あづさ弓
この作品は、古典『あづさ弓』の二次創作です。作者の勝手な自己解釈のため、本来の話と違うところがあるかもしれません。(まず、主人公の名前がオリジナルです。夢小説ではありません。)苦手な方は、お戻りください。
__すすきの穂が、緩やかな風にゆらゆらと流されるように揺られている。田んぼが広がる中、大きな屋敷が1つ。__
まだかなぁ......。
清奈は、独り部屋の明かりを消して、静かに空を仰いでいた。漆黒へと変わりつつある空には、白銀に輝く満月が浮かんでいる。
彼女には、夫がいた。3ヶ月前に、宮仕えに行くと彼女に言い残していった夫が。別れを惜しんで出かけたはずなのに、もう3ヶ月も帰ってこない。
夫婦の決まりでは、3ヶ月夫が妻の前に姿を現さなければ、離婚しても良いことになっている。
しかし、長い間ずっと愛していた夫を、簡単に捨てるようなことは、あまりしたくはない。
きっと、仕事が長引いているだけだと、自分に何回も言い聞かせた。しかし、そろそろ待ちくたびれたのも事実。
ふいに、すすきの擦れる音が聞こえてきた。
ああ、また彼が来たのね......。
夫が消えてから、そんな情報をどこから仕いれたのか、1人の男が夜な夜な来るのだ。そして、決まってこう言う。
「私と結婚してくださいませんか?」
もう何回も聞いたその声。しかし、声音はとても真剣で熱心だった。
清奈は、もう夫を待ち続けるのに飽き飽きしていた。もしかしたら、もう違う女性のところに行ってるのかもしれない。それなら、彼の手を取っても文句はないだろう。
「……はい。」
清奈は、ゆっくり頷いた。
今夜、彼と約束をした。いよいよ、今日が結婚する日。
いつものように月を眺めていれば、すすきの擦れる音。
清奈は、彼を部屋に上げた。そして、話しかけようと、手を伸ばした時だった。
トントントン
誰かが戸を叩く音。続いて、声。
「清奈?いるのでしょう?この戸を開けてください。」
清奈は、さーッと血の気が引くのを感じた。
声の主は__清奈の3ヶ月前にいなくなった夫だった。
どうしよう、部屋に上げれば、浮気したのだと思われてしまう。しかし、これを隠す嘘を、長年寄り添ってきた彼につくのは、気が引ける。
迷った挙げ句、正直に言うことにした。顔が見えぬよう、戸は開けずに。
__あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ__
「三年という間、あなたのことを待ちくたびれて、ちょうど今夜、私は新しい夫と新枕するのです。」
少し挑発的に言ってみた。彼が怒って、新しい夫から自分を奪い返そうとすると予測して。
しかし、返ってきた言葉は、清奈の予想外だった。
__あづさ弓ま弓つき弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ__
「長い年月の間、私があなたにしたように、新しい夫を愛し親しみなさい。」
清奈は、はっとした。彼は、新しい夫から自分を引き剥がそうとしないのだ。嫉妬すらせずに、新しい夫に易々と渡すつもりなのだ。
土を踏むジャリジャリとした音が微かに聞こえる。
清奈は、戸を開けると、彼の背中に向かって叫んだ。
__あづさ弓引けど引かねど昔より心は君に寄りにしものを__
「梓弓を引くか引かぬか、あなたが私の心を引こうが引くまいが、昔から私の心はあなたに寄り添っていたのに。」
これが、清奈の本心だった。何とかして、彼を引き留めたかった。このまま終わってほしくなかった。
しかし、彼がこちらを振り向くことも、足を止めることすらもしなかった。
清奈は、新しい夫の制止も聞かずに屋敷を飛び出した。彼の後を走って追いかける。このままでは、この恋が終わってしまう。そんな悲しいことなど、あってはならなかった。
どれくらい走っただろうか?彼の姿は、とっくに闇の中に消えていた。
普段こんなに歩かないどころか動かないので、清奈は疲れはてて清水のあるところで、遂に倒れてしまった。
もう、動くことは億劫になっていた。このまま、冷たい風に打たれて死ぬのか......?
清奈は、それを振り払うように右手の指を、かろうじて動かした。いつ怪我したのだろうか?指からは血が出ていた。
清奈は、血で濡れた指で、近くの大きな岩に触れた。そのまま、そこに文字を書いていく。
__あひ思はで離れぬる人をとどめかねわが身は今ぞ消えはてぬめる__
「互いに愛し合わないで、離れていくあの人をとどめることができないで、私は今ここで死んでしまいそうだ。」
もう指すらも動かせなかった。冷たい風に吹かれ、体がどんどん冷えていく。
しかし、清奈は寒さは感じなかった。そのまま、重くなっていく瞼をゆっくりと閉じた。