第三章:双刀炎舞➀
行く先々で魔物と闘い切り抜け、村で休息や物資の補給を行い、そしてまた野党に襲われこれを撃退しながら旅を続ける。そして今ハルカ達は鬱蒼とした森の中を進んでいた。
陽光が殆ど差し込まず昼間であるにも関わらず夜のように薄暗い森は何処か不気味な雰囲気を醸し出している。更に得体の知れない小動物系の魔物や、奇声にも似た姿なきものの鳴き声も合わさり足を踏み入れた者の恐怖心を煽る。そんな森の中で急速として野営を取る事にした。
リリーとヒロは食料を現地調達してくると意気込みながら森の中に散策に出掛け、それに同行しようとしたハルカは二人に半強制的にキャンプにて、
「むぅ……なかなか出来ないな」
うんうんと唸りながら剣を抜き放っては鞘に収め小首を傾げているフレイアと共に待機させられていた。
「さっきから何やってるんだフレイア」
「私もハルカのように居合をしてみたいのですが……なかなか上手く出来ないんです。何かアドバイスがあれば是非教えて下さい」
「出来ないのだってお前……出来なくて当然だろ」
「なっ!? やはり私では不可能なのでしょうか……!」
「いや、そうじゃなくて。その剣じゃ無理だろって話だよ」
フレイアの剣は言うまでのなく直剣。刀身が真っ直ぐに造られており刀の様な反りはない。居合は適度な反りを持っている日本刀と鞘があってこそ初めて出来る技だ。それを直刀で抜きと斬撃を同時に行う事はまず不可能である。
「ならば私もその、刀を持つべきでしょうか……」
「無理して替えなくていいだろ。得手不得手って誰にでもあるんだしさ、それに居合自体はそもそも刀を鞘に収めている状態を襲われた時の対強襲用の技だ。確かに間合いやタイミングを読ませない効果もあるし初見相手にはどんな攻撃がくるか不安を煽る事も出来るだろうけど」
「むぅ……しかし妻として、やはり夫の流派ぐらいは使える様になりたいのですハルカ」
「いや結婚してないからな俺達。まだ友達段階で行動を一緒にする仲間だからな?」
「ハルカァ! 沢山獲ってきたわよ!」
「おっ、帰ってきたみたいだな……って二人共、それはちょっと量が多過ぎないか?」
戻ってきたリリーの両手と腰に携えられた籠には十数匹の川魚と山菜の類が、上空より降りてきたヒロが猛禽の足で持っている籠の中には――蛇や蠍と思わせる魔物が捕獲されていた。二人が採ってきたその量はどう考えても四人分を明らかに超えている。
「ハルカに沢山食べてもらいたいって思ってたら、つい……」
「やっぱりお肉を食べないと!」
「ははは、まぁ食えない事もないからいいか。それじゃあ早速調理を開始と行くか」
「ならば魚と野草を使った料理は私が担当しましょう。我が一族に伝わる秘伝の味付けでハルカの舌を虜にさせてみせます」
「じゃあアタシはスープを作るね。言っておくけどこれでも料理には自信あるんだから! これから毎日食べさせてあげるねハルカ!」
「じゃあボクはハルカと待ってる! だって料理出来ないもん」
「……お前今までどうやって食ってきたんだ? じゃあこの肉の類は俺が料理するよ、と言っても大した料理は出来ないけどな」
「えっ!? ハルカは料理も出来るのですか!?」
「まぁ、人並みには出来る方だと思ってる」
夜斗守悠として生きていた頃も、趣味の一環として料理をしていた事がある。今時の男性は家事も出来なくては妻となった女性に見放される、と書いていた本を読んでから自炊をするようにした。最初こそ慣れなかったものの、科学の実験のような感覚にいつしか面白いと思うようになり、週に三回は母に変わって料理するようにした。
ハルカとして転生してからも、たまにグリムラの監視の元料理を皆に振舞っていた時期がある。調味料や食材の都合もあったが、異世界の食材を使った異世界版お好み焼きや焼きうどんは意外な程に皆から好評であった。ただ日本の味の懐かしさから、料理漫画で得た知識の元納豆を製作したところ、食べ物を粗末にするなとキルトに怒られた。
納豆独特の臭いに次々と体調不良を訴える者が現れ厨房は消臭されるまで封鎖。これは食べられる物であると証明する為に食べてみせたが吐き出せと言われ医者を呼ぶか呼ばないか、と大事になったのはハルカにとっては良い思い出であり、魔王城にとってはトラウマとなった。それ以降納豆の製作は固く禁止され、更にはグリムラの監視がつくようになった。
閑話休題。
調理を開始してからおよそ十数分。
「結構出来ましたね」
「そりゃあれだけ材料があればなぁ……」
焚き火を囲んで並べられる料理の数々。
湯気を立ち上らせ食欲を促進させる香りが鼻腔を通じて胃を刺激するリリーの作ったスープ。森の中で採種してきたキノコ、野草を沢山使ったフレイア作の川魚のソテー。そしてヒロが狩ってきた魔物――蛇は輪切りにして野菜と一緒に炒め、蠍は毒針を抜き取り小麦粉を塗し油で豪快に揚げたハルカ作のソテーと唐揚げ。
これで今日の昼食の準備は整った。
「そんじゃ、頂きます」
今日も無事に食事にありつける事を感謝しつつ、早速ハルカはリリーの作ったスープを口にする。
「うん、美味い!」
濃過ぎず薄過ぎず、程よい味付けのスープが空腹を訴えていた胃に染み渡る。
「でしょ! ハルカの為に頑張って作ったんだからね!」
「わ、私の作った料理も食べて下さいハルカ!」
「急かすなよフレイア――この味付けもいけるな!」
フレイアに急かされ口にした川魚のソテーにハルカは舌鼓を打つ。一口齧り付けば塩と薬草の味がいい塩梅に口腔内に広がる。日本人の主食である米が欲しくなる気分にさえなるその味をハルカは心から堪能する。
「当然です。武術だけでは夫を満足させる事は出来ませんからね!」
「それを言うなら男だってそうだぞ? それじゃあ最後は俺の料理……って言っても炒めたり揚げただけだけどな」
「でも美味しいですよハルカ! 特にこの唐揚げなんかも特に!」
「蛇を使った料理は初めて食べるけど……ハルカが作ったから美味しいのかな?」
「どれも皆美味しいから大丈夫!」
「お前は食ってるだけじゃねーか……」
そうして騒がしくも楽しい昼食を心ゆくまで堪能し休息を取っていると――不意に遠くの方で茂みが騒がしく動いた。森の中に風は確かに吹いているがその流れは実に穏やか。よって激しく揺さぶっている要因ではない。
何者かが此方に近付いてきている。
「……食後の運動には丁度いいかもな」
立ち上がり、ハルカは太刀の柄に右手を添える。それに合わせてフレイア達も茂みを見据え警戒態勢へと入った。
近付いてくる何者か。そしてそれが勢いよく目の前に飛び出す。
「うぇぇぇぇぇぇぇぇん!!!」
茂みから出てきた少女にハルカは呆気に取られる。白金色を主体とし黄金で縁どられた如何にも高価そうな鎧だが、実際は必要最低限の防御が施された、俗に言うビキニアーマーと呼ばれるフィクションの世界にしか存在しない鎧を身に纏っていた。
そんな彼女の腰には一振りの剣が携えられている。
見るからに、普通の剣ではない。鞘もビキニアーマーと同じ白金色をし黄金で装飾された立派な物だ。その鞘越しに感じる何か不思議な力。
魔力ではない。人間が到底手にする事の出来ない様な、神聖で犯し難い何か。そんな剣を携えているにも関わらず、少女は泣きながら目の前を駆け抜けていく。
何だったのか、と呆気に取られているのも束の間。少女が飛び出してきた茂みから、また別の女性が二人飛び出した。
一人は先端に赤い宝石が埋め込まれた木製の長杖を持ち、露出度が高い衣装を身に纏い、おっとりとした表情で開けているのか閉じているのかわからない細目の女魔導士。そんな彼女が走る度に女性を象徴する豊満な胸が激しく揺れていた。
もう一人は赤い軽鎧に身を包み、眼帯で右目を隠し、背中に身の丈以上の大剣を背負った赤いショートボブの女戦士。整った顔立ちをしているが、女らしさが皆無な……そんな雰囲気を醸し出していた。
「ちょっとアタイら置いて何処行くんだい!!」
「待って下さいよぉ!」
「……何だったのでしょうか、今のは」
「さぁ……」
少女を追い掛けていく二人。三人が突風の如く走り去っていくのを見届けた後、ハルカは彼女達が飛び出してきた茂みに視線を向ける。
再び茂みが動く。現れたのはカマキリを思わせる魔物が数匹。
ハルカは瞬く間に納得した。どうやら彼女達――先陣を切って逃走していたのは少女だけだと見受けられるが、魔物に襲われ逃げている途中だったのだろう。此方の存在に気付けなかった程必死だったらしい。
そして遅れて現れたカマキリの魔物は、新しい獲物を見つけたと言わんばかりに鳴き声を上げ両手の鎌を打ち鳴らし始める。
瞬間――ハルカは太刀を抜刀し、そのまま近くにいた一体の首を撥ねた。胴体が踊り狂うように激しくのたうち回りやがて静かに横たわり、足元に同胞の首が転がったのを目にした魔物達は、数歩後ろへと自ら下がった。
「腹ごなしの運動相手をしてくれるなら、遠慮なく来い。でもその気がないのなら……失せろ」
人間の言葉が通じる相手でない事は百も承知。だが例えその言葉を理解していなくとも何を言わんとしているのかは感覚で理解出来るのが生命の共通点。ハルカとしては人を襲うような魔物を生かしておくつもりは毛頭ないが、戦意を喪失した相手に追い打ちを掛けて命の奪うような真似をする気もない。
来るならば迎え撃ち、逃げるのなら見送る。ただそれだけである。
しばらく睨み合い、やがて実力で敵わないと判断したのかカマキリの魔物達は次々と茂みの中へと消えていった。
「やれやれ」
「それにしても、さっきの者達は大丈夫だったのでしょうか……」
「多分大丈夫だろ、頼りになりそうなのが二人もいたし。それじゃあ俺達もそろそろ出発するか」
「そうですね」
出発する準備を整えた後、その場を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆
森の中を歩き続け、ふと空を見上げる。太陽は沈み青から夜を表す黒へと染まり始めている。今日だけで森を抜ける事は不可能と感じたハルカは野営を行う為に適した場所がないか周囲に視線を配り――
「ハルカ、あれを見て」
不意に口を開いたリリーの声に視線をそちらへと向ける。彼女が指差すその先には一軒のログハウスが遠くで待ち構えていた。
「こんな場所に人が住んでいるのか」
ログハウスに近付く。二階建ての造りで大きさもそれなりにある。窓から明かりが漏れているから、誰かここに住んでいるのは間違いない。
「どうしますハルカさん」
「……とりあえず、寄ってみるか」
人が住んでいるのなら下手に野宿をするより安心出来る。ハルカはログハウスへと近づき、その扉を叩いた。暫くすると扉がゆっくりと開かれ、一人の老婆が顔を覗かせた。
「おやおや、こんな場所に人が来るなんて珍しいねぇ」
「すいませんこんな時間に。少し気になったもので……あの、大変申し訳ないんですけど今晩だけ泊めさせて頂けませんか?」
「構いやせんよ。さぁさぁ、もう夜になる……そこの亜人の三人も入りなさい」
「えっ? 私達もいいんですか……?」
「人だろうと亜人だろうと、私にとっちゃどうでもいい事だよ。さぁさぁ入った入った」
「有難うおばあさん!」
「感謝します、ご老人」
「ボクお腹減ったよ~……」
嬉しそうに笑みを浮かべるリリーと礼儀正しく頭を下げるフレイア。一人だけ空腹を訴えるヒロに全員で呆れ、老婆は孫を見るような目をさせながら優しい笑みを浮かべている。
ログハウスの中へと案内される。するとそこには、昼間に出会った三人組みの少女達の姿があった。
「あの子達はアンタ達より先にこの家にやってきた冒険者だよ。まぁ適当に座って待ってなさい、何か暖かい物を淹れてあげよう」
老婆がキッチンへと向かい、ハルカは適当な場所に腰を下ろす。
なんとなく、あの三人組みの近くに座るのは嫌だった。
その原因は赤毛の女剣士の鋭い視線と、細めの美少女の何処か品定めする様な視線。そして泣き叫びながら逃げていた少女からは好奇心に満ち溢れた視線――色んな感情を孕んだ三つの視線が全て、自分へと向けられていたからだ。
フレイア達もそんな彼女の視線に嫌悪感を抱いたのか、困惑している様な顔を浮かべている。何を考えているのかは知らないが、こう言う場合はあまり関わらない方がいい。仮にここで魔人である事が知られてしまえば、戦闘は免れない。休息出来る場所を見つけたにも関わらず
「はいお待たせ。これでも飲んで温まりなさい」
人数分のカップをトレイに乗せて老婆が戻ってくる。差し出されたカップには良い香りがするスープが淹れられていた。
「わぁっ! このスープ美味しいです!」
「うん! アンナが作るゲテモノスープよりマジでうめぇ!」
「失礼ねぇ! 私が作ってるのはちゃんと栄養から疲労回復まで考えたスペシャルスープですぅ! ゲテモノなんかじゃありません~!」
美味しそうにスープを飲む三人組。余程アンナと呼ばれた露出度の高い美女の作るスープが不味いのか、二人はお代わりまで老婆に要求し始める始末。そしてそのゲテモノスープと呼ばれた料理を作る当の本人でさえも、老婆が出したスープを喉を鳴らしながらと飲んでいた。
「……私が言うのもなんですが、女性としてあの三人はあまりにも節操が無さ過ぎるのでは?」
「……今回ばかりはフレイアの言い分に一票ね」
「うんうん、ボクもそう思うよ」
「いや、お前も……いや、何でもない俺の独り言だ気にするな」
「ま、まぁまぁ。スープはそれしかないけど、折角これだけのお客さんが来てくれたんだ。アンタ達ご飯はまだだろう? 今からアタシがご馳走を作ってあげるから、二階の部屋で待ってなさい」
「有難う御座います! えへへ~楽しみだなぁ」
「まともな食事にありつけるのなんて、どれぐらいだろうな」
「だからぁ! 私の作る料理はゲテモノじゃないって何度言えばわかってくれるんですか~!」
料理と言う言葉に三人組みは嬉しそうに二階へと消えていく。
「アンタ達も二階の部屋で待ってなさい。出来たら持って行ってあげるからね」
「その前に、一つ尋ねても?」
「……どうかしたのかい?」
「どうしてこんな森の中に一人住んでるんだ? 見たところアンタ以外他に住人がいる様子もない。それにこの森にも魔物が出る――そんな中よく一人で住んでられるな。そこまで対策が万全とも思えない」
「……今時の若いもんとは違って、アタシらはずっと強いんだよボウヤ」
そう言うと、老婆は再びキッチンの方へと戻っていった。
「……とりあえず、アタシ達もこのスープを飲もうよハルカ」
「確かに。折角のスープが冷めてしまってはあのご老人に申し訳ない」
「いや、飲まない方がいいぞソレ」
ハルカは窓へと向かい、開けると外にスープを捨てた。
「ちょ、いきなりどうされたのですかハルカ!」
「あ~んボクのスープ!」
「簡単な話。信用出来ないって事だ」
フレイア達からもカップを奪い取り、それも外に流し捨てる。
「信用出来ないって……」
「まぁここは俺の勘を信じてくれ。多分当たってたら今頃……」
二階へと続く階段を昇って直ぐの扉を開く。十五帖程の広く殺風景な部屋の中央、そこには先にこの部屋に入った三人組みが倒れている姿があった。
「ほらな」
「なっ……!」
「皆眠っちゃってるよ!?」
「こ、これはどう言う事ですか!?」
三人に近付く。皆可愛らしい、一名大鼾を掻きながら寝息を立てて熟睡している。
やはり勘は当たっていた。どうやらあのスープには一服盛られていたらしい。脈や呼吸に異常は感じられない。スープの中身に混入させられていたのは睡眠薬だろう。
「で、でもどうしてあのおばあさんが……」
「ん~……もしかして山姥の類かもな」
「ヤマ……何ですかそれは」
「山姥って言うのは日本って言う国に古くから伝わる妖怪――こっちで言えば魔物、いや人語を話せていたから悪魔かな」
山奥に住み、人を攫い喰らう妖怪。普段は綺麗な女に化け旅人に宿を提供し、美味しい料理を振舞うが寝静まった後取って喰うと言う。日本昔話で三枚の御札にも登場する妖怪で、此方の山姥は和尚との知恵比べに騙され逆に自身が食い殺されると言う結末を迎えている。
そんな山姥に関連する物語と、今回この状況は似ていると言える。人気のない絶対に住もうとも思わない場所に住居を置き、素性のわからない相手に無料で宿と料理を振舞おうとする行為から、直ぐに警戒すべきだと判断を下した。だからリリーとフレイアのスープも捨てた。
「じゃ、じゃああのご老人は……」
「確実に悪魔だろうな。人に化けられる悪魔なんて今まで聞いた事も見た事もないけど――とりあえずそこの三人を起こそう。緊急事態だ」
「は、はい!」
「わ、わかった!」
「コラー起きろー!!」
フレイア達が熟睡している三人を起こす。呼び掛け、肩を叩くも三人の意識は未だ夢の中に留まったまま。三人とも余程食に対し飢えているのか、皆食べ物に関する寝言を漏らしている。
仕方ない、とハルカは小さく溜息を吐き女剣士の上半身を起こす。心地良い夢を見ている中申し訳ないが、事は一刻を争う。言ってしまえば自業自得とも言えるが、命が散り逝くよりは遥かにマシな為に我慢してもらう事にした。
「えっへっへ……もう食えないって言ってんじゃんかよ婆ちゃん~……」
「……やれやれ。幸せそうな夢見ているとこ悪いけど、起きてもらぞ!」
寝言を漏らす女剣士のその頬にハルカは力強く平手打ちを叩き込んだ。
「イッテェェェェェッ! テメェ何しやがんだこの野郎ぶっ殺すぞ!」
肉を弾く乾いた音が部屋中に鳴り響き、一瞬にして意識を覚醒させ荒々しい口調と共にハルカは女戦士に胸倉を掴まれた。
「落ち着け! まずは他の二人も起こしてからだ」
赤く腫れ上がる頬を擦りながら怒る女剣士をリリーとフレイアに抑えさえ、他の二人も同様の方法で叩き起す。
「うぇぇぇぇぇん!」
「ん……もう朝ですかぁ?」
泣き出す少女と、叩かれても平然とし寝惚けている女魔導士。
「おいテメェ! 何でいきなりアタイらの頬をぶっ叩きやがったんだ!」
「落ち着けと言っただろ。事情を説明してやるから兎に角今は騒ぐな」
「あぁ!? そりゃどう言う意味だ!」
「だから落ち着けって言ってるだろこの馬鹿。大声を出すな」
荒々しく絡んでくる女戦士を、一先ず彼女の仲間に説得させ無理矢理落ち着かせてから、ハルカは現状を説明した。すると女魔導士が思い出したと言わんばかりの口調で話し始める。
「そう言えば私噂で聞いたんですけどぉ、この森には人の姿に化けて旅人や行商人を騙しては攫っては食べる悪い悪魔がいるみたいなんですよ~」
「おまっ! どうしてそんな事今思い出すんだよ!!
「アンナさん酷いですよ!」
「だってぇ、あくまで噂だったからそこまで本気にしてなかったんです~!」
「じゃあ確実にその噂の悪魔はあの婆さんだな。俺達はまんまと敵の罠に嵌ったって訳だ。仕方ない」
「何処に行くんですかハルカ」
「決まってるだろ。あの婆さんもとい悪魔の所だ」
一階へと再び降り、遠くから聞こえてくる物音にハルカは耳を澄ませる。
しゃ、しゃ、と等間隔で聞こえてくる奇怪な音。その音が研ぎ石で刃物を研ぐ音だと気付くのに時間は要らなかった。予感はどうやら悪い意味で的中した。そう思いながらハルカは音がする方へと向かう。
音の出所は厨房であった。料理をしてくると老婆は言っていたのだ。ならば肉や野菜を切る前に包丁を研いでいても不思議ではない。しかし、その老婆の姿は厨房にはおらず、その奥にある部屋より刃を研ぐ音が聞こえてくる。
ハルカは耳を扉に当てる。刃を研ぐ音に混じり聞こえてくるのは確かに老婆の声。何を言っているかまではわかならない、が声の雰囲気的にとても上機嫌なのが伺える。
ハルカは扉から耳を離し、そっと扉を開き中の様子を伺った。僅かに開いた扉、その隙間より映ったのは老婆の横姿。上半身を前後左右に揺らしているのは、右手に持っている巨大な包丁を研いでいるからである。砥いでは確認し、その刃に映る己の顔に口を三日月のように歪んだ笑みを浮かべている。
「ふふ、今日は本当についているわい。まさか新鮮なお肉が七匹も手に入るなんて、こんなご馳走が一度に転がり込んでくるなんてホント久し振りじゃて……」
嬉しそうに、時折研いでいる包丁を見つめる。その横顔はまるで鬼の様な恐ろしい面をしていた。
「こりゃヤバいな」
扉から離れ、ハルカは沈思する。ここが危険であるとわかった以上、長居する必要は何処にもない。だが、既に暗くなっている外へと出るのも危険過ぎる。仮にもし外へ逃げたとしても山姥は久し振りの新鮮な肉を逃さんと追跡してくる。それ以前に一度籠の中に捕らえた獲物が簡単に逃げ出せるようにはしない筈。
「ハルカ!」
声を極力殺し、それでいて慌てふためいたフレイアが戻ってくる。念の為、ハルカはフレイア達に玄関及び窓からの逃走が可能か調べさせていた。
「どうだった?」
「ダメです、玄関が全く開きません。それに窓も全部……どうやら私達は完全に閉じ込めらてしまったみたいです」
「やっぱりな」
案の定とも言うべき結果にハルカは小さく溜息を吐いた。自分達は正に檻の中に捕らわれ、ただ食べられる時が訪れるのを怯えて待つ獲物同然。だが獲物との唯一の違いは、それは己の意思と高度の知能、そして力がある事だ。捕らわれたまま大人しくしているような事はしない。
「……どうしますかハルカ」
「俺達がやることは一つしかないだろ?」
ハルカは不敵な笑みをフレイアに浮かべる。それに伴い二階からリリーやヒロ、そして三人の女冒険者達も厨房へと集まってきた。
ハルカは一同を見回し、小さく頷くと老婆のいる部屋の扉を蹴破った。
「うわぁ……汚いし骨だらけだなオイ。掃除ぐらいしようぜ」
僅かな隙間からでは死角となり見えなかったが完全に扉が開かれた今、待ち受けていたのは夥しい数の白骨死体だった。一体や二体ではない、何十と言う数の骨が積み上げられ小さな山が彼方此方に出来上がっている。
「――、み・た・な……」
老婆が振り返る。既にその顔は人間の顔ではなく醜悪な悪魔としての顔に変貌を遂げていた。
悪魔がゆっくりと立ち上がる。すると小柄な体格はみるみる内に大きくなり、遂には百七十五センチの身長であるハルカをも超える程にまでなった。老化しシワだらけだった肉体は筋骨隆々のハリのある身体へ、薄汚れていた白髪は全て抜け落ち頭髪の代わりに一本の角が生えた。
「それがお前の正体か。正に異世界版山姥だな」
「勘の良い小僧がいたもんだねぇ。そこの嬢ちゃん達よりずっと賢い……」
「ただの冒険者だよ俺は――それよりこっちはこの数だ、大人しく投降しろ。今なら一瞬でお前の息の根を止めてやるサービス付きだぞ」
「ほざけ小僧が!!」
悪魔が地を蹴り――リリーが矢を放ち、ヒロが羽ばたきにて突風を起こしそれに乗じて女魔導士が火系魔法を発動し火力を増大させ、フレイアが間合いを詰めて盾打からの袈裟斬り、それに合わせて女戦士が大きく振り上げた大剣による強力な一撃が一度に、悪魔へと降り注いだ。
一人でも勝てると踏んだのだろうか。だとするならば果たしてその根拠は何処にあったのか。女冒険者三人組は兎も角としてフレイア、リリー、ヒロの実力は旅を共にしているハルカが一番理解し最も信頼している。それを見抜けなかったこの悪魔はどうやら正面から挑むよりも罠を張り巡らせて戦う方法が得意らしい。見た目に不相応な戦法にはその鍛え抜かれた肉体も無駄な代物でしかなかったようだ。
「が、はぁ……! お、大人数で掛かってくるなんて……それに、つ、強い……」
「お前本当に悪魔なのか? 最初に言っただろ、数が多いから投降しろってな」
「い、今の流れは小僧だけが、向かってくる筈……じゃろう……!」
「それはお前の勝手な思い込みだ。後よくその傷で喋ってられるな。まぁいい、そろそろ介錯してやるから辞世の句でも――」
「え、えい!」
先程まで一言も喋らず、皆が一斉攻撃を仕掛けた時に何もせずただ立ち尽くしていた少女が、腰に携えていた剣で悪魔の喉を突き刺した。その予想外すぎる事態にハルカは一瞬目を見開いた後、直ぐに素の表情へと戻し悪魔にトドメを刺した少女を見据えた。
剣を引き抜き悪魔が息絶えた事を啄きながら確認し、死亡しているとわかると――
「やりました! 私が悪魔を倒しちゃいました!」
自分の手柄だと剣を天に掲げ満面の笑みを浮かべた。そんな少女にフレイアが不満の声を真っ先に上げる。
「ふざけないで下さい。何もせずただ傍観していただけの貴女が、何故自分が倒したと言いたげに振舞っているのですか!」
「あ~はいはい! アンタが言いたい事はよ~くわかるけどよぉ、ここは一つ黙っててやってくれ」
「しかし……!」
「やめておけフレイア。何かしらの理由があるんだろ」
「助かるよ。あんなんでもアイツは『黒キ王』を討伐した勇者の末裔だからな」
「勇者の末裔だって?」
「そうそう――そう言えばまだ自己紹介してなかったよな。アタイの名前はリネット、それからあっちの歩く露出魔導士がアンナ、そんでアイツが勇者の血を引く一族の末裔でアタイらの一応リーダーのリューカだ」
己を含みメンバー紹介をした女戦士に、ハルカは女勇者に視線を向けた。
『黒キ王』を討伐し真の英雄、伝説の勇者として謳われ今も尚その功績が後世へと語り継がれている勇者フェリオン。何物も恐れぬ勇気と比類なき戦闘能力と魔力を持った存在だと文献には記され、その武勇伝も検索タグにチート、無双、最強と言う男なら誰もが憧れる王道的シチュエーションを凝縮したような内容ばかりで占められている。そんな勇者に子孫がいたとしても可笑しくはない。
しかし、先程の行動を含み森の中で目にした彼女の姿からはとても勇者フェリオンの血を引く者とは思えない言動である事にハルカは疑問に眉を顰めた。
そんな疑問を、戦士としての誇りを持つフレイアは容赦なく口にする。
「手柄だけを横取りするような輩が勇者フェリオンの子孫とは信じられない話だ。嘘を吐くとしてももう少しマシな嘘があるのでは?」
「わ、私本当に勇者だもん! 私のご先祖様は勇者フェリオンだもん!」
「ならばあの森の中で貴女を見かけた時、何故魔物から逃げていたのですか? 我が身可愛さから仲間を置き泣きながら敵前逃亡をするような者が勇者とは、認められない……!」
「うぅ……本当だもん。本当に私は勇者だもん……!」
鋭く睨むフレイアに気圧され、涙を目に浮かべながら反論するリューカ。フレイアの言う通り今のリューカが何を言っても全く説得力がないのは事実。今の彼女を目にした民衆は、誰も彼女を勇者として認めないだろう。逆に伝説の勇者の子孫を語る偽物として軽蔑するだろう。
「待てフレイア、もうその辺にしておけ――リューカだったな。お前がもし本当の勇者なら、その力を今俺の前で示してみたらどうだ?」
ハルカはフードを外し黒髪を露にする。
「お前、魔人だったのか!?」
「こっちも今更ながらに名乗らせてもらう――俺の名前はハルカ。魔王キルトの息子だ」
「ま、魔人……! 魔王の……息子!」
「さてリューカ、今お前の目の前には忌むべき存在の魔人がいる――俺は今からお前達を殺す。伝説の勇者フェリオンの子孫だとわかった以上……生かしておく訳にはいかない。いつ障害になるかもしれない存在は、例え相手が女だろうと子供だろうと容赦なく潰す」
「テ、テメェ!!」
リネットが大剣を構え、それよりも早くハルカは悪食で素早く逆胴を入れた。大剣にはその質量を生かした強力な一撃を繰り出す事が出来る。そのデメリットとしてその大きさ故に小回りが効かず、また振り上げてから斬ると言う動作にどうしても時間を費やしてしまう。女性の身でありながら扱えるだけでも充分大したものだが、ハルカにとっては実に戦いやすい相手でしかなかった。
「な、なんだ……力が、抜けて……」
悪食による吸収を受けたリネットが倒れる。
「リネットさん!」
「よくもリネットさんを……私怒っちゃいましたよぉ!」
魔法の詠唱を始めるアンナ。それを目にしたハルカは、へぇ、と感心の声を漏らす。
魔法と言うものは詠唱分の長さによって大きく異なる。長ければ長い程強力な魔法を発動させられるが当然その分自身への危険は大きくなる。それをアンナは下級魔法の詠唱とほぼ変わらない速さで詠唱分を的確に唱えていた。その技術は勇者の仲間としてパーティーに加わっているだけの事はある。
詠唱分の長さ、そして彼女が詠唱を唱える度に周囲の空気が熱されていくのを感じる事から恐らく火系、それも上級に位置する魔法を発動させるつもりだろう。
ハルカとリネットの距離は凡そ三メートル。既に詠唱は最終節に入り発動される事は最早避けられない。しかしそれに対する対策をハルカは持っている。
居合と魔法を組み合わせた蒐極抜刀、神威――悪魔をも斬るこの一撃を放てば如何に上級魔法だろうと一刀の元両断し、距離が離れていても抜刀した際に発せられる魔力の刃が術者を捉える。だが人間の命を奪う事を己で禁じている以上この方法は使えない。
ならば避けてから反撃に転じるのはどうか。魔法が発動される直前縮地で回避する事は恐らく可能。だがそうした場合自身は回避出来たとしても後ろにいるフレイア達に被害が及ぶ可能性がある。リリーやフレイアは持ち前の身体能力と武術で回避する事が出来るだろう、しかし空を飛んで初めて真価を発揮するヒロにとって室内による戦闘は不向きな場所だ。
従ってハルカは、悪食をアンナへと向かって投擲槍の如く投げ付けた。それと同時に詠唱を終えたアンナが魔法を発動させる。杖の先端部で輝く宝石より轟々と燃え盛る炎球が放たれる。常識に考えれば木刀と炎珠、どちらが勝つかは目に見えている。しかしハルカの持つ木刀、悪食はただの木で作られていない。
炎珠と悪食が正面より激突。燃え盛る炎は悪食を燃やす――事無く。逆に吸収の効果を発揮した悪食に取り込まれた。
「わ、私の魔法が吸収されちゃいましたぁ!」
悪食――その元となっているドレインアードの吸収は物理攻撃で体力を奪うだけでなく相手の魔力すらも己の物として取り込む事が出来る厄介な能力持ちの魔物だった。そんな能力を持った魔物の一部を使って作られている悪食もまた、同様の効果を持っているのは当然。
炎球を吸収する事で相殺し、そのまま真っ直ぐと空を突き進んだ悪食は、アンナの手から長杖を弾き飛ばした。互いの得物が宙に舞い――投擲したと同時に地を蹴り上げたハルカは素早く悪食を空中で受け取り、落下速度を加えた一撃をアンナの胴へと打ち込んだ。飛霞の応用戦術である。
「はにゃぁ……力が抜けて、戦えません~……」
「アンナさん!」
「さてと、これで残るはお前一人だな勇者の末裔……」
悪食を腰に収め、ハルカは太刀を鞘から静かに抜き放つとその切先をリューカへと向けた。窓より差し込む月の光を浴びた刃が冷たくも美しく輝く。
「うぅ……」
「どうした? お前が本当に勇者フェリオンの子孫なら、先祖に倣って俺を倒してみたらどうだ? その腰にある剣はお飾りか?」
「ち、違うもん!」
「……ならお前に選択肢を与えてやる。一つは俺と戦って仲間を助け出す事、そして二つ目は死にたくないのなら見逃してやる」
「えっ?」
「但しその代償としてお前の仲間の命を俺が貰う。選べ……逃げるか、戦うか」
倒れているアンナの身体を踏み付け動きを奪った状態でハルカは矛先を彼女の喉元へと変えた。後数センチ、太刀を前に動かすだけで切先は彼女の喉元を貫きその命を奪う。吸収によって体力の七割を奪った今のアンナには脱出する術は不可能。リネットも同様途中で助けに入る事は出来ない。
助ける為に戦いを挑むか、それとも己の保身に走り二人の犠牲を出して生き長らえる道を選ぶか。リューカが選択した答えを口にするのを、ハルカは静かに見据えたまま待ち続ける。
暫しの静寂の中で睨み合いを続け、そして遂にリューカが応える。鞘に収めた剣を抜く事で静寂を破った。
「ア、アンナさんもリネットさんも、わ、私の大切な友達だもん! だから……だから絶対に見捨てたりなんかしない。勇者の末裔の私が、絶対に助けるもん!」
「ッ……!」
大粒の涙を零し、足も剣を構えている手も極度の緊張の死への恐怖で震えている。それを勇気を振り絞る事で辛うじて抑え込み対峙している。今のリューカに余裕がない事は誰が見ても理解出来る。逃げ出さず剣を構えている、その姿勢を保つだけで彼女の精神は限界間近に迫っているだろう。とても満足に戦える状態ではない。
だがその目は、仲間を絶対に見捨てないと言う確固たる信念が宿っていた。
「……そうか。それがお前の選んだ答えか」
「ッ!!」
リューカが身体を僅かに震わせ強く目を瞑り、ハルカは手にした太刀をゆっくりと振り上げ――
「合格だ」
鞘へと収めアンナの身体より足を下ろした。
「へっ……?」
呆然とした様子で間の抜けた声を出すリューカ。魔人が人間の命を奪わす見逃した行動そのものに対する疑問を抱くのも無理はない。元より、ハルカにリューカ達の命を奪う気はなかった。それも選択次第によっては異なってはいたが、と言う話になる。
勇者の子孫と言うステータスだけで高慢な態度を振る舞い、仲間を道具として扱う卑劣な輩であれば例え勇者であろうと容赦はしない。そう思ったのは悪魔のトドメを刺し手柄を横取りした行為と仲間達の反応から、リューカが形だけの勇者なのでは、とハルカは疑念を抱いた。
それを試す為にリューカに選択肢を与えた。もしあの時リリーを囮にしたギースのように仲間を見捨てて逃げ出していれば、その時は殺すまではいかなくとも勇者として振る舞えない程度に心身にトラウマを与えるつもりでいたがその必要はなくなったらしい。
「勇者としてはまだまだ半人前……いやその更に半人前だ。今のお前じゃそこの二人の足を引っ張るただのお荷物。今この場で俺に殺されなくてもいずれ誰かによって殺されるのは目に見えてる。死にたくなかったら、今以上にお前自身が強くなることだ」
「…………」
「このポーションをやるから、さっさとその二人に飲ませてやれ」
「ま、待って! どうして貴方は私達を殺そうとしないの? だって魔王は……魔人は皆そうなんでしょ?」
「お前、俺を快楽殺人者か何かと勘違いしてるだろ。確かに『黒キ王』や他の魔王は人間に対して攻撃的な奴らばかりだ。でも中にはそうじゃない奴もいる――俺もその内の一人だ」
「貴方は……違うの?」
「違う、と言ってもお前は信じないだろう――俺自身もお前達に信用しろとも言わない。何が正しくて何が間違っているのか、自分にとって仲間にとって何が有益となるのかは、お前達自身で選択しろ。その選択肢の中で俺の事を悪だと認識するなら、それならそれでいい」
ポーションを床に置き、ハルカは踵を返し部屋の扉を開き――ドアノブが薄れ握ろうと伸ばした手が虚しくすり抜ける。それを皮切りに部屋全体が、この家そのものが薄れていき、やがて煙のように音もなく消失した。
「い、家が消えちゃったよ!?」
「落ち着けヒロ、多分あの悪魔の魔力で作られてたってところだろ。その主が死んだからこの幻の家も消失したって感じだな。結局野宿は避けられないみたいだ」
森の中をハルカは進み、その後ろをフレイア達が慌てて追い掛ける。
「じゃあな勇者見習い、縁があったらまた会おうぜ。俺はこれからユトラスタに行かないといけないんだ」
リネットとアンナにポーションを飲ませているリューカに見送られながら、ハルカはその場から立ち去った。
◆◇◆◇◆◇◆
悪魔の家を離れてから暫くし、野営を行うのに適した場所を見つけたハルカはそこで野宿をして夜を明かす事にした。簡易的な夕食を済ませ炎を皆で囲みながら休息していると、ヒロが何かを思い出したと言った様子で口を開いた。
「ねぇねぇハルカ。ボク達が行くのはキリュベリア王国なんでしょ? それなのにどうしてあの時違う場所を言ったの?」
「簡単な話よ。もしあそこで本当の目的地を言ってたら必ずあの子達は追い掛けてくるわ。そうなった時作戦に支障が出るからハルカはわざとキリュベリア王国とは真逆の町の名前を言った、そうでしょハルカ?」
「リリーの言う通りだ。例え強くなくても邪魔にならないとは限らないからな、今回は生かしておいた代として無駄足を踏んでもらうとしよう」
リリーの答えにヒロは大きく頷き納得した。それに続けてフレイアが不安を漏らす。
「ハルカ、本当に勇者達をあの場で見逃してもよかったのですか?」
「いいんだよフレイア。何度も言ってるだろ? 俺は人間を殺すつもりはない」
「ですが、ハルカの前にまた再び現れたら……」
「大丈夫だ。少なくとも今のアイツ等に俺は負けない。それに魔王と勇者って言うのはコインで言う表と裏みたいな関係だ、だから切ろうとしても切れるもんじゃない」
勇者と言うのは魔王や魔物を恐れる人間からしてみれば希望の光。ましてやリューカはかの伝説の勇者の末裔。そうともなれば人々からの期待は当然他の誰よりも大きい。そのリューカを殺してしまえば、人々は絶望の淵へと叩き落とされるだろう。
そうして希望を失い絶望に囚われてしまった人間を皆殺しにする事も隷属にする事も不可能ではない。だがそれでは意味がない。活力に溢れているからこそ人間と言う生物は様々な技術を生み出し発展させていく事が出来る。
早い話が、絶望されたままでは美味しい料理が二度と外で口に出来ないかもしれない。他の魔王達はどう思っているのかはさておき、食を大切にするハルカにとってその結末は何よりも危惧すべき事であるのだ。
「食べる事がメインですか……そんな理由で生かされてるとは、あの者達も思っていないでしょうね」
「食は種族関係なく大切だぞフレイア。ただ栄養摂取出来ればいいなんて思っている奴がいたら俺はぶん殴る」
そんな会話もそこそこに、明日に備え就寝に入った。
皆が心地良い寝息を立てている中、ハルカは一人テントの外に出て夜空を見上げていた。野宿をしている以上寝込みを襲われる可能性もある。その対策としてアルトロス達より渡された対魔物用と動体検知により魔法が作動し外敵を排除する結界針を張り巡らせている。実際この結界針によって今日に至るまで魔物から野盗の襲撃を回避する事が出来た。
結界針の性能は実証済みだが、それで完全に安全だと思うのは慢心と言うもの。ハルカはフレイア達が寝静まってからも遅くまで寝ずの番を行い最後に就寝するようにしていた。
そして本来なら寝ずの番を終えて眠る時間帯であるにも関わらずハルカはまだ起きていた。
「…………」
リューカ達を見逃しフレイアに尋ねられた言葉が脳裏に浮かび上がる。確かにあの時の言葉に嘘はない。しかし本当の理由は別にあった。泣き虫であるもいざと言う時は身体を張って行動に移せる勇気を持っていた彼女の姿は――夜斗守悠の妹を思い出させた。
顔立ちも性格も全く似ていない。だがリネット達を守る為に勇気を振り絞り立ちはだかったリューカの姿には確かに、妹の姿が重なって見えた。
兄として、一人残してきた妹の事を気にならなかった事は一度としてなかった。例えそれが異世界で全く違う人種として二度目の生を謳歌している今となっても、夜刀神の呪縛より解放されてからどのような人生を歩んでいるのか、悪い男に騙されていないかと兄としてハルカは時折妹を思い出しては気に掛けていた。
(アイツ……俺が死んでから今頃どうしてるだろうな)
第一の故郷に残してきた妹の姿を脳裏に思い浮かべながら、ハルカは睡魔が訪れるまで夜空を眺めて過ごした。