第12話「王都に」
「――カイルを、舞踏会へ連れて行くわ」
その一言が落ちた瞬間、空気が張り詰めた。
ヴァレンティア邸、作戦会議室。
執事長エミリア、騎士長アデル、侍女長ルティア、そして護衛の魔術士や近衛兵ら、信頼できる者たちのみが揃う密室の場。
「レオナ様……それは、本気で……?」
口火を切ったのはアデルだった。いつも冷静な彼女の瞳に、わずかな戸惑いが浮かんでいる。
レオナは頷く。
「王城からの招待。形式ではないわ。明確に、彼を“見たい”という意思が込められていた。断れば、私たちの立場を損なう。……でも、それ以上に」
言葉を切り、レオナは少しだけ目を伏せる。
「私は……彼が自分の目で世界を知り、自分の意志で未来を選べるようになってほしい。だからこそ、この舞踏会を避けるべきではないと判断したの」
静かな言葉ではあったが、誰の胸にも深く突き刺さる。
アデルが膝をつき、深く頭を下げた。
「それならば、我らは命を賭して、カイル様をお守りいたします」
「当然よ」
レオナの声には、揺るぎない決意が込められていた。
「この命に代えても、彼を傷つけさせない。それが、公爵としての責務であり――私の“願い”でもあるのだから」
◆ ◆ ◆
その日を境に、屋敷の空気は一変した。
城内は舞踏会の準備で慌ただしくなり、執事たちが王都への連絡に奔走する一方、屋敷の奥では――
「このスーツはいかがでしょう! 金色に銀の刺繍、まさに貴公子の風格ですわ!」
「いえ! 深緑のベロアが素敵です! 柔らかくて触り心地もよく――」
「その露出の多いデザインは何を考えてるのよ!? 主人公様が着る衣装なのよ!?」
「逆に考えるのです! 露出こそが神々しさを引き立てるのです!」
衣装室では、メイドたちが主人公の衣装を巡って騒然としていた。
その中央で、少し困った顔をしながらも笑っているのは、カイル本人だった。
「みんな、ありがとう。……でも、僕なんかのために、そんなに本気になってくれて、すごく嬉しいよ」
その一言に、空気が変わる。
「……あの……“僕なんか”なんて言わないでくださいっ……」
「はぅっ……その優しさが……尊い……」
ぽろぽろと涙を浮かべる者まで出てきてしまった。
「じゃあ……決めよう。せっかくだから、レオナさんと並んでも違和感のない服がいいな。あの人、黒のドレスが似合ってたから……僕も黒を基調にできたらって思う」
その言葉に、衣装係が一斉に膝を打つ。
「「それです!!!!」」
そして決定されたのは、黒を基調にしたシンプルながら格式高い貴族衣装。銀糸の刺繍と、赤い宝石のブローチが胸元で光る逸品だった。
◆
衣装が整えば、次に控えるのは“舞踏”――すなわち、ダンスである。
屋敷の大広間で、カイルに舞踏の指導をするのは、執事長エミリアと侍女長ルティアだった。
「まずは、基本のステップを……このように左足を――」
言いかけたその瞬間、
「……こう、ですか?」
カイルが軽やかに動いてみせる。
滑るような足さばき、指の角度まで整った姿勢、美しい回転。
全員が、絶句した。
「……こ、これは……教えた通りどころか、それ以上では……?」
「というか、なんで初めてでこんなに……」
「……やっぱりカイル様、天才では……?」
しかもその柔らかい笑顔と美貌でくるくる回るものだから、見ているだけで倒れそうになるメイドまで出始める始末だった。
「ご、ごめん……何か間違えた……?」
「「いえぇえええ!!完璧ですぅぅぅ!!」」
屋敷全体が彼のダンスに酔いしれ、完全に舞踏会モードに切り替わった。
◆ ◆ ◆
数日が経ち、出発を控えた朝。
黒い衣装に身を包んだカイルと、凛々しいドレス姿のレオナ。
アデルを筆頭に、護衛騎士とメイドたち。馬車の列が、王都へ向けてゆっくりと動き出す。
目指すは、王都中心部にあるヴァレンティア家の別邸。
舞踏会の前泊と準備のための宿泊先である。
馬車の中、レオナは静かにカイルを見つめていた。
(……この想いを、どうか隠し通せますように)
そう、祈るように。
そして心の奥では、ただ一つの誓いを固めていた。
――何があっても、私が貴方を守る。
その決意と共に、黒衣の貴公子と彼を守る者たちは、王都へと進軍するのだった。




