【010 ふたりの初陣(二) ~ヘルリン小隊~】
【010 ふたりの初陣(二) ~ヘルリン小隊~】
〔本編〕
「昨日、マデギリーク軍の先遣隊であるカプラ隊が、ミケルクスド國侵略軍の一部隊と遭遇戦となり、その敵部隊を敗退させたという報が届いた! 幸先良い報告ではあるが、これによって侵略軍は、全軍の八割にあたる八千の軍勢をこちらに向けたとのことである。
我らマデギリーク軍本隊も先遣のカプラ隊と合流を果たし、このまま進軍を続ける。マデギリーク将軍は、ここより西へ十キロメートル地点のマリーチィの町のはずれにある荒れ地で軍を展開される予定である。
この荒れ地は広大な上、複雑な地形となっているため、劣勢の我らが敵を迎え撃つには絶好の場所であると将軍は判断された。早ければ明日にでも、侵略軍八千と相対することとなるであろう。
数の上で劣勢な我が軍としては、ここで守りに徹し、中央から派遣される聖王の軍勢を待つ! これが、将軍からの直々の命令である! 明日はいよいよ敵と相対する! 皆、心しておくように……」
これが、クーロが所属している小隊の長ヘルリンが小隊のメンバーに伝えた内容であった。
小隊長のこの言葉を聞き、クーロの顔にも緊張が走る。
エーレ地方に足を踏み入れて、三日が経過した一月二七日。
早ければ明日にでも敵と戦端が開かれる。
クーロにとって初めての実戦が刻一刻と迫ってきていた。
クーロは槍を両手で構え、前方を突く。
敵の騎馬が、クーロの突きにたじろぎ、敵騎兵の槍は、クーロにまで届かない。
そこで敵騎兵は、クーロの側面に回ろうと試みるが、クーロの両脇にそれぞれ槍兵がいるので、それも出来ない。
ここが平地であったなら、あるいは騎馬の突進力で、クーロと自らの槍を絡めた上で、強引に突破することも可能かもしれないが、ここは小さな丘が無数に点在する荒れ地である。
クーロ達は、その丘の傾斜を利用し、騎兵より高い位置から槍を繰り出しているので、騎馬の突進力による強引な突破もままならない。
結局、騎兵はクーロのいるところからの突入を諦め、一旦引く。
しかし、しばらくすれば敵がまた何らかの形で、ここから切り崩そうと画策してくるはずである。
切り崩され、敵に内側に入られれば、クーロの所属する小隊も危機に陥るが、逆に内側にさえ入らせなければ、クーロの所属する小隊の両側にも別の小隊が配置されているので、前面の敵だけに注意を払えばよいことになる。
いずれにせよ、開戦初日の一月二九日――前日の二八日に敵と遭遇はしたが、その日には戦端が開かれず、翌日になって戦端が開かれたのであるが――、クーロは敵の三度目の突進も阻止し、結果、クーロだけでなくクーロの所属している小隊、ひいてはその小隊の周辺の隊は、まだ一人のけが人も出していなかった。
戦いが始まって二時間余り、クーロが初めて経験する実戦である。
クーロの槍は、まだ敵を害してはいないが、クーロも敵からの攻撃をまだ直接受けていない。
戦いが始まった当初は、初めて味わう戦場の空気に息苦しさを覚え、それでも無我夢中で戦い、戦う怖さにも、次第に慣れてきたようであった。
一種のマヒ状態のようなものであろうか……、最初はずっしりと重かった槍も、少しずつ訓練の時のように、自在に動かせるようになり、身体もそれに合わせて動きが軽くなってきた。
それでも始めは無我夢中のため気づかなかった疲れが、二時間を経過したころから次第に感じ始め、戦いが始まった直前とは違う、槍や身体の重さを感じるようになってきた。
「ヘルリン小隊! 一度、後方のガルニャ小隊と入れ替われ! ヘルリン小隊は、一旦後方で休息するように……!」
この一帯を指揮している大隊長からのこの命により、クーロの所属しているヘルリン小隊は、一度前線から下がり、後方でしばしの休息をとる。
ただ、休息といっても、武装を解くわけでなく、その場に腰を下ろし、後方に用意されている水分を補給する程度のものであった。
それでも、二時間槍を構えて敵と相対していたクーロにとって、その休息はものすごく有難く、口にする水分は、今まで感じたことがないぐらい喉に心地よかった。
「クーロ様! 初めての実戦はいかがでありましたか?!」
クーロの左隣で、槍を構えていた付き人のヨグルが、休息の合間に尋ねた。
「ああ。最初は、身体もほとんど動かないぐらいガチガチに緊張していたが、少しずつ落ち着いてきた! 何よりも、ヨグルがすぐ横にいるのが、すごく心強い! まだ、敵に一撃も与えてはいないが、僕も敵の一撃を受けずに、まだ生きている! それが実感できてうれしい!」
普段、どちらかといえばおとなしいクーロが、高揚して饒舌になっていた。
「なんの! 初陣とは思えないほど、クーロ様は落ち着き払っているようにお見受けできます。……とかく、初陣する者の大半は、委縮して普段の力が発揮できないか、あるいは、高揚し過ぎて、普段以上に、それも無駄に動きまわるもの。初陣で命を落とす者の大半がいずれかのため、初陣で生き残ることは、実は大変なことなのであります。
その点、クーロ様は、最初こそ緊張からか本来の動きではありませんでしたが、三十分も過ぎるころには、本来の訓練の時と同じ動きをなされておりました。今回の守りに徹し、敵に付け入る隙を与えないという戦いの本分を、しっかり理解され、かつ実践されておられます。
それは、当たり前だとクーロ様は思われるかもしれませんが、初陣において、それを実行するのが、実はすごく難しいことなのです。わたくしヨグルも、横でそのようなクーロ様を感じることができて、すごく嬉しいです!」
ヨグルも久しぶりの実戦で少々高揚しているのであろう、いつもより表現が過剰であった。
「それにつきましては、私も同じように感じておりました!」
クーロとヨグルの二人の会話に割って入る者がいた。
クーロ達が所属する小隊の長であるヘルリンであった。
「私も最初、クーロ様が自分の小隊に加わるのを聞き、貧乏くじを引いたと思いました」
三十代であろうクーロの所属する小隊の長ヘルリンは、笑いながらクーロとヨグルの話題に入ってきた。
「……いくらマデギリーク様から、クーロ様が亡くなっても、所属の隊長はお咎めなしとは言われていても、やはりクーロ様がこの戦いで亡くなれば、誰かは責任を取らされるであろうと考えておりました。
戦は水物であるため、隊の運用の些細な誤りにより、クーロ様が亡くなったと言い募るは容易なこと。それであれば、最も被害の少ない、つまりは最小軍組織単位である小隊長に、クーロ様戦死の責任を被せるのが最も都合が良いはず。
……であるため、クーロ様の今回の働きは、私の首が繋がった思いで、ホッとしております!」
ヘルリンの半ば冗談とは思えないこの言葉に、その場にいた小隊メンバー全員が、声をそろえて笑った。
〔参考 用語集〕
(人名)
カプラ(マデギリーク軍先遣隊の長)
ガルニャ(マデギリーク軍小隊の長の一人)
クーロ(マデギリークの養子)
ヘルリン(クーロの所属している小隊の長)
マデギリーク(クーロとツヴァンソの養父。将軍)
ヨグル(クーロの付き人)
(国名)
ヴェルト大陸(この物語の舞台となる大陸)
ソルトルムンク聖王国(ヴェルト八國の一つ。大陸中央部に位置する)
ミケルクスド國(ヴェルト八國の一つ。西の国)
(地名)
エーレ地方(ソルトルムンク聖王国の一地方)
マリーティ(エーレ地方の町の一つ)
(兵種名)
ランスポーン(第一段階の槍兵)
(その他)
小隊長(小隊は十人規模の隊で、それを率いる隊長)
ホース(馬のこと。現存する馬より巨大だと思われる)