第11話「贈られた想い」
街での外出から数日が経った。
日常が戻った屋敷では、穏やかな時間が流れている――ように見えたが、その空気の奥には、目に見えない変化があった。
それは、カイルの存在がもたらすもの。
屋敷の者たちは皆、彼に心を寄せ、静かに、しかし確実に何かが変わってきていた。
そんなある日。朝の陽射しが差し込む書斎で、レオナは机に向かっていた。
その手元には、王都から届けられた一通の手紙。
それを見下ろす視線には、わずかな影が差している。
「……舞踏会、ね」
金の封蝋には、アーク王国を象徴する紋章が刻まれている。
文面は丁寧だが、その意図は明白だった。
公爵家の屋敷に“男性”がいるという噂が王都に届き、女王自ら、それをこの目で確かめようというのだ。
レオナは無言で手紙を置き、椅子にもたれかかる。
(……誰にも、彼を見せたくない)
その想いは、日々強まっていた。
初めは、稀有な存在として守るべきだと感じていた。
だが今は違う。彼の笑顔、優しさ、誠実な言葉――
すべてが、レオナの胸に染みついて離れない。
(……こんな気持ち、いつからだったかしら)
レオナ=ヴァレンティアは四十歳。
男の少ないこの国において、立場も美貌もありながら、愛を得たことは一度もない。
行き遅れの年増がカイルほどの男性を独占したいなど、おこがましい事この上ない。
自らの年齢を思い出すたび、心の奥にしこりが残った。
彼の隣に立てるような女ではない――
そんな声が、いつも胸の奥で囁いていた。
その時だった。ノックの音がした。
「失礼します。あの、少しだけお時間を……」
現れたのはカイルだった。
きちんと整えられた衣服。緊張しているのか、少しだけ視線が揺れていた。
「これ、あの……この間、街で見つけて……どうしても渡したくて」
そう言って、手にしていた小さな箱を差し出す。
レオナは戸惑いながら受け取り、そっと蓋を開ける。
中にあったのは、赤い宝石がついた銀の指輪だった。
飾り気は少ないが、柔らかな光を放つ石が上品で、品のある仕立てだった。
「……銀貨三枚でした。そんなに高くないものなんですけど」
カイルは恥ずかしそうに頭を掻く。
「しかも……お金も、公爵家から預かったもので……勝手に使ってすみません」
レオナは驚いて顔を上げる。
その表情は、怒りでも呆れでもなかった。
ただ、胸を締めつけるような感情がこみ上げてきて、何も言えなくなっていた。
「でも……この赤い石、レオナさんに似合うかなって思って。
魔力が安定する効果があるらしいです。ちょっとしたもので、気休め程度らしいですけど」
不器用に、けれど真っ直ぐに気持ちを伝えるその姿に――
レオナの中の何かが、ふっとほどけていくのを感じた。
「……ありがとう、カイル」
手にした指輪を、指にはめようとはしなかった。
あまりにも大切すぎて、すぐに身につけることができなかった。
カイルは少し照れたように笑うと、「それじゃ」とだけ言って部屋を出ていった。
扉が閉まる音を聞いてから、レオナは机に両肘をついて、指輪をそっと両手で包み込んだ。
(嬉しい……)
その言葉は、口に出さずとも胸の内で繰り返されていた。
◆ ◆ ◆
夜。寝台の上。
レオナは薄明かりの中で、再び指輪の箱を開いていた。
柔らかく赤く光る石。
彼が自分のことを思って選んだ、たった一つの贈り物。
ただそれだけで、胸が満たされていく。
(……誰よりも優しい人。私には、過ぎた贈り物)
そんなふうに思ってしまうのが、悲しくもあった。
それでも、彼が自分に贈ってくれたこと。
選んでくれたこと。
その事実は何よりも重くて、尊くて、愛しかった。
「……カイル」
その名を口にしたとき、涙が一粒、頬を伝った。
レオナはその夜、一睡もできなかった。
指輪を胸に抱き、少女のように――恋を知ったばかりの少女のように、ずっとその想いに浸っていた。




