短話 贈り物をひとつ、お礼をひとつ
昔、あるところに漁村があった。そこの人々は皆貧しかったが、満ち足りていた。そんな村に一人の少女が父と住んでいた。父は村一番の漁師であり、少女は彼を誇りに思っていた。しかし彼女にはひとつ悩みの種があった。彼は酔うと人が変わるのだ。鬼のように怒り狂い、周りの人達に暴力を振るう。母親も兄妹もいない彼女はそれに耐えるよりほかなかった。
顔を腫らしたある朝、彼女は近所のおじいさんにぬり薬を塗ってもらい海とは反対方向にある山の中で涼やかな風に当たっていた。山の中腹にある泉のほとりは彼女の家とも言えるところだった。しかしその日はいつもと違った。見慣れない少年がいたのだ。ちょうど同じくらいの年の彼は彼女に気がつくと一目散に逃げ出した。彼女の腫れ上がった顔を見て怖くなったのだろうか、そう彼女は考えていつものように泉のほとりで風に当たる。
次の日も同じ場所に彼はいた。彼女の顔を見ると怯えたような表情をしていたが、昨日のように逃げることはしなかった。会話はぎこちないながらも続き、名前や住んでいるところを教え合った。山の向こうに住んでいる彼は漁村の人と違い、白い肌と金色の髪、青い瞳を持つ華奢な少年だった。
それから少女は頻繁に泉に訪れるようになった。彼がいる時もあったが、いない時もあった。お互い友達を連れてくる時もあった。それからしばらくして彼は一つの疑問を投げかけた。なぜ時々顔が腫れているのか? 彼女はしばらくはぐらかしていたが、しつこく問う彼に根負けして話した。
彼は悲しそうな顔をしたが、翌日彼女に贈り物を持ってきた。それは一本の赤い横笛だった。彼女が持っているものより大きく、鮮やかな色をした笛。試しに吹いてみると低く、安らかな音色がした。彼女が笑顔と共に感謝を伝え、少年は嬉しそうな表情をした。
その翌朝、少女は腫れ上がった顔で泉のほとりにいた。暗く沈んだ心を慰める友人はその日来ていなかった。何気なく触れた笛を吹く。その音色は昨日聴いたものとは少し異なり、悲しげなものだった。しかし彼女の心を慰めるには十分なものだった。しばらく気の行くままに吹いていると、森の中から小鳥が姿を現した。肩に乗った小さな訪問者は彼女の音色に合わせて澄んだ囀りを披露する。他にも兎、猪、狐、あらゆる動物が周囲に集い、音色に合わせて歌い踊る。彼女の沈んだ感情はいつのまにか消え、明るい感情で満たされていく。その日は夕暮れまで笛を吹き続けた。家に帰っても彼女はその感情を忘れることができず、笛を吹いた。酔った父親はそれを聴いて一緒に歌った。いつもの荒れ狂った彼からは想像できないほど優しい歌声だった。その日、彼女は今まで以上に彼を身近に感じることができた。
それから泉に少年が現れることはなかった。しかし彼女にとってそれは重要なことではなくなっていった。彼女の笛の演奏は村中の評判となり、誰もがその音色を聞きたがった。彼女は自由自在にそれを操り、彼らの苦痛を和らげる。沈み、濁った感情を澄み渡らせる。村人たちは困ったことがあれば彼女に相談した。彼女も喜んで手助けをした。
それからどれほどの時が経っただろうか。かつての少女は立派な女性となり、村を治める巫女となった。村人を助ける彼女の笛はいつもそばにあった。しかし彼女の心はいつしか黒く染まっていた。村人たちは巫女を追放する計画を立て始める。思うように魚が獲れなかったある日の夜、巫女の家におそろしい姿形をした大男が現れた。彼はこの村が不漁で苦しんでいるのは巫女のせいだと言い放ち、彼女の笛を折り、彼女を寝床から引き摺り出す。外に出た彼女は村のあちこちから這い出る様々な悪霊のような形相の者たちに追い立てられ、山に逃げ込んだ。
彼女は恐怖のあまり泣きながら山中を彷徨い歩く。そしていつしか心の拠り所としていた泉にたどり着いた。水面はかつてのように澄んでいるのだろうか。今は夜空に映る星々を写して黒く静かな鏡面を湛えている。彼女は身に付けていたものを全て泉に投げ込み、その水で体を洗い流す。泉の向こうに見えたのは朧げな影。わずかな月の光を受けて輝く少年は彼女を静かに見守る。少女は彼を追って森の奥深くに足を踏み入れる。
それ以来、その姿を見たものはいない。
お題
「海」「笛」「」(三つのうちひとつ忘れました。書いているうちは覚えてたので入ってるはず)
ジャンル
「童話」
上記の要素で書きました