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第9話 ボーイッシュを助ける

 人を殴るということは、人を傷つけるということと同義だ。それは肉体的にもそうだし、もちろん精神的にもそうだ。殴った側は、しかも暴力を振るうことが日常茶飯事であるような人にとっては気に留めるようなことではないかもしれないが、暴力が振るわれた側には大きな心の傷として残る。


 これは俺の空手の師匠が言っていたことだが、俺も同意見だった。

 誰かを傷つけるというのは、それ相応の覚悟をもってしなければならないことだし、誰かを傷つけるに値する理由がないのであれば極力避けるべきだ。結局は「人を傷つけることは良くない」というありきたりな言葉になってしまうが、やはり大事なことで、自分が普段から大切にしていることだった。


 だからこそ、俺は大里くんに対しては見切りをつけている部分がある。少し前まではあまり意識したこともなかったが、人を傷つけるような人がいい人であるわけがない。極論かもしれないけれど、空手やその他を習って暴力を振るうことが出来る立場にある俺にとっては大切な基準だ。


 もし目の前に傷ついている人が居たら助けないなんてことはできないし、ましてや無視するなんてことはできない。俺はそんな性格だった。空手の師匠をはじめ、いろいろな人に「不幸に巻き込まれに行く体質」と言われ呆れられても、ここばかりは譲れなかった。


 だから、今この状況では。


「それは駄目だろ」


 何が起きているのか良く分からかったが、北島さんが泣きそうなことだけは分かる。目前、俺が昨日殴られていたその場所で、今度は俺に替わって北島さんが大里くんに掴み上げられていた。


 北島さんが泣きそうになっているその表情かおを見て、ふつふつと冷水のような怒りが湧いてくる。


 俺がここにいることの発端は、やはり中富くんだった。普段は放課後になればすぐに家に帰っていたが、ここ数日は話し相手がいるから足早に教室を出るようなことはしていない。そうして俺を含めたまり場と化していた教室に、中富くんが飛び込んできたのだ。『北島が竜馬に捕まってる』と焦って繰り返す中富くんに連れられ、向かった先ではこの有様。暴言でも吐きたい気分だった。


 北島さんはついさっき『用事がある』と言って教室を出て行った。まさかその用事が大里くん関連のことだとは思っていなかった。


「なんだよ、眞家」


「……お前自分が何してるのか分かってるのか」


「は?北島が逆らってくるから優しく上下関係を教えようとしてるだけだろうが。手前てめえには関係()えじゃねえか。黙って帰れ糞野郎」


 大里くんは、流れるように頭の狂った発言を吐き捨てる。女子は尻尾でも振ってればいいとでも言いたげなその表情。


 無性に苛立ってしまって、自分の行動を制限できる気もしない。今日はどうも自分の感情の整理がつかなかった。


 考えたときには、もう体が動いていた。

 北島さんを引き剥がし、大里くんの襟首を両手で引き千切らんばかりに握り締める。そのままの勢いで校舎の壁に憎たらしい相手の背中を叩きつけた。鈍い音と、痛みにうめく声だけが聞こえる。小さく「ごめん」と北島さんが言う声が耳に飛び込んできた。


「お前はそれが人を傷つけるに値する理由だと思ってるのか?」


「………だから何言ってるんだよ。俺は懇切丁寧に教えてただけだ」


 反省のかけらも見せず、只々人をおちょくったような瞳でこちらを見返してくる。こいつは何も理解していない、いっそのこと再起不能にしてやりたい。心のどこかでそう思ってしまうのを止められなかった。


「なんでお前の方が立場が上なんだ?」


 苛立つ感情そのままの冷えた声で、質問を繰り返す。どうにかして自分を抑えるような答えを得ないと、自分が何かを仕出かしてしまいそうで怖い。


「俺の方が顔がいい。人気がある。だから地位が上だ」


「……お前は人間の価値は顔だけだと思ってるのか」


「そういうわけじゃないが、顔だって一つの大きな武器だろ。少なくとも、俺の顔はそこの馬鹿な北島よりは価値があるとは自覚している」


 俺の後ろで嗚咽を上げながらしゃがみこんでいた北島の声が止む。それが妙に痛々しくて、心を急き立てるような怒りに息が詰まる。


「お前は北島さんよりも不細工だし、人間としての価値もない。他人を簡単に傷つけられるほどの人間に価値なんてあるわけないだろ」


「は?傷つけて何が悪い。北島の顔ちゃんと見たのか?どう考えても附子ぶすじゃねえか」


「人の感情をまるっきり理解できずだらだらだらだらと負の感情ばっか吐き出すお前の方が醜いって言ってんだろ」


 間髪かんはつ入れずに言葉を返した。どうしてもこの心の内の感情を言葉にしたかった。久しく見てこなかったようなこの腐った人間を叩きのめしてやりたかった。感情を沈めるために一度大きく息を吸い込む。


「………北島さんは、お前が思ってるよりも優しくて努力家だ。何も努力せず親に生み出してもらった顔だけでし上がって人を傷つけることにしか頭が回らないお前は、どう考えたって北島さんより価値がないし、醜い」


手前てめえはどの面下げてそんなこと言ってんだよ。手前みたいな更に価値のない人間から言われても何も響かねえんだけど」


「俺の価値なんて今はどうだっていいだろ。どうせ俺は価値もへったくれもないが、だからこそ北島さんがおとしいれられるような発言には耳を貸したくない」


 大里くんが、俺の両手から逃げようと身をよじった。

 逃がすわけなんてない。


「……あー、クッソ。なんでこんな下らねえことで時間取られなきゃいけねんだよ。俺はそんな暇じゃねえのに」


 ぼそ、と呟いたその言葉に更なる苛立ちが募る。そんな俺の想いとは裏腹に、大里くんは言葉をつづけた。


「北島なんてやつ気にしなければよかった。どうしても価値なんてねえのに。なんでこんなに俺が苛立たなくちゃいけねえんだよ」


 まるで負け惜しみのようなその言葉。それが逆に俺の精神を逆()でしていった。我慢できない。看過できない。


 校舎の壁を殴りつけた。

 想定よりも大きな音が響く。ぎょっとしたような瞳がこちらに向けられる。大里くんが明らかに衝撃を受けているのが分かった。なんとなく愉快だった。


 速くこの場を離れなければ。苛立ったこの状況の俺では何をしでかすかわかったものではない。


 手に持っていた荷物から手を離す。上手く着地できずに崩れ落ちた。このぐらいのちょっとした復讐は許してほしい。こうでもしないと怒りが収まる気配を見せてくれない。


 未だにしゃがみこんでいた北島さんの手を引いて立ち上がらせ、中富くんを連れて足早に校舎裏を去った。少し進んだところには案の定皆川さんと伏見さんがいる。その二人の姿を認めて、北島さんが安堵の息を吐き出した。


「………光瑠さん、気づいてあげるのが遅くなってすいませんでした」


「ごめん、光瑠ちゃん。あたしも気にしてなかった」


 二人が小さくうつむくと北島さんが慌てて手を振る。うまく言葉が出てこなかったようで、一度息を吸い込んでから優しく言った。


「二人とも心配してくれたんでしょ?だからだいじょうぶ。僕は君たちが心配してるほど弱くないから」


 わざとらしくピースをして見せた北島さんに、皆川さんが笑いかけた。相当心配だったようで、涙目を少しも隠せていない。


「先生には伝えておいたから、きっと大里は休学処分とかにはなると思う。あたしはあそこまでひどいことすると思ってなかったけど、人は見かけによらないものだね」


「ありがとう、ふっしー」


「本当は、波留さんが殴られたときにいやおうでも先生に報告するべきでしたね」


「……俺も、変に遠慮なんてしないで素直に先生に伝えておくべきだった。もう少し救いようのある人間だと思ってた」


 全員に向けて頭を下げる。先生に伝えることを止めたことも、それで北島さんに迷惑が掛かったことも、本当に申し訳ない。変なところで遠慮してしまうのは俺の悪い癖だった。


 「眞家君は悪くない」と伏見さんに無理やり顔を上げられると、みんなが笑いかけてくれた。本当に申し訳ないことをした。


「とりあえず、一件落着っていうことですね」


「………そうだといいが。北島さんも、大里くんに何言われたか分からないけどあんまり気にしない方がいい。北島さんは明るくて魅力的な人だし、大里くんは気にするほどの相手じゃないから。少なくとも俺は北島さんと過ごしてて楽しいから、その部分に関しては自信を持って欲しい」


「うん、ありがと」


 北島さんが嬉しそうに頬を緩ませる。少し残っている涙の後も、明日になればいなくなるだろう。でもその前に、北島さんの普段の明るさを取り戻してほしかった。

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