7月7日
今年の7月7日は葉川喫茶にとって初めてのイベントの日だった。
だから、浮かれていたのだ、マスターは。
店内を飾り付けし、クラッカーで山田くんを待ち構える。
この作戦には大林さんも協力してくれるはずだったので、クラッカーの後にはケーキが入場する予定だった。
マスターの予想では、ドア付近で驚き立ち尽くす山田くんが見れたはずだった。ところがどうだ、ドア付近には驚いて腰を抜かし、腰を強く打ちつけ動けなくなっているオヤジがいるではないか。…頭にはマスターが放った大量の紙吹雪が乗っている。
「大林さん…私やっちゃったみたいです」
「全く…ちゃんと見てからクラッカー鳴らしてくれよ、マスター!老眼か?老眼なのか?」
「申し訳ない…つい紐を引っぱってしまい…」
マスターは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「大丈夫よゥ!クラッカーはまだあるんだし!テっちゃんにもいい刺激になったんじゃないィ〜?」
大林さんは声高らかにそう言って、オヤジの方をニヤニヤと見つめた。
オヤジは長椅子の上で腰をさすりながら横になっている。
「ふざけんじゃねぇよ!この前ギックリやってから医者に安静にしとけって言われてたんだよ!!」
「本当に、申し訳ない…」
マスターは深々と頭を下げた。
「あ、いやマスターに言ったわけじゃ…頭を上げてくれ」
「テっちゃんマスターいじめてるゥー!マスターかわいそォ〜」
「あぁん?」
オヤジは大林さんを睨みつけ、立ち上がると拳を握って右足で床をダン!と踏んで凄んでみせた。
グキッ!
「いってぇぇぇぇぇぇえ!」
オヤジが凄い勢いで転がり、大林さんが笑う。そんな光景を見てマスターもついつい笑ってしまう。
「くそぅ、マスターまで笑ってやがる…」
マスターは笑いながらも完全に腰が引けているオヤジに肩を貸し、立ち上がるのを手伝う。
一通り笑い終えた大林さんははたとマスターを見た。マスターはオヤジを席に横たわせている。
「そういやマスターはギックリ腰とかないのォ?」
「そうですね、最近はないですね。…毎朝体操しているからでしょうか」
オヤジはマスターに支えられゆっくり横になり、息を整えている。
「えーどんな体操?」
「普通のラジオ体操ですよ、あの、夏休み中に子供がやるような」
カウンターにいる大林さんは子供の中にいるマスターを想像したのだろうか、ハンカチを口に当てながらふふふ、と小さく笑った。
「俺もやってみようかねぇ、体操…」
オヤジはさっきまでとは打って変わって弱々しい声を発した。
「テッちゃん、腰痛い時に動かすのはダメだよォ、余計悪くするよ!」
「うーん、そうか……」
オヤジは腰をさすりながら言った。だいぶ辛そうだ。
「あ!そういやテッちゃん今年龍踊りするんじゃなかったァ?大丈夫なの?」
「それ"来年"な、全く…今年は祭り自体がねぇじゃねえか、しっかりしてくれよ」
オヤジはハー、とため息をつくと腹の前で腕を組んだ。もちろん横になったままである。
「龍踊り、ですか」
マスターは首をかしげた。
「あれ、マスター見たことないの?
あらァそれは勿体ないわァ!今ちょうど龍踊りのDVD持ってるけど見る?見る?」
大林さんは大きな身体がマスターに迫る勢いで喋った。マスターの顔には無数の水滴が付着したが、マスターは大林さんに怒る素振りも見せずにハンカチでそっと拭った。
「そうですね、待ってる間暇ですし見ますか。DVD、ここに入れてもらえます?」
マスターがそう言うと大林さんはDVDをプレイヤーの中に入れ、ドガッと椅子に座り直してから備え付けのリモコンの再生ボタンを押した。
DVDの内容は、獅子脅しにも似た龍のようなお面を被った男が、お面についている龍の白髪と、手に持つ笹と竹(装飾されたもの)を互いに交わらせながら点々と置かれた火の中を駆け回るといったものだった。
白髪も竹もかなり長いものであったが、舞い手は1度も火に触れされること無く、踊りきった。
マスターは凄い、と単純に感動もしたが、同時に舞い手に畏怖を覚えた。なぜこんなことが出来るのか、と。
「どう?よかったでしょォ〜!!」
DVDが終わり、大林さんが尋ねる。
「そうですね、すごい躍動感でした…これをテツさんが来年やるんですか…」
「おう、やってやんぜ」
オヤジは少し身体を起こしていて、もう腰を押さえてはいなかった。窓からは柔いオレンジ色の光が射し込んでいる。
ふとマスターが時計を見上げると、時間は既に六時半を指していた。
「もうこんな時間かぁ…、来ねぇなぁ少年…」
同じように時計を見ていたオヤジが言う。
「来ないですね…来てくれると思っていたんですが」
「そうねぇ、残念だわァ…今日はケーキ食べるために間食控えたのに…!」
大林さんはケーキを持ち上げると、愛しそうに見つめた。
「ケーキはまた今度だな!」
オヤジは嫌に嬉しそうにニカッと笑った。
「まぁ、伝えていませんでしたし、次山田くんが来た時に食べるとしますか」
大林さんは仕方ないわね、と言うとそのケーキをマスターに渡した。
マスターは受け取ると、ケーキの上のお誕生日おめでとう、と書かれた白い砂糖菓子のプレートを見つめ、待ってます、と小さく呟いた。
ケーキを見て喜ぶ少年を思い浮かべて。
しかしその後、そのケーキが山田くんに食べられることは無かった。




