15 「先生、詐欺の手法に魔法を足したら相乗効果はありますか?」「魔法なんて存在しません(苦笑)」
アウローラさんサイドに戻ります。
アウローラとフューセルが入室したとき、円卓は意外にも静かだった。
声を張り上げて自分の利益を主張する者であふれていると思いきや、小さなグループごとに別れて何やらひそひそとやっている者が多い。
円卓は、その名の通り円を描くように席がならぶ巨大なすり鉢状の部屋だった。
出入口からすり鉢の底に向けて、一直線に階段が続いている。その両側に机と椅子が段々と並び、そこから鋭い視線がアウローラを品定めする。
出入口の壁沿いに棚が置かれ、中には書類の入った箱が整然と並んでいる。
王はすでにすり鉢の底に降りていた。無言でこちらを見ている。
アウローラは父親ににこりと微笑み、そっと歩みを進める。
フューセルはこの場の不穏さに内心ひどく落胆していた。
まだ頭は冷えていないらしい。あからさまにその目は安易な道具を見る様で、心中を隠しきる配慮すらない。
人の娘を何だと。笑顔の裏で毒づき、脳は忙しなく最善の一手を模索する。
(とにかく円卓に冤罪を認めさせる。この際、謝罪は形だけで構わない。冤罪の言質をとれば量刑に口を出す正当性がうまれる。アウローラが魔法を発動すれば円卓の中での国宝の価値が定まる。円卓は全てを投げ捨て、その所有権を奪い合うことに集中するはずだ。
フレドリクも、この茶番の真の目的である「前王家の娘が王家の能力を失うこと」を確実に確認できれば気が済むはず。
後は好きにやっていろ。
おれはアウローラをこのまま連れて帰る。特殊流刑なんぞ絶対にさせない。…生死も確認できない文字通り「人を消す」状態にすることを流刑とはいわないんだよ…!)
階段を降りきった小さな広場の中心には台があり、布が敷かれ、うやうやしく国宝「神域投影」が置かれていた。傍にはフレドリク王が静かにたたずんでいる。
アウローラは広場に降りると、フューセルの腕を放して振り返り、深くカーツェをする。そして顔をまっすぐに上げて、王太子妃としての正式名を名乗った。隣でフューセルも同じくボウアンドスクレープをして、公爵家当主としての正式名を名乗る。
所作美しく、礼儀を尽くす姿。社交界で見たならば、さすがは高貴なる父娘と受け入れられたであろうその姿は、しかし、欲にくもって荒んだ円卓の目には、もったいぶった慇懃無礼な態度で威圧するいけ好かない存在と認識された。
「…それで、何をどうしてあの光景を再現する気だ?」
「魔法が本当に存在するなどと。できるなら早くやってもらいたい。こちらも忙しいのだ」
イライラと指を机に打ち鳴らしながら一人が声をあげれば、またひとり、ひとりと次々に勝手な発言が飛び交っていく。
通常、正式名を名乗られたなら、相手も正式名で応えるのが礼儀である。平民でもそうだ。
「初めまして、どこそこ村でこれこれという職につくなにがしの娘で、こういった職につくなにそれです」と名乗られたなら「これはこれはご丁寧に、わたしはどれどれ村のどこどこという職につくなになにの息子でこういった職につくこれこれです」と名乗りかえす。
円卓に名を連ねている層であれば必須の常識だ。慣れているはずなのだ。顔ぶれをみれば、誰もが湿板写真で目にしたことのある貴族や名だたる商人たち。もとからこうであるとは思えない。
挨拶を忘れるほど我を失っている。
魔獣になったというのは本当のようね、とアウローラは思った。年配の男性からよってたかって身勝手な怒号を喰らうなど初めてだった。
表情に怯えは出していないはずだが、ほんの少し体を寄せてしまったことで父親はアウローラの内心に気づいたらしい。背を優しくさするや、一歩前へ足を進めてさりげなく娘を楕円の体で隠す。
「やあやあ皆様、お待ちかねはわかりますが」
フューセルは声を張り上げた。
「まずはお手元の菓子でも召し上がって落ち着いていただきたい。我が公爵家がお届けしたその菓子は特別な製法で作られております。おそらく出回るのは今日だけでしょう。…え、もう召し上がられた? お味はいかがです? ええ、とにかく特別なものですから、そのようにご満足いただけたこと嬉しく思います。誇りある円卓に幸いあれ! そのお心の望みが叶いますよう!」
軽快な声がほんの少し場の空気をなだめた。フューセルは続けて「とはいえ」と眉をさげてみせる。
「…我が娘への謝罪を先に求めたい。罪なき娘を牢にいれ不自由させるなど、どう考えてもやはりおかしな話。
この中の誰がやったかは気になりはしますが、問わないと誓いましょう。
ただその誰かは円卓の一員であり、円卓の封蝋を使い、本来ないはずの逮捕状が発行された。そして冤罪が生まれてしまった。絶対正義であるはずの円卓の逮捕状によって! そのことの意味を考えれば、円卓としての謝罪を求めるのは自然のこと。
今は何も応えぬ国宝が再度息を吹き返すのを望むその愛国心に応え我々は参上した。どうか誠意に応えてほしい。冤罪で牢に入れられた哀れな娘に、一言、まずは謝罪を!」
「…円卓の理念として」王がおもむろに声をあげた。
「満場一致を目指すという原則がある。今回の逮捕状は善かれと先走った正義心によるものであり、議題にすら上がらなかった以上、円卓には一考する機会すらなかったといえる。逮捕状に記載された罪状に誤りがあったことは確かな過失と言わざるを得ない。円卓を代表してお悔やみ申し上げるが、罪は罪としてそこにある。
前王家は重要な隠し事をしたまま国宝を円卓へ託すことで不和の種を植え付けた。わたしは前王家の王太女に贖いの機会を与えたく思う。」
王の朗々とした重低音は円卓に心地よく響き渡り、場を支配する。心の隙間に、ふいにすりよるような郷愁が。かつて味わった一体感の心地よさと似た、心地よい王の声。
円卓の心は燃え上がった。
そうだ、我々はかつて一丸の盟友であった。
それなのに、何も知らされなかったがために、前王家から託された国宝を使いこなせぬ者が現れ、我々を仲たがいさせた。これは前王の罠。アレイン王が死んで責を問えぬ今、もはや王太女になるはずだった娘しか責を負える者はいない。フレドリク王が求めた贖いは、それこそが「わたし自身の意思であり、王はそれを代弁してくれた」のだ。
円卓の誰もがその思いに駆られ、アウローラに科す贖いについて次々に提案しはじめた。
アウローラは、中庭で起きたことと同じことがここでも起きていると気付く。
そして、この話し方に覚えがあるとも考え、ふと脳裏によぎる顔の意外さに少し眉をひそめた。
説法だ。
前王家の王姉オルテシア…アウローラの母の、説法。
その発声や声音、所作ひとつに至るまで確かに計算されつくした技術を感じ、冗談でなく洗脳されそうだ、と、いつも思わずにはいられない。だからいつも警戒しながら努めて聞き流していた。一緒に聞いていた面々はどうだっただろうか。
考えにふけり気がそれていたアウローラの頭を、唐突に父親が抱きくるんだ。
耳をしっかりとふさがれ、何も聞こえなくなるが、さっき誰かが商館がどうとか高級ショウフとかなんとか
…ちょっとまって、まさかと思うけど、わたくしが商人街で珍しい商品の売り子をしていたなんてデマを信じる人間が未だにこの場にいるんじゃなかろうな!?
フューセルの全身が小さく震えている。こんな風に力をこめつづければそれは疲れるだろう。アウローラはそっと父親の背に手を伸ばし、ぽんぽんとなだめて離していいよと合図したつもりだったが、珍しく伝わらなかった。より力をこめられ、硬い胸元にまたほおが埋まる。
というか本当に硬いんだけど。なんなの。骨なの? 女と違って膨らまないから皮膚の下に肉がないってこと?
「…同胞よ、静まりたまえ。」
喧々諤々した空間に王の声が低くはっきりと響く。
とたんにひとり、ひとりと口を閉じはじめ、皆が王を見つめた。
フューセルは娘を抱きくるんだまま、まっすぐフレドリク王を睨みつけている。
だが、王は、誰のこともみていない。
台の上の国宝に指先を触れさせながら、それに誰かを投影しながら。
目を向ける価値すらないとばかりに。
重々しく口を開いた。
「皆の意見は様々だ。とはいえ彼女の価値については皆が一致するところだ。そう、王太女だからこそ価値がある。さきほどどなたかが口にした、国宝「桃源郷」の再起動。今や王太女にしかできぬことと聞く。それを成してもらって贖いとするのはどうだろうか。…本当に成せるものなのであれば、だが」
アウローラは耳をふさがれていた。
そのおかげで、王の声の異常に気付いた。
かすかな音としてしか声の存在をとらえられない状態であるのに、王の声だけは異様にはっきりと聴こえたからだ。一言一句、はっきりと。まるで胸の中から聞こえてくるような反響を伴うそれに、やはりと確信し、そのまま困惑する。
(王の演説は、お母様と似ている。発声方法、抑揚のつけ方、そういう技術的なことがまったく同じ。
だけど決定的に違うことがある。それがよくわからない。
お母さまからは相手に伝える意志みたいなものを感じる。何度も繰り返して、じわじわと相手に思考を促し説得するような。
だけど、王のそれは簡潔な言葉で、一回しか言わないのに、聞いている人間の内側に、火種を持ち込むイメージ…そしてお母さまのような技術を駆使して、本人のものじゃない火種を煽り大きく燃え上がらせる…まるで本人の意思であるかのように…だけどそんなことできるの? そんな洗脳みたいなこと…それじゃまるで悪い魔法じゃない。)
ふいにフューセルが身じろぎした。その拍子に力を込めていた手がかすかにずれた。フューセルはそれに気づいていない。アウローラの耳に、「それはつまり」とはりあげたフューセルの声がちゃんと聞こえるようになった。
「…再起動さえすれば特殊流刑の考えを改めるという意味か!」
「量刑の変更については、正式に公布する前までに円卓が納得する必要がある」
「明日の朝までに再起動させれば円卓は納得し、特殊流刑を諦め、アウローラの命を保証するという意味だな!」
食い下がるフューセルに、王の鉄壁の表情が少し崩れる。
「……フューセル。お前だけが、いつも…」
何故効かないんだ、と。
眉間のしわを浅くした程度だが、確かに動揺を浮かべて王は呟いた。
その思わずといったように漏れた小さな声では距離のある円卓には聞こえていないだろう、しかし父娘には聞こえた。フューセルがよく通る声で問い詰める。
「どうなんだ、フレドリク。慈悲の王よ。君も円卓なのだから己の意見を提案できるはずだ! 主張したまえ! その意思を! 君らが悪とする前王朝時代ですら非人道的としてとっくに廃された残酷な刑罰を、かよわい少女相手に本当に再現したいのかどうか! 君自身がそれを望むのか否かを、この場で!」
フューセルには確信があった。今回の茶番を利用してこれ幸いとアウローラを始末したいのは王であること。だが、その思惑を円卓にさらけだすつもりがないことも。
「…フューセル。おまえは…どうなっている」
フレドリク王が憎々し気にうめく。
己を権力の座へ導いた「魔法」が通じない相手に、彼はこのとき確かに恐れを抱いた。
前王朝の後期から、下賜された王女たちは婚家でその一族の教育を担うという慣習があります。
アウローラの母も、フューセルと結婚してからは公爵家で教師をやっています。
貴族の若い女性らだけでなく、円卓から依頼された平民の子も預かっているので、教養だけでなく互いの知識や常識を共有できるよう横の繋がりにも気を配っています。
鞭を絶対に使わない代わりに説教が長いので、耳からの情報に敏感で共感性が高く思いつめる真面目なタイプの生徒や、説教がいらない優秀な生徒はアウローラの元でのんびり離宮生活していました。