【072 ドクサ地方攻略(八) ~ツヴァンソ中隊~】
【072 ドクサ地方攻略(八) ~ツヴァンソ中隊~】
〔本編〕
ミケルクスドのタリオトランク中隊長率いる百の騎兵が、聖王国のツヴァンソ率いる五十の中隊に攻めかかる。
ツヴァンソ中隊は背を向け、逃げる素振りを見せたので、タリオトランク中隊長は逃すまじと、兵たちの追撃の足を速めさせた。
ツヴァンソ中隊は、敵に背を向けたが、むろん敵から逃げたわけでない。
ツヴァンソ中隊は後方に駆けながら、五つの小隊に枝分かれし、各隊が大きく円軌道を描くように馬を駆けさせ、百八十度の方向変換を成し遂げ、タリオトランク中隊長の騎兵に逆に攻めかかっていった。
敵が逃げたと思い、馬速を上げたタリオトランク率いる百の騎兵は、案に相違して敵が真正面からぶつかってくると分かり、一瞬たじろぎはしたが倍の兵数と、聖王国兵を弱兵と侮っている心持から、目の前の敵騎兵の息が詰まるほどの圧迫感を感じながらも、自分たちも敵の重圧に気圧されぬよう大声で自らを鼓舞しながら、さらにホースの速度を上げた。
しかし既に、タリオトランク中隊長と百の騎兵は、敵の思いもよらぬ行動と重圧の前に、冷静な判断が出来なくなっていたのであった。
枝分かれした五つの小隊で、一番早く敵と接触した小隊の、さらにその先頭。
屈強な男たちの中にあっては、殊更に小柄に見える女兵士のツヴァンソ。
しかし、彼女を目の前にしたミケルクスド兵が、彼女を身長百七十センチメートルという等身大で捉えていたかは、はなはだ疑問であった。
おそらく、巨大な竜が巨大な顎を開き、こちらに向かってくるような錯覚に陥ったとしても不思議でないほどの重圧を、受けたであろうと思われる。
ツヴァンソを前に、怯えながらもミケルクスド兵は、震える腕で槍を繰り出す。
ツヴァンソの右手の長剣は、その槍をきれいに三等分した後、怯えたその敵も切り伏せる。
敵を切り伏せた後、ツヴァンソはそのままその後方の敵と切り結び、同じようにその敵と槍とを切断し、さらに奥へと攻め入っていく。
初陣の時は、ツヴァンソの後に続く兵は一人もいなかったが、今は違う。
五つに枝分かれした小隊が、ツヴァンソの後を五本の巨大な槍の如く、敵陣を突き破っていく。
五本の巨大な槍と化したツヴァンソ中隊が突き抜けた後には、百のうち、三十人が屍となってそこに転がり、次の瞬間、百の精鋭部隊が、七十の烏合の衆へと変化した。
ツヴァンソ中隊は、一旦敵陣を突き抜けた後、さらに距離をとって反転を行い、再び敵に攻めかかる。
既に最初の突撃で、タリオトランク中隊長は討ち取られ、指揮官を失った上、烏合の衆となった七十人の兵たちは、既に敵に相対することも出来ず、そのまま四散した。
自分勝手に逃げ始めたことにより、既に集団とも呼べない敵兵。
ツヴァンソ中隊が突撃して、わずか三十秒後の出来事であった。
「いかん! あのままでは味方は全滅してしまう! やむを得ぬ! 全軍、あの敵騎兵に攻めかかれ! 少しでも味方を救うぞ……!」
もう明らかな罠であると知りつつ、ヴリオ上位大隊長は、そう命じざるを得なかった。
百の味方が蹂躙されている様子に、第四の砦から派遣されここに待機していた百の兵のうち五十が、勝手にタリオトランク中隊長の救出に出撃していた。
同じ仲間が目の前で討たれている様子に、じっとはしていられなかったのであろう。
それにこの五十人の実質的な指揮官はタリオトランク中隊長なので、ヴリオ上位大隊長の指示が出るのを待つことはしなかった。
しかし、残りの五十人は、タリオトランク中隊長がこの場にいない以上、ヴリオ上位大隊長の指示を待つことにした。
しかし、ヴリオ上位大隊長にここで待機するという選択肢は、既に無くなっていた。
このままでは、生き残った七十人に加え、それを助けに向かった五十人も確実に全滅する。
それでもここで手をこまねいていれば、味方の危機に出撃もせず、味方を見捨てたという汚点が、ヴリオの戦績につき、それをヴリオは死よりも恐れた。
だからと言って少数の兵の逐次投入は、敵に各個撃破の機会を与え、傷口がさらに広げてしまう。
つまりヴリオ上位大隊長に残された唯一の選択肢は、ここの全軍を出撃させ、それで味方を救出するというものだけであった。
確実に罠であるという事柄に、敵騎兵の異様な強さがプラスされ、ヴリオ上位大隊長の頭に中で最大級の警鐘が鳴り響いている。
それでも、ここは残った三百の兵で――最初のタリオトランクの百と、続いて飛び出した五十は既に戦力とはみなしていない――攻めれば、伏兵を加えて百の敵であれば、撃退することも可能かもしれない。
撃退まで至らなくても、撤退はさせられるかもしれない。
その一点のみが、ヴリオ上位大隊長が指揮官として生き残る唯一の手段となっていた。
“タリオトランクを強引に押さえつけてでも、出撃を止めさせれば良かった!”
今となっては悔やんでも悔やみきれぬことではあるが……。
ヴリオ上位大隊長率いる三百の騎兵が、ツヴァンソ中隊と接触した時には、既に最初の生き残りの七十の騎兵と、続いて救援に向かった五十の騎兵は、ヴリオ上位大隊長の見立てどおり壊滅していた。
ヴリオ上位大隊長が、ツヴァンソ中隊と接触するまでの『二分』という短い時間であったにもかかわらず、その二分間は七十と五十を合わせた百二十の騎兵を壊滅させるには、充分過ぎる時間であったようである。
文字通りの壊滅。百二十の騎兵は、百の死者と、二十の一時間以内に絶命するであろう重傷者と化しており、ヴリオ上位大隊長の三百と合流し、戦力となり得る兵はただの一人もいなかった。
それでも『二分』で接触できたため、ツヴァンソ中隊にこの戦場からの離脱や、再突撃するための距離をとる時間は与えなかったため、ツヴァンソ中隊の横腹に、ヴリオ上位大隊長の騎兵は突撃することが出来た。
“これなら何とか、五分以上の戦いに持ち込める!”
ヴリオ上位大隊長はそう思い、最悪からは脱したと感じたが、次の瞬間その考えが根本から覆されたのであった。
横腹にミケルクスド騎兵の突撃を受けながら、ツヴァンソ中隊は全く崩れず、互角の戦いを展開する。
それでも突撃したミケルクスドの騎兵隊の方に若干の分があったのか、ツヴァンソ中隊は徐々に後退をしていった。
“違う! これは後退ではない! 伏兵のあるところに我らを誘っている!”
ヴリオはそう直感し、皆に停止を求めるよう大声で呼びかけるが、既に一度走り出した兵たちは簡単には止まれない。
特に自分の直属でない第四の砦の兵五十は、自らの指揮官タリオトランク中隊長と百五十の仲間を失っているので、退いていく憎き敵を前に興奮しており、ヴリオの命令が仮に聞こえたとしても止まらなかったであろう。
実際には、敵味方の喚声と興奮から、ヴリオのすぐ近くにいた兵にすら、彼の声は届かなかったのである。
ヴリオとしてはこうなった以上、むしろ三百の兵の勢いで、前方の茂みの伏兵もまとめて倒そうと腹を決める。
目の前を退いていく敵と、伏兵を合わせて百程度の数に違いない。それならば、三百の兵で押し切れば、撃退も可能では……。
ヴリオ上位大隊長は決して無能ではない。むしろ、上位大隊長としては十分優秀であるといえた。
そういう意味で、彼が不幸だったのは、聖王国の将来の大将軍二人と遭遇し、その二人が覚醒を既に始めていたことであろう。
〔参考 用語集〕
(人名)
ヴリオ(ドクサ地方第五の砦の上位大隊長)
タリオトランク(ドクサ地方第四の砦の中隊長)
ツヴァンソ(マデギリークの養女。クーロの妹。中隊長)
(国名)
ヴェルト大陸(この物語の舞台となる大陸)
ソルトルムンク聖王国(ヴェルト八國の一つ。大陸中央部に位置する)
ミケルクスド國(ヴェルト八國の一つ。西の国)
(地名)
テタントス(ドクサ地方の五つの砦のうちの一つ。『第四』という意味)
(その他)
上位大隊長(上位大隊は五百人規模の隊で、それを率いる隊長)
小隊(この時代の最も小規模な集団。十人で編成される)
中隊(小隊五部隊で編成される隊。五十人規模の隊)
中隊長(中隊は五十人規模の隊で、それを率いる隊長)
ホース(馬のこと。現存する馬より巨大だと思われる)




