従者スカロウの道程と封印
時間で言うと、グリムがホテルを発った時くらい
明日に竜喜祭を控えた僕らは、それに対する英気を養うべく、休日のようにゆっくりと体を休めていた。
気温が上がったことで夜の虫の声が少しずつ聞こえるようになり、最近はもう窓を開けて生活している。
だから、窓からは綺麗な星空が毎日のように僕らの前に姿を表してくれる。
だが、そんな穏やかな春の日は、何者かに依り一瞬で破壊されてしまったのだ。
「──────!!!!」
ガタリ、と音を立てて、突然モノト様が立ち上がった。
つい先ほどまでは、いつものだらけた表情だったのに、今は目を見開いてとても真剣な顔をしている。
「ちょ、ちょっと、モノト様、急に立たないでください! 机の紅茶こぼれちゃってるじゃないですか!」
「……………」
僕は急いでキッチンからモノト様の方へ駆け寄ると、持ってきた布巾でこぼした紅茶を拭く。
だがここで、いつまで経ってもモノト様が謝らないことに気がついた。
僕はそのことを注意しようと、少し声音を低くして言った。
「こら、モノト様、聞いてるんですか!」
「……………」
「モノト様、無視しないでください!」
「………」
だが、僕がどう声をかけてみても、全く返事がない。それどころか、僕の言葉が聞こえてすらいないみたいだ。
流石の僕でもこれには少し不安になって、僕は机の紅茶を拭いながら、モノト様の顔を覗き込む。
「あの……モノトさ────」
「スカロウ」
僕が、モノト様の顔を覗き込んでも反応がないので、仕方なくモノト様に声をかけようとした、その瞬間だった。
モノト様が、今までで聞いたことがないような声色で僕の名前を呼んだ。その声は、苛立ちも、警戒心も、神妙さも感じられるような、不思議な声色だった。
僕は、やっとモノト様が反応を返してくれたことに少し胸を撫で下ろした。そしてそれから、すぐにモノト様から離れる。
モノト様が、これから何か動こうとしている────そう直感したからだ。
「モノト様、何か僕のすべきことはありますか?」
モノト様は、そんな僕を見て少し考えると、それから強く決意した顔で僕の方を見た。
僕は、場違いにもその顔に、綺麗だな、と見惚れてしまう。モノト様が真面目になった時の顔は、凛とした気高さがあって、僕は好きだ。
そんな僕の気持ちはつゆ知らず、モノト様は僕に指示を出す。
「……………今から山を登る、用意しろ。────早急にだ!」
モノト様はそう言うと、僕からの返事を待つこともなく自分の部屋へと戻っていってしまった。当然だ。僕が、モノト様の指示に従わないことはない。そうする理由など、やることをやってから聞けば良いのだから。
分かりきった答えを待つことほど無駄なことはない。モノト様は、僕を信じているからこそ、僕の返事を聞くことがないんだ。
モノト様の僕への信頼を表すその行動に、僕は少し嬉しい気持ちになる。
ああ、それに、モノト様も今は寝巻き姿。出かけるならすぐに着替える必要がある。そういう意味でも、モノト様は悠長に僕を待っている時間はないらしい。
どうやら、凄い事件が起こったらしいな────そう思いながら、僕らは自身の準備をするために、自分たちの部屋へと走った。
◇◇◇
僕が服を寝巻きから着替えてから、幾つかの荷物を持って玄関へと行くと、そこにはすでにモノト様が待ってくれていた。
モノト様は普段は身だしなみに気をつけているのに、今日は髪もボサボサでメイクだってしていない。服装も、巫女の服をただ着ただけのようだった。
だが、その光景を見て、僕はよっぽどのことが起こったのだということを理解する。
なぜなら、モノト様がそこまでなりふり構わない行動をしたのを見るのは、これが初めてだったからだ。
「ほら、早く行くぞ、さっさと靴履け」
モノト様は、僕を急かすように首でクイ、と靴の方を示す。
僕はそれを見て急いで靴を履く。もちろん、登山用の動きやすい奴だ。
「クソッ、なんで今日なんだよ………いや、今日だからこそ、か? はあ、めんどくさいなぁ………」
僕が靴を履いている間も、モノト様はずっとブツブツと何かを呟いていた。
内容はよく分からなかったけど、普段の調子から言って、多分愚痴だと思う。顔がDIMAの人に呼び出された時みたいだから。
「はい、モノト様、準備できました!」
モノト様の愚痴を遮って、僕はモノト様に報告をする。
それを聞くと、モノト様は振り返ることもなく、そのまま黙ってドアを開けた。ついてこい、と暗に言っているみたいだ。
それからすぐに駆け出したモノト様を追いかけて、僕は夜の街へと繰り出していった。
◇◇◇
出発してから、もう一時間が経った。既に僕らは竜のいる山を登り始めている。
山の警備を通る時に、少し時間がかかってしまったけど、それ以外はほとんどノンストップでここまで走ってきていた。ただ、その割にあんまり疲れていないのは、モノト様が何かしてくれたからだろうか?
ただ、ここまで急いできた、とは言っても、問題はここからだ。
この山は、片道で半日かかる。モノト様だけならもしかしたらそんなにはかからないかもしれないけど、今回は僕もいる。多分、竜のところまで行けるのは早くても朝だろう。
月はもう空に昇り、そして星々と共に山をうっすらと照らしている。
でも、山の木々はその光を遮り、少しでも自分のものにしようとして、必死にその枝を伸ばしていた。
遠くから見れば圧巻なのかもしれないけど、実際森の中に踏み込んでみると、こんなにも恐ろしい雰囲気を醸し出すのかと、僕は思う。薄暗い森からはあちらこちらから魔物の声が漏れ聞こえてきて、それが僕の心を不安にさせるのだ。
すると、モノト様はそんな僕の心の怯えに気付いたのか、僅かに振り向くと、安心させるように笑った。
「あんまり怖がんな。大丈夫だよ、私がついてるからさ」
そうモノト様がいうと、不思議と僕の心は落ち着いた。
それは勿論、モノト様が強いことは知っているし、いざという時はきっと僕を守ってくれる、という信頼があるからかもしれない。だけど、きっとモノト様より強い人にそう言われても、そんな気持ちになることはないと思う。
なんでモノト様に言われるとこんなにも安心するのかは、僕には分からなかった。
少し心が安定したからか、僕の中では少し思案をする余裕がでてきた。
すると、僕はまだ、あのことを聞いていないということに気がつく。
これから先はもう登山だけ。訊いても、時間の無駄となることはないはずだ。
そう判断した僕は、そのことについてモノト様に尋ねてみた。
「あの、モノト様、少しよろしいですか?」
「ん、構わない。なんだ?」
「えっと、どうして今、竜の方に走ってるんですか?」
そう訊くとモノト様は少し考えを巡らすように視線をずらして、それからとぼけた表情で僕ををみた。
「えっと……言ってなかったっけ?」
「……………聞いてませんね」
モノト様はそれを聞いた瞬間、僕から気まずそうに視線を泳がせた。
どうやら、言わなかったのではなく言い忘れていたらしい。
有事だというのに、いつもと変わらない様子のものと様に、僕は呆れてしまう。
モノト様には、もう少し緊張感というものを持ってほしい。
「………………」
「そ、その目やめろよ……偶にはそんなこともあるって!」
はいはいそーですねー。
「だー!! いいか、今回のは竜の試練のせいだよ! これで満足か!?」
僕からの視線に耐えきれなかったのか、モノト様は吐き捨てるようにして僕に理由を伝えてきた。
正直全然良くはないけど、でもそれよりも気になることがあったので、僕はモノト様に次の質問をする。
「あの……竜の試練、とはなんですか?」
するとモノト様は、あーそこからかー、などと言いながら頭を掻いた。
……ただでさえ今は野蛮な見た目なんですから、やめた方がいいと思いますよ、モノト様。
「はいはい……えーっと、お前も玉のことは知ってるよな? スカロウ」
「? まあモノト様が毎年のように語ってますから」
「そそ、あれさ、実は人間が触ると滅茶苦茶強くなれるらしいんだよなー」
「? ……それが何か?」
「だから、あれを狙って竜のとこに行く奴がたっくさんいるんだよ」
「……え!?」
僕はあまりの驚きに、つい大声を出してしまう。
モノト様はそれを苛立たしげに注意した。森の魔物を呼んでしまうかもしれないから、大声を出すことはとても危険なことなのだ。
僕はそれを少し反省して、なるべく声のボリュームを下げると、またモノト様に話しかける。
「そ、そんな命知らずがいるなんて……では、竜の試練というのは……」
「まあ、有り体に言えば、その玉に触れるかどうか竜が試すってことだなー」
まさか、あの話にそんな後日談があったなんて!
僕はそのあまりにも不思議な話に、言葉を失ってしまった。
あれは遠い過去のお話だと思っていたのに、急に身近な話に感じてきてしまう。
「で、でも、なんでモノト様がそんなところに? 今聴いた限りでは、モノト様がすることはなさそうですけど……」
僕は、それでもなお解決しない疑問を改めてモノト様に尋ねた。
もしや、僕らもその試練とやらをやらなくてはいけないのだろうか?
「あー、変な心配すんなよ。単純に試練の後処理するだけだ。玉から吸われた力を戻したりとかな」
それを聴いて、僕はほっと胸を撫で下ろす。
急に戦えなんて言われたらどうしようかと思って、少し怖かった。
「ま、本当は試練の監督官も仕事なんだけど……うーん、このスピードだと、先に挑戦者が竜に辿りついちゃうか」
普通、巫女より速くここ登れるやつとかいないはずなんだけどなぁ、とモノト様は首を捻りながら呟く。
そのことについても尋ねてみると、モノト様は追加で試練についても教えてくれた。
曰く、巫女はこの山の各所に検知器のようなものを置いていて、付近を人が通ると、巫女に挑戦者が現れたとして知らせてくれるらしい。
それで今回は、その挑戦者を追いかけて出てきたのだとか。
「つっても巫女に話を通さず試練を受ける奴は稀だから、普通はそんなの無用の長物だよ。今回みたいな時くらいしか使わないくせに、無駄にコストもかかるし」
そう言ってモノト様は、その設備について愚痴を言っていた。
だが、もう2000年近く続いている伝統らしく、簡単には途絶えさせられないらしい。
「ま、それであとは挑戦者の先回りして、試練の監督官として見届けるってわけだ。竜が全力を出さないか、互いにルールを違反していないか、ってな」
「へー、変な仕事ですね………って、あれ? でも、今回は挑戦者さんの方が速いんですよね? どうするんですか?」
「まあ、だからなるべく急いでるんだが……最悪、現場には立ち会えないかもだな〜」
「えぇ!? そんな雑でいいんですか?」
適当な表情で手をひらひらさせているモノト様に対して、僕は驚いてしまう。
そんな大仰な試練なんだから、もっときっちりやるべきなんじゃ……。
「めんどくさいから、いーの。それに、最悪のケースは欠けた玉をほっぽっとくことだから。マジで天変地異起きるぞ、竜がキレるから」
「そ、それは困りますけど……なんかルール違反チェックとかしなくていいんですか?」
と、僕が訊くと、モノト様はさもなんでもないかのように頷いた。
それから少し目を閉じ、何かを探すようなそぶりを見せてから、また目を開けて、今度は僕に手を乗せた。
「一応、遠くからでも監督官ができる方法が一つあるんだよ、だから安心しろ」
「それなら、いいんですけど……」
少しふくれっつらになった僕を宥めるようにして、モノト様が頭を撫でる。
それから、そのことについて聞こうと思ったら、近くに魔物がいるとかで、すぐに口を塞がれてしまった。
どうやら、しばらくおしゃべりはできないらしい。
少し残念に思いながら、僕らは息を殺して、再び山を登ることに専念することにした。
また時間ができた時に、その方法については訊くことにしよう。まずは、モノト様の邪魔にならないように気をつけなくっちゃ。
薄暗い森の中で、微かな光を頼りに山を登るのは、危険だけれど、存外に、楽しい物だった。
それは或いは、モノト様と一緒だから、なんだろうか。
次回に続く!!




