7月6日
やめろ、やめろってば…!
僕、沼田洋二は苛立っていた。目の前で笑いながら軽くじゃれあっている星野と竹内に対して。じゃれあっている、というのも僕の苛立ちから誇張した言い方なのかもしれない。彼らはただ楽しげに喋っているだけだ。
「ふふふ…なにそれおっかし〜」
「だろ?それでさ…」
僕は本を読んでいるふりをして、横目で二人をじっと見ている。二人は僕の視線に気づいてるのだろうか。
「そのオバチャンはそのままそこ入っていったんだよ」
「あはは!」
僕は笑いそうになったが、自然と笑うのを堪えた。
少し前までは自分も一緒に笑っていたはずなのに、星野が竹内さんに告白する心持があることを知ってから、なぜか二人の前で笑うことを躊躇してしまっている。そして今も、この本を早く読みたいから、などと変な理由を作って二人を避けてしまっていた。なんだか二人を他人の様に感じていたのかもしれない。
それなのに、とても二人の会話が気になってしまう。自分は本当にどうしようもない馬鹿だと思った。
僕の頭上では古いクーラーがカタカタと音をたてて冷たい風を送り込んでいる。暑くはないが、金具が壊れて垂れ下がっているカーテンの隙間から、太陽が鬱陶しいほど僕の顔を照らしていた。
僕は読まない本を開いているのも馬鹿馬鹿しくなり、パタンと本を閉じた。
「お、洋二。読み終わったか?」
「ん、いや。ちょっと目が疲れて…」
「沼田くん、今日帰りに三人で中央通りの本屋さんに行ってみない?あそこおっきいから沼田くんの探してた本もあるかもしれないし!」
僕はちらりと星野を見た。
「んー…ごめん、今日は家の用事があって…二人で楽しんできて!」
「おいおい、そんな気をつかわなくてもいいぞ洋二。たまには三人で遊ぼうぜ」
「……いや、今日は本当に用事だよ。星野に気なんかつかうもんか」
「少しは優しくしろよォ!おい!」
そう星野が吼え、竹内さんはくすくすと笑う。
僕は少し口角を上げた。星野は僕を見てにひと笑った。
僕は胸がチクリとした気がした。
「じゃあ洋二、また明日な!」
「あぁ明日な」
「沼田くんまた明日ー!」
「んー!」
校門の前で二人と別れると、途端に虚脱感に襲われ、景色が流れていくのをただ呆然と感じながら右足と左足を交互に前に出すという行為のみを繰り返していた。
何をしているんだろう僕は…
僕は俯いて足を止めてしまった。
また失うのか。
だってどうしようもないじゃないか。僕は…だって病気なんだもの。やっぱり父さんの言う通りだった。
僕はぐるぐる、ぐるぐると思考する。周りの景色も回っているようだった。
ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる
あぁ、もうダメだ。思考混ざりあって、何を考えているのか分からない。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
ぁぁ……
「山田くん?」
突如聞きなれた声が聞こえ、僕は現実に引き戻された。目の前でマスターが不思議そうにこちらを見ている。
「寄っていきます?」
マスターがドアを開いた。中からいつものバラードが聞こえてくる。よくよく周囲を見ると、自分が立っていたのは葉川喫茶の前だった。適当に歩いていたらここへ来てしまったのか。僕の足は勝手に動き出し、店内へと歩んでいく。そして僕の身体を優しい香りが包みこんでゆく。
「いらっしゃいませ」
マスターはそう言って、僕を笑顔で迎えてくれる。
ほんとにいい店だな…。
「おや、ありがとうございます。そう言ってもらえるとマスター冥利に尽きます」
「あれ、声出てました?」
恥ずかしいなぁ、と思いながらまた笑った。するとマスターはこれまたいつもと変わらぬいい笑顔でこう言った。
「出てましたよ。
…ちなみに、さっきのぐるぐるぐるぐるも声に出てました」
「なッ!?」
僕は思い切り机に頭を叩きつけた。更に変な声が出てしまった。
「……でねェ、沼田さんとこの病院がねェ、」
窓から差し込む夕陽が眩しくて、目をゆっくり開けながら顔を手で覆った。
…どうやら、頭を強く打ちつけ過ぎて気絶していたようだ。
恥ずかしさはどこかに飛んでいて、頭が代わりにズキズキと痛んだ。やりすぎた…
「………」
見ると時計は6時半を指している。日付は7月6日のままだった。
明日学校に行くのが憂鬱だなぁ…
「あらァ、いたのね。俯いてたからわからなかったわァ」
「ちょっと嫌なことがあって…」
「だいぶ疲れているようだね、この前のあれかい?山田くん」
「はい…ついに告白をするそうです…」
「あらァ!告白!それは大問題ねェ!じゃあ告白する前にあなたが先にしちゃいなさいよォ!男は気合よ!気合い!」
「………」
「そうですね。気合いはともかく、自分の気持ちを相手に伝えてみればどうでしょうか。しっかりと伝えれば、相手にもちゃんと届くはずです。」
「告白してだめでも、星野とは友達でいたいんです」
「大丈夫ですよ。明日は年に一度、願いが叶う日です。きっと叶いますよ」
「そうよォ!それにもしも振られても私たちが慰めるてあげるわァ、ねっ!マスター!」
「そうです、いつでも来てくださいね。なるべくいい知らせが聞けるのを待ってます」
僕は苦笑いした。だけど、僕はもう恥ずかしくも憂鬱でもなかった。
うん、明日告白してみようか。七夕、いや僕の誕生日に。