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【001 奴隷少年】


【001 奴隷少年】



〔本編〕

 彼の生命いのちは、今ここに尽きようとしている。

 彼の瞳に映るのは、複数のヴォルフ。現在のウルフに非常に近い種。

 もっとも、頭から尾の先までの長さが四メートルを超え、足から背までの高さが二メートルに近いそれを、ウルフと同種とみなしてよいものなのか。

 獰猛な性質のその獣が、彼の前にいる。それも七頭。

 十四の獣眼で見据えられているのは、痩せっぽちの少年。今年、十歳になったばかりのクーロ少年であった。

 彼の右手が握っているのは、二メートルの木製の棒。

 クーロ少年に与えられた唯一の武器がそれ。

「死ぬのか……」

 クーロは、誰にも聞きとれないほどの独言を吐く。

 既に諦め以外のなんの感傷も抱かせない状況にありながら、それでも生きたいと、彼は思った。

 クーロからすれば、それほど強いせいへの執着ではなく、……かと言って、全てをゆだねるほどの真剣な願いのたぐいでもなく、ただ単純な、死の直前にあっての『生きる』という“本能”の最後の抵抗であったのかもしれない。

 次に、クーロの瞳に映ったのは、彼に向かって跳びかかってくる一頭のヴォルフの凶悪なかお

 それが彼の視野全てを覆った……。


「……ん?!」

 クーロのまぶたに強烈な光が差し込む。

「ここは……?」

 彼の瞼を開いた目に、初めて見る風景が飛び込んできた。

「部屋の中?」

 そうつぶやきながら、クーロは起き上がる。

 五メートルはあろう高い天井。真四角なその部屋の天井も壁も床も全て真っ白。その壁の一角が真四角に切り取られ、そこから日差しが入り込む。

 その切り取られた部分から、外を見ることができるが、何か透明のまくのようなものに覆われているため、そこから外に出ることは出来ないようだ。

 念のため、クーロは恐る恐るその透明な部分に手を伸ばすと、何か固いそれに当たる。

 多少、力を込めてもそれは壊れそうにない。

 クーロはハッとして、今まで自分が横たわっていたであろうモノに改めて気づく。

 それは、クーロの重みで多少沈んではいるが、まるで雲の上にいるようなふわふわした心地のモノであった。

 彼が今までに感じたことのない感触である。

 少しずつ記憶が戻ってきたクーロにとって、今いる場所がさらに彼の頭を混乱させる。

“僕は、ヴォルフに襲われていた……はず。……では、ここは?”

“いや、僕はヴォルフに襲われて、死んだはず! じゃあ、僕は既に死んでいる?!”

 クーロは頭を左右に強く振る。

“いや! 僕は生きている! でも何故?”

 むろん、クーロはまだ一度も死んだことがないので、死もそれ以後の経験も持たない。それでも、今が死んだ後とは思えない。

 誰かに、何故そう思うと問われても、それをクーロは理論的に説明することは出来ない。ただ、なんとなくそう思うとしか答えられない。

 それでも、まだ自分は生きているという実感は絶対であると、クーロは確信していた。


「おお! 目覚めたようだなぁ~」

 間延びする大きな声が、この白い部屋いっぱいに響き渡り、部屋の壁の一角が切り取られるように開き、そこから二人の男が、この部屋の中に入ってきた。

 部屋の中がまぶしかった故、壁の一角がいきなり四角に切り取られたように感じられたが、ちゃんとそこを見れば、その一角が最初から開閉できる作りであることに気づけたであろう。

「どうだ! 具合は?!」

 先ほどの大きな声が、一人の人物から発せられた。

「はぁ~! 大丈夫です!」

 クーロとしては、事情は全く分からないままであったが、それでも律義にそのように答え、二人の男に視線を走らせる。

 大声の男は、すらっとした長身の中年男性で、黒い口髭をたくわえた精悍な顔立ちをしている。

 そして、もう一人――まだ声を発していない人物は、小柄で、長身の人物よりさらに年齢が上のように見えた。

「……しかし、旦那様の気まぐれには、いつも振り回されて大変でございます!」

 小柄な人物が、初めて口を開く。

「お前の愚痴も聞き飽きたぁ~ もっと気の利いた言い方はできないものなのか!」

 長身の男は、小柄な男にそう言い返したが、特段不快に思っている様子でもなかった。

 これが、この二人のいつもやり取りなのだと、クーロは感じたが、そもそもこの二人は誰なのであろう?

 少なくとも、自分が知っている人物では無かった。

「ん?! 本当に大丈夫か? なにかポカンとした顔をしているようだが……」

「旦那様! 当たり前です。彼からすれば、全く事情がつかめないのでありますから……」

 そして小柄な男はおもむろに、

「クーロ殿! こちらにいらっしゃるお方は、マデギリーク様。クーロ殿がお住いのエーレ地方に隣接するタシターン地方の領主様です。そして、私がマデギリーク様の執事を務めています。名をナヴァルと言います」

「……タシターン地方のご領主様と、その執事様!」

 クーロは、驚きからこうつぶやいたが、事情について、何も解決はされていないので、クーロの頭は混乱したままであった。


 クーロは、エーレ地方の奴隷。このヴェルト大陸の民にすらカウントされない最下層の身分であった。

 そのようなクーロに、隣の地方とはいえ、領主とその執事が、直接声をかける。

 それも、執事であるナヴァルのクーロへの接し方は、奴隷に対するそれではなく、まるで大切な客人に対応しているかのようであった。

「わしはな……」

 執事によってマデギリークと紹介された長身の人物が、クーロに語りかける。

「お前に興味を持った! ……なので、お前を助けることにした!!」

「……」

 クーロはそれについて口を挟まない。

 本来であれば、礼の一つでも言うところなのかもしれないが、クーロには、その礼が発せないほどに、何が何だか分からない。

 助かったという安堵感と同時に、これは何かの罠で、安心させて悲劇のどん底に突き落とそうとする悪意かなにかかと考えていたからである。


 それほどクーロにとって、これまでの人生が悲劇の連続であった。

 彼が五歳の時、両親が戦で亡くなり、両親以外に身寄りのないクーロは、そのまま人買いの手に渡り、エーレ地方の領主デスピアダトの奴隷となった。

 デスピアダトは血も涙もない非情な男で、クーロ始めとするデスピアダトの奴隷たちは、一日二十時間もの労働に従事させられ、その過酷な労働の中、多くの奴隷仲間が命を失った。

 過労死しない者も、些細なミスに咎められ、むち打ちなどの刑により、命を落とした。

 デスピアダトには一人息子ツァンダスがいたが、ツァンダスはデスピアダト以上に残忍な性格で、咎がない奴隷すら殺し、それを心の底から楽しんでいた。

 むろん、領主やその息子の所業しょぎょうなので、奴隷たちにとって、それに抵抗する自由はなく、殺される仲間を、ただ眺めるしか出来なかった。

 クーロとて、それは例外ではなく、自分が生き残るのに精いっぱいで、多くの仲間が死んでいくことに何も出来ようはずがなかった。

 そうして、クーロの心は死んだ。

 心が死ななければ、生き抜くことはできない環境であったから……。

 デスピアダトの奴隷になってから、二年が過ぎたぐらいから、クーロは奴隷仲間が何人殺されても、全く動じない心となっていた。

 与えられた仕事を黙々とこなし、長時間の過酷な労働であっても、ミスなくそれを遂行した。

 そして、感情は死んでいるのに、デスピアダトや息子のツァンダスの言うことに、いつも笑顔を絶やさず、唯々諾々いいだくだくと従った。

 生き抜くためとはいえ、クーロはそんな自分を、血も涙もない木偶でく人形のように思え、そんな自分を嫌悪し、さらにそれに徹せれる自分に恐れた。

 そして、クーロが自分の存在を恐れる時、決まって自分の死を望んだ。大いなる矛盾ではあるが……。


 そんな彼の唯一の救いは、クーロより二つ年下の奴隷少女の存在であった。

 その奴隷少女の名はキャナリといい、クーロが九歳の時に、彼女はデスピアダトの奴隷として、クーロの前に現れた。

 クーロが先輩として、キャナリに仕事を教えることとなり、二人はすぐに仲良くなった。

 最初は全然意識していなかったクーロであったが、徐々にキャナリのことを愛おしく思うようになり、キャナリも、クーロに好意を抱くようになっていた。

 クーロはキャナリといる時だけ、人の感情を持てる自分を実感できた。クーロはキャナリと出会い、ここで生きる唯一の希望を初めて持った。

 しかしそんなキャナリに、領主の息子であるツァンダスが目をつけ、しばしば、キャナリを自分の部屋に呼ぶようになった。

 ツァンダスは、奴隷少女を性処理の道具として呼びつけているのである。

 この時代の奴隷の扱いとして、当然のことであり、クーロにどうすることもできない。

 それでもクーロは、ゆくゆくは領主の許しを得て、キャナリと夫婦になることを夢見ていた。

 しかし、キャナリは、ツァンダスの呼びつけとその扱いに耐えることが出来なくなっていった。

 ある夜、キャナリは脱走を図った。その脱走は失敗に終わり、キャナリはツァンダスの手によって殺された。

 多くの仲間の死に対して無関心でいられたクーロが、その時は怒りから、思わずツァンダスに殴りかかっていた。

 ツァンダスを三発殴ったところで、クーロは駆けつけた領主の家来に取り押さえられ、クーロは、その咎から、公衆の面前においての、ヴォルフの刑に処されていたところであった。




〔参考 用語集〕

(人名)

 キャナリ(デスピアダトの奴隷少女)

 クーロ(デスピアダトの奴隷少年)

 ツァンダス(デスピアダトの一人息子)

 デスピアダト(エーレ地方の領主)

 ナヴァル(マデギリークの執事)

 マデギリーク(タシターン地方の領主)


(国名)

 ヴェルト大陸(この物語の舞台となる大陸)

 ソルトルムンク聖王国(ヴェルト八國の一つ。大陸中央部に位置する)


(地名)

 エーレ地方(ソルトルムンク聖王国の一地方)

 タシターン地方(ソルトルムンク聖王国の一地方)


(その他)

 ヴォルフ(この時代の獣の一種。現在の狼に近い種)

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