第17話 イケメンは名前呼びする
「おはよ、波留」
「ああ、おはよう」
普段俺がいつも早く来ていることを話したからか、月曜に明人も早く来てくれた。日曜日も少し連絡を取り合ったのだが、友人と話している感がしてとても嬉しかった。とてもとても嬉しかった。まあそんなことも悟られないようにいつもの無表情の下に隠している。
「波留は何でそんな嬉しそうなの」
………のだが、明人に俺の感情は筒抜けだったようだ。
「……嬉しそうに見えるか?」
「パッと見無表情だけど、雰囲気がちょっとだけ明るくなる。バレーやってるときも、始まる前からちょっと嬉しそうだった」
「……なんか恥ずかしいんだが」
思わず頭を掻くと明人は楽しそうに笑った。彼曰く、「いつも他人の顔伺ってばっかりだったから何気にわかるんだよね」ということらしい。そういう明人の少し寂しそうな顔は見ていて居心地が悪かった。
「まあ、これからはそういうことしなくてもいいってことだな。何かあったら直接言うだろうから」
場をとりなすように言った俺の言葉に、明人は小さく眼を見開いた。優しげな顔を精一杯に驚かせたものに変え、少し嬉しそうに笑う。
俺に合わせて友人たちみんなの登校時間も早くなったらしい。自分が早いのは完全に心配性だからなのだが、いつも誰もいなくて少し寂しかった部分はある。話す人なんてもとはいなかったから寂しいのも当たり前なのだが。
教室の扉を開けて入ってきたのは伏見さんだった。挨拶を交わして伏見さんが自分の机にどかりと座り込む。手早く用意を終えて俺と明人の会話に参加してきた。
「何話してたの?」
「いや、明人は俺の考えてることが結構わかるらしくて」
「へえ」
明人が俺に言ったことと同じことを説明する。俺が言った「その必要もなくなる」という言葉も嬉しそうに開設されるので妙に居心地が悪かった。
「………それはそれとして、全然違う話なんだけど中富君と眞家君は下の名前で呼び合ってるんだね」
「まあ、そうしようって話したんだよね。伏見さんが波留のこと呼び捨てでも別にいいんじゃないの?呼び方なんて大して気にすることじゃないだろうし」
「いいよね?」という言葉と共に視線を向けられて頷く。呼ばれ方にこだわっているわけではないので、別にあだ名でもいい。そんな俺を見て、伏見さんは嬉しそうに俺ら二人の名前を呼んだ。
「明人君、波留君ね。二人ともいい名前よね」
「そればかりは親に感謝だけどな、涼香。俺が自分の名前を決めたわけじゃないし。まあ、いい名前つけてもらったとは思っているが」
自分の名前は案外気に入っている。季節の春が好きだからと名前を安直に春にするのではなく漢字を変えてくれたところも気に入っているし、「はる」という響きも何気に好きだったりする。
そんなことを思いつつ涼香に視線を向けると、瞠目したような彼女の姿があった。
「………う、うん。ありがとう」
「さすがに呼び捨てはまずかったか?」
「いや、ちょっと嬉しかっただけ。気にしないで」
確かに親しい人が増えると嬉しいものだが、ここまで急に距離を詰められるのは嫌だっただろうか。涼香は少しぼんやりとしているものの嫌そうではなかった。小さく安堵の息を吐く。
「おはよーみんな!」
そんなこんなでちょっとまごついた空気で居ると、元気な声が聞こえた。椅子に座ったまま上半身だけで振り向くと案の定にこやかな北島さんがいて、その後ろでは皆川さんが小さく手を振っている。
嬉しそうに立ち上がった涼香が北島さんに抱き着いた。
「わっ、どうしたの?」
「ちょっと心臓が持たないかもしれないから光瑠ちゃんのかわいいを補給させてー!」
「おおよしよし。頭撫でてあげますからねー」
なぜか急に母性を輝かせ始めた北島さんに涼香が抱き着いているまま、皆川さんがにこやかな笑みでこちらに歩いてきた。
「涼香さんは何でこういう風になってるんですか?」
「……あ、いや。俺が名前呼んでからちょっとおかしくなってたんだけれどもが」
「なまえ……?」
さっき俺が名前呼んだあとから少し気の抜けたような表情をしていたし、自分が名前を呼んだことが原因ということでいいのだろうか。
「下の名前で呼び合おうぜっていう話になってね。涼香が俺と波留が名前で呼び合ってるのが羨ましかったらしくてさー」
「なるほど、だから涼香、と」
「そ。波留も涼香ってよんでるよ」
明人がそういった言葉に、皆川さんは目を細めた。少し空気が冷えたような気がしなくもない。
「………波留さん。今度から仲いい人は全員下の名前の呼び捨てで。明人さんも」
「………マジで?」
いつもの柔らかい声から幾分低くなった声で言われ、思わず言葉が漏れ出た。そんなに急に距離を詰めて大丈夫だろうか。今まで人間と関わってこなかったことが災いして純粋に仲良くなるためにはどうすればいいのかが分からない。
皆川さんは彼女自身や北島さんともっと仲良くしてほしいのだろう。
「俺まで巻き添え食らったんだけど」
「巻き添えじゃないですよ。明人さんとだって仲良くなりたいですから。せっかく仲良くなれたので、これからもよろしくお願いしますね」
にこやかな笑みで皆川さん改め美波が言った。逆らうこともできずに小さく頷いて返すと、一気に嬉しそうな雰囲気になる。
「じゃあ読んでみてください」
「………………美波」
「じゃあ美波は俺らとは敬語外す?」
二人とも下の名前で呼んだことに対して「はい、よくできましたー」と褒めた美波は、明人の言葉に申し訳なさそうな表情を作った。
「私の敬語、癖なんですよね。ちょっとフランクに話すようにはするから、勘弁してほしいな」
「……しっくりこないのは分かった。あんま無理すんな」
「そうだね。そこまでして無理に敬語外してもらおうとは思ってないし」
「ありがとうございます」
そうして美波は頭を下げたのだが、その後ろから先ほどまで涼香の頭を撫でていたはずの光瑠がひょっこりと顔を出した。
その後ろから涼香も同じように顔を出す。それが面白かったのか、明人は噴き出した。そんな明人の様子に光瑠が不満げな顔を浮かべる。
「何話してたの?ミナが妙に嬉しそうだけど」
「ちょ、光瑠ちゃん、言わないで下さいよ。私の考えてることが筒抜けなのは光瑠ちゃんぐらいなんですから」
「いいじゃん、別にー。嬉しいってのはいいことでしょ?」
「……そうですが」
………いや、美波は結構わかりやすい。思っていることはすぐ表情に出るし、先ほどもちゃんと嬉しそうだった。が、この言葉をそっくりそのまま口に出せるわけもなく。
彼女は話しやすい。口調こそ丁寧なものの、表情の変化は何気に多いし、会話をしていても距離を感じないから。
「いや、光瑠を含めみんなのことを名前で呼ぼうと思って」
「え、あ、ひかる、え……?」
急に名前を呼ばれて追い付いていない光瑠が、目を回して美波と涼香に助けを求めに言った。その耳はほんのり赤く染まっていた。