第19話★「涙の敬礼」
──もっとたくさんの人と触れ合ってみたい。
そんな僕の言葉に、レオナさんは呆れたように見つめてくる。
「……カイル。あなた、それは……」
「うん、もちろん危険なことはしない。でも、名前も顔も、もう貴族や多くの人に知られているんだし……今さら、って思って」
そう言って、僕はレオナさんの腕に、ぎゅっと抱きついた。
(……我ながらあざとい。ちょっとずるい攻撃だよな、これ)
「……あなたって子は……」
レオナさんは頭を抱えながらも、まんざらでもなさそうにため息をついた。
「わかったわ。警備を増やして、護衛も同行させる。条件付きで許可するわ」
◆
こうして僕は、護衛たちとともに、ヴァレンティア公爵領の街へ視察に出ることになった。
馬車の窓から眺める風景は、まるで絵本の中の世界だった。
城壁の中に広がる整った街並み。石畳の道に並ぶ商店。陽光を浴びてきらめく噴水と、そこで笑い合う子供たちの姿。
「……ここが、レオナさんの領地……」
どこを見ても整っていて、温かく、優しさに満ちている。
それはきっと、レオナさんがこの地を守り続けてきた証なのだろう。
◆
農村では、畑仕事の手伝いもした。
農民たちが育てた色とりどりの野菜を一緒に収穫し、土をかぶった大根を手に笑い合った。
「わぁ……カイル様、手つきが板についておられますな!」
「いえ、皆さんが丁寧に教えてくださるからですよ」
汗をぬぐいながら土の匂いに包まれるこの感覚。
懐かしいような、心地よい安心感があった。
◆
農村の広場。
そこで僕は、ひとりの小さな少女と出会った。
泥だらけの服と手。だけど笑顔だけは、どこまでも透き通っていて、見ているだけでこちらまで嬉しくなってしまう。
「おにいちゃん、これ、あげる!」
少女は、手に握っていた花束を僕に差し出した。
「……ありがとう。すごく綺麗だ」
僕が微笑みながら受け取ると、その後ろから、少女の母親らしき女性が血相を変えて駆け寄ってきた。
「申し訳ございませんっ! 娘が……! 男性様だと知らずに……!」
母親はその場に崩れ落ちるようにして、頭を地面につけて謝罪した。
けれど、僕はすぐにその手を取って立ち上がらせ、膝の土を優しく払った。
「大丈夫です。とても嬉しかったんです」
僕は微笑みながら、少女を肩車し、そのまま広場を一緒に走り回った。
少女はキャッキャと笑い、周囲の子どもたちも寄ってきて、あっという間に輪ができた。
周囲の大人たちはその様子を、信じられないというような目で見つめていたが──
「夢じゃないのね……」
「この地に、あんなにもお優しい方が……」
彼らの目には、感動と希望の光が宿っていた。
◆
「次は駐屯所の視察よ。カイル、無理はしないように」
そう言いながらも、レオナさんの声にはどこか期待が滲んでいた。
「アデルさん……あの、お願いがあるんです」
視察のため、軍服を着込んだアデルさんに僕は両手を組んで、おねだりポーズを決めた。
「少しだけでいいので、模擬戦に参加させて欲しいな……って?」
アデルさんは目を細め、ため息をついたが──
「……まったく仕方ない。」
ちょろいと内心ガッツポーズをした。
◆
駐屯所では最強と名高い女騎士・ラディナが模擬戦の相手を買って出た。
手にするのは訓練用の木剣。観戦する騎士たちの視線が集まる中、僕とラディナさんは中央に立った。
ラディナさんの体格は僕よりも大きい。
気持ちで負けないように意識する。
「では……始め!」
初撃はラディナさんから。低く踏み込み、重みのある斬撃を横なぎに放つ。
僕は体を沈めて受け流し、すぐさま間合いを詰めた。木剣がぶつかり、大きな音が鳴る。
(速い……でも、見える)
二撃目、三撃目。ラディナさんの連続斬りを、僕は最小限の動きで捌いていく。
「……おぉ……」
観衆からどよめきが漏れる。
その瞬間、僕は隙を見つけて一閃。鋭く踏み込んだ一撃に、ラディナさんは反射的に風魔法で脚力を強化し、跳躍して間合いを取り、すぐさま反転して斬りかかる。
(まずい……っ!)
それを見たアデルとレオナさんが、同時に動こうとした。
しかし、僕はその高速の反撃にも動じなかった。
「はっ……!」
迫りくるラディナの突き。僕は僅かな角度で木剣を滑らせ、かわすと同時に、相手の懐へ踏み込んだ。
剣を胸元へ──寸止め。
ラディナの目が見開かれる。
「……私の、負けです」
一瞬の静寂。そして──
「「うおおおおおおおっ!!」」
駐屯所に歓声が響き渡った。
◆
模擬戦が終わり、僕とラディナさんは軽く握手を交わした後、訓練場をあとにした。
しばらくして。
残ったアデルさんが、ひとり静かにラディナに歩み寄る。
「……ラディナ」
その声は静かだったが、内に秘めた怒気が確かにあった。
「なぜ、模擬戦で魔法を使った?」
その一言に、ラディナの顔色が青ざめる。
「カイル様に怪我をさせていたら、どうするつもりだった……?」
押し殺すような声。だが、鋭く、重い。
ラディナは目を伏せ、震える声で言った。
「……男に、負けたくなかったんです。私は、男という存在が……傲慢で、怠惰で……嫌いで……」
アデルは一歩近づき、目を細めて問いかける。
「……それでも、カイル様を見てなお、変わらなかったか?」
沈黙ののち、ラディナはゆっくり首を横に振る。
「彼は……本物の天才です。でも、嫉妬もしました。あれほどの才能……でも、さっき握手した手は……豆だらけでした」
ラディナの瞳から、静かに涙がこぼれた。
「彼は、努力してる。血をにじませて、誇りを背負って剣を振ってる。私なんかが……魔法でごまかして……勝てる相手じゃ、なかった……」
「……心より、忠誠を誓います。そして、危険に晒したことへの罰……受けます」
男性を傷付ければ死刑すらあり得る。
恐怖に今更ながら震えが止まらない。
アデルは静かに背を向け、言い残す。
「一ヶ月、トイレ掃除だ」
「……っ!……私は……はびぃっ!」
ラディナは泣きながら、ぴしっと敬礼した。




