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司書と少女  作者: 十七二
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#00.05 物語

「本を貸してください」


 書庫で籠りきりになっていた私に話しかけてきたのは、見たこともない幼い少女だった。赤いサラサラの長い髪をむき出しにした幼子は、背伸びもせずに私の隣に立っていた。


 意志の強い目をした彼女は、初対面の私に臆することもなく話しかけてくる。いえ、べつに人から怖がられるような身なりをしているわけではないけれど、少なくともここは私の腰程度しかない身長の子供が、一人きりで入って来るには躊躇う場所のはずだ。


 薄暗く、カビっぽいにおいが充満する空間。それでいて乾燥していて、なのに空気は滞留し、よどんでいる。無数の書物を収めるための本棚が幾重にもわたって続き、それなりに高い天井を貫いている。そして、そこへ一部の隙間もなく詰め込まれた、おそらく彼女からしたら考えられないほどの数の本たち。整理に億劫になり、収めることすらされなかった数々は、隅に避けてあるとはいえ床のあちこちに散らばっている。そんな場所の最奥に私はいつも陣取っている。


 とにかく明かりが足りていない書庫の中で、原始的な白色灯に照らされた明るい場所。そこで私は毎日ここにある本のひとつひとつを丁寧に読んで過ごしている。別にパラパラと適当に捲ろうが、背表紙を撫でようが、理解は変わらない。私が行うことは無駄そのものだが、それを愛おしんで繰り返している。


 そんな私のもとへ、おそらく彼女はおじけづくこともなく一直線にやってきた。話しかけられるまで気づかなかったからこそ、きっと彼女はそうしてきたのだと確信できた。


 誰かと会うのは久方ぶりだったが、中でも初対面というのが私を驚かせた。なにせここでは見知らぬものはいない。彼らは皆、実際に会ったことはなくても顔見知りみたいなものだ。自己紹介が必要ない、そんな関係だけしか私にはなかった。だから、彼女との邂逅は印象深い。


 ほんの少し頭をひねって、彼女が勝手にここに入った不届きものではないことはすぐに理解した。そもそも、城は人間が忍び込もうと思って侵入できる場所じゃない。入ることができるとすれば、それはあの王様が許可していることになる。たとえ、侵入する側がその合意に気づくことがないとしても。


 そして彼女だが、では許可された人間かと言えばそれも違うと思い至った。話には聞いている。つまり彼女は、あの気まぐれな王様が、相も変わらずその質を発揮し、つい最近拾い上げた嬰児ということだろう。名前は確か、茜、とか言っていたはずだ。


 正直もっとよちよち歩きの泣き虫を想像していたが、それは私が読んでいる物語のせいなのかもしれない。まあ、実際の人間には会ったこともないし、興味もないから違うんだろうけど。とにかく、彼女は正真正銘、声を漏らしてしまうくらいには、溌溂とした少女でもあった。


「えっと、何か借りたい本がここにあるのかな?」


 私は椅子から降り、しゃがんで目線を彼女に合わせた。物語で案内役は子供に対してたいていそういう親切に見える態度をとる。だから、私も案内役気分でそうしてみようと思った。


「はい、読まなくちゃいけないんです」


 たどたどしくもはっきりとした口調でそう言う。でも、彼女の言葉はどこか台詞じみている。作られた言葉で、彼女の意志を感じない。事実、本を借りに来たわりには周りに目もくれず、手に抱えているものもない。


「そっか。なにかリクエストはあるかな?」


 どことない違和感はこの際無視することにした。彼女の落ち着いた態度を私が気にかける必要はない。ほんの少し拍子抜けするけど、それならそれで対応の仕方を変えてみることにする。


「ここにはすべての本があるの。どんな内容が読みたいのか言ってくれれば、私があなたに合いそうなものを持ってきてあげる」


 でも、彼女は私の予想の斜め上をいっていた。現実は物語じゃないのは知っている。でも、いくら何でも素っ頓狂だと思う。


「わからないです。とにかく読めればなんでもいいんです」


 なるほど、なんでもと要求されて困る人物のことを今ようやく理解した。確かに、これだけ無数の選択肢の中から貴方のお好きに、なんて言われても困る。


 だから、アプローチの方法を変えることにした。それになんだか膝を折って話すような相手でもない気がしている。彼女は子供らしいという言葉に該当する感触を持ち合わせていない。私は椅子へと戻ることにした。


「わからないなら、あなたについて聞いていいかな?」


 彼女は少し困ったような表情をしてから、はいと頷いた。


 でも、この策は愚策だったことをすぐに思い知ることになる。


「じゃあ、あなたは何歳?」


「六歳です」


「好きな食べ物はなにかな?」


「ありません」


 流石に口ごもる。それはないでしょう。でも、彼女は本気でそう言っている。本当にない。迷いがないからじゃない。彼女は迷うことすら選択肢にない。


「嫌いな食べ物は?」


「ないです」


「じゃあ、好きなものは? なんでもいいよ?」


「それもないです」


「じゃあ、嫌いなものも?」


「ありません」


 困ったものだ。何を聞いても彼女のことについて増えていない。いや、何もないという一面についてのみ増え、蓄積されているともいえる。


 私を見つめる彼女は純真無垢だ。すべてが、きっと年相応に輝いているはず。でも、同時に、彼女の存在感とでも言うべき部分は宙に浮いているような気がしてならなかった。


 悩んだ挙句、私は記憶から一つの検索結果を引っ張り出してきた。


「それじゃあ、あなたくらいの年頃の子が読む本があるから、それにしてみる?」


 彼女は間髪入れずに返事をした。


 肯定の意志。そこにも違和感を覚えたのは気のせいだったのだろうか。振り返ることなく出口を目指す少女の背中を見て思った。彼女は純真で、健康的だが、あどけなさだけは明らかに不足している。

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