愛染
これは、実際にあったかもしれないし、なかったかもしれない。嘘かもしれないし、本当かもしれない不思議な物語。
あるところに、とても純粋で、みんなに愛されていて、そしてとてもかわいそうな少女がいました。
少女にはずっと脳裏にこびりついて離れない恐ろしい記憶がありました。
少女が学校で始めてのテストが返された日のことです。少女はいい点数が取れたこで、大喜びで母親に報告しました。
「あら、よかったじゃない。つぎは満点をとれるようにするのよ。」
そう告げた母親の声はまだ幼い少女にもわかるほどに平坦で、いつも優しく微笑んでいる姿からは想像もつかないほど濃い落胆を顔に浮かべていました。
その夜、偶然目が覚めてしまった少女は不幸にも両親が話しているのを耳にしてしまいます。
「あの子が今日持って帰ってきたテスト、これなんだけどね…」
「__あの子は何といっていた?」
「『75点も取れたのよ。おかあさんほめて』って」
「そう、か…あの子には期待するだけ無駄かもしれないな。」
少女は驚きました。いつも優しいおとうさんとおかあさんはどうしてあんなに怖い顔をして私のお話をしているの?それに、無駄ってどういうことなの?様々な疑問が頭に浮かんでは消えてゆき、彼女は一つの結論ともいえる疑問が浮かびました。
『私はだめなこだから、もうおかあさんやおとうさんにあいしてもらえないのかな』
そう気づいた瞬間、少女の目から大粒の涙がこぼれ落ちました。
まだ幼い少女にとって、両親という存在は世界のすべてともいえるほど大きな存在ということ、そしてこどもは大人が思うよりも大人の言葉をよく聞いているということを両親が失念していたことが、この出来事の要因だったのです。
少女は両親に愛されるために両親が望むままに努力をしました。
少女が頑張ると両親が彼女をほめてくれるので、少女は喜んでますます頑張ろうと思いました。
少女が人助けをすると両親がいい子ね、とほめてくれたので少女はますます人助けをしました。
少女が笑顔でいると両親も幸せそうに笑うので、少女はいつも笑顔でいるように心がけました。
少女が弱音を吐くと両親が悲しそうにするので、少女は明るく楽しい話だけをするようにしました。
___少女は両親が愛してくれる『いい子』になりました。
少女は両親の言いなりともいえる生活に一つも疑問を抱いていませんでした。
両親の望むとおりにしていればみんなもほめてくれましたし、何より、大好きな両親が喜んでくれたからです。
しかし、そんな彼女の考えを改めざるを得ない出来事がありました。
高校受験で、両親が望んだ高校に落ちてしまったのです。
少女は恐れました。またあの時のように両親に失望されてしまうのではないか、と。そして、二度も期待に応えられなかった私は今度こそ見放されてしまうのではないか、と。
その夜、いまだに脳裏にこびりついて離れないあの夜の再現のように両親は話し合っていました。しかし、あの夜とはまた様子が違います。
あの、いつも元気で苦しみや悲しみなんて知りませんとでも言いそうな母が泣いていたのです。
「あの子なら私の望みを、私ができなかったことをしてくれるってしんじてたのにっ」
「ああ。それにあの子なら難関高校に入学し、俺のイメージをよくするのに役立ったはずなのに」
「あの子をうまく使っておかあさまに認めてもらおうと思っていたのにっ」
「あの子が頑張ることで俺たちはより高みに上るはずだったのに」
「「あの子があんなに使えないと思わなかった」」
少女の頭の中には二人の言葉がぐるぐると駆け巡っていて、両親への様々な感情が入り乱れてもうぐちゃぐちゃでした。
「両親のあのやさしさは、私が頑張れば自分がいい思いをできるからだったの?」
「私がいい点を取った時にほめてくれたあの笑顔も、私が苦しい思いをしたときに抱きしめてくれたあのぬくもりも、私がいけないことをしてしまったときに本気で怒ってくれたあのあたたかい厳しさも、ぜんぶぜんぶ偽物だったの?」
優しくて大好きな両親が、実は自分の利益しか考えていなかったと知り、生きることの原動力にもなっていた両親に失望してしまったことによりもともとつぎはぎでどうにか保っていた少女の心はばらばらに壊れてしまいました。
ずっと両親に愛されるためだけに必死にしまい込まれていた負の感情が、急に抑えるものがなくなったらどうなるのでしょうか?
答えは簡単。決壊したダムのようにあふれだします。あるいは火山のように大爆発を起こす、とも表現できるでしょう。
つまり、身近なものからどんどん壊していくというわけです。
皮肉にも両親によってもたらされた知恵や技術を駆使して、少女はとどまることのない激情を両親にぶつけます。 人の弱いところを的確に見つける方法、人体の構造、行動心理学。そういった両親が自身に与えたあらゆる力を使い、自らが感じてきた苦しみや悲しみを両親に全身で伝え、そして自分のココロと同じように最後には心の臓を貫き殺してしまいました。
それから少女はヒトを、自分の肉親を殺したという事が信じられないくらいに冷静に、このままではいけないと考えました。
『人を殺したのだから当然法律に裁かれる。しかし、私はもうこれ以上苦しい思いなんてしたくない。ならば、眠りにつこう。そして、覚めることのない永い夢の中で大好きでシアワセだったあの頃に還ろう』
少女はもう動かない両親を見つめ、それから二人の間に寝転がると幸せそうな笑みを浮かべながら両親にそうしたように心臓に包丁を突き立てました。
【速報です。
今日未明、××県××市在住の夫婦の遺体が発見されました。
警察によると死因は包丁のような刃物で心臓を刺されたことによる失血死と見られています。
犯人の目処はたっておらず、警察は少しでも多くの情報提供を呼びかけています。
続いて、不治の病と言われた少女、奇跡の完治】
プツン。音が響いてテレビの画面が真っ暗になる。
一瞬静まり返った部屋で、女性がやや心配そうな顔をして少女に語りかける。
『ねぇ、本当にこれで良かったの?
…君が存在していたという事実を消し去ってしまうなんて、なかなかな覚悟がないとできないと思うんだけど』
「はい。あのまま警察の捜査がされればおとうさんとおかあさんがしていたこともバレてしまう。でも、私はふたりのことを罰さないで欲しいから」
『ふーん。つくづく、ニンゲンって不思議な生き物だよね。嫌なことされたけど罰は望まない、とか本当に不思議』
そう言うと少女は自嘲気味に少し笑い、それから立ち上がって言う。
『まあまあ、別にいいじゃないですか。
それよりほら、覚悟が出来たので早く連れて行って下さいよ。
…私を愛してくれる人の所へ、さ』