客②小説家の男性
「〜〜〜」
バラードが流れる店内で男がテーブルを磨くように拭いている。男は口元にきちんと整えられた白い髭を生やしており、服装は白のYシャツに黒のカフェコートを腰に巻いていて、目は細くその姿は弱々しい_____この人物が葉川喫茶のマスターである。
マスターが一通り店内のテーブルを拭き終えると、一仕事終わったといわんばかりに席に腰を下ろして作り置きしていたコーヒーに手をかけようとした。
「すみませ〜ん、あの…今ってやっていますか」
「いらっしゃいませ。はい、やっていますよ」
マスターは手を引っ込め、くるりとドアの方に反転し、落ち着いて対応した。…今コーヒーを飲んで一息つこうとした人とは思えない。
「お好きな席にどうぞ」
マスターにそう言われた男は、店内を見渡して一番奥の席に座った。彼は大きな鞄を傍らに置き、顎を弄りながらメニューをまじまじと見つめた。
「この、本日のオススメコーヒーって今日はなんですか?」
「はい、本日はブルーマウンテンとなっております」
そう言ってマスターは先ほどのコーヒーをちらりと見た。
「じゃあそれでお願いします」
「かしこまりました」
丁寧にお辞儀をするとマスターはコーヒーを見つめ、両手で大事そうに持って厨房へと向かった。
男はそれを見届けると鞄からパソコンを取り出して何やらカタカタとやりだした。
店内はバラードの歌とカタカタという音が快調に流れ、だんだんと厨房の方からコーヒーの良い匂いが漂い始めた。
いつの間にか男はパソコンを閉じ、全身で匂いをかぐように身体を伸ばしている。
「いい店ですね、知らなかった自分が恥ずかしいぐらいだ」
「そう言ってもらえると嬉しいですね」
「こういうのもあれですが、静かで小説も書きやすいです」
男が笑い、マスターも静かに微笑する。
「小説、書かれているんですか」
厨房からでたマスターは男の頼んだブルーマウンテンを彼の前へ置き、そう訊ねた。
「あぁ、はい。一応本も出してるんですよ…まぁ、売れてるとは言えませんが」
「……●●●っていう本なんですけど、知らないですよね?」
男はそう言うと、鞄の中に手を突っ込んで、一冊の文庫本を見せた。
「これです」
「…すみません、存じ上げませんね」
「……」
「でも、読んでみたいです。その本はおいくらなんですか?」
マスターのその言葉に男は元気になり、立ち上がるとマスターの手に本を押し付けた。
「どうぞどうぞ!お金なんかいらないので読んでみてください」
「…いいのですか?では、ありがたく頂きます」
マスターは礼を言うと、軽く頭を下げ、男の差し出した本を受け取った。
男は本を渡せたことに満足すると、コーヒーを一気に飲んで、
「こうしちゃいられない、さっき完成した原稿、今日中に担当さんのところに持っていかなきゃならないんだった。
コーヒー、ご馳走さまでした。また新しい本ができたら持ってきますね」
男は嬉しそうに言いながら、鞄の中に乱暴にパソコンを詰め込み、せかせかと立ち上がった。
「はい、待っております」
マスターがそう言うと、男はまた満足そうに笑い、足早に出ていった。
彼が出ていくと、マスターはすっかり冷めてしまったコーヒーを一口飲み、彼にもらった本を読み始めた。
僕は自分のカップが空になっていることに気づき、コーヒーのおかわりを頼もうとしたが、マスターのコーヒーが一口分ほどしか減っていないことにも気づき、それをやめた。
喉がからからになってきて、流石にそろそろ頼もうかなと思い始めたとき、マスターがようやく本を読み終えたようで、本を閉じて、僕の方を向き、
「いい本でした、知らなかった自分が恥ずかしいぐらいです」
そう言って微笑んだ。




