第0章??話【相思相体】-絶望の先は-
紡ぐものってね……………
私たちは虐待を受けていた。いや、正確には虐待を受けていたのだと全てが終わった後に知った。
親の顔を立てなければ、殴り蹴られ、恐喝される。そんな日々が当たり前だった。大方母はそんな父を恐れたのだろう。私たちが手を出されても始めは抵抗していた様な気がしていたが、今では母もあちら側に。父がいない日は母が増長し、罵声を浴びせた。
私は恐怖で赤子の様に立つことすらできなかった。自分は小さな存在なのだと、無力な存在なのだと反抗などなす術なく叩き込まれた。
そんな小さな私を、まるで雨上がりの水滴のような目を持ち、きれいな黒髪が目立つお姉ちゃんが、いつも守ってくれていた。叩かれても殴られても立ち上がり続け、私の前に立ち続けた。
けれど、私はその姉すらも怖かった。いつか奴らと同じ様に冷たい目を向け、私を陥れるのだと恐怖した。
その頃からだ。お姉ちゃんが貼り付けた笑顔を私に見せるようになったのは。
寒くて寒くて、独り寂しく丸まり縮こまる。
お姉ちゃんはいつも眠る時に私を後ろから抱きしめ、温もりを分け続けていた。
それでもこびりついた傷跡は決して癒えることはなく、ただただ私は怖くて布団に蹲った。
そんな私たちでも生きるための希望があった。それは、隙間風が起きるほどのボロアパートに住み着く、一匹の猫だった。
その猫は毎日親のいない時間、私たちの元に顔を見せては甘えてきた。
お姉ちゃんはその猫が気に入ったのか、いつしか自分の数少ないご飯まで与えるにまでなっていた。
なぜお姉ちゃんがその猫に肩入れするのかが、既に冷え切った私の心では理解できなかった。
何か変わることもなく暫くそんな生活が続いた。
変わり映えしない日々の風景。期待などしない。冷え切った関係。
ある日猫が姿を表さなくなった。
野良猫だ。そこらでいつ死んでいてもおかしくなかった。
悪寒が背筋を通す。嫌な予感はした。
私は猫のことなど忘れかけていたそんなある日のこと、お姉ちゃんは初めて親に口答えをした。
「ねぇ、猫知らない?」
家とは思えないほど冷たく静かな時間がゆったり続く。
ポタポタと垂れる水道の音はより一層、場を凍て付かせた。
「まさか…ころしちゃったの?」
「……知るわけねぇだろっっ!」
鈍い音が響き渡る。
「くそっくそっ……。」
肉体の協奏。もう何度聞いた音だ。それでも聞き慣れず、吐き気を催す。そんな音も今日は、まだましに聞こえた。
「はぁはぁ。……あぁ、そーいやいたよ。ここら辺に彷徨いてた奴が。どうせこんな世界じゃ生きてけないんだ。目障りだったから何日か前に殺した。あぁそうだよ殺したさ。何が悪い。俺だって…。」
スゥーー
あのいつもヘラヘラとしていたお姉ちゃんが冷えた。背中から見ても分かるほどの狂気。私はお姉ちゃんもなってしまったんだと、縮こまった。
ガシュっっボダダダっ。
突然そんな音が鳴った。
恐る恐る目を向けると父の髪を掴むお姉ちゃんの姿があった。
顔は血で滴り、服は汚れ、その水色の目がこちらを覗いていた。
次は私の番なんだとその瞬間悟った。だから目を瞑って、そのまま身を委ねた。
静かな時がゆったりと流れ、もうすでにいなくなったんだと思えるほどだった。
これが死なのかな?
意識だけが存在し、何も見えない聞こえない。感じることもない。
そこで私は死んだはずだった。人生を散らすことができるはずだった。
不思議な感覚が私を襲った。
目を開けると私は真正面から抱きしめられていた。その温かな体から流れているとは思ないほどのお姉ちゃんの冷たい涙が私の背中を綴った。
「ごめんね。アン。巻き込んじゃった。こめんね。私の大切なアン。」
そこで初めてお姉ちゃんに大切にされていたことを知った。
だから私も大切だった。この絆が。この感情が。
「あぁぁぁああぁっぁあああぁぁ……」
私はひたすら這い蹲って向かう。たった一人のお姉ちゃんに向かって。唯一家族と呼べる人に向かって。
その私を妨害する者など現れなかった。
生暖かい感触が体全身で感じる。嫌でも伝わってくる。
でもその感覚は不思議と嫌いではなくて。
今日の別れ際、お姉ちゃんの横眼が忘れられなかった。あの瞬間、時が止まったかのように間延びしてやけに脳にこびりついた。
離れる距離。別れる時間。嫌な予感が静かに過ぎった。
『行っちゃダメ。』『帰ってきて。』
その願いが伝えられることはなくそのまま行ってしまった。
瞳が開いている。
嫌というほどに。
疲れなんて普段から感じることはないけれど、やけに体が重かった。
気になっていたんだ。あの時に呼び止めていたらと。
触れるとまだ暖かい。大好きだった手をギュッと握りしめる。
いつもと変わらず、とても大きかった。
後悔しているのだろうか。している。後悔している。
私は薄情だ。あの時の違和感をしっかりと考えていれば、こんな終わり方にはならなかった。
もっと、もっと知っていれば…。どうして私は知ろうとしなかったんだろう。
体が震える。異常なまでに。
……私はまだ怖かったんた。お姉ちゃんのことが。私が足手纏いだったから。あの日から全て変わった。
張り付いた笑みは次第に崩れ、私もどうして良いのか分からなかった。
知っていた。必死になって生きる姿を。
知っていた。必死になってそれでもダメで、諦めようとする姿を。
知っていた。必死になって愛してくれたことを。
全ては夢の中。もうどれだけ言葉を尽くそうが意味を持たない。どうしてだろう。
ねぇ。お姉ちゃん。私はまだ涙を流せているのかな?




