第16話★「影の守り人」
王城の裏手──その薄暗い路地に、一人の影が佇んでいた。
男装の麗人、ユーリ。
レオナ公爵に仕える護衛でありながら、今日は裏の任務に徹している。表の舞踏会が華やかに盛り上がる裏で、彼女は別の緊張感に包まれていた。
(……カイル様を狙う者がいないとは限らない)
月明かりの差さぬ茂みの陰で、ユーリは息を潜め、王城の裏手に集う人影に目を光らせていた。
数人の女が、ひそひそと何かを話している。
「……いいか、奴がトイレに入った瞬間を狙うんだ」
「男子トイレだろ? 護衛はいない。女は入れないからな」
「……アタイたちの仲間に、城の庭師がいるんだ。公爵が絶世の美少年を連れてくるって話を聞いてな……」
聞き捨てならない内容に、ユーリの眉がぴくりと動いた。
(まさか、そんな姑息な……いや、だからこそか)
城内には男性専用のトイレがある。男性が極端に希少なこの世界では、当然ながら女性の立ち入りは禁止されている。つまり、カイルが一人になる瞬間──護衛の手が届かない、唯一の隙。
その“盲点”を突こうとするとは……。
(しかも、話しぶりからしてただのゴロツキ……。庭師を通じて噂を聞きつけた小物か)
ユーリは木陰に身を潜めたまま、気配を殺し続ける。下手に動けば、背後にもっと大きな影がいるかもしれない。だが、しばらく盗み聞く限り、どうやらこの集団が単独で動いているらしいと判断した。
(貴族の影は……なし。ならば)
その目が鋭く光る。
(ここで、すべて片付ける)
8人の誘拐犯。うち3人は簡素なナイフを持っているが、動きに訓練された気配はない。
一瞬の間。
その静寂を裂くように、ユーリが一人に跳びかかり、手刀を喉元に打ち込む。音もなく、女は崩れ落ちた。
「なっ……!」「仲間がやられたぞ!」
だが、すでにユーリの姿はない。
茂みを駆け、壁を蹴り、背後から一人、また一人──倒れていく。
「う……うわっ、影が、影が動いて──っ!」
最後の一人が叫ぶ暇もなく、喉元に肘を叩き込まれて昏倒した。
わずか数十秒。
8人の誘拐犯は、誰一人叫ぶことすら許されず、その場に沈んでいた。
◆
「ご苦労様です。あとは我々が引き取ります」
衛兵に報告し、縄で縛られた誘拐犯たちが次々と連行されていく。
ユーリは衛兵の一人に近づき、静かに告げた。
「私には……まだ、やるべきことがあります」
強い意志が宿った瞳に衛兵が息を飲む。
そう言い残すと、ユーリは静かにその場を去っていった。
◆
──そして舞踏会、男子トイレの片隅。
王城の男性用トイレに、ひとつの影が潜んでいた。
(……カイル様が危険にさらされてはいけない……念のため、私はここに……ハァハァ……)
月光も届かぬ薄暗い空間。
息を殺し、完全な静寂の中、ユーリはひたすら身をひそめていた。
……5分。 ……30分。 ……2時間。
(…………来ない)
じわじわと脚が痺れてくる。
(……まさか……今日は……)
──結局、その日。
カイルは舞踏会に夢中で、トイレに行くことはなかった。
残されたのは、誰にも気づかれず、男子トイレの個室に一晩潜んでいたユーリだけだった。
(……寒い)
ギィ……。
個室の扉が静かに開き、顔を覗かせるユーリの表情は、妙に遠い目をしていたという──。




