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第6話「始まりの食卓」

目覚めてから、数日が過ぎた。


 ヴァレンティア邸での生活にも、ようやく馴染んできた。


 僕は、カイル。名も記憶も持たなかった僕に、レオナさんがくれた名前だ。


 豪奢な屋敷はまるで絵画の中のように整っていて、使用人たちは皆、僕に優しかった。時折、祈るような眼差しを向けられるのは、まだ慣れないけれど。


「おはようございます、カイル様」


 メイドの一人が深くお辞儀をし、微笑んだ。


 廊下には香木の匂いが漂い、窓の外では花々が風に揺れている。


 今日は初めて、屋敷の主――レオナさんと食卓を囲む日だった。



 食堂に通されると、そこはまるで王の間のようだった。  長いテーブルの先に座るレオナさんは、黒衣のドレスをまとい、背筋を伸ばして僕を待っていた。


 その隣には、銀の鎧に身を包んだ騎士――アデルさんが控えている。


「おはよう、カイル」


 レオナさんが微笑む。


 料理は目にも鮮やかで、果実の香りと焼きたてのパンの香ばしさが食欲をそそった。


 ぎこちなく席に着いた僕に、アデルさんが一礼しながら話しかけてくる。


「カイル様。ご体調はすでに回復されたとのこと、何よりです。今後、必要であれば護身術や剣術の初歩をお教えできます」


「……剣術、ですか?」


「はい。何かを守る力を身につけたいとお思いならば」


 その目はまっすぐだった。言葉に飾りはなく、ただの義務でもない。


 その時だった。


「公爵様。王都からの使者が到着いたしました」


 執事が控えめに告げる。


 レオナさんがわずかに目を細めた。


「この時期に……何の用かしら。カイル、少しの間、奥の部屋で待っていてくれる?」


「……はい、わかりました」


 僕は指示された通り、隣室へと身を隠した。


 けれど、気になって、扉の隙間からそっと様子を窺ってしまった。



 応接間に通されたのは、一人の優雅な女性だった。  緋色の礼服に金の刺繍。王都の高位貴族であることは明らかだった。


「ご無礼を承知でまいりました。ヴァレンティア公爵閣下……ある噂について、確認をさせていただきたく」


「内容を聞きましょう」


「先日、闇市場にて、“男性”が出品されたとの報告を受けております。その人物がそちらに保護されている、という話が王都に届いております」


 レオナさんの表情が冷ややかになる。


「そのような噂を信じての訪問かしら? 王家への報告義務は承知していますが、事実確認と称して私邸に立ち入る行為は、礼を欠いていますわ」


「……もちろん、正式な調査命令ではございません。ただ、私どもとしても“貴族の秩序”を守る必要があるのです」


 使者の言葉は丁寧だが、その裏には明確な圧力があった。


「貴方のところに男性がいるなら、それは“国家的資産”であり、個人の所有物ではない――とでも言いたげね」


 レオナさんの一言に、使者はわずかにたじろぐ。


「ヴァレンティア公爵閣下。そのような表現は……」


「そのような意図があるかどうか、私にはどうでもいい。ただし――彼は私が命を賭して救い出した者。誰に渡す気もない」


 その言葉に、僕の胸が騒ぐ。


(僕のせいで……レオナさんが責められてる)


 思わず扉を開けて、飛び出してしまった。


「それは違います!」


 応接間が凍りつく。


 視線が、一斉に僕に注がれる。


 使者の女が、目を見開いて言葉を失った。


 その反応には、もう慣れつつある。だけど、慣れていいものじゃない。


 僕は凛とした声で言った。


「僕は……自分の意志でここにいます。誰かに囚われたのでも、監禁されているのでもありません。救われたんです。だから、迷惑だなんて思わないでください」


 しんとした沈黙の中、使者はようやく口を開いた。


「……なるほど、確かに……その美貌、その存在……」


 レオナさんが立ち上がり、僕の肩に手を置く。


「彼は、カイル。私の庇護下にある大切な存在です」


 使者は何も言い返せず、数歩後ずさると、ただ一礼した。


「闇奴隷市場の件、確かに確認いたしました。王都への報告には、慎重を期します」


 そう残し、彼女は退出していった。



 扉が閉まり、静けさが戻った。


「……勝手に出てきて、すみません」


 僕がうつむくと、レオナさんは微笑んだ。


「いいえ。君の言葉が、何よりの証明になったわ」


 そして、思い出したように付け加える。


「そうそう、闇奴隷市場はすでに解体したわ。ラミアたちも牢の中。情報は統制していたけれど……あの日、あれだけ多くの人に見られてはね」


「……そうだったんですね」


 世界の秩序の端に、僕は立っている。  その重さを、ほんの少しだけ、理解できた気がした。


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