第三章:双刀炎舞③
漆黒の空に浮かぶ金色の月。活気に満ち溢れた町も今は眠りへと就き静寂に包まれている。そんな眠りに就いた町を移動する一つの影。屋根から屋根へ。その間実に数メートルも離れているにも関わらず地を蹴り跳躍すれば、その身体はまるで羽のように軽々と舞い上がり音もなく着地点へと降り立つ。
月光を浴びた彼女――“黒薔薇”は今日の獲物を探していた。夜にもなれば町の治安を守る為に警備に出ている兵士達も少なくなる。その時間帯に限り、このキリュベリア王国では数々の犯罪が増えた。強盗に始まり強姦及び殺人、果てはキリュベリア国王暗殺計画……数え上げればキリがない。その犯罪を国を守る兵士達の目が届いていない部分を、“黒薔薇”は彼らに代わって未然に防ぎ貢献してきた。
今夜も一人、誰にも見つからないように気配を殺し、足音を殺しながら、夜の城下町を見回る。そして今宵の標的が彼女の目に飛び込んできた。
子供達や恋人達で賑わう噴水広場。夜になれば誰一人いない筈のその場所に一人の少年が腰を掛けている。月明かりによってハッキリと照らし出されているが、フードを深く被っている為顔は勿論性別を知る事は視認しただけで見るのはまず不可能。だが“黒薔薇”は彼を知っていた。
獲物を見つけたと言わんばかりに口元を緩め、“黒薔薇”は噴水広場へと降り立つ。
段差に腰を掛けている少年へと歩み寄る“黒薔薇”。
対して少年は動じない。寧ろその逆。まるで待っていたと言わんばかりにゆっくりと立ち上がった。
「お前がキリュベリア王国で噂になってる“黒薔薇”か。夜の町を徘徊しては犯罪を未然に防ぐ正義の味方らしいけど、俺は一体何かお前の目に引っ掛かるような事はしたか?」
「このような時間に一人何をしていたのかきちんと説明出来ますか? 法律として夜間帯に一般市民及び来訪者は外を出歩いてはならない事になっていますが」
「えっ? そんな法律があったのか……それはマジで知らなかった――でもそれを言うならどうしてお前はいいんだ? 見た感じ一般市民にも見えないし……もしかして一般市民以上の階級だったり? まぁ仮面付けて深夜徘徊しているんだからどちらにせよ普通じゃないわな」
「……そう捉えてもらって結構です。宿を取っているのなら直ぐに戻りなさい、そうすればこの事は不問に処してあげます」
「そいつはどうも……って訳にはいかなそうだな」
「何故?」
「それだけ荒々しい闘気をぶつけられたら、素直に逃がす気はないって言うのは誰だってわかるだろ」
「……あら、気付いていた?」
少年に指摘され、“黒薔薇”は素の口調で言葉を返した。
犯罪を取り締まるのはあくまで二の次。真の目的は強者と戦い己の強さを確かめる為、即ち腕試しをする事が彼女の行動原理であった。そして今宵の獲物は今まで相手をしてきたどの犯罪者よりも期待が持てる。そんな相手を見逃す気は“黒薔薇”の中には一切なかった。腰に差している二振りの木剣と剣以上彼もまた一人の剣士。ならばどちらの腕が上か比べる為に競い合う。剣士とはそう言った生き物なのだ。故に、例え目の前の少年が何も悪事を働こうとしなくとも手合わせしたい。“黒薔薇”は仮面の下で不敵な笑みを浮かべた。
「俺としては無益な戦いはしたくないんだよなぁ――やっぱり見逃してくれない?」
「お断りよ」
“黒薔薇”は地を蹴り上げ、腰に携えた剣を抜き放った。
月光を浴びて光輝く刃が、少年が抜き放った木剣によって阻まれる。
「変わった木剣ね。私の剣結構な業物の筈なんだけど」
「木剣じゃなくて木刀な――これは人を殺さない為の非殺傷武器だ。木で出来ていると言ってもその硬さは鋼鉄並み。そしてちょっとした能力が付与されているから、俺の攻撃には喰らわない方がいいぞ」
「上等じゃない!」
木刀と剣が交差する。双方の刃が交差する度に“黒薔薇”は嬉しそうに笑みを浮かべた。それは彼女の期待通り、今宵の獲物が過去手合わせしてきたどの相手よりも強い男であったからだ。
二十八合目となる打ち合いの末、“黒薔薇”は鍔迫り合いへと持ち込んだ。
「……何故本気を見せないの!? 私が女だから!?」
「見せる必要がないからだ。後女とか関係ないから」
仮面の下で苛立ちの色を顔に浮かばながら不満を吐き出す“黒薔薇”に対し、少年は涼しげに答える。
一寸の隙も見せず、その剣技は流水のように見る者を魅せる滑らかで無駄のない柔の剣。しかし少年は守りこそ完璧ではあるが全く攻める気配を見せない。その証拠に発せられる闘気も小川のように穏やかである。
彼には先も口にしたように戦う意思がない。即ちそれは全力で挑んでいるにも関わらず手加減をしていると言う事。
“黒薔薇”は舌打ちを零し大きく間合いを空け鍔迫り合いを自ら解くと剣の構えを変えた。オードソックスな中段の構えから、剣の切先を相手に向け狙いを定めるように大きく腕を引いたその構えは片手突きの構えである。
「必殺技ってか?」
「この技は貴方には絶対に避けられない。そろそろ貴方も本気を見せたらどうなの?」
「必要ない。俺にとってこの戦いは無意味、それにこれ以上チャンバラしてたら流石に夜間警備している連中に気付かれる。それはお互いにとって望んでいない事だ。だから俺はこれ以上戦わないし、お前は必殺技を出せない。違うか?」
「さぁ、どうかしらね?」
「だったら一撃で俺を仕留めろよ? じゃないと、俺はお前の正体をあちこちに言い触らす事になるからな――キリュベリア王国のお姫様」
「ッ!?」
少年の言葉に“黒薔薇”は激しく動揺した。何故彼が自分の正体を知っているのか、と疑問を抱き――それが彼のハッタリで作戦だったと理解した時には既に、少年の姿が眼前にまで迫っていた。罠に嵌められ生んでしまった一瞬の隙。その隙に少年の繰り出した刺突が防御不可能な距離にまで達していた。
鈍い音が夜空へと響く。刺突によって弾かれた“黒薔薇”の纏っていた仮面。その仮面が外され素顔が月光によって曝け出される。
「わ、私が敵からの攻撃を許してしまうなんて……」
“黒薔薇”は動揺を隠せなかった。直接的なダメージを負っていないとは言え相手から一太刀を浴びたのは彼女にとって生まれて初めての経験でもあった。
過去戦ってきた相手は何も雑魚ばかりであった訳ではない。指名手配されている危険度Sランクの凶悪な魔導士を相手にした事もあれば、人間に化けていた悪魔と戦った事もある。どれも一端の相手では手に負えない連中を彼女は一人で、誰にも気付かれる事無く倒し続けてきた。
その無敗神話に終止符を打つ可能性を秘めた相手と今自分は戦っている。
防御に徹していた少年が刺突を繰り出した瞬間、穏やかだった闘気が一変。その勢いは吹き荒れる嵐のように猛々しくありながら研ぎ澄まされた刃のような闘気へと姿を変えた。たったの一撃、されどその一撃に込められた闘気を肌で感じた事で理解する事が出来た。
彼は強い。自分と互角或いは……それ以上に。
「……フフ」
“黒薔薇”は笑っていた。
負けるかもしれないと言う恐怖、真の強者と出会えた事による歓喜。二つの感情が混ざり合い心の内から留まる事なく高揚する魂。
このままもっと続けたい。そんな思いが心を支配されそうになり――
「それがお前の正体か。確かに美人だな、だって昼間に一度会ってるし」
「ッ!?」
少年の言葉に“黒薔薇”はようやく素顔を露にしている事に気付き慌てて手で顔を隠した。無論少年には見られ顔を憶えられてしまっている。
“黒薔薇”は焦った。彼の言う通り素顔を見られてしまった以上黒薔薇の正体を言い触らされてしまう。そうなれば自由を失う事になってしまう。それだけは何としてでも避けなくてはならない。
口封じの為にここで消すか――それは恐らく不可能。“黒薔薇”は即座にその選択肢を捨てる。
少年の実力は未知数。実際に剣を交えているからこそ相手が手加減をして戦っているのは誰でもわかる。最初から本気で挑んでくるのならわざわざ非殺傷武器である木刀を使って戦う必要はない。
ならば先に此方から全力を仕掛け相手が本来の力を発揮する前に潰す。自身が持つ最大の技を使えば勝てる――が、“黒薔薇”は今日初めて己の技に疑問を抱いた。果たしてあの少年に自分の技が果たして通用するのかと。
どんな相手であれ一撃で葬り去ってきた技試行錯誤を繰り返す中で編み出し長年掛けて磨き上げてきた。やがてそれは絶対の勝利を齎す自信の象徴とも化した、が……今回の相手に対して己が勝利するイメージを描く事が出来ない。
そろそろこの噴水広場に見回りをしている兵士が巡回にやってくる時間が迫ってきてもいる。“黒薔薇”の中に焦りが生じる。
目の前の敵を一撃で倒せればそれでよし。外せば失敗すれば騒ぎを聞きつけて兵士達が即座にやってくる。“黒薔薇”である以上彼らにとって自分は敵であり、正体を晒せば結局自由を剥奪され意味がない。
もう一つ選択肢がある。
逃走。敵を前にして保身の為に逃げる。
幸いにも相手に戦意はない。従って逃げたとしても追跡や背後から強襲を仕掛けるような事はまずないだろう。だが敵を前にして自ら敗北を認め逃走すると言う行為は“黒薔薇”にとって無敗を築いてきた剣士としての誇りを大きく傷付ける事も意味する。
「クッ……」
時間が迫られる。
闘争か、逃走か。
誇りを取るか、それとも自由を取るか。
「“黒薔薇”、交渉次第じゃお前の正体を黙っていてもいいぞ」
「えっ!?」
少年からの突然の交渉に“黒薔薇”は困惑の色を顔に浮かべた。
「実はな、俺がこのキリュベリア王国に来たのには訳があるんだ。それはキリュベリア王国の姫……お前には俺達と一緒に来てもらいたい」
「私を……!?」
「そうだ。まぁ詳しい話はお前が大人しく引き下がってくれるって条件を呑んでくれたら、になるけど」
「……もし私がその条件を呑まなかったら?」
「お前は呑んでくれるよ――まぁもし呑んでくれなかったら言い触らし回るだけだ」
「…………」
暫しの静寂が流れ――“黒薔薇”は剣を鞘へと収めた。
「……ならこっちにも条件があるわ」
「なんだ?」
「今回は私の方から引く。でも決して負けた訳じゃない。だから必ず私と再戦しなさい……それが条件よ」
「やれやれ。キリュベリアのお姫様がまさかこんな戦闘好きとは……誰も思わないよなぁ普通。俺の中のお姫様のイメージが一気に崩れたよ」
「わ、悪かったわねお淑やかじゃなくて!」
「それも個性の一つだ――OK、それじゃあ交渉成立だな。詳しい話はまたこの時間に噴水広場で落ち合えるか?」
「いいわよ。それじゃあまた夜に……」
「了解だ。じゃあなお姫様……じゃなくて今は“黒薔薇”だったな」
木刀を腰に差し走り去っていく少年。その後ろ姿を見送った後“黒薔薇”も噴水広場を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆
キリュベリア王国を訪れてから初日目の夜。ハルカは一人眠りに就いた町へと出た。キリュベリア王国には午後九時より一般市民及び来訪者は外出してはならないと言う法律が定められている。勿論これは夜に犯罪等を起こさせない為でもある。
このルールを破れば即刻捕らえられる。特に魔人と言う事がバレれば死刑は免れない。仲間であるフレイア達も同罪として連帯責任として死刑される可能性は充分にある。
そんな危険を冒してでも夜に出歩いたのはキリュベリア城へと潜入する為の下調べ。夜になれば明かりも限られ視界が日中と比べ悪くなるのは言うまでもないが、それは相手とて同じ事。暗闇を味方にすればそれは大きな武器ともなる。
既に潜入任務は始まっている。
従って夜間警備の数、巡回ルート及び交代時間等を入念に調べていた。気配と足音を殺し、物陰に潜み時には某英雄のようにダンボール……はないので木箱を代用品として使い警備の目から逃れながら情報を収集していく。
そして一通り情報を集め噴水広場で小休止を兼ねて情報を整理していたところに噂となっている“黒薔薇”と遭遇し、不審者と言う理由で勝負を挑まれた。
その彼女と今晩、もう一度会う。
「――こちらハルカ。これより潜入任務を開始する」
誰に言う訳でもなく一人身を潜めている木箱の中で呟く。
ハルカは再び夜、眠りに就いた城下町へと出た。巡回している兵士達の目を掻い潜り目指す場所は昨晩“黒薔薇”と刃を交えた噴水広場。
「女性を待たせるなんて、殿方として失格だと思うけど?」
噴水の縁に座っている“黒薔薇”が呆れた様子で口を開いた。
“黒薔薇”として正体を隠す為の仮面を纏っていない彼女の素顔が水色の長髪と共に月光によって美しく照らし出されている。
「悪いな。具体的に何時にって時間を決めておけばよかった」
「まぁいいわ。それで、早速聞かせてもらうわよ――それより」
「?」
「本当に貴方、言い触らしてないのね」
「なんだいきなり。お前はちゃんと条件を呑んでくれたんだ、だったら約束破る訳にはいかないだろ」
「私が約束を破って城に戻った後貴方の事を報告したとは思わなかったの?」
「仮にも王族の血を引く人間がそんな卑怯な事をするとは考えにくかったし、それにお前自身もそれは考えてなかっただろ?」
“黒薔薇”がキリュベリア王国の姫だと戦いの最中でカマを掛けてみたところものの見事に的中した。
これも全てラノベや漫画を読んでいた為に得た知識があったからこそと言えよう。王族の子息と言う役割は何不自由なく過ごせる。その反面仕来りと言う縛られた自由の中で暮らす事を余儀なくされ、女性の場合なら他国の王子と政略結婚させられる事もある訳だ。そんな暮らしでも構わないと言う輩もいれば、逆にそんな生活だからこそ嫌気が差し危険と隣り合わせにある自由を求めて独立する輩もいる。
“黒薔薇”は後者。城内で縛られた自由の中で生活させられているストレスを外で、不審者にぶつけて発散させているのだろう。敵意がない者からすれば実にはた迷惑だが、彼女の行い自体は称賛出来る。
そんな彼女が自ら自由を剥奪する事をする確率は極めて低い。だからこそ“黒薔薇”は約束を違える事はないと言う自信があった。
「……まぁいいわ。それより要件を聞かせてちょうだい」
「あぁ。ある人がお前を連れてきて欲しいって俺に依頼してきたんだ。ただ単に会いたいだけならキリュベリア王国に赴いて謁見を取り次いでもらえば済む話かもしれないが、残念な事に正攻法が使えない理由がある――早い話、お前を誘拐してこいって言われたんだ」
「……随分と包み隠さずストレートに言うわね」
「その方がお互い気が楽だろ? 後で騙した騙されたって言うやり取りをするぐらいならな」
「……貴方の目的はとりあえずわかったわ。それじゃあ貴方の雇い主は誰なの?」
「それはお前が自らの意思で同行してくれたら教える。言ったら多分絶対に会ってくれないだろうからな。俺としても手荒な事はしたくないし嫌がる相手を無理矢理連れていきたくもない。」
「貴方誘拐犯としては随分間抜けな部類に入るわよ? 暴力も振るわない、要求を呑まざるを得ないようにさせる人質とかも用意してない、交渉と言うよりこれじゃただのお願いよ」
「俺自身今回の任務にあまり乗り気じゃないんだ。あいつも面倒な任務押し付けてくれたもんだって今も思ってる。まぁ恩があるから仇で返すような事はしたくないから引き受けたんだけどな――それでお姫様、一緒に来てくれないか?」
「…………」
口を閉ざす“黒薔薇”の返答をハルカは待った。彼女が言う通り交渉を有利に進める材料としては極めて最悪だ。人質でも取れば交渉次第で従わざるを得ない状況を作れるかも知れない。だがそれでは意味がないのだ。それでは他の魔王や悪党と何も変わらない。
傍から見れば実に愚かしいだろう。恥知らずだろう。
そう思うのなら……勝手に思わせておけばいい。
「来てくれたら手荒な真似は勿論依頼主だろうと誰であろうとお前には指一本触れさせない。事が終われば俺が責任を以てキリュベリア王国まで送迎する」
「……なら先に、私が提示した条件を守ってもらおうかしら」
「お前との再戦か?」
「……ある噂を聞いたの。駆け出しの冒険者が訪れる練習場と言われている程危険度が一番低い魔王の子供はとてもFランクとは思えない程の強さを秘めているらしい。更に聞けば挑んてきた人間を絶対に殺さないで生かして帰す変わり者らしいの」
「……それで?」
「その魔王の子供は人間を殺さないように変わった武器を使っている……鋼鉄と同等の硬さを誇って相手の体力を奪う吸収の効果を持った木剣――貴方がそうなんでしょ? 魔王キルトの息子……木刃の魔剣士」
「……俺の事を知ってるなら話は早いな。というかなんだその木刃の魔剣士って……俺そんな異名が勝手に付けられてたのか」
正体を知られているのならフードを被っている意味はない。ハルカはフードを外した。
「その黒髪……どうやら間違いないみたいね」
「俺の事最初から知ってたのか?」
「いいえ、あの後偶然兵士達の話を聞いたの。まさか昨晩剣を交えた相手が木刃の魔剣士とは思いもしなかったわ」
「それで、どうする?」
「今すぐ私と戦いなさい。木刃の魔剣士と呼ばれる貴方の本当の実力を私は見てみたい。私の剣が……貴方に通用するのかしないのか、私はそれを知りたい」
剣を鞘から抜き戦闘態勢へと入った“黒薔薇”。既にその瞳は満ち溢れる闘気で燃え盛る炎の如く生き生きと輝いている。
結局力ずくで連れて行くのは避けられそうにない。ただ今回は彼女自身が戦いを望んでいるだけ気は楽だと言うもの。ハルカは溜息を零しつつも悪食を腰より抜いた。
「でもいいのか? ここでチャンバラなんかしたらまた見回りの連中を気にして集中出来なくなるぞ」
「それならいい場所があるわ。ついて来て」
「やれやれ……」
駆け出す“黒薔薇”の後ろをハルカは追い掛けた。