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【私家版】探偵都市トキオ~高円寺一郎の事件簿  作者: 中田誠司
櫻の園の犯罪
3/55

「あなたが犯人だ、氷室勲夫。いや……それとも猟奇仮面と呼んだほうがいいかな」

 深みのある低い声で、犯人の名をつげた端艇の横顔があまりにセクシーすぎて、空木(うつぎ)惚介(そうすけ)は目眩におそわれた。さすがは、帝都奇譚の読者アンケートで、「抱かれたい探偵」三年連続一位に輝いているだけのことはある。

「空木くん!」

 鋭い声にはっとわれに返った。いかん。もう、みな逃げ出した猟奇仮面を追い掛けて走り出しているところだ。クライマックスになるにつれ、どうしても彼の一挙手一投足に見とれてしまって、ぼおっとするクセをなんとかしなくては、と惚介は思った。惚介は探偵小説家だ。トキオが誇る、数少ない七ツ星探偵のひとりである、その男――高円寺一郎の活躍を、すべて記録する義務があるのだ。

 走りながら、惚介は不謹慎なよろこびにうちふるえる。高円寺が犯人を追い詰めるこの瞬間が、彼にとってはこのうえもないエクスタシィなのだ。駆ける高円寺の広い背中。彼は180を越える長身で、舶来の背広の似合う、スマートな体型だった。顔立ちも日本人としては彫の深いほうで、推理が佳境にさしかかったときの熱のこもった表情などを見ると、それだけで失神しそうになる。

 惚介は探偵より十も歳上の三十七歳で、売文家の常として運動不足であるから、呼吸は相当苦しい。それさえも、高円寺といることで快楽に変じている気がするのだ。はっきりいってヘンタイである。だが、探偵小説家とは、元来、そういうものであったかもしれない。ただ、空木惚介はちょっとばかり……普通よりも、パートナーたる探偵のことを愛し過ぎていたのである。

「観念しろ、猟奇仮面!今度という今度は逃がさないぞ!」

 高円寺の怒声がひびく。

 中年男のせつない恋心とは関係なく、事件は進行していた。


 * * *


 狂ったように暑い、夏のことである。

 たぶん、トキオの水不足がさかんに喧伝されていた、それは大正九十一年の夏の出来事だった。その頃、ただでさえ、世界的な数を誇る(いや、恥じる?)トキオの犯罪件数は気温に比例して上昇するばかりだった。

 カーラジオでは、猟奇仮面の手による、炎天下での連続凍死事件が、高円寺一郎の活躍によってついに解決を見たことについての報道が続いている。惜しくも宿敵たるかの怪人そのものは捕り逃したものの、これで早くも今年度の最優秀探偵賞は決まったのではないかというのが、もっぱら世間の下馬評だった。 件の事件については、奇譚社から刊行された空木惚介著『氷結のピラミッド』上下巻(各巻定価1600円)に詳しいので参照されたい。これは、そのあとに起こった、また別の小さな事件についての物語である。

「こう暑くっちゃ、凍死死体の話でも歓迎したくなるよ。猟奇仮面の気持ちがわからないでもないね」

 ハンドルを切りながら、惚介がぼそりと言った。

「空木くん」

 前を向いたまま、助手席で、高円寺がたしなめるように声を出した。この美男の探偵は冗談の通じないところがある。もっとも、惚介は高円寺とは長い付き合いだ。そういう反応をするのはわかっていての発言だった。と、いうのも、せんの事件が片付いたので、久々に休暇をとって箱根あたりに避暑にいこうという計画を、高円寺があっさりふいにして、新しい依頼を受けてしまったので、惚介は内心、かなり憤慨していたのである。

「だったら空木くんがひとりで行ってくればいいじゃないか」

 高円寺のその冷たい物言いが、さらに小説家を激昂させた。なにせ、箱根の温泉宿を背景に、浴衣姿の高円寺を思い浮かべてひとりにやにやしていたのである。高円寺とふたりっきりで温泉宿!――ささやかな夢を打ち砕かれたオッサンの失望は深かった。

 だが……それもむなしい抵抗でしかない。高円寺は、いちど決めたことを絶対にまげない男だし、このトキオにとって、彼は必要な人間なのだから。そして何より、惚介はそんな彼の活躍を本にすることで糧を得ている立場なのだ。

「あれのようだね」

 坂の上に時計塔のある建物が見えてくる。

 電話であらましを聞いた限りでは、こういっては何だが、日々、怪人たちが跳梁跋扈するこのトキオにおいては、なんということはない事件のようだった。ただ、全寮制の女学院の、まさに寮内で起こったという、その舞台設定は、刺激に餓えたトキオ市民たちに歓迎されるだろう。――因果な商売だ、と、惚介は思った。他人の不幸の上に、彼の仕事は成り立つ。まして、事件を解決するのは惚介ではない。

 ちらりと、横目で高円寺を見遣った。あいかわらず、その横顔は端正だが表情は乏しい。何を考えているのか、惚介にもすべてうかがい知ることはできなかった。そうこうしているうちに、かれらの車は、その建物の門前に到着する。

 美星ヶ丘女学院 櫻麗寮――という文字が読めた。


「こんなおそろしい出来事は、学院はじまって以来のことでございます」

 殿村淑子と名乗った三十がらみの女性は、膝の上でハンカチーフをぎゅっと握りしめていた。彼女は、この櫻麗寮の舎監だった。

「亡くなられた住谷実花さんは二年生で、住谷子爵の遠縁にあたります」

 この学院には良家の子女たちが多数、在学している。やんごとない家から預かった生徒にもしものことがあったというのだから、これは学院にとっては大変深刻な事態なのだ。〈金の梟〉の称号を与えられた七ツ星探偵に依頼してでも早急に解決したいというのも無理もないことだった。

「いったい……どのような恐ろしい、残虐な悪魔のしわざなのでしょう。もしや、これも猟奇仮面とかいう――」

 殿村女史は声をふるわせた。

「それはないですよ。住谷さんはただ転落死しただけなんでしょう」

 ついうっかり、言ってしまった惚介を、彼女はものすごい目で睨みつけた。

「あ、いや……すいません、猟奇仮面はその名の通り、かなり特殊な……殺害方法を好みますから‥‥あの、これは探偵小説をお読みいただければ常識の――」

 とりつくろおうとしたのに、またも彼は余計な一言をつけくわえてしまったらしい。

「わたくし、探偵小説など読みません」

 ぴしゃりと女史は言い放った。

「当学院の生徒も、みな、そのように指導しておりますの」

 探偵に事件の捜査を依頼しておいてそれはないだろう、と惚介は思ったが、あえて反論はしなかった。

「ひとまず」

 高円寺が口を開いた。

「現場を見せていただけますか」

「はい……」

 うなずいた女史の頬が、かすかに染まる。

 高い鼻梁に、意志の強そうな真直ぐな眉、そしてその下の眼窩に輝く黒い瞳。たしかに、高円寺は端正な顔立ちをしているし、どんなときも動じない堂々とした態度も、見ていて実に小気味良い。だが、それにしたって、この男がこくもひとを惹き付けるのはなぜだろう。惚介は、自分のことを棚にあげてそんなことをぼんやりと思った。もっとも、高円寺自身は「美男探偵」なる二つ名をあまり好まない。やはり探偵たるもの、その本分において評価されねば意味がない、と考えているのだろう。

 女史に案内されて廊下を歩いていると、廊下の窓から中庭を挟んで向い側にある棟の窓から、たくさんの女学生たちがこっちを見ているのが目に入った。

「今は夏休みなんじゃないんですか」

「ええ。でも寮に残る生徒たちもいるにはいるのです。それに寮生であれば、べつに夏休みであっても出入りは自由なのですから」

 ということは、話を聞き付けて、高円寺を見に来たものもいるのではないか。なにせ〈金の梟〉は有名人だ。こんなとき、惚介はすこしだけ自分が恥ずかしくなる。

 空木惚介だって、探偵小説家としてそれなりに名前は知られてもいる。もっともそれは高円寺の活躍があってこそのことだが、そんなことで恨み言を言うつもりは彼にはない。そうではなくて、こうして高円寺と並んだときに、そんなかれらを見たものたちの「ふうん」というような目が、惚介にはつらかった。

(空木先生って……もっと個性的な方だと思っていました)

 面と向かって、そんなことを言われたこともある。高円寺に比べれば、たしかに惚介は地味な中年で……いや、ありていにいってさえないオッサンだ。背だって低いし、そろそろ髪の生え際も気になり出している……。

 ぴたり、と高円寺が足を止めた。

 その視線の先を追えば、窓の向こうに、ひとりの女生徒のすがたを、みとめることができただろう。他の少女たちが数人ずつかたまりになって、こちらを見てささやきあったりしているのに対して、彼女はひとりでぽつんとたたずみ、じっとこちらを見ていた。遠目にも、長い髪に白いリボンを飾っているのがわかる。

「高円寺さま?」

「……彼女は? あの、リボンの女生徒」

「ああ……正田さんですわね。正田月子さん。そういえば住谷さんとは仲の良いお友たちでらしたようですよ」

 惚介はすばやく、その名をメモした。高円寺と目を見交わして、かるくうなずく。

 これが高円寺を〈金の梟〉たらしめている彼の能力だった。事件における『物語の構図』を直感的に感じ取る能力。出会った瞬間に、彼はその人物こそがこの事件の『登場人物』であるか否かを見分けてしまうのだ。

「こちらです」

 殿村安史が、その扉を開けると、細い螺旋階段が上へと続いている。

「あの日、朝食の時間よりも前のことです。時計当番の子が、この扉が開かないと言ってきました」

 階段を先導して登りながら、女史は語りはじめた。

「時計当番とは」

「この時計塔の上に毎朝、当番のものが昇って、朝夕に鐘をならすのです。櫻麗寮始まって以来のならわしですわ」

「ほう」

「ですので、この扉は普通、施錠しませんの」

「それは不用心では?」

 惚介は言ったが、

「まさか、こんな高いところから、誰がどうやって入りこめます?」

 と、女史は一笑に付した。

 どうやってもなにも……と、惚介はあきれてものも言えなかった。トキオを脅かす怪人たちに不可能などない。

「ちょうどこのあたりです」

 女史は足を止め、窓を示した。あの日見た光景がまた見えるのではとでも言うように、こわごわ窓辺に近付く。

「わたくしが鍵を開け、当番の子と一緒に登りはじめて……彼女がここで悲鳴をあげました。窓の外を指差して、ふるえているのです。窓をのぞくと……あの……裏庭のところに、人が倒れているのが見えて」

 そう言って、女史は十字を切った。この学院はミッション系だったらしい。

「それであなたは裏庭に向かった」

「ええ」

「なるほど」

 高円寺は言った。惚介は、彼が「なるほど」と言ったときは、多少、皮肉の気持ちがこもっていることを知っている。だが惚介にしてみれば、それは高円寺が常人よりも思考が先んじてしまっているがゆえのことだった。

「あの……つかぬことをうかがいますが」

 おずおずと惚介は口を開いた。

「それは自殺である、という可能性は」

「当学院の生徒が自殺などいたしませんッ!」

「は、はいっ」

「誰かが……誰かが住谷さんを、かわいそうなあの子を時計塔から突き落としたんですわ」

「ええ、でも……塔には鍵がかかっていた、と。でも鍵は殿村さんがお持ちで……」

「鍵は内側からかかっていました。ですから、悪魔の仕業なのです。住谷さんを突き落とした後、悪魔は煙のように消えてしまったのです――。お願いします、どうか……彼女の霊をなぐさめるために……その悪魔を、どうか……」

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