ダンスタイム
「ふぅ、疲れたな」
俺は溜息を吐くと、首を絞めつけているネクタイを緩めた。
「ちょっと、エルト君。まだパーティーは終わっていないんだけど」
口を寄せ耳元でアリスがささやく。
「それにしても、次から次に挨拶されるから料理を食べる暇がない」
開始時にテーブルに並べられていた豪華な料理はあらかた食べつくされていて、皆は酒を片手に歓談を楽しんでいる。
俺も見たことがない豪華な料理を味わうのを楽しみにしていたのだが、途切れることのない挨拶回りで一切口にすることができなかった。
「今後は定期的にパーティーに招かれることになるから料理はその時食べればいいじゃない?」
アリスは給仕から受け取ったコップの一つを俺に手渡す。中身はどうやらワインのようだ。芳醇な香りが鼻を撫で、赤い液体に自然と喉がなる。
「プハッ! 美味いな!」
立って話してばかりいたのでそれを一気に呑むとアリスが眉根をひそめた。
「エルト君、そういうのは一気飲みしちゃだめなのよ? まずは私と乾杯してからエスコートしている女性を褒めるのが常識なのに……」
「せ、せめて二人きりの時はいいだろ?」
まさか、お酒一杯吞むのにすら礼儀作法が存在しているとは思わず、俺は顔を歪めるとアリスを見る。
「まあ、そこまで細かい礼儀を守っている人もそんなにいないけどね」
アリスは周囲を見渡しながらコップに口をつけた。
こうして俺が気を抜いている間にも索敵をしてくれているので、今回のアリスの提案には感謝しかない。特にパーティーが始まるまでの二週間、彼女は俺につきっきりで色々教えてくれたのだ。ダンスの練習やら衣装合わせなど。俺がパーティーで恥をかかないように考えてくれていた。
「今回は本当に助かった。礼を言うぞ」
「何よ急に?」
突然、俺が礼を言ったのでアリスは目を大きく開いた。
「アリスがいなかったら、あの人たちの中に放り込まれてどうにもならなくなっていたに違いないからな」
邪神を筆頭に凶悪なモンスターから殺意を向けられるのには慣れてきた俺だが、思惑が読めない人たちに様々な感情が混じった視線を向けられるのには慣れていなかった。
時には政治的な話をもちかけられたりしたのだが、知識もなければ政策も知らない俺にしてみれば答えようもない。
中には邪神の懸賞金について寄付をして欲しいと申し出る連中もいたのだが、アリスが間に入ってくれたおかげで本当に助かった。
もし、彼女がいなかったら、妙な取引を持ちかけられたり詐欺にあっていたかもしれない。
俺が改めてアリスに礼を言うと、
「別に、エルト君のためだけってわけでもないし。あなたに変な女性が付いて、既成事実を作られたらアリシアやセレナが可哀そうだと思っただけよ」
あながち冗談に聞こえない。パーティー会場にいる令嬢からは熱い眼差しを向けられ、令息からは睨まれている。
半分はアリスを独占しているやっかみなのだろうが……。
俺が原因の元であるアリスの横顔を見つめていると、
「エルト君の気持ちがどっちに向いているのかわからないけど、告白をしてくれた女性を無視して他の女性に気を向けるのはやめてよね」
アリスが顔を動かしじっと俺を見てきた。
「ああ、そこは中途半端なことはしないと誓うよ」
そう答えるとパーティーの雰囲気が変わり始める。音楽団がステージに立ち、楽器の準備を始めた。
「そろそろ場も暖まってきたようね。ここからはエルト君の健闘を祈るわよ」
「正直もう帰りたくなったぞ」
アリスの言葉に俺はげんなりする。話に聞かされてはいたがここからはダンスタイムになるからだ。
最初に踊る相手はアリスに決まっているが、この手のパーティーでは曲が変われば相手を変えるのが基本らしい。
社交の場なので、なるべく多くの相手と踊る必要があり、この時ばかりはアリスも王女の役割を果たさなければならないようだ。
従って、これまでアリスが牽制していた令嬢たちからダンスを申し込まれることになると予想がされている。
「それもいいかもね。なんなら私を連れてパーティー会場を出てみる?」
そう言って手を差し伸べるアリス。俺は彼女の手を取り抱き寄せると、
「さっき中途半端なことはしないと言ったばかりだぞ」
彼女を睨みつけると音楽に合わせてダンスを始めるのだった。
★
「今回は目論見が外れましたな」
パーティー会場では若い男女がダンスを踊っている。
ダンスが始まってまだ最初ということもありゆったりとしたテンポの曲だ。
そんな中、周囲が注目しているのは一際目を引く美男美女のダンスだ。
男の方はどこかぎこちない動きで顔もこわばっているのだが、女の方が上手く補助をしているので美しいダンスに魅せている。
最初はぎこちない動きをしていた男だったが、踊りながら女に何かをささやかれてからは緊張が解けたのか笑顔を浮かべている。おそらくはあれが素の表情なのだろう。
「まさかイルクーツ王国がこうまであからさまな態度に出てくるとは」
「しかし、かの英雄の故郷はイルクーツであり、今回の発端はイルクーツからの生贄が邪神を倒したことによるもの」
基本的に邪神討伐を成し遂げた英雄は国家間のパワーバランスを考えて中立となる。だが、どうしたって故郷の影響は残ってしまう。
もし仮に他国が「不公平」と糾弾したとしても「面識があって話をしているだけ」と答えられてはそれ以上追及もできないのだ。
特に他国にしてみればイルクーツが用意した生贄なので、当然国とエルトの間にはそれなりのやり取りがあったと考えるからだ。
「彼女、イルクーツの第一王女アリス様でしたか?」
皆の前ということもあり品の良い作り笑いを浮かべているアリス。だが、微妙に現れる仕草にエルトとの親しさを感じさせられる。
「イルクーツが正妻になるとしても第二夫人や第三夫人ならばまだ可能性もある。いずれにせよこの曲が終わってからが勝負でしょう」
壁の花となった令嬢たち。ダンスを申し込まれた者もいるが、エルトと踊るために待機をしている。
ここで一度ダンスを踊っておき印象を付けられれば、後日。ティーパーティーにさそう口実ができる。
今回はそこまで切り込めれば上等と考えているのだ。だが、それを見ていたひとりが口元を緩める。
「アリス王女に関してはなんとかなるかもしれませんぞ」
「それは、どういうことですかな?」
一人が質問をしながら首を傾げると、
「イルクーツ第一王女についてある情報がありましてね。どうやら神殿に【誓約】しているらしいのですよ」
「ほぅ。詳しくお聞かせいただけますか?」
その言葉にその場の全員は興味を持ち、共通の敵であるアリスを追い落とす話をし始めるのだった。