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8.

 卒業式まであと数日の朝。久しぶりに制服に袖を通し、私はいつも通り家を出た。

「おはよう」

 門を開けようと柄に手をかけた時、久しぶりに聞く声が私の耳を掠めた。その声の方へ向くと、門扉越しにあったのは、いつもと同じ笑顔を浮かべた愛佳だった。

「…おはよう。あ、恭介?」

 愛佳がそこに立っている理由が隣に住む恭介だと気付くと、私は思わず隣の家の門扉を見た。

「うん、それもあるけど、千波も待ってた。二人を、ね」

 苦笑いしながら、彼女はそう答えたのだ。

「久しぶりだね、千波。連絡しても、ちっとも返事くれないから…」

 寂しそうな愛佳の声が、ナイフのように私の胸に突き刺さる。

「…ごめん。ちょっと、忙しかったから」

 そんな彼女に対し、私は伏し目がちに、また言葉少なに返していた。しかし、それは嘘ではない。合格が決まってからアパートの契約や買い出しなどで実際に現地に行ったりしていたからだ。


「びっくりしちゃった。北海道だってね」

「うん…」

 今までのように会話は続かない。私にはもう遠い存在になりつつある愛佳とは、まるで言葉のキャッチボールにならなかった。

「いつ、発つの?」

「…来週の卒業式の後」

「そっか…」

 愛佳は、息を目一杯吸って一気に吐き出した。ちらりと私を見るが、言葉を探しているようだった。

「ねぇ、千波」

 彼女は探るような目で、私を呼んだ。

「…なに?」

 私が聞き返すと、愛佳は何かを決意したかのようにじっと私の目を捉えてから、口を開いた。

「ちゃんと、千波の口から恭介くんに言ったの?」

 一瞬だけ、私の目は大きく開いた。しかし、すぐに元に戻すと「恭介は、関係ないよ」と、笑いながらそう答えたのだ。


「んじゃ、今、ちゃんと言おうよ」

 彼女は恭介の家を指差した。

「え〜、必要ないでしょ〜」

 私は茶化すように即答して、横に首を振る。そんなつもりは毛頭ない。きっと彼は知ってるはずだ。誰かから聞いて、耳に入っているだろう。それでも何も言ってこないということは、もう私は用済みということだ。

 それでいい。

 私の仕事はとっくに終わっているのだから…

「千波!! お願いだからもっと素直になってよ! 一生、後悔するよ!」

 彼女の顔は、まさに真剣だった。しかし、私にはその真剣さを理解できず、眉をひそめる。

「砕けたっていいじゃない、どうして自分の気持ちを抑え込むの? 千波が恭介くんをどれだけ大事に思ってるか、私にだって解る。恭介くんが誰を一番大事にしてるかだって…」

 愛佳のその言葉に、私の感情が揺れ動くはずがない。恭介が誰を一番大事にしているかって? そんなの、私じゃない。



「私は、恭介の言いなりでよかったの。それが私の仕事だから。恭介のことが一番大切であることは昔から変わらないよ。でも、恭介が私を大切に思ってくれていたかどうかは私にはわからない。だって、そんなこと考えたことないもの。恭介が事故に遭ったあの日から、私たちはもう平等なんかじゃない。きっともう好きとか嫌いとか、そんな次元の話じゃないんだよ」

「そうじゃないよ…!」

 愛佳は、笑って話す私を押さえつけるようにして、私の両肩をつかんだ。そして、私の目を強く見つめる。そんな真っ直ぐな視線に、私は耐えられずに下を向いて逸らしてしまった。

「…愛佳は知らないから、そんなこと言えるんだよ。私はね、あいつの大事な足を使えなくしちゃったの。サッカー選手になれる未来があったあいつの夢を潰したの。たとえ、私がどんなに大切だと想ったところで、私があいつに愛されたいとか、願っちゃいけないんだよ。だって、そうでしょ。愛佳のことを好きだなんて言うんだから」

 私の頬にポロリと零れた涙を見て、愛佳は眉を寄せながら唇をかみしめていた。



 恭介の言いなりになりながらも、彼が喜ぶならば、自分は傷付いても構わなかった。彼が満足するなら、それでよかった。でも、愛佳を好きだと言われた時は、そう思えなかった。限界に達してしまった。友情までも取り上げられてしまったら、私は何を支えにしたらいい? 柱を失ってしまった骨組みは、倒れるしかない。そして、私を実験台にして、愛情のかけらもないキスをした。

 墓まで持って行くつもりだったことを、今私は簡単にしゃべっている。なぜ静かに行かせてもらえないのか。こんな話をしたって、もう何もならないのに。

 私はため息をついてから、自嘲的に小さく笑った。

「もう、うんざりしてるの。平気な顔して相談に乗ったり、負い目を感じることを」

 私がそう口にした時、制服姿の恭介が家のドアの前に立ってるのが見えた。私はわずかに驚き、口をつぐむ。そして、愛佳を置いて私は走り出した。



(聞かれた…)

 私が傷付いていようがいまいが、恭介には関係ないのに、彼は顔を歪ませながら私を見ていたのだ。あの時の顔と同じだった。愛佳を呼んで三人で夕飯にカレーを食べた日、窓辺で泣いていた私を見た時のひどく動揺していたあの時と…

 しかし、鈍臭い私はあっけなく彼に捕まった。追いかけられて手首を取られたのだ。振り払おうにも同じ年の男子の力には敵わず、私は諦めた。

「それが、お前の本音?」

「…」

 今更、本音を言い合うなんて、無意味だ。

「ごめん… お前をそこまで追い詰めたのは俺のせいだよな…?」

 うつむいた恭介の表情は見えなかった。しかし、私の体と同様に、彼の声も震えていた。

「…放してくれない? 逃げたりしないから」

 私がそう口にすると、彼はハッとして私の手首をそっと放した。



 私は小さくため息をつくと、いつもの笑顔を浮かべて恭介と愛佳のふたりを見渡した。

「ふたりはもうくっついたんだから、もう私に関わってこないでよ。こんなふうに迎えに来たりさ、もう話しかけてこないで。うんざりだから」

 にっこりと笑って私はそう口にしてやった。最後だから、もう嫌われてもいい。

「だから、違うのよ、千波。私たちは付き合ってなんかいないの!」

 駆け寄ってきた愛佳を避けるように私は一歩引いた。

「…なにそれ」

 そんなことを言われたら、私が彼らを見る視線が厳しくなってしまう。

「恭介くんはずっとあなたのことが好きで、私はずっと相談を受けてたの。私が相手なら、千波はきっと本心を打ち明けてくれるってアドバイスしたの、私なのよ…」

 今にも泣き崩れそうな愛佳に、私は何を言ってあげたらいいのだろうか。



 愛佳が私に恭介と付き合うことに「いいんだよね?」と聞いてきたとき、すでに傾いていた私の心のバランスが追い打ちをかけられるように崩れてしまったというのに。思えば、あの時からもうこのふたりとは笑顔で話をすることなんてできなかった。3人でいることがしんどくて、ふたりの前から消えたかった。愛佳に出会ってしまったことを後悔しながら、運命って残酷だなって思って過ごしていたというのに。

「同じ大学に行かないのは、予備校のクラスでわかってたけど、おばさんに聞いたら北大が第一志望とか、訳わかなくて…」

 悔しそうに顔を歪ませながら、彼はそう切り出したのだ。今更、なんだって言うの…

「だって、言う必要あった?」

「俺のために獣医になろうとしてたんだろう?」

「…それもお母さんから聞いたの?」

 私は呆れながらため息をついた。母は、私と恭介の仲を気にしていた。だから…



「きっかけはあんたの飼ってたポン太が死んじゃったからだけど、獣医になるのは自分のためだから。私はあんたの夢をつぶしたけど、自分の夢は叶えようとしてるのよ。不公平過ぎて、そこ怒るところだから」

 余りにも滑稽な茶番に、私は思わず笑ってしまった。

「俺、今までお前の気持ちが解らなくて、気を引くためにたくさんの嘘をついてきた罰が当たったんだ思ったよ」

 それなのに、恭介は大真面目でそう漏らしたのだ。さすがにそれは聞き流せなかった。

「…は?」

 恭介のその言葉に固まっていた。彼の言葉をにわかに信じられなかったからだ。当たり前だ。今までのことを考えたら、彼が私を好きでやってきたことだと思えるはずがない。どれだけ、彼の要求を聞いて来たと思っているんだ。それが自分の運命だからしょうがないと思っていたから黙って言いなりになってきたのに、その裏返しで私のことを好きだったなんて、誰が考えよう?



「千波…、本当にごめん…」

 絞り出すように口にした彼の謝罪の言葉は、ボールのように私の足元に転がっていた。

"ごめん"…?

 そんな一言で済む話じゃない。

「サッカーを失った時、確かに心が荒んだ時期もあった。でも、お前がいたから、諦めることができたんだ。だけど責任を感じていたお前が、どんどん遠くに行ってしまう気がしたんだ。だから、俺は…」

 繋ぎ止めるために嘘をつき続けた、と…?

 もう、頭の中がぐるぐるしていた。おかしくなりそうだった。

 私は今の今まで、何のために…?

「千波はずっと恭介くんのこと好きだったよね」

 愛佳が確かめるように私に尋ねてくる。




 やめて

 やめて

 やめて

 期待なんてしないで…




「ずっと、恭介くんのこと目で追いかけてたもんね。世話を焼いたり勉強教えたり、幼馴染みだからってだけじゃないよね…?」




 私がいけなかったの? 恭介が事故に遭ったとき、私はいろいろな制裁を受けた。私を守ってくれたのは私の親だけで、でも心の傷を癒すことはできなかった。あの時本当に欲しかった言葉は手に入らなかった。

「私はもう、あの時から守る価値のない女の子なんだと思ってたから。いくら想っても自分には返ってこないものだと思ってたから…。だって何も言ってもらえなかったから、せめて恭介だけは幸せになれたらそれでいいって…」

「事故に遭ったのは、俺の自己責任だって、何度も言っただろ。誰もお前を責めてない。お前がいろいろな人からいろいろなことをされたり言われてたりしてたのは、知ってた。父さんは特定できた人には、念書を書かせてちゃんと話を付けてくれてたんだ。お前の両親が、そいつらからの謝罪を受け入れない代わりに、お前に二度と近づかないようにって…」


 知らない話だった。確かに、私を傷つけた人たちは、二度と私に近づいてこなかった。念書を用意して、謝罪を拒否したうえでそれにサインさせることまでやっていたなんて、親から聞いていなかった。

「心無い言動や、喧嘩した後のように怪我をして帰ってきたお前を見て、俺は自分の不注意で事故に遭ったのに、どうしてお前が傷付かないといけないんだって悔しくてしょうがなかったよ。でも謝罪を受け入れたら、お前を傷つけたあいつらは心から反省していなくても謝ったら忘れてしまう。そんなの許せないだろう」

 恭介の肩が揺れている。私はそっと彼の顔を覗き込んだ。

「愛佳ちゃんが、これで最後にしようって言って協力してくれたんだ。…それなのに、あの後輩と急に会うようになってから、俺に見せない顔して笑ってたお前を見て、ショックだった。千波がもっと遠くに行ってしまう…って焦った」

 自嘲気味に笑う彼のその顔が切なく映り、私は言葉を失っていた。


 恭介の部屋に呼び出された時に無理やりされたキスも、おさむくんと付き合っているのかとイラつきながら聞いてきたのも、泣いてたら全力で心配してくれたのも、同じ大学に行こうって言ってくれたのも、全部…

 恭介は私の思いをすくい取るように私の肩を抱きしめた。

「…俺はお前のことがずっと大切で、ずっと好きだ。お前は…?」

 耳元で精一杯の思いを込めて彼が尋ねてきた。 私は、どうすれば…

「4年間、遠距離になっちゃうよ…」

「金貯めて、会いに行くよ」

「4年じゃ済まないかもしれない」

「遠く離れてても、お前が俺を好きでいてくれたら頑張れる」

「でも…」


 この町を出ることしか考えていなかった私が決意したことは全て無駄だった。私の思いが、目的が、すべて間違った方向に向いていた。それを今すぐに修正するのは、自分のしてきたことを全て否定することになる。

「…時間がほしい」

 すべてを整理するための時間を…

「…うん。わかった」

 恭介は私からスッと離れ、ひとりで歩き出した。彼の代わりに今度は愛佳が私を抱きしめる。

「千波、ごめん…」

 どう答えたらいいのか解らず、愛佳に対しても私はこれ以上言葉にすることができなかった。


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