表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

恣意性と「力と交換様式」下



    下



ここまで書いておいてなんだが、このような見立ては無限に可能だ。

法月綸太郎は中上健次論である「誰が浜村龍造を殺そうとかまうものか」を文芸誌「海燕」に掲載する折に、単行本→文庫化では7頁における〈いいわけ〉を展開してから論を始めている。

「岬」とエラリイ・クイーン「スペイン岬の謎」をジャック・デリダ風に考察することを提言したり、80年代以降のミステリブームと〈路地〉の解体を同列に論じ、連城三紀彦「花葬」シリーズと「千年の愉楽」の近接、ロブ=グリエやビュトールのヌーヴォーロマンのミステリ手法の先見性等縦横無尽な照れ隠しを展開する。

最終的にはその身の置き所の無さが〈視線〉を発生させるをマクラに中上健次とロス・マクドナルドの比較文学的分析を開始するのだが、この照れ隠しはちょうど30年後の現在読むと異常である。

それくらい当時は純文学とミステリを含む娯楽小説の境界は生きていた。


 三十にも満たぬ青二才の探偵小説作家風情が「中上健次」について、文芸誌上になにがしかの感想文めいたものを載せるという行為が、平然とまかり通ってしまうことの奇怪さにわたしは言いようのない居心地の悪さを覚える。


この「三十にも満たぬ」のくだりは私には江藤淳のそのものずばりの提言を想起させ、その証拠に前段にいて江藤淳に先行していた平野謙の名を上げ、マチネポエティックや内向の世代まで引っ張ってくるのだ。

この事態、30年経つと判らぬものだが、ここで法月綸太郎は、僕はミステリ作家ですけど戦後文学50年の文学史は詳しいですよ、と遠回しに宣言しているのだ。

この仕事により、1995年の熊野大学のシンポジウム「固有名と『路地』の場をめぐって」に法月綸太郎は出演している。

いや、このような純文学とミステリの軋轢など昔からあるし、今でもあると言われれば、思い当たることも無きにしも非ずなのだが、例えば、直木賞作家の小説を原作に深夜アニメ化は予想できたかに思えたが、芥川賞作家がゴジラを元ネタに深夜アニメの脚本を書くという展開は予想できなかった、というより、その事態を誰もが驚かなくなったのがこの30年なのだとこの法月論文の冒頭は教えてくれる。

ところが、だ。

法月綸太郎は「これは対岸の火事ではない」において東浩紀を引用しつつ、おたく的な〈萌〉や〈ネタ〉の消費行動と自分らのプロパーとしての仕事が分裂しているので、迷走してしまっている、そのジャンル間の壁はそうとうに厚いとした上で、「私もかつて、今の著者と同じくらいの年齢の時に、『ミステリーと純文学』『ミステリーと現代思想』といった異なるジャンルを横断しようと試みて、やはり『諸文化間の壁』にぶつかり、尻尾を巻いて逃げ帰った覚えがあるからだ」としている。

つまり、「誰が浜村龍造を殺そうとかまうものか」も「固有名と『路地』の場をめぐって」も失敗だったのだ。

もう一度言う、この30年で崩れたのはこのような壁である。

それは芸術と娯楽が完全に融合した平野謙の夢が達成されたワケでなく、芸術である純文学がミステリ並みに売れているワケでもない。

芥川賞作家はノミネート入れてほとんどが女性作家になり、彼女たちの問題意識はここいらのと断絶しているし、東浩紀的問題設定は過去のもとなったがそれでも時代を照らしてくれる評論家は必要だから、TVのコメンテーターやYouTubeでそういう仕事をする若手は毎年のように現れ、そのような仕事をしている。

奥泉光と池澤夏樹は村上春樹と村上龍を手放しで褒めたくない純文学読者が指示する作家で、このデビュー当時からミステリやSF的手法を取り入れ、現在は更に取り入れ濃度が強くなっているが、それがことごとく失敗作か駄作でしかないという窮地に立たせれている。

壁は必要だったとは身もふたもないオチなのだが。


野崎六助「夕焼け探偵帳」(1994年)には単行本なのに「フーダニット・サバイバル 193x あるいは、フーダニット・リバイバル 1994」という解説が付いているのだが、ここでは戦後文学者のミステリ趣味や小林信彦を引いてミステリが教養主義のアクセサリーだった時代に思いをはせるものの、それがもう不可能であることを明示して終わる。

だいたい法月綸太郎は作中の同名の探偵を事件により精神的に痛めつけて、悩める探偵にしておいて、それが作者の法月綸太郎にフィードバックして、実際に本人が20年くらい断筆状態という自家薬籠中に陥ったことがある人で、この対岸の火事がやってきた時にいちばん驚いたのだろう。

ところがこの悩み芸で未だいけた10年、ゼロ年代はあった。

柄谷行人がNAMで迷走をし始め、批評家が作家論すら出せなくなった時に、ミステリ批評というのはいちばん先鋭的なジャンルだったのだ。

笠井潔や法月綸太郎に引っ張られ、新人や古参の、在野のミステリ評論家で百花繚乱な時期が確かにあった。

そいつらが全員、10年代以降には同人誌に立てこもるのだが。


「恣意性と「力と交換様式」 上」で論じられたことはそのような壁があった時は有効な照れ隠し芸のようなものだが、そのような芸を披露したいと思わせるものがやはり柄谷行人の著作にはあり、その誘発剤の含有量に昔、30年前、皆がヤられた。

(実際、読み応えはあるように思えたので、Twitterに連投したものを改訂して挙げたのだ)

そこで、次の節から21世紀版、令和版の「力の交換様式」論を展開したいのだが、その前に語りたいのは東浩紀と外山恒一のことだ。

2人の作家論・作品論になるとそれだけで1冊書けるような量になるので、それは止めておくが、ここでは意外に気が合う2人の差異について述べたい。

東浩紀はやはり「ビューティフルドリーマー」から始まった人で、永遠の学園祭前日の作家だ。

彼は「福島第一原発観光地化計画」にしても、「ゲンロン憲法草案」にしてもそれを現実化しようとはしない。

どちらも現実に作ろう、提言しようとすると、一生の仕事になる程のカロリーがあるからだ。

例の〈観光客〉こそがいちばんそれを表していて、現実でもなく、夢でもない観光こそが象徴する概念となった。

ここいらが東浩紀が万年やり玉に挙げられるトコだが、私はそんな氏をかなり支持してきた。

実際の運動なんて何の役にも立たぬだろうし、やっても既存の運動家に絡めとられるだけであるのだが、氏はそれでも何かやろうとして、学園祭前日を何回でも繰り返す態度に出たのだ。

氏はデリダやフーコーを語るクセにエヴァ論とか書いちゃう批評家でデビューした人だが、深夜アニメ制作の失敗でほとんどその芸を封印したが、その同年の「魔法少女まどかマギカ」こそ氏の論じるべき第2のエヴァで本番の回避を思想に高めた氏の急所を押えたアニメであった。

対し、外山恒一こそ、絶えず、本番の人で、実は本番こそつまらないものの最たるもので、本番への妄想こそが楽しい東浩紀と対極にいた。

そのつまらない本番をいかにして笑いや楽しさに変化させるか、こそが氏の命題であって、かなり初期から知るもので、ほぼ同い年だが、管理教育反対とかの運動に一切興味が持てなかった。

本番をやっては自爆して、退却して、次の本番へと向かう。

これは完全に東浩紀とパラレルな関係にある。

これはあまりに凡庸な言葉になろうが、2人ともこれを50代まで続けたのだ。

つまりゆうに30年以上続けたのだ。

柄谷行人がバーグルエン哲学・文化賞を受賞した時に、私はアルドリッチ「北国の帝王」を想起した。

それは勿論帝王エースが柄谷で、シガレットが東であるという見立てであるが、いやいや、その東浩紀だって、もう50代だから若いなんてとても言えないのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ