第1章34話【恩赦訣別】-ミスリア・プリェーニェ-
「ーーそれなら、私にも考えがあるよっ!!」
生える黒い尖長耳がひょこりと自然と動く。彼女はミスリア。その名を知るものはグラナダと、この場に数名しかいないはずだった。その声に心を震わせる者は、ーー段頭。彼もその一人とは、今後一切知られることは無いだろう。
「ふむ、しかし…なるほど。立候補に一つ空白が鎮座していた理由はこれか。……となると……年々の異常な投票減少数は………殲滅戦を身隠に利用したか。総数のカモフラージュ。裏で手を回していたと言うわけ…か。」
感心した様な表情をした彼にミスリアは少し疑問を持った後、すぐに放棄した。
「……?ーー私はこれだけは曲げたくなかったの。人は願いと希望で生きる生き物だと私は思ってる。だから、他者をこれだけ巻き込んで、プレスト…州知事の望まれていない身勝手な決断なんて間違ってる。」
この場では間を齎してはいけないんだ。伝えたい事を最優先で切り出す。
「望まれない?否!これ程の民達が我々に付随している。それとも、妙案、適当な方法が他に存在した…とでも?」
ミスリアは彼女らしく彼の言葉を咀嚼した後、顔を上げ、彼を見据え、
「それってただ怯えてるだけでしょ?私達は自力で解決する能力すら失なちゃったのかな。」
ーーそう、ただ一人声を上げるものがいた。壇上に登る彼女。ミスリアは止められることない。ストベニーツァでさえ肩を竦めるだけだった。
ミスリアはプレストの側に立つ。その瞳は淡く朱色に輝いて見えた。
「耳なしの小娘が何を言うかと思えば、その為の変革であろう。時代は変わったのだよ。お前も知っているだろう。アーテルだ。コレには可能性がある。未来を変革するほどのな。」
「そのためなら罪の無い市民を殺しても良いって??ふざけるな。」
「罪が無い?であるならば、デモによる警備兵との暴力沙汰を許容すべきとでも言うのか?立派な罪であろう。もし仮に人を平等に扱うのだとすれば、な。国家の反乱分子は払うべきである。それは旧時代から変わらない。むしろ変えるべきではないのだよ。アレカサンドゥリアは不変の歴史を築いてきた。」
ステラ現存、建国時から何も変わっていないのである。国家の反乱分子は除去すべきである。それが例え……。
「結局過去に縋っているだけでしょ?変革?笑わせないで。たった一つの家庭さえ救えないくせに。救おうとしないくせに。」
間。絶妙な間だった。ミスリアはこの時、この時間、そして、彼の発言。恒久に忘却する事は無い。
「……お前は何をする為にこの地に立った?」
何の為に……。一瞬の出来事、その言葉に呆気に取られる。
途端、背筋が凍る。いや、寒気がしたと言った方が正しいのかもしれない。ミスリアは、プレストの蔑んだ瞳を覗き見て……。
ーー空虚になった。心に穴が空いたように。これから生きていく上で決して埋まることがない穴が……開いた。
長い耳は萎縮し、ミスリアの瞳は黒ずむ。涙ぐんだように小刻みに震える瞳孔だけが存在を主張した。
両手で思わず胸を抑え込む。無探る。何かを求めるように。胸の奥が、冷たくて。寂しくて。
身震いしようが、苦しくて冷たくてどうしようもない激情を抱いたまま。
それでも少女は決して倒れることはなかった。
ポタリ。
一滴、一滴。黒ずんだ湖に垂れ続けた朱水。波紋が広がり……。しかしその憧憬はピシャリとヒビ割れ砕けて行く。
その激情は、嘘の様に、はたりと止む。嵐の前の静けさとも呼べるように。
ーーもういい。もういいや。どうにでもなればいい。
ふっきれた。そう表現するのが正しいかもしれない。求めて求めて突き放され続け。でも求めたことは心の外には出てきてほしくなくて。しかし、そんな思いが、捨てられた過去を砕いた。
彼女は心から求めることを諦めた。いや、決心がついたのだ。親元を離れる決心が。
「もういいよ、お父さん。」
その声はか弱く、まだ幼い少女の様で。
「私はミスリア。ミスリア・プレーニェ。」
母はおらず、唯一だった父に捨てられたこと。彼女、ミスリアは愛を求めた。父に求め続けた。たった一人の家族に。放浪する日々。色々な人々と触れ合った。時には家族と呼べる人たちと出会った。行く度行く度、人々に恵まれていた。
しかし、ミスリアは悟ってしまった。
愛などはないと。嘘っぱちであることを。求めても一生来るものではないと。
ーー受け入れたく無かった。
父に捨てられた時からこれまで、彼女は、誰かに見放される事に、愛は既に存在しないと認識してしまう事に恐怖していた。
求めている愛情はないのかもしれないと。ずっと心の奥底で思っていたのだ。拒絶し続けていた。その事実から瞳を背け続けた。
実父に向けられた悍ましい朱殷の瞳。身体が知ってしまった。
目尻から頬を静かに伝い、垂れた。
ーーあぁ。愛なんて初めから無かったんだ。
話し合えば、辞められると思ったがそうではなかった。公開裁判もとい公開処刑が淡々と行われた。
変わらなければならない。変えさせなければならない。そのために必要なことは、どんな困難であろうと超えて魅せる。
「ーーーーいいえ。私は、『ミスリア・プリェーニェ』。この新たな名と共に、私たちは貴方を超える。プリェーニェ州を取り戻し、アレカサンドゥリアを元の姿に還すわ。」
彼女、ミスリアは、プレストと対面した。瞳合わせての対話。親子初であろう親子喧嘩は、より大きな形で成立する。
しかし、プレストは顔を歪め……、
「親の言いつけも守れない小娘に何かができると?笑わせるな。何一つお前は変わっていない。何も考えず、何もせず、ただ縮こまっている子供のままだ。今は無駄な時間は割けん。今すぐにその口を閉じるんだ。クチナシになる前にな。」
彼女の成長を認める事は無かった。
プレストは中継を切るように、淡く黄灯る左手を静かに力を込め振る。その手には苛立ちだろうか。渇望だろうか。はたまた、ミスリアへの失望であろうか。
そんな中、プレストは変化しない現実に違和感。溺れ……、今まで手にしていた物は砂塵のように手から零れ落ちて行く。
暴徒を鎮圧した時もそうだ。手応えが無かったのだ。
消失感に苛まれながら彼は壇上に立ち続けた。
そして、中継は止まることはなかった。なぜなら……。
「ーーそれは聞き入れられない命令だな。」
「………グラナダ。」
プレストは見知った顔を、今は恨めしそうに瞳を震わした。
どれだけの心情が込められようと、結果は変わらないと言うのに。彼は今無駄な時間を、短い間だったとしても、消費したのだ。
普段の彼であれば、価値のないと切り捨て、視界から消し去る。それをしなかった。
「そう。私たちは、変われる。変えるためのほんの少しだけ遅い。ーーーー反抗期ってやつだよ。」
プレストを狂わせられるのはただ一人。
ミスリア。彼女は混血だった。




