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で――――あれから一週間が経過。
「……依頼が! 来ない!」
俺は昼食後に出されたミルクルという牛乳のような飲み物を飲み干した後、その陶器製の容れ物をダンッと机に叩き付けつつ叫んだ。
ちなみに、このリコリス・ラジアータの食べ物は当然と言えば当然だけど、元いた世界の日本食とは異なる。
ジャンクフードはないし、パッケージされたお菓子もジュースもない。
ただ、名前が違うだけでそっくりな物も多く、このミルクルもその一つ。
果物もリンゴやブドウに類似したものがあるし、そのブドウっぽい果物を使ったワインみたいな飲み物もある。
米を使ったご飯はないけど、パン、スープ、麺料理は存在し、砂糖、塩などの調味料も質量共に元いた世界と遜色ない。
なもんで、食生活については不満は特にない。
で……それはともかくとして。
ハイドランジアの掲示板に大きく『あなたの依頼が絵付きの本になる!』と宣伝しているにも拘らず、一向に冒険者への仕事の依頼が来ない。
これまでは一応、一日数件程度の依頼はあったんだけど……
「自分の依頼した内容が他人に読まれるのが恥ずかしくて、様子見してるのかもしれないね」
「それならまだいいけど……冒険者が男ばっかだから絵的にイマイチ魅力がない……って可能性もあるぞ」
ルカには受けたけど、俺はハッキリ言って男キャラを描くのが苦手。
美少女キャラばっかり描いてきたから当然だ。
……っていうのも、ラノベにしろゲームにしろ、オーダーされる絵の殆どは美少女キャラなんだよ。
男キャラを描く機会はかなり少ない。
ラノベのイラストを手がける時は、まず主要キャラのキャラクターデザインを依頼されるんだけど、その段階で男は少ない。
主人公とあと一人、くらいが相場だ。
その上、表紙には主人公が一切入らない事も多い。
主人公なのに!
挿絵は流石に主人公が絡む場面が多いんだけど、それでもヒロインは全身、主人公は後ろ姿だけとか、そういう絵が多くなる。
で、結果的に男の絵を描く機会が極端に少なくなって、男の絵自体が苦手になる……そんな当然の流れが出来上がるワケだ。
そういう理由で男が上手く描けないイラストレーターの中には、『男キャラを少女っぽく描く』事でやり過ごしてる人もいる。
結果的に童顔の男キャラが多くなるのはこういう理由もある。
その手の男キャラ以外はデザインすらしない人もいる。
俺の場合は、そこまで割り切れないからどうにかこうにか男キャラも描いてはいるんだけど、お世辞にも上手いとは言えない。
あと、女キャラほどデフォルメが強くないから、こっちの世界で受ける絵とも言い難い。
こういった自覚があるだけに、原因は俺にあると思わずにはいられない。
「僕はそうは思わないけどね。なんにしても、もう神に祈って待つしかないよ」
「俺、無神論者なんだけど……」
「あれ、そうなんだ。君が前にいた世界ではそれが主流だったのかい?」
「神様は沢山いるけど、信じても信じなくても自由って国ではあったかな」
「それは随分と大らかな国だね」
言われてみれば、そうかもしれない。
住んでいる時はそんなの意識した事すらなかったけど。
「ちなみに、カメリア王国の国教は一神教なんだ。聖母神マリーを創造神として崇める〈タゲテス教〉って言うんだけど……入信する?」
「宗教はちょっとな……なんかメリットあんの?」
「死んだ時、『黒葬』っていう変わったお葬式をして貰えるよ。全身を黒塗りにした御遺体を夜の海に投げ込むんだ」
「それの何処がメリットなんですかね……?」
あらためて、元いた世界との文化の違いに目眩を覚える。
とはいっても、今更だよな。
俺はもうここの住民。
葬式もこの世界の常識通りにやって貰うしかない。
死んでまで黒塗りにされるのは……ちょっとヤだけど。
「ま、とにかく焦っても仕方ないよ。やれる事をやろう」
確かに、それしかないか。
まずは依頼が増えない事には本は作れないからな。
一冊の本にするには、相応の数の依頼と報告書が必要だ。
とはいえ、イラスト入りのビラ広告を配るなどの宣伝もやったし、俺に出来る事はもうやりきった。
頼む……頼む!
俺に仕事を!
なんでも良いから、なんでも描くから俺に仕事をくれ!
でないと……
「それじゃ、今日もカメリア語の勉強を長めにやろうか」
ホラやっぱり!
ジャンの目が妖しく光ってる!
「い、嫌だ! お前、教える時妙にサドっ気出して追い込んでくるし!」
「そんな事ないよ。今日は『カメリア語の悲鳴の数々』について学ぼう。一〇三通りあるんだ」
「俺に何をする気だ!? どうやって一〇三回も悲鳴をあげさせる気だ!?」
依頼ーっ!
早く来てくれーっ!
「あのう、よろしいでしょうか?」
「あれ、本当に来たみたいだね……」
おお、一切の引き延ばしなく祈りが通じた!
なんかジャンがガッカリしてるのが微妙に気になるけど……まあいい。
俺にとって救世主に等しいその声の主は、小柄な軽装の少女だった。
ボブというかおかっぱというか、フワッとした髪質のショートヘアの女の子だ。
「いらっしゃいませ。お仕事の御依頼ですか?」
「いえ。そのう……ここの冒険者になりたくて」
おずおずと、小動物のように縮こまりながらそう訴えてくるその少女は――――って、あれ?
「あの、もしかして以前一度ここに来なかった?」
「あのう……はいっ。絵を描いてくれた人、ですよね?」
やっぱり。
前に朝の挨拶の絵を描いてコミュニケーションを図った、あの少女だ。
確かその直後、リチャードが来てそそくさと出て行ったんだっけ。
「そのう……カメリア語、大丈夫なのですね」
「あれから勉強してさ。それより、冒険者志望なの?」
「あのう、はいっ。えっと……」
少女はチラチラとジャンの方を見ながら、コクコクと頷いている。
……ああ、アレだ。
ジャンに憧れて、ってパターンのやつだ。
英雄から一転、街の嫌われ者に転落――――そんな人生を歩んでいるジャンだけど、何しろ外見がいいのと、そういう陰を背負った人生に魅力を感じる女はこの世界にも多いらしく、ジャン目当てにやって来る女の子は月に一人くらいいる。
その中には、冒険者志望の女の子も何人かいた。
所詮はミーハー、全員サッサと辞めちゃったけど。
何にしても……"モテる"って、それだけで正義だよな。
『ただしイケメンに限る』
そんな新標語が出来るくらいだし。
ところで、イラストレーターってのは基本、イケメンと美女ばかり描くんだけど、自画像を美男美女にする人はかなり少ない。
でも、一度は自分を美化したイラストを描いたりするもんだ。
多くの場合、それは気の迷いとか、疲れてるとか、そういう普通じゃない時にやってしまう愚行。
そして描き終えた直後に猛烈な後悔の波が押し寄せてくる。
これはある種、イラストレーターの宿命みたいなもんだろう。
で、ここからが問題なんだけど……イラストレーターの中には、少数ながら『イケメンキャラ』や『美少女キャラ』に自分を常に重ね続ける人がいる。
少なくとも俺は一人、そういうヤツを知っている。
モテモテのキャラ、出来るキャラに自分を重ねる事で、精神的快楽を得る。
優秀な能力、容姿のキャラの立場に自分を置き、モテる環境を疑似体験する。
究極の自己美化だ。
例えば、自分が制作に一切関与していないマンガ、アニメ、ラノベ、ゲーム、映画、ドラマ、その他の創作物ならば、こういう心理は誰もが納得出来るし、一度や二度は体験してるだろう。
でも、自分が作ったキャラ、描いたキャラに自己投影をするってのは……正直、理解出来ない。
っていうか怖い。
ナルシズムをこじらせた結果、そうなってしまったんだろうか……?
「ユーリ、どうしたんだい? さっきからゾワゾワしてるみたいだけど」
「なんでもない。で、どうするんだ? 彼女を登録するの?」
「うん。こっちとしてはありがたい話だよ。君、この書類に名前と本籍、年齢、好きなもの、苦手なもの、得意分野、得物を書いてくれるかい?」
ジャンの事務的な対応に、少女はコクコクコクと三度高速で頷き、渡された羽根ペンで記載を始めた。
名前は――――エミリオ=ステラ。
本籍は俺の知らない地名だけど、少なくともこの近くじゃない。
年齢は……一六か。
俺の三つ下だけど、外見はもっと幼く見えるな。
冒険者っていうと、なんとなく軽装のイメージがあるんだけど、彼女はレザーアーマーらしき鎧を身につけている。
その為、胸のサイズはよくわからないけど、多分控えめなんだろう、身長から察するに。
好きなものは……ミルクルか!
気が合うかもしれない。
それと、さっきの推察は撤回。
牛乳が好きな女の子は着やせするタイプに違いない。
嫌いなものは――――
「……この"グイシャーレメルデロップアリンシュヴァインメェガゴゴゴゴ"ってのは何だ?」
「黒くて素早い虫だね。人差し指くらいの体長で楕円形、羽が生えてて体表に光沢があるのが特徴かな。ギザギザの足が六本あって、それをカサカサ動かして移動するんだ」
ゴキブリやんけ!
この世界ではゴキブリをグイシャーレメルデロップアリンシュヴァインメェガゴゴゴゴっていうのか。
誰が付けたんだこんな名前……
「そのう、タゲテス教では〈不浄の生物〉と言われていて、なるべく近寄らないようにという教えがあるんです。なのでわたしも苦手なんです」
って事は、この子はタゲテス教の信者なのか。
まあ国教ってくらいだから、元いた世界の仏教やキリスト教並の規模だろうし特に問題はないと思うけど。
次は得意分野――――
「……除霊?」
「あ、あのう、はいっ。おじいちゃんがタゲテス教の司祭でして。子供の頃から除霊の儀式を見てきたので、一通りの知識が」
なんかいきなりキナ臭いプロフィールになって来たな。
除霊が得意な一六才の女冒険者……う、胡散臭い!
いや、待て。
神官戦士って考えれば、如何にもゲームやラノベに登場しそうな役職だしセーフかもしれない。
「つかぬ事をお伺いしますけど、回復魔法とか使えます?」
「そのう、使えません。魔法を使えるのはタゲテス教の中でも最上位の方々だけですので……」
あ、魔法は存在するんだ。
なんか今までで一番『異世界に来たんだなあ』って実感湧いた。
「水を差すようで言い難いけど、君の世界で言う魔法とは少し意味合いが違うと思うよ。儀式に近い感じだし」
「儀式?」
「うん。神との対話というか……通信というか」
あー、そっち系か。
指をクイってすると雷が落とせるとか、そんな感じのを期待しちゃったよ。
子供の頃からゲームとかアニメとか、その手のエンターテイメントに触れてきた弊害だな。
向き合わなきゃ、現実と。
その現実が異世界ってのがどうにもアレだけどさ。
「得物は……銃剣なんだね」
猛省する俺の傍らで、ジャンが勝手に続きを読み始めた。
「あのう、はいっ。ジャン様と同じのです」
嬉しそうに返事しつつ、エミリオちゃん(こう呼びたくなる外見だから仕方ない)は腰にぶら下げていたライフルっぽい武器をカウンターに置く。
神官に近い立場の冒険者にしては、やたら物騒な得物だ。
「型番は〇一〇 - 五八五七。確かに僕のと同じだね。古いタイプだけど重心が安定してて、使いやすいんだよね」
「あのう、そうなんです! 製造されたのは十年近く前なんですけどう、今も現役の型なのはバランスがとてもいいからなんですよ! 有効射程はそれほど長くないんですけど、装填部分がシンプルな構造で発射までの時間が短いのも魅力なんですよ。何より当時としては異例ともいえるくらいに剣の重さと銃の重さのバランスをよく考えて作られているから……」
銃剣フェチなのか、エミリオちゃんは急に饒舌になった。
説明が当分終わりそうにないんで、その時間を使って銃剣について以前ジャンから受けた説明を思い返してみよう。
銃剣――――俺が元いた世界にもあった武器だけど、正直あんまり馴染みはない。
ファンタジー世界でも滅多に描かれない武器だし俺も描いた事は一度もない。
ただ、このリコリス・ラジアータにおいては最も普及した武器の一つ。
亜獣との戦いに向いているというのが最大の理由らしい。
亜獣ってのは色んなタイプがいて、皮膚が鎧並に厚く硬いヤツや目で追えないくらい素早いヤツもいるらしい。
ファンタジー世界のモンスターと同じ認識で間違いないみたいだ。
そんな連中に対抗する上で有効だと判断されたのが、銃剣。
銃の威力がないと倒せない亜獣も多い一方で、まだ自動火器は発明されていない為に多数の亜銃を一度に相手にする場合は銃だけだと手に負えない事から、銃剣の有効性が認められたそうな。
ジャンも銃剣の使い手だったらしく、愛用していた得物を一度見せて貰った事がある。
ただ、エミリオちゃんの銃剣とは色が違う。
ジャンのは銃身も剣も黒かった気がする。
対してエミリオちゃんのはピンク。
しかもパステルピンクだ。
「それにしても、この塗装は……」
「そのう……お恥ずかしいです」
流石のジャンも、顔が若干引きつっていた。
ピンクの武器……あり得ねーって感じなんだろう。
「だがイラストレーターの観点からいえば『アリ』だ!」
突然割り込んできた俺に、エミリオちゃんがビクッとした。
「いたいけな少女とゴツゴツした銃剣……そのギャップもアリだけど、それはもうやり尽くされたギャップ。小柄な女の子とハンマーとか、可愛い女の子とゴツゴツした機器とか、そういう組み合わせはもう古い! 武器の中だけでギャップを作るのが新しい感性だと俺は思うね!」
「……君はたまに脈絡のない事を叫び出すよね」
「脈絡はあるんだよ! 彼女を描くのは俺なんだから!」
ジャンに呆れられたものの、言いたい事を言った俺は概ね満足した。
「あのう……」
「あ、勝手に盛り上がってゴメンね。これから説明するよ。ジャンが」
「……まあいいけど」
カメリア語がまだ完璧じゃない俺に代わって、ジャンが説明中――――
「わたしがご本に……? は、恥ずかしいっ……」
おお、エミリオちゃんは恥ずかしがり屋さんだったのか。
元いた世界の一般的一六歳女子からは失われたこのリアクション……新鮮だ!
「恥ずかしがらなくていいんだよ。僕達に全部任せてくれればいい」
「ひああ……そのう……お願いします」
ジャンに見つめられ、つい即答する純真無垢な少女の図。
……なんだろう、なんかちょっと卑猥だ。
この場面を絵に描きたいとつい思ってしまうのは、職業病なんだろうか。
なんにしても、絵になる冒険者が増えるのはありがたい。
ハッキリ言って、男ばっかの挿絵には飽き飽きしてたところだ。
エミリオちゃん、よろしく頼むよ。
……女子と上手く話せないから、心の声でのお願いだけど。
「それじゃ、早速女の子の冒険者が登録した事を大々的にアナウンスしよう。女の子の冒険者が報告書に描かれる事を特に念入りにね」
「……やっぱりお前も俺の男キャラが原因だって思ってたのか畜生め!」
ともあれ――――アナウンス翌日から依頼が増えたのは事実だった。
内容は相変わらず雑多で、引っ越しの手伝いから街の木こりが山から拾ってきた小さな亜獣の調査依頼まで実に様々。
エミリオちゃんは女の子の冒険者とあって、危険な依頼を担当する事はなく、迷子の捜索とか店番の代わりとか、その手の依頼が中心だ。
「んしょっ、んしょっ……お荷物お届けしましたーっ」
「あらー可愛い配達屋さんだこと。さ、さ、あがってあがって。自家製のミルクルを飲んでいきなさいな」
彼女は頑張り屋さんで、依頼人だけでなく彼女の仕事ぶりを目撃した近所の人々みんなが癒やされ、温かい目で見守るようになり、あっという間にエミリオちゃんはハイドランジアの看板冒険者となった。
ランクはまだ1だけど。
それと――――
「あ、君は確かハイドランジアの絵描きさん! この前の報告書、よかったよー! 君の描くエミリオちゃんは健気さが表れててとてもいい! また依頼させて貰うよ!」
――――というような声も増え、彼女の存在は俺の評価をも上昇させていた。
実際、あの子はイラストにしやすいんだ。
童顔で目も大きいし、いかにも『マンガ絵』的な顔なのが大きい。
こういうのを親和性が高い、っていうんだろう。
そんなワケで、〈絵付き報告書〉はあっという間に増え、エミリオちゃんが登録して僅か一ヶ月で同人誌くらいのボリュームの本を一冊作れるまでになった。