18 夫妻が未来を捨ててでも守りたかった君が
※後天的に足が不自由になった表現があります。
※夫婦はなかよしです。描写はしませんが表現があります。
日が暮れ始めた夕方、公爵邸の馬車止めに紋章付きの一台と護衛騎馬隊が止まる。
当主の帰りに使用人が並び立ち、正面には侍女に支えられた女主人がたたずむ。
馬車から顔をのぞかせたフューセルに笑顔はなく、常ならぬ乱雑さで、従僕の補助を待たずに飛び降りると、無言で片手をあげることで出迎えの使用人を早々に解散させた。足を止めることなく妻へ近づく。
娘を連れていない夫をみて首尾を悟ったオルテシアがフューセルを見上げて迎える。
「…おかえりなさい、愛しいあなた」
フューセルは、妻の目の前で立ち止まり、笑おうとして失敗したようないびつな表情を顔に浮かべた。そして何も言えず、ただ立ちすくむ。
オルテシアは侍女を下がらせ、無言で彼を抱きしめた。
彼も抱き返してくる。常になく力強く。
しばらくそうしていると、ふいにフューセルが力をゆるめた。
「…部屋へ。報告するよ」
力なくささやき、フューセルは妻を抱きかかえるとそのまま玄関ホールへ続く階段を上り始めた。
本邸の廊下を抱きかかえられたまま進む。オルテシアはそっと夫に囁いた。
「…菓子は」
「食べたよ、全員」
「あの疑り深い男も?」
「私が目の前で美味しく貪ってやったからね。最初の一口こそ気が進まなかったようだが、あれで甘党だ。そのあとは放っておいても全部ひとり占めだった」
オルテシアが動揺した。
「あなたも食べたですって? なんてことを…あれは、…だって!」
「君が作った物を僕が口にしないわけがない」フューセルは笑った。
「それに今さらだろう? 僕はちゃんとフレドリクに渡したからね、君からの贈り物を。こうしてね」フューセルは肩を叩くようなしぐさをした。
オルテシアは歴代でも稀にみるほど強い魔法をもってうまれた王姉だ。
今は公爵夫人であり、貴族平民問わず広く子女を預かって教養を授ける教師であり、また旧王家の歴史研究者でもある。
若い時より、保存状態の悪い様々な歴史書や古文書を編纂し、論文にまとめあげてきた。古語の資料を現代語に直して複製し、解説集を書き記し、そうして王家の資料室を管理してきた。
だから、政権移譲の際に資料室を奪われた後も、より深い知識が彼女のなかにはある。
フレドリクは訳された彼女の解説集でしか知り得ないはずだ。
修繕や解析が可能な人材がいない以上、オルテシアがやったことを証明することは誰にもできない。
夫婦の部屋にたどり着き、中に入ると執事がそっと扉を閉めた。室内には防音室独特のシーンという無音の音が響く。
「…そうね…今さらね。でも」
「おっ」
抱きかかえていたオルテシアを床に下ろすと、彼女は背の高い夫を引き寄せるように首に回した腕に力を込めた。フューセルはされるがまま屈み、妻からのキスを受け取る。
「…改めて加護をかけてもいいでしょう? …呪いにどこまで対抗できるかは疑問だけれど」
フューセルは表情を緩めた。「…君の望むままに。愛しているよ、オルテシア。」
オルテシアは旧王家の魔法と相性が良すぎた。
歴史のなかで、密かに繰り返し研究されては危険として隠される、そんな禁忌の魔法すら使いこなせる実力があったのだ。そして、それを可能とする力もあった。彼女の魔法の力はとても強く…やろうと思えば何でもできる本物の魔法使いだった。
彼女自身はそれを重く受け止め、常に力を封印して暮らしてきた。これまで、どんなことがあろうとそれは揺るがぬ信念だった。
両親を暗殺されたときも、その犯人を目にしたときも使わなかった。
フレドリクにより己の両足の腱を斬られようと、身重の腹に剣を近づけられようと、耐えた。
弟が産まれたばかりの姪を守るため独断で魔法を行使し、寿命を縮めたときすら、同様に堪えきったのだ。
オルテシアはただびととして生きる。未来永劫そのはずだった。
簒奪王であるフレドリクが、王家の娘を根絶やしにするまで諦めないと知るまでは。
「食べた者を呪うお菓子。…生まれつきもっている幸運や加護を失う。」
「それなら円卓は不運に見舞われる? 今ごろ棚の角に足の小指でも打ち付けて、もがき苦しんでいるかもね」
「いいえ、そんなに優しいものではないわ。…周囲から大目にみられていたことが、今後はいっさい許されなくなるだけよ」
「おや怖い。だが当然の評価を受けられるようになるともいえる。贈り物のほうは?」
オルテシアがクラバットに手を伸ばす。フューセルはそっとその手を掴み、キスをしてなだめると、自らクラバットを外して、ジュストコールをも脱ぎはじめた。
扉の前のポールハンガーに投げかけ、ベストや、腹回りに綿を含ませたキルト製のシャツも同様に。あらわになったのは革製のプレートアーマー。男性用シュミーズの上に着込んだそれを、オルテシアが手伝いゆっくりと外していく。そして内側をじっとながめて呟いた。
「…あなたを介して渡してもらった特別な贈り物は、無事に役目を終えているわ」
フューセルがふっと笑った。「そうか、なによりだ。いつになるかな?」
フレドリクと僕がともに地獄に落ちるのは、と、空耳が聴こえた気がして、オルテシアの心に突き刺さる。「さぁ、どうかしら。もしあの男に耐性があれば効かないかもね」…自業自得ね。オルテシアが自分を嗤う。
「…祈りとともに攻撃した相手を呪うアーマー。呪われた者は短命を賜る…着た者も同様に」
人を呪えば墓穴はふたついる。呪った者と呪われた者の墓穴だ。
(…本来はわたくしの分であるはずが)
妻の表情に気付いたフューセルが、彼女の手からアーマーを取り上げようとする。が、彼女は指に力をこめてそれを拒絶する。フューセルは眉尻を下げた。
「ぼくのオルテシア…愛しい君。忘れたのか、これはぼくの望みだった」
「わたくしがこれを作りました。罪はわたくしのもの。…それなのに、罰はあなた…」
「選んだのは僕だ。憎しみをもつのは君だけじゃない。アレインも、僕も、同じだ。」
アレイン王と友人になり、無防備な生活区域に入り込んだフレドリクが、妊婦で動きの遅い王姉を盾にして脅し、王位を簒奪した。
それでも、その時に確かにフレドリクは誓ったはずだった。「善い国をつくる」と。
実際は彼にとって都合が好い国という意味だったようだが。
「…あの男はやはり悪にしかなれなかった。残念ながら、全て嘘にしてしまうつもりのようだ。状況を信念なく気分で操り、責任を負う気もない…こどもが蟻の巣を好みに改造しようと指先を突き入れ、水や油を入れるのと変わりない。…あのまま国の上にたつ気でいる以上、あの男は純然たる悪だ。」
オルテシアは疲れたように首をふった。革のアーマーをポールハンガーの足元にたてかける。
そのはずみでふらつくが、扉に肩をぶつける前にフューセルが抱き留めた。
「…サロンでも目覚ましの加護を広げてきたわ。どこまで効果があるかわからないけど…王の言いなりになるまでの時間は稼げるはず。
こどもたちへの説法にも、これまでと違い、ちゃんと力を込めたの。魔法洗脳だけに特化した防御加護なら大丈夫かと思ったけど、結果的に知性や記憶力にまで影響を与えてしまったみたい。全体が底上げされて…少し怖い。もし思考が歪んでしまっても隠されて、いつか何か思いもよらないことになるかも」
「賢くなってなによりだね! 次代が楽しみだ。ところで」明るく笑ったフューセルが軽い口調で聞いた。「呪いの菓子と鎧を作った代償はなんだい?」
オルテシアが呼吸を止めた。
「ああ、やっぱりそうなんだ」フューセルがその背を優しく撫でながら囁く。
「やはり代償が必要だったのだね…君は問題ないと言っていたけれども。それ、なぁに? 教えてよ、オルテシア。やっぱり寿命?」
「…」
黙り込む妻に、夫は軽い口調で「なるほどねぇ」とつぶやいた。
「もう自分の寿命を使い込んでいたから、ぼくにアーマーを譲ってくれたんだね。僕がねだったとはいえ、やたらと聞き分けがいいなと不思議ではあったんだ。つまりこれで僕らは同じく短命となったんだ? いいね。いっせーので同時だといいよね」
オルテシアは降参して、ゆっくり頷いた。
「ええ…ごめんなさい。一緒がいいわ、それくらいは都合よくそうなってほしい。愛しているの、フューセル」
「喜んで。ぼくも愛しているよ、オルテシア。ところで僕への加護はいつ頂けるのかな?」
焦らす気ならこっちから奪っちゃうぞ、とおどけたフューセルが滑稽なしぐさで肌をさらす。
オルテシアはふわりと笑って頷いた。「もちろん、今すぐよ」
ひょろりとした身体に抱き着けば、ほどよい弾力で受け止められる。愛しい人のもつ温かい肌の感触。少しだけ緩む空気。
「そういや、アウローラは母から知りえる全てを聞き出した、とか言っていたよ。全て、なんてありえないことを真剣に言うから思わず笑ってしまって、アウローラが久々にすねてしまった。
君、あの子に魔法についてほとんど何も教えなかったみたいだね?」
「アレインが命がけでアウローラの能力を隠してくれたから…知らないままでいてほしくて」
「そうだね。義兄さん安心して、敵から絶対に守り通してみせるとも言ってくれた。優しい義弟だ。…会いたいな」
「すぐに会えるわ、ふたりで」
「そうだった。楽しみだね」
ふたりは自然と笑っていた。哀しさも無念も怒りもなにもかも、心に渦巻く汚泥は全て、見せなくてもお互いに伝わっている。
国はそのまま動く。関係なく。
よくあることだ。
終わってしまった家族がいる、それだけのこと。それが今回は自分たちだったというだけのこと。
フューセルはオルテシアを抱き上げてそのままベッドへ向かった。
「…アウローラがさ。僕に、もしかして怒っているの? なんて聞くんだ。…こどもは残酷だね。親の気持ちわかっちゃいない。はらわた煮えくりかえってフレドリクの首をねじ切りたくて仕方なかったのに、ねぇ」
泣きながら眠っていったオルテシアを強く抱きしめ、聞こえぬよう囁く。
「…明日にでも公爵やめようかな。アルフレッド少年に地位を譲るから、娘のために国宝に祈らせてくれって円卓に土下座してさ。
その前に君とふたりでアウローラの好きそうな物を選んで買いあさって、豪華なデートがしたいな。
そうだ、あの子に欲しい物を書いてもらったんだった。まずはそれを買わなきゃね。朝にでも一緒にメモ書きを見ようよ、ねぇ、オルテシア。
君が良ければ「神域投影」を起動させてさ、それまとめてどかんと消すってのはどうだろう?
大量のプレゼントが届いたならアウローラは喜びの悲鳴をあげるよ。君の魔法はなくなり、寿命わずかなただびとの僕らは、魔法とも政治とも誰とも関わらずにふたりきりで終わりまで笑って暮らすんだ。
…ああ、義弟のお墓参りだけはしてからがいいね。
いきなり死者の国に顔だしたら義兄上たちまで早すぎるって呆れられちゃうんだろうな…それもいいかもな。もしアウローラもあちらにいたなら紹介しよう…お前の名付け親だよって。それで、また酒を飲み比べするんだ…アウローラにも舐めさせてやろうかな…死んだ後なんだから…お酒の一口くらい、いいよね…」
フューセルも目を閉じた。
後は次代がなんとかするだろう。ぼくらはこれでおしまい。頑張ってね、若い子たち。
「…って話がこっちではすでにまとまっていたというのに、君って子は…っ」
フューセルが震える。胸に抱きこんだオルテシアが苦しそうにもがくが、どうにも離してあげられない。
まだ日も昇らぬような暗い早朝、公爵家の本邸に不審者が現れた。
門番の制止を無視し、男性平均身長2.5倍ほどの高さがある格子状の鉄門を飛び越えて侵入を果たしたという。その後、連絡を受けた警備兵が駆けつけるも、そのころには不審者は庭園の広さ4キロの距離を凄まじい速さで横切り馬車止めまで到達していた。その後、破城槌を15回までは耐えられるよう設計してある正面の大扉をひとりでこじ開けてみせたとも。
そのとき、玄関ホールでは、女たちが行き交い仕事をはじめていた。そこへまだ開かないはずの玄関が、ギギギと嫌な音をたててゆっくり開いていき、何事かと足を止めて眺める女たちの前に現れたのは、暗い人影。それが玄関ホールの灯りに照らされ姿をみせる。
場が凍り付いた。
不審者は全裸の男だった。しかも全身が返り血にまみれ、ところどころ既に乾き始めているところがまたおどろおどろしい。
片手には石板を握り、それが武器なのか、それで何をする気なのだ、この破廉恥な不審者は…!?
公爵邸の広い玄関ホールはパニックに陥った。
悲鳴をあげて逃げるメイド、当主へ報告に走る執事、ハラハラと次は何をしでかす気かと警備兵や腕に覚えのある侍従らが取り囲み、ひたすら監視する。そんななか、全裸血まみれ不審者はピタリと動きをとめた。そのまま動かず、ただただ黙って突っ立っている。
その間に、高齢の執事が主人の寝室に駆け込んで叫んだ。
「旦那さま襲撃です…!」「…早すぎる!」フューセルは飛び起きた。
アウローラを葬った今、王が狙うとしたら深窓の王姉オルテシア。いつかフレドリクから刺客がくるだろうとわかっていたが、あまりに早い。昨日の今日で来やがった、ちくしょう!
ブレイズを身に着ける余裕もなくいきなりトラウザーズを穿いたフューセルが駆け出すと、後ろからオルテシアのよろめき倒れる音が聞こえてきた。
「寝室にいなさい! 誰か、オルテシアの退避ルートを…」「いりません!」
オルテシアは叫んだ。四つん這いになり、足をひきずりながら。「離れませんよ、フューセル。何があろうと、わたくしたちは一緒です!」
フューセルは足を止めた。そしてオルテシアの元へ戻り、そのまま胸に抱き上げて、また走り出す。
(そうだ、何が起ころうと一緒だ…娘は助からず僕たちだけ残された。それでも僕にはまだ妻がいる…なんとかしてみせる)
そんな覚悟を決めて、玄関先へ走りこんだフューセルが見たのは、
全裸血まみれ不審者 ~国宝を片手に添えて~
要はレルムだった。
「…あ、なるほどぉ」
一瞬で悟った。
こいつ…円卓乗り込んでやらかしてきたな。その足で国宝盗んでこっち来やがった。
オルテシアをおろし、彼女の視界に不快なブツがうつらぬようそのまま抱き込む。
そして、一言、叫んだ。僕らの密かな計画が。共倒れ覚悟で仕込んできた遅効性の呪いも。全て。
「…台無しにしてくれたなぁ…っ!」
鳥頭が壊して台無しにするのは、牢とシリアスだけとは限らない。