第13話★「別邸」
★挿し絵注意
舞踏会まで、あと数日。
僕たちは王都にあるヴァレンティア家の別邸へ向かうことになった。
道中の移動手段は、複数の馬車と荷馬車。僕とレオナさんは一番先頭の、内装がまるで宮殿の一室のように豪華な馬車に乗っている。
馬車には、揺れを吸収する魔道具が取り付けられていて、地面の振動をまったく感じない。それどころか、速度上昇の魔道具を馬に装着しているおかげで、風を切るような早さで走っているというのに、まるで動いていないかのような安定感だった。
(すごい……これって、朧げに記憶してる“車”ってやつに近いのかもしれない)
レオナさんは向かいの席で優雅に紅茶を飲んでいる。黒と赤のドレスに身を包んだその姿は、凛とした気品に満ちていて……僕は思わず見惚れてしまった。
「なにかしら?」
「……いえ、なんでもありません」
自然と頬がゆるむのを止められない。そんな僕に、レオナさんは小さく笑った。
僕たちは、王城へ続く“貴族専用の道”を通っていた。通常なら数日はかかる距離を、魔道具と専用路のおかげで、夕刻には王都の外れにあるヴァレンティア家別邸に到着した。
◆
別邸の門が開かれると、整列した十数名のメイドと執事たちが、一斉に頭を下げた。
けれど――。
僕の姿を見た瞬間、そのほとんどが息を呑んだように顔を上げ、ぽかんと口を開けてしまう。
「あの……その……」
メイドの一人がようやく絞り出すように言ったが、すぐに厳しい声が飛ぶ。
「お前たち、無礼ですよ」
背筋の伸びた一人の執事――この屋敷の執事長だろう――が一喝し、メイドたちは慌てて頭を下げた。顔を真っ赤にしている子もいれば、そっと手で頬を扇いでいる子もいた。
彼女たちの目は――“男性”としての僕に向けられる“感動”と“畏れ”と“ときめき”が入り混じっていた。
レオナさんが小さくため息をつく。
「先に伝えておくべきだったわね……でも、これも予行演習にはなるかしら」
「予行演習……?」
「舞踏会では、もっとたくさんの人間が、あなたに視線を注ぐことになるから」
レオナさんは僕をちらりと見て、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
◆
その夜。
ヴァレンティア家に仕える貴族の一人ユーリ=アルミナと名乗る女性が訪れた。
ユーリは黒の長い髪、背の高いスレンダーな体格。外套を脱ぐと、詰襟のスーツに細身のブーツ。胸元には深紅のブローチが光っている。
朧気な記憶の男子学生が着ている制服のようだった。この世界では男装は一般的で女性同士のカップルや夫婦も少なくない。
「ヴァレンティア公爵閣下。お呼びいただき光栄に存じます」
「久しぶりね、ユーリ。あなたには信頼しているカイルの護衛をお願いしたいの。……例の“舞踏会”に備えて」
「仰せのままに」
ユーリの視線がふと、僕に向けられる。
そして――次の瞬間、彼女はぴくりと身を震わせた。
その表情はすぐに仮面のように無表情へと戻ったが、その瞳には明らかな驚愕と――狂おしいまでの執着が滲んでいた。
「……こちらが“例の男性”ですか?」
「そうよ。カイル。紹介するわ。ユーリ=アルミナ。私の協力者よ」
「はじめまして。カイルです」
僕がそう微笑んで頭を下げると、ユーリはその場に膝をついた。
顔は見えないが肩が震えている。
「……どうか、この身にお役目を賜りますよう……心より」
ユーリはそれだけを言い残し、足早に任務の準備へと向かった。
◆
その晩。
ユーリは自室に戻るなり、扉を閉めた瞬間、膝をついて崩れ落ちた。
「……ああ……あの人が、カイル様が……」
スーツを脱ぎ捨て、荒く息を吐く。
理知的で冷静沈着。任務に忠実な優秀な諜報員として名を馳せていたはずのユーリは、ただの“恋する乙女”に戻っていた。
美しすぎるその姿。優しすぎる微笑み。声の柔らかさ、立ち居振る舞い、すべてが、彼女の心を射抜いていた。
「……もっと見たい……触れたい……」
その手が、自分の身体に伸びる。
「だめ……だめなのに……。だけど……」
息遣いが荒くなる。まるで発作のように。
公爵家の別邸にてカイル様が使用したハンカチを手に入れてきた。私の隠密技術を使えば造作もない。
「カイル様......」
あぁ……素晴らしいパルファム……
心は冷静であるはずなのに、感情と衝動が止まらなかった。
その夜、ユーリは、誰にも言えぬ熱に焼かれながら――
カイルへの“狂信”と“恋情”を心の底に沈めて、静かに任務の準備を整えていた。




