言いたげに口をあけたアルフレッドにも敬礼した後、素早く抱き上げ面会室から出て行った。


その際、アウローラに一瞬だけ視線を送り、軽くうなずいてみせた。

王太子を必ず安全に送り届けますと言われた気がして、アウローラの心が少し温かくなった。

やはり行動が伴ってこそ愛情といえる。

ライリーのこども好きは本物。


口先すら取り繕えないクズが本音かどうかもわからない舌ざわりの良い翻訳をしてもらえた程度で、本当は愛情があったのね的な安い空気になるの、本当に無いわー。


「アウローラ、アウローラ、考えていることが筒抜けだよ。まったく未熟者だなぁ」当主があきれたように言いながら、看守室から簡易椅子をもちだして面会室に運びいれている。


「とりあえず、荷物まとめなさい。あるでしょ、私物…ああ、身一つだったの? それは不便だったね、悪いことしたなぁ。

 じゃあ僕のほうで母さんと一緒に選んで新調してあげるからね。この際、ほしいもの全部買ってあげよう。何でもいいよ。そこにあるメモ紙ぜんぶ使っちゃっていいから、たくさん書きなさい。でも今すぐね。後で追加はきりがないから。…ふう、重い。陛下、ちょっとコレ自分で広げて座ってください。僕、疲れちゃったよ。陛下も疲れたろ、ほら食べて。お茶はもうちょっと待ってね、僕もこれ食べてから出すよ」



しゃべり続けるフューセルをよそに、王は無言のまま簡易椅子を組み立て、ゆっくり座った。

その膝にひょいと乗せるように渡された菓子をじっと見てから、おもむろに包み紙を開け、口に含む。


その目は死んでいた。


ひょっとして、このひと今すごく耐えているのでは、とアウローラは感じた。


父親はいつもどおりだ。

わりと誰に対してもこんな感じだ。

ただし、王との関係性もコレがいつもどおりなのか知らないので判断できない。

けれど、王のほうがどこか無理をしているように見える。やりとりが自然すぎて不自然、まるで演者のようで、なんて…考えすぎだろうか。


 フューセルは自分の分の簡易椅子を広げると、小さな机も引きずってきて面会室に持ち込んだ。

いったん腰を伸ばしてから椅子に座り、オモニエールから取り出した水筒や菓子袋を机上に広げながら、アウローラを急かす。

「ほら、アウローラ。書き終わるまで待ってあげたいけど、陛下は忙しいから、早めに書きはじめなさい。はい、陛下、お茶をどうぞ。菓子のおかわりはここ。たくさん食べていいですよ」


アウローラは食卓を兼ねた文机に向かい、机上の隅と紐でつながった鉛筆と、メモ紙をとりだした。


繊細な装飾が施されたそれら全てまるで芸術品のような美しさだが、机は地面と一体化して動かせないようになっており、メモ紙の中央には薄墨でパノプティコンの絵様が印刷された、牢ならではのものだ。


パノプティコン。全展望監視システム。


多層式監視塔を内包し、面する収容者の個室が囲むように円形に配置され、高くそびえたつも換気口以外に窓はない。

隣り合う収容者はお互いに姿を見られることはなく、しかし看守からは24時間全方向へ監視が可能という、前王朝中期につくられた収容施設だ。


 外から見ると無骨な石を積んだ野暮な塔であり、王都にあるはふさわしくないと暗に厭われてきた平民牢だったが、近年はその壁に流行りの垂れ幕を色とりどりに掲げることで、国の主な産業である製織と染色加工技術を誇示するようになった。

 美しい様々な布を風になびかせる塔は、まるでそのために存在するかのような顔で今や王都の観光名所のひとつになっているが、中に収容されているのは様々な理由で罪を問われた平民たちだ。


…今はそこにレルムがいる。


 アウローラは胸の内にぐっとこみあげてくる感情を飲み込み、鉛筆を持ち直した。


「久しぶりに会った娘を見ながら飲むお茶は格別だなぁ! 菓子がすすむよね!  あ、これレモンピール練りこんである。疲れているときに味わうほんのりとした酸味ってどうしてこんなに心にしみるんだろう? 仕事しているときは砂糖が恋しいのに、休憩中はとたんに酸味が欲しくなる。本当に不思議。そうそう、この前、ローズヒップティーじゃ物足りないときにミルク代わりで酢を入れてみたんだけど、何か飲めたんだよね。心なしか疲れとれたような気がして、それから仕事が進む、進む。美味しいかはわかんないけど、陛下もよければ試してみません? 大丈夫、酢って調味料だから味変の一種だって! …あ、アウローラもう終わったの?」

アウローラは黙って頷き、面会室を見た。


おじさんがふたり、お茶会をしている。

かたや水筒を片手にヘラヘラ笑う丸っこいおじさん。

かたや今まさに苦虫を嚙み潰していますという顔で咀嚼する外見だけは満点のクズおじさん。


机上のお菓子は包み紙ばかりになって、ふたつの山を築いている。

父親の傍には二枚。王のそばには、こんもりと。

手にもった齧りかけの焼き菓子にはアイシングがたっぷりのっており、それもすぐに上品に開いた口の中に消えていった。

甘味好きなのか、クズ。

図体だけでなく口の中もでかいのか、クズ。

アルフレッドに似たところ出してくるな、クズ。


「こらこら、アウローラ。ほほえみに心情でちゃっているから。書けたなら、ほら、ちょうだい」

この父親はすぐ暴く。

アウローラは未だに隠し事ひとつできない。まるで心が読まれているよう。


浮かべる貴婦人のほほえみをより意識的に強化しつつ、アウローラは立ち上がった。

淑やかに歩み、手元の紙束を鉄格子の向こうに差し出す。


へらへら笑ったままの父親が、それを気軽に受け取りながらさらりと言った。


「あれ、意外に少ないねぇ。もっと傲慢にねだりなよ、これから流刑にされちゃうんだからさあ」


実子の名前うろ覚えオジ。

他人であるフューセルですら幼子が気の毒すぎてとっさに嘘でもフォローしちゃうくらいにはダメ親オジ。

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