義父の苦悩子知らず
日の光が夜の闇を追いやり、朝の静けさが人々の喧騒に鳴りを潜める。周囲ではカロン包囲の準備に取り掛かる兵が、慌ただしく動き回っていた。
そんな中、何故か戦士ギルドの面々が居た場所だけ、異様な盛り上がりと兵達のはやし立てる声が響いている。人だかりのできている場所の中央には二人の男が立っており、片方の男の足元には剣が投げ置かれていた。
「ほれペトリ、それがお前の得物だ」
「お、お願いですアルドレアさん。俺は知ってる事は全部話しました!」
ペトリと呼ばれた捕虜の男がすがるような目で懇願し、アルドレアはそれを腕組みしながら見下ろしている。
「そんなこたあ分かってるさ。ウィルたちに散々殴られた後だったみてえだし、どうせそん時知ってる事は全部ゲロッてるんだろ?」
ヴィルトレウスに連れてこられた時の状態と、目の前の男の性格から考えたら、知っている事は全部吐き出していると思ったのだろう。
「そ、そうです! だからこれ以上の事は何も――」
「おう。だから情報引き出すためにお前を拷問すんのは止めだ」
「良かった……」
アルドレアの言葉に安堵し、弱々しく笑い膝に手を突くペトリ。しかし目の前の大男が発した次の言葉に、顔を上げ疑問と不安に満ちた表情を向ける。
「だが、俺の気が済んでねえ」
「えっ?」
「お前が脅してた奴は使える男だった。任務も確実にこなすし頭も回るから、俺らが居ない時はギルド員の小隊の指揮を任せた事もある」
アルドレアは過去を振り返る様に空を見上げる。目を細め、死んだ仲間の事を思い出しているのだろうその表情は少し寂し気だ。しかしペトリに視線を向けた時、その両眼は鋭く光り、毒のこもった声で相手の恐怖を煽り立てていた。
「それを、お前の下らねえ金銭欲のせいで失っちまったんだ。俺は奴の妻と娘とも面識があるが、帰ったら家族に戦死を知らせなくちゃならねえんだぞ? 今から二人の泣く姿を思い浮かべると、気が滅入ってくるぜ」
「し、仕方が無かったんです! 帝国の奴らにカロンを落とされて、住む家も失っちまった。命だけは助かったが、金も無くて食うにも困ってた!」
ペトリはカロン出身らしいのだが、攻め込まれた際どうやら家を焼かれてしまったらしい。彼も戦争の被害者ではあるのだが……。
「まあ飢えは耐えがたいよなあ。俺もお袋が死んで、オリアスに拾われるまではそりゃあ苦労したもんさ。だがな、それが俺の部下を殺していい理由にはならねえだろ?」
「俺は殺してない! 殺したのは――」
ギルド員の殺害を否定する捕虜。事実アルドレアの部下を殺したのは彼ではなく、ヴィルトレウスと戦った黒地に赤十字の者たちなのだが、しかし目の前の大男にとってそんなのはただの方便である。
「手前が脅して奴を追い込んだんだろうが。直接手を下してなかろうが、俺にとっては同罪だって言ってんだよ」
顔を近づけて至近距離から思い切り相手を恫喝するアルドレア。その大男の表情にペトリが声を震わせて後退る。
「そ、そんな……」
「さあて、それじゃ始めようぜ」
ペトリに背を向けて片腕を回すアルドレアはやる気十分だ。その仕草に捕虜の男はうなだれて沈黙していたが、不意に顔を上げて何かを口走ろうとする。
「……まっ、待って下さい! 俺は――」
「俺は大陸北部にあった元ノルメルク王国の生まれでな。そこでは教会の教えが入ってくる前までは、別の神が信仰されていた」
少し距離を取り向き直ったアルドレアだが、ペトリの話には耳を貸さず、落ち着いた声で懐かしむ様に語りだす。
「そ、それがなにか……?」
「その教えによればな。勇敢に戦って死んだ戦士の魂は、死後戦死者を選ぶものの導きで神の国ヴァルハラに行けるって言うじゃねえか」
「…………」
ペトリは自分の置かれた状況から、アルドレアが何を言わんとしているのか理解してしまい、絶望のうちにただ沈黙した。
「それが本当なら俺の養父オリアスも、今頃ヴァルハラで女神様と楽しくやってるはずだ」
何やら過去の出来事でも思い出したのか、アルドレアが故人の名を口にして笑いながら語っている。しかし相手との温度差が尋常ではない為、周辺で見ていた者達が苦笑してペトリを憐れむ。
「…………」
「これはチャンスなんだぜ? ただ無抵抗にぶっ殺されたんじゃヴァルハラには行けねえ。だが俺と戦って死ねば、飢えも無い国で女神様とイチャコラできるんだからよ」
面白そうに笑う顔はとても無邪気で、今から殺し合いをする者の顔には見えない。
「…………」
暗く沈んだ表情で立ち尽くすペトリだが、アルドレアは全く意に介さず地面の剣を拾い上げ手渡す。更に両眼を輝かせながら両手を広げると、相手に向かって笑顔でこう言い放った。
「ほれ、掛かって来い。潔く戦っていっぺん死んでみろよ」
まるでやり直しがきくかの様な表現で相手を誘うのだが、男は受け取った剣を足元に落とし、絞り出すような声で目の前の大男に懇願する。
「お、お願いします。許して、ください……」
その男からは戦士の輝きを見る事は出来なかった。アルドレアは戦う事を放棄したペトリを暫く見ていたが、溜息を付くと踵を返して捕虜の男から離れていく。
徐々に距離が開き、それを見た男が震える声で安堵の息を漏らし感謝する。
「あ、ありが――」
それは一瞬の出来事であった。ペトリは震える足を何とか支え、感謝の言葉を口にしていたのだがその刹那、アルドレアが唐突に振り向き、振り向きざまに背の大剣を抜き放って相手の脳天に叩き込んだのだ。
男の体は頭のてっぺんから股まで裂け、血を周囲に激しく飛び散らせながら左右に分かれた。
「うわっ!」
「うげっ。口に入りやがった!」
周囲に居た者達が飛散した血液に塗れ、切られた男の体は不気味な肉の音を立てながら地面に転がる。
「せめてもの情けだ。手足の指や歯を全部折られなかっただけ有難いと思えよ」
血の滴る大剣が朝日を浴びて異様な輝きを放ち、照らされた血液は一層赤々として見える。アルドレアは眼下に転がる物言わぬそれに言葉を掛けると、大剣に付着した血糊を振り飛ばして本陣の方へ歩き出しす。
「うへえ。魚みたいに真っ二つになってるぞ」
「悪いがお前ら、この死体片付けといててくれ」
周囲で見ていた者達は、大地に咲いた赤い花の中心にあるそれを見ていたのだが、アルドレアが発した言葉に一番近くに居た者の顔が後悔に歪む。
「どしたの? この人だかり」
ガブリエーレは人垣の後ろの方からその光景を眺めていたのだが、背後から誰かに飛び乗られ少しよろめく。しかし大した重量でもない為、振り返らずに声の主に返答した。
「ん? ああ、さっきアルドレアさんが捕虜の男切ったんだよ」
「え? 親父あの捕虜切っちまったのかよ!」
捕虜の処遇に対する反応に返答しようとするガブリエーレであったが、ふと声質が違う事に気が付き、自分の肩に両腕を立てて見物する者の顔を確認する。
「ああ……ってお前ゴモリーじゃねえか! やめっ、離れろ!」
よっぽど苦手なのか、背に張り付いたゴモリーを追い払おうとするガブリエーレ。しかし相手はその反応が面白いらしく、ニヤニヤと笑いながら嫌がらせを続けている。
「そうか、殺っちまったのか……」
「何だ珍しいな。お前が敵に同情するなんてよ」
ゴモリーを振り落とそうともがいていたガブリエーレだったが、ヴィルトレウスの表情に少し影が掛かっていた為、動きを止めて少年に向き直る。
「同情ってわけじゃねえよ。ただ、アイツ俺に投げナイフ渡してくれた奴でさ。出発前心配そうな顔してたからちょっとな」
そう言うと皮鎧の胸部の穴に差し込まれた投げナイフに視線を落とす。どうやら貰った物を使用後回収していたらしい。
「成程な。まあ、アイツがギルドに入って多分一年位は経ってるし、もしかしたらお前に情が移っちまったのかもな。それに、あいつを皆で殴り飛ばしてた時も、お前だけあんま参加してなかったよな」
ギルドに入って一年。共に戦って来た仲間だったのだろう。ヴィルトレウスも男に対し思う所があったのか、ガブリエーレの言葉に少し寂しそうな表情を見せる。
その表情を見たエリシャが義弟の頭に手を乗せて、柔らかい表情で笑いながら声を掛けた。
「こんなに生意気なのに情が移っちゃうなんて、もしかしたら本当は凄く良い人だったのかもしれないわね」
仲間の家族を人質に取っておいて、良い人もないと本人も思っただろう。しかしその言葉には、義弟を気遣う優しさが感じ取れた。
「うるせえよ……」
言葉は反抗的であったが、少年が載せられた手を払いのける事はなかった。
***
朝の騒動からどれ程の時がたっただろうか。カロンの陸側はモルディア王国軍に包囲され、あちこちから炊事の煙が上がっている。
エルリクスは門を内側から開けさせる作戦を取ってはいるのだが、そのタイミングは夜と言う事以外内部の者に任せていた。
ヴィルトレウスの報告通りなら、カロンの領主ルキヤンの性格とベルゴラント島の軍指揮官との関係から、補給はあっても援軍は無いと予想していたからだ。だが万が一と言う事もある為、カロンから出る船には注意するよう内部に侵入した者には言い含めてある。
「中の奴ら今日動くと思うか?」
陣中を歩くアルドレアが隣り合っているエルリクスに、視線を向ける事無く疑問を投げ掛けて来た。
「どうでしょうね。送り込んだ者たちは早く町を解放したいと思っているでしょうが、亜人奴隷の事もありますから。」
彼は質問に解いた髪紐を結び直しながら答えていたのだが、その姿は一枚の絵画の様に幻想的ですらある。
「だよなあ。取り合えずウィルを今夜送り込むのは確定として、ガブリエーレにも中の連中の手助けしてもらうか」
カロン内に送り込んだ兵士は十人なのだが、アルドレアはそれでは不安があるらしく、戦士ギルドからも二人内部に潜り込ませようと考えているらしい。
「それじゃ夜になる前に、アルドレアは説明しておかないといけませんね」
「作戦の説明ならもうしてあるさ」
カロン内部に現在潜入している一部の者と、ギルドの主要人物には作戦の細かな内容は説明してあるのだが、エルリクスはこぼれた前髪を耳に掛けながら隣で歩く大男に苦笑する。
「そっちじゃなくてダミアンさんの方ですよ」
「わあってるって。昼飯食い終わってる頃だろうし、後で話しとくよ」
そう言うとアルドレアは小樽の栓を抜き、中身のワインを手に持っていた杯に注ぎ飲み干す。その様子を見ていたエルリクスが、大男の心の内を察してつい笑ってしまうのだが、はたと気づき使われている杯を覗き込む。
「アルドレアその銀の杯、将軍のじゃないですか?」
「あ、しまった持ってきちまったぜ。まあ、あの禿は物に対する執着心とか無えし、後で返しても問題ないだろ」
その言葉に呆れた様子のエルリクスであったが、正面から掛けられた声に青色の瞳を向けて声の主を探す。
「あ、アルドレアさんとエルリクスさんだ。何でここに?」
「ああ、ちょっと用事があってな」
ギルド員から掛けられた声にアルドレアが反応し、エルリクスは相手に笑い掛けながらアルドレアに話しかける。
「私はガブリエーレに今夜潜入してもらう事を伝えておきますから」
エルリクスが撤退のどさくさに紛れて潜り込ませた者の中で、作戦の細部まで知っているのは二人しかいない。捕まっても口を割らないと踏んだ者以外には詳細を教えていないのだ。
しかし作戦を実行するには、他の者にも伝えなくては意味が無い。その為彼は、皆に教えるのは行動を起こす直前にする様言い含めてあった。
ただやはり不安なのだろう。もしもの時の保険が欲しいと思っていたエルリクスは、アルドレアの考えに賛同して彼らの居る場所へ向かう。
「わかった。あ、でもゴモリーに聞かれると、面白がって付いて行こうとするぞ?」
「あの子が付いて行くと想定外の騒ぎ起こしそうですね……分かりました。それじゃ指輪を貸してもらえますか? 付いて行ったら封印するって脅しておきますので」
ゴモリーと指輪は何か関係がある様なのだが、それは彼女にとってあまり好ましくない代物らしい。
「ひでえ奴だなおい。数千年も閉じ込められてた奴にその脅しはキツイぜ」
エルリクスの言葉に肩をすくめて苦笑するが、アルドレアは言葉とは裏腹に首に下げた指輪を投げ渡す。
目的の人物が視界に入ると、アルドレアが義理の子供達に声を上げて手招きする。
「エリシャとウィル、ちょっとこっち来てくれ」
「何だよ。何かあったのか?」
食後らしく、ヴィルトレウスは足を投げ出し横になっていた。アルドレアの姿に反応しない所を見ると、ダミアンの話の事は頭から抜けているのかもしれない。
まあ無理もないのかもしれない。彼は午前中ゴモリーとエリシャに川に放り込まれていただろうし、戻ってきたら気に掛けていた捕虜が真っ二つにされていたのだから。
「別に大した事じゃねえんだが、ちょっと話したい事があってな」
「分かりました。それじゃ私たち、ちょっと行ってくるわね」
アルドレアの微妙な表情に、エリシャが直ぐに気が付き立ち上がる。ゴモリーはガブリエーレにちょっかいを出していたのだが、エリシャの声に顔を向けて手を振る。
「気おつけてねえ」
無邪気な笑顔でガブリエーレの肩に乗りかかり、手を振って送り出す彼女だったのだが、二人を連れたアルドレアから放たれた言葉に、顔を青くして釣り上げられた魚の様に口をパクつかせる。
「あ、それとゴモリー。手前は後でお仕置きだから覚悟しとけよ」
集団から離れ暫く歩くと、アルドレアは海の見渡せる岩場に腰掛けた。それに続いてエリシャとヴィルトレウスが大男を挟んで左右に腰を下ろす。
「風が気持ちいいですね」
エリシャが伸びをして、髪の毛をかき上げる。艶のある銀髪が潮風に揺れる様は美しく、海の向こうを見つめる瞳はとても澄んでいた。
「だな。こうして三人で居ると、冒険者やってた頃思い出すぜ」
「私とウィルと、お父さんとエルリクスさん、ダミアンさんとそれにゴモリーとガブリエーレが加わって……」
三人揃って座り海を眺めていると、風に乗って潮の香りが漂ってくる。両隣が海と空の境目を眺めて物思いに耽る中、アルドレアは小樽の中身を継ぎ足し飲み干していた。暫く沈黙が流れるが、真ん中に居る大男が静かに口を開き昔を思い起こす様に語り始める。
「以前エルリクスとダミアンも交えて、今までの経緯を話した事があってな。そん時お前らの住んでた村が、亜人を庇った罪で焼かれたって話もしたんだ」
「はい……」
エリシャが短く返事をするが、ヴィルトレウスは無言のまま遠くを眺めている。
その横顔を盗み見るアルドレアが、何とも話しにくそうに頭を掻いていた。戦場では豪胆で頼りがいのある男も、二人の前ではこれである。
「その、何というか……隠してたのは悪かったと思ってるんだが、お前らの境遇を考えたら、ダミアンとその後上手くやっていけるのか不安になっちまってな」
「…………」
両隣を横目で確認するが反応が無い。アルドレアとしては、今後もダミアンと上手くやっていきたいのだが、この二人がそれを拒めば彼にはもうどうする事もできない。今大男の頭の中では、色々な思いが駆け巡っている事だろう。
非常に話しにくい雰囲気ではあったのだが、アルドレアは更に樽の中身を継ぎ足して一気に飲み干すと、息を吐いて続ける。
「結論から言うと、ダミアンはお前らの村を襲った連中とは関係ない。あの時俺とエルリクスは、ヴォルガ領南に位置するアルゲアヌス帝国から帰って来た所なんだが、実はそのアルゲアヌス領内でダミアンと会ってるんだよ」
更に二人の表情を盗み見るが、遠くを眺める姿からは心の内を見抜くことができない。
(参ったなこりゃ。ダメならダメと……いやダメじゃ困るんだが、何とかダミアンの事を受け入れてもらえねえかな)
あれこれ考えても、どう言えば受け入れてもらえるのか思い浮かばない。だが最悪ダミアンをギルドから除名する事になったとしても、彼の無実だけは証明してあげなければならない。そう思ったアルドレアは迷いを振り払う様に頭を振る。
「出会った時期と場所を考えても、お前らの村を襲うのは不可能だし、そもそもダミアンと初めて会った時、奴は既に還俗していた。教会の裏の顔に嫌気がさしたみたいでな」
現在の教会は大きく二つの宗派に分かれている。一つはヴォルガ帝国と深い繋がりを持ち、罪人も善行を積めば救われると説くカトリコス派、もう一つは贖宥状や、教皇への寄付をも善行とする事に異を唱えるプローテスタリー派である。
同じ神を信仰しながら考え方が違うこの二つの宗派。その中でもダミアンはカトリコス派の宗派に属していた。
「妻と息子を病で失い、還俗した時親とも絶縁したから、取り合えず冒険者になって、各地を一人で旅してたらしい」
アルドレアが一呼吸入れようと樽の中身を継ぎ足していると、エリシャが不意に質問してきた。
「妻と息子? 神殿騎士団は聖職者だから、結婚は禁止されてるんじゃないですか?」
よもや質問が来るとは思っていなかったらしく、驚いたアルドレアがワインを零して慌てる。
「そ、そりゃ入った後の話だな。神殿騎士団に入る前に結婚した場合は問題無いらしい。そもそも妾囲ってた奴も居たみてえだし、そんな戒律あってない様な物なんだろうぜ」
結婚についてだが、これも二つの宗派は全く考え方が異なる。カトリコス派は神父の結婚を禁止しているが、逆にプローテスタリー派は結婚を禁止していないばかりか女性の牧師までいる。
「そうなんですね。それにしても、家族を失っていたなんて知りませんでした。それに、還俗したからって親と絶縁までしなくても……」
エリシャとヴィルトレウス、と言うかアルドレアも親を失っているのだが、親に対してとても暖かい印象を持っている彼女は、絶縁と言う言葉がどうも納得できない様だった。
「まあダミアンは元貴族だったみてえだからな。親の反対押し切って還俗したもんだから、親父がキレて追い出したらしい」
「貴族だからって、なんで還俗した息子を親が追い出すんだよ?」
還俗しても子は子である。しかも妻と息子まで病で失ってしまったとなれば、寧ろ暖かく迎え入れるのが普通だと思ったのかもしれない。普通の子供であればあまり深くは考えないのだろうが、ヴィルトレウスは幼くして大人顔負けの人生を歩んでいるらしく、色々と思う所があったのだろう。
「どうせ僧籍捨てた息子が再婚もせず家に戻ってくるのが恥だとか、そんな理由だろ」
アルドレアがその質問に呆れた様子で答えると、隣に居たヴィルトレウスも鼻を鳴らして言葉を吐き出す。
「くだらねえ。そんな所で見栄張ってどうすんだよ」
「貴族ってのはそう言うもんよ。思い出してみろカロンの指揮官をよ」
その言葉に隣の少年が少し上を向いて記憶を辿る。
「本来ならカロンに撤退したその日に援軍要請を出さなきゃならねえのに、奴は劣等感とくだらねえ見栄からそれを拒んでるはずだ。そうじゃなきゃ一隻も船が出ないなんざあり得ねえ」
どうやらベルゴラント島には、ルキヤンにとって劣等感を抱く様な相手が存在しているらしいのだが、そんな身勝手な感情のとばっちりを受ける兵達はたまったものではないだろう。
「奴はこの空の杯と同じなのさ」
アルドレアは飲み干して空になった銀製の杯を太陽にかざす。日の光を浴びて輝くそれを、眩しそうに見ていたヴィルトレウスだったのだが、何が言いたいのかいまいち分からず首を傾げる。
「どういう事だよ?」
「外見だけ取り繕って中身が空って事だよ。って何か話ズレちまったな。」
アルドレアは改めてダミアンについて話そうとしたのだが。
「もういいよ親父。流石に俺や姉貴の両親殺した部隊に居たって言われたらどうなったか分かんねえけど、その頃既に教会とは関係なかったんだろ?」
「ああ……は? もういい?」
「もういい」と言う言葉が余りにも以外だった為、アルドレアは少し上ずった声でヴィルトレウスの表情を窺う。少年はその顔を見返すのだが、何故か半笑いの為アルドレアは少し混乱してしまう。するとエリシャが肩を震わせ控えめに笑いながら義父に事実を伝えた。
「今朝私とウィルで話して決めたんです。ダミアンさんが元神殿騎士だったとしても、今まで通り接しましょうって」
この言葉にアルドレアの肩の力が一気に抜ける。今までの苦悩は何だったのか。よもや二人の間で、そんな会話がなされていたとは思いもよらなかった為、気の抜けた表情で空を見やる。
「な、何だよ。それならそうと早く言ってくれよ。おりゃ最悪ダミアンのギルド除名まで考えてたんだぜ?」
「親父の困り果てた顔は見ものだったぜ」
苦笑し溜息を付くアルドレアを見て、両隣の子供たちが、抑えきれなくなり声を上げて笑い始めた。アルドレアは苦笑していたのだが、その二人の笑顔を見て、心に何とも言えない充足感を得るのだった。
***
アルドレアがダミアンの話をした、その晩の事である。辺りは人通りも少なくなってはいたが、やはり包囲されている為か、警備は通常よりも多いようだった。
そんな港町カロンの中心にある屋敷では、現在一人の兵士が領主に何やら進言している様なのだが。
「ならぬ! 援軍を頼むなど絶対に許さぬぞ!」
憤慨して顔を真っ赤にするルキヤンに対し、膝をついているのはローランだった。
「しかしこのままではカロンは持ちません! 以前とは明らかに攻め方が違います。指揮官はランドルフですが、恐らく新しい軍師を迎え入れたのではないかと。」
恐らくとは言ったが、ローランは心の中で確信しているようだ。その目には迷いが無く、真っすぐに領主の目を捉えていた。しかしその目が気に食わないのか、ルキヤンは拳を震わせて相手を睨みつけている。
「だから何だと言うのだ。この壁とバリスタに囲まれたカロンが、そう易々と落とされるものか。そもそも、奴らは町を包囲して攻めてこぬではないか!」
「あれは兵糧攻めなどではありません! 相手には恐らく相当な智者がおります。その様な者が、海からの補給を見落とす等考えられません! 何卒――」
ローランは必死だった。この戦場には、多くのガレア人が駆り出されている。野戦で多数の同胞を失いはしたが、何とかカロンに逃げ果せた者達も居たのだ。
彼らを一人でも多く生きて祖国に帰したい。その強い気持ちが、彼を突き動かしているのだろう。しかし……。
「黙れ! 卑賤の血が流れるガレア人風情が、ルーキス人である余に口答えするとは何事か! それ以上何か申してみよ。レピュセーゼの地に居る貴様らガレア人を、一人残らず殺し尽くしてくれるぞ!」
憎々しく見下ろすルキヤンは、今にもローランに切り掛かりそうな勢いだ。彼は極端は民族主義者で、ルーキス民族が全ての民族の頂点に立ち、ルーキス以外の民族は奴隷の如く扱っても構わないと思っている男なのだ。
「…………」
もはや語る事さえ許されなくなったローラン。彼はその場で立ち上がると、ルキヤンに深々と一礼して、部屋の出入り口の陰に隠れ見えなくなってしまった。
その一部始終を、天窓の隙間から覗き見る影が一つ。その影は事の成行きを見終えると、天窓から離れ音を立てぬ様静かに歩き始めた。
(ルキヤンと弟イグナートとの確執は相当のものだな。だが、それは此方としては都合がいい)
口と鼻を黒い布で覆った男は、布の下で薄く笑いながらその場を離れる。男の足元からは全く音がせず、そのくせ移動は滑らかで早い。どうやら隠密行動に長けた腕の立つ者らしい。しかし先程まで布の下で笑っていた顔は、一瞬にして険しいものへと変わる。
男が素早くひざを折って姿勢を低くすると、その上を風切り音と共に刃が通り抜ける。
(くそっ、見つかったか!)
男はそのまま正面に走り素早く向き直る――が、向き直った男が背後に迫る者を視界に捉えたと同時に、首と胴が切り離され、頭のあった場所からは血が吹きだしていた。
切断された頭の目は見開かれており、放物線を描きながら屋根に落下するところであったが、男を殺害した者が屋根に落ちる寸前で首の髪を掴み受け止める。
(知らぬ顔だな……)
男は感情の欠片も無い表情で切断した首の顔を眺めていたのだが、その首から何も得られないと知ると、そのまま地面に放り投げて歩き出す。しかし投げ捨てた場所に人が居たらしく、悲鳴と首の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
「どうしてお前がこんな姿に!」
「馬鹿。大声を出すな! 取り合えずここはまずい。一旦離れよう」
下から聞こえてくる声に耳をそばだてていた屋根の男が、声のする方を見下ろすと、二人の男の走り去る姿が視界に入る。
(やはりまだ居たか)
男は鋭い眼光を走り去る者達に向けると、腰のジャマダハルを抜き、闇の中を歩きだす。姿は徐々に闇夜に溶け込んでいき、誰の目にも止まることなく、不気味にその場から消えていくのであった。