0401
幼少期に俺が生まれ育った場所は、特に何の特徴もない、ありふれた県境の住宅街だった。
小学生低学年までは、こう見えて活動的だった記憶がある。
放課後、小学校のグランドで率先してサッカーをしていた。
きっと、何かしらの挫折があったんだと思う。
正直よく覚えていないけど、中学年になる頃にはめっきり外で遊ばなくなった。
クラスでは3DSとTCGが二大流行だったけど、俺はどっちにも興味を示さず、ひたすらマンガを読んでいた。
マンガを描きたい――――そう思うようになったきっかけは、とある作品との出会いだった。
某週刊誌に連載されていたそのマンガは、とても俺好みの絵だった。
話はそれほど面白くなかったけど、それでも読んでいるだけで幸せになれた。
そのマンガは、十五週で打ち切りになった。
全二巻。
残念ながら、打ち切りだった。
俺は、そのマンガが終わった直後、急速に冷めていく自分を自覚した。
なんでこんなマンガを面白いと思っていたんだろう、と。
そして暫くすると今度は、『これくらいのマンガなら、俺にだって描けるんじゃないか?』と思うようになった。
もっと言えば『これくらいの話でプロになれるなら、俺だってなれるんじゃないか?』と思うに至った。
我ながら、情けない動機。
最初の時点で、既に逃げ腰だった。
そして俺は、自分が揶揄したマンガのストーリーにすら到底及ばない作品を何作か生み出し、マンガ家を諦めた。
夢散った日は――――ない。
この日でマンガ家になる夢が砕けた、という明確な線引きが出来ないほど、虚ろな夢だった。
なんとなく、いつの間にか、無理だろうなと思うようになっていた。
けれども、それであっても俺は、絵を描き続けた。
理由は今になって思えば多々あった。
絵を書き続ける事で、何処かへ向かっている感覚を持ち続けたかった。
身につけた技術を確認したかった。
だけど、一番大きかったのは――――楽しかったからだ。
技術が上がっていく感覚。
自分の思い描く絵と、現実に出来上がる絵との差異が縮まっていく感覚。
そして、描いた絵を他人に褒めて貰えるというご褒美。
イラストレーターを目指した訳じゃない。
その感覚に浸っていたかっただけだ。
それで毎日が楽しかった。
その頃、俺が住んでいた街は輝いていた。
ありふれた県境の住宅街がやけに綺麗に見えた。
きっと何も変わっていなかったんだと思う。
輝いて見えたのは、俺の心が充実していたからだろう。
プロの編集者から声をかけられ、ラノベのイラストを担当すると決まった日は、まるで街中がパレードをしているように感じた。
そして――――次第に街は死んでいった。
俺の心が腐敗していくに連れ、無機質に、無味無臭になっていった。
そんな街を見たくない、という言い訳も出来て、俺は部屋に閉じこもるようになった。
今、俺が住んでいるカメリア王国の北部にあるウィステリアという地域は、王都でもなければ主要都市でもない。
まして、その中にあるルピナスという街は、有名ギルドこそあれど、特別に栄えている訳でもない。
けれども、やたら華やかに見える。
それはきっと俺の心と――――
「もう、アルテったら! 一人で王城を抜け出すなんて困った娘ですわね!」
「ご、ごめんなさい……」
――――特に関係はなく、王女が二人も来訪しているからに違いない。
公務以外の理由で王族が二人も来訪しているという現状は、ハッキリ言って異常だ。
「だって、お父様は体調が優れないからと入院してしまったし、お城の使用人達は妙に素っ気ないし、お姉様とリエルはいつまで経っても帰って来ないし……心細かったんだもん」
とまあ、そんな理由でアルテ姫はこのルピナスまで護衛すら付けず、単独でやって来たらしい。
見上げた根性というか、無謀と言うか……幾ら変装していたとはいえ、先にベンヴェヌートあたりに見つかってたらどうなってた事やら。
ともあれ、俺とエミリオちゃんに保護されたアルテ姫は、今こうしてランタナ印刷工房の居間で無事に姉や従騎士との再会を果たしていた。
「でも、御無事で本当によかったです。万が一の事があったら、私……」
「リエル……ごめんね。姫の為に心配してくれるのね。姫が心配かけてごめんね」
涙ぐむリエルさんを前に、若干嬉しそうにしているのはともかく――――
「どうしてルピナスに来たんですか? メアリー姫やリエルさんがここにいるの、知ってた訳じゃないんでしょ?」
確かメアリー姫がアルテ姫に伝書コルーで連絡を取ろうとしていたのは昨日。
まだお城にすら届いていないだろう。
公務じゃないのなら、詳細な予定を記録として残してたとも思えないし……
「お姉様達がここにいたのは知らなかったわ。姫はユーリに会いに来たの」
「……俺に?」
いきなり名指しで呼ばれ、思わず怯む。
なんだって俺に会おうとしたんだ?
「か、勘違いしないでよ! 別に姫はユーリに会いたくて来た訳じゃないの! 仕方なく会いに来たんだからね!」
「その手の勘違いはもう二度としないとこの印刷所の一室で心に誓ったばかりなんで、ツンデレっぽく言わなくても大丈夫です」
「そ、そう。なんか怖いしよくわからないけど、誤解がないのなら別にいいわ」
感情を抑えて説明したつもりが、却ってアルテ姫の恐怖心を煽ってしまった。
それはともかく、本当なんで俺なんだ?
「お姉様。ユーリにお父様の事は……」
「ええ。既に話していますわ」
……あ、そういう事か。
「なら話は早いわね。姫がユーリに会いに来たのは、お父様に絵を描いて欲しかったから」
つまり、メアリー姫と同じ事を頼みに来たのか。
「それなら……伝書コルーか馬車運輸を使って……手紙で依頼しても……よさそうなものだけれど……」
人数分の飲み物をトレイに乗せて、ルカが登場。
ちなみにエミリオちゃんは誤って一国の姫を捕らえようとした事への処罰に怯えまくり、この場にはいない。
いかにも権力に弱いあの子らしい怯えっぷりと言える。
「お父様の件は、手紙では伝えられないと思ったのよ。姫もそれくらいの配慮は出来るの」
ルカは事情を知らないから無理もないけど、『国王が亜獣に魅入られてしまっている』なんて手紙にでも書いて、万が一それが他人の目に触れたようもんなら大事だ。
例えその事実を隠したとしても、一国の王女が全国的にはまだ無名の俺に絵を依頼するのは、色んな事を勘ぐられる原因になるだろう。
まあ、王女が長旅をしてまで直接頼みに来るのもそれはそれで大事なんだけど。
「本当はね、本当は姫が自分で……って思ってたんだけど、姫の描いた絵じゃダメみたいなの。だから、ユーリに頼まないと……って思って……」
気が置けない人達との再会。
長い長い心細さと寂寞感からの解放と安堵。
そして、父親の事を俺に頼まざるを得ない悔しさ。
きっと、色んな感情が混ざり合っているんだろう。
アルテ姫はポロポロと涙を流し、俺の前に力なく歩を進めた。
「お願い。お父様を……助けてあげて。姫のお父様を……たった一人のお父様を……」
「アルテ……」
メアリー姫もその隣に並び、俺と向き合う。
その目はアルテ姫とは違う角度で、でも同じ光を帯びていた。
「わたくし達のお母様は、八年前に亡くなりましたの」
「……え?」
「それからですわ。お父様の亜獣への偏愛が見られるようになったのは」
そういえば――――二人から母親の事を聞いた事は一度もなかった。
この国のお后様は、もう亡くなっていたのか……
「お父様も、寂しかったのでしょう」
メアリー姫のその言葉は、言葉だけを切り取れば達観しているように聞こえる。
だけど、彼女の表情、声、そして何より姉妹揃ってここにいるという事実そのものが、決してそうじゃないと雄弁に語っていた。
――――みんな、寂しかったんだ。
「あ……」
そう思った瞬間、"それ"は突然訪れた。
稀にある。
頭の中が白い光で満たされる感覚。
「あ……あ……」
着想。
そして衝動。
この頭の中に浮かんだ"画"を、どうしても描かなければという使命感にも似た欲求。
けれど、いつもの思いつきとは明らかに質が違う。
その後人気キャラとなったタマヨリヒメのデザインを思いついた時も、こうだった。
自分の中に何かが降りてきたような、そんなイメージ。
「ちょっと失礼!」
居ても立ってもいられず、俺は自分の荷物の中からペンを取り出し、印刷所の紙を数枚手に取って床にそれを置く。
そして自分の中に生まれた画を出力すべく、ペン先をインクで浸した。
「ユーリ? 一体何を……」
「しっ! お姉様、邪魔しちゃダメ!」
遠くで聞こえる声も、次第に音量を弱めていく。
「ユーリ先生は、何か思いついた時にはこうやって一心不乱に描き始めるんです」
そのリエルさんの説明を最後に、明瞭な言葉は俺の周囲から消えた。
後は何もない。
描くだけだ。
あーだこーだと試行錯誤しながら描く時とは全然違う。
自分の中で、イラストを描いているという感覚すらない。
今の俺の目には、既に完成した絵が存在して、そこまでの道のりを遠足のように楽しむ――――そういう時間。
ああ、楽しい。
なんて楽しいんだろう。
この瞬間だけは、どんな辛い現実も、悲しい過去も、憂うべき未来も忘れて、自分を好きになれる。
ここは至福の世界だ――――
「……終わり!」
そう叫んだ瞬間、俺は周囲がやたら暗くなっているのに気付き、一瞬戸惑った。
照明用のランプの炎が揺れている。
アルテ姫もメアリー姫も、リエルさんもルカもいない。
気を利かせてこの場を離れたんだろう。
……にしても、驚いた。
時間経過はともかく、これだけ明度が変わってもそれに気付かないなんて。
元いた世界じゃ蛍光灯があったから、室内では昼夜の区別は殆ど付かなかったけど……随分と集中してたんだな。
「……」
俺は一人、完成したイラストをじっと眺める。
正直なところ――――奇跡の一枚、率直にそう思った。
極限まで集中して描いたからといって、平凡なイラストレーターが一夜にして別人に生まれ変われる訳じゃない。
出来自体は、自分の持っている画力の範囲を若干超えられたかな、という程度だ。
でも、この局面において、そしてアルテ姫やメアリー姫の思いに応えるという意味において、ミラクルが起こったと言える出来映えだと思う。
そういうイラストを描く事が出来た。
「ユーリ、それは……」
「うわっどわっ!」
俺以外に誰もいなくなった筈の居間からいきなり発生した声に、俺は奇声をあげ倒れ込んだ。
ただでさえ同じ態勢で何時間も描いてたから全身が痺れ気味なのに……
「あ、ゴメン。驚かせちゃったね」
「その声はジャンか!」
力の余り入らない身体をどうにか起こすと、薄い炎の光に照らされたジャンの身体が目の前にぼおっと出現した。
に、忍者かよ。
「気配を完全に断つ事で、視界に入ってもそれを人間だと認識させない技術なんだ。これが出来ないと、狙撃手は務まらない」
「昨日の種明かしの時に一緒に見せてくれりゃ、こっちだって素直に驚けたのに……」
……待てよ。
って事は、これまでもこいつは俺の知らない内に気配を消して、俺の行動を監視してた可能性もあるのか?
「お前、俺が鼻の穴や耳の穴に冷水を垂らして悶えている姿を見たんだな。そうなんだな」
「よ、よくわからないんだけど、なんでそんな事してたの?」
ヤブ蛇だった!
「一応自分の名誉の為に言っておくけど、この術は僕のトップシークレットなんだ。仕事以外で使った事はないよ。それに、明日に引きずるくらい疲れるんだ。頻用は出来ない」
「あっそ」
「……信用してない目だね」
そう力なく笑うジャンの顔が、次第に真顔へと変わっていく。
その疲れる術を使ってまでここに来たって事は、何か進展なり問題なりがあったんだろう。
出来れば朗報を聞きたいけど――――
「どうやら、有翼種亜獣を刺激したのはベンヴェヌートの仕業で間違いなさそうだ。彼の部下が亜獣の子供を連れて走っている姿が目撃されていたよ」
「そりゃ朗報だ」
原因がハッキリしたし、一番わかりやすい展開だ。
つまり、上空を飛び交っているあのフクロウ亜獣二体は子供の親なんだろう。
以前は一体しか来なかったけど、今回は一体では見つけきれず両親で探しているのかもしれない。
「朗報……と言っていいかどうか。恐らくベンヴェヌートは、子供の亜獣を刺激して親の亜獣を街中で"程よく"暴れさせて、その後に倒そうと企んでいる。今は子供亜獣の匂いや羽根を利用して『この辺にいるかも』と思わせる程度に留めて、親亜獣の動きを制御しているみたいだね」
「如何にもあの野郎らしい、ゲスなやり口だな」
「決行日はまだわからないけど……ウィステリア市民が亜獣への不安でヒステリックになった頃合いを見計らっているのかもしれない」
その方がより、亜獣を倒した自分達が美化される。
ジャンの推察が事実なら、実にナルシストらしい発想だ。
「で、お前がここに来たのは、それを俺に知らせる為か?」
「うん。本当はユーリを巻き込みたくなかったんだけどね……」
疲れきった顔で、ジャンはその場に腰を下ろした。
俺も床に座り、お互い同じ高さの目線で向き合う。
そういや、二人きりで話をするなんて、何時以来だろう?
《絵ギルド》で一喜一憂していた頃とは随分と状況が変わっちまったな。
「ユーリにはこれからも《絵ギルド》みたいな作品をどんどん生み出して欲しかったし、僕もそれに協力したかった。《絵ギルド》を生み出す過程での試行錯誤や、売れるかどうかわからない時期のドキドキ感、ものすごい勢いで売れている時の爽快感……僕にとってはどれも忘れられない体験だったよ」
「随分大げさだな」
「何かを成し得たと思っても、実は虚像に過ぎなかった……僕の人生はその繰り返しだったからね」
陽性亜獣を殲滅したと思いきや、陽性亜獣なんて最初からいなかった。
第二の人生を切り開こうと新たな仕事を始めたら、見事に騙されていた。
……成程、確かにその通りだ。
「だから僕は、その証とも言える《絵ギルド》をもっと多くの人に見て貰いたい。でも古典派をこのままのさばらせれば、それは叶わなくなる。イヴには申し訳ないけど……今の僕には、亜獣の誤解を解くより、こっちの方が重要かもしれない」
ジャンの言葉はぶっちゃけ、何か悪い事を企んでいる人間が騙す為に言いそうな、如何にもわざとらしい、臭いセリフだった。
そこを回避しないのがジャンらしいというか……多分、本心なんだと思う。
元いた世界で落ちぶれた時、俺は劣等感から世の中を斜に構えて見てしまうクセがついてしまった。
何を見るにしろ、疑心暗鬼になってしまう。
綺麗事に対してやたら厳しい目を向けてしまう。
心に余裕がないからだ。
今、俺はその呪縛から解放されている自分を自覚した。
もしかしたら――――これが成長なのかもしれない。
幻想かもしれないけど、今は素直に喜ぼう。
素直に信じられる友人と出会った事を。
「ユーリ。ここにアルテ姫とメアリー姫がいるよね」
意を決したように、ジャンがほぼ断定的にそう聞いてくる。
気配を消して監視してたのか、誰か見張らせていたのか――――何にしても、しらばっくれる意味はなさそうだ。
「ああ。いるけど」
「出来れば、王都に戻るよう説得して欲しい。ベンヴェヌートの狙いの一つは、彼女達に恥をかかせる事だ」
亜獣に襲われている街に逗留しながら、何も出来なかった無力な王族――――そう仕向けるって訳か。
それはメアリー姫やリエルさんも重々承知しているだろう。
「猶予は余りない。イヴの話では、君は二人と親しいようだし、適任だと思う。頼むよ、ユーリ」
「嫌だ」
「よかった、ユーリならそう言うと……ん? あれ?」
最初から俺が断わらないと決めつけていたらしく、ジャンは軽く混乱していた。
「え、えっと……嫌、なの? 割と重要局面だよ?」
「だからこそ、お断りだ。そもそも、お前らだけで古典派の連中をどうにか出来るのならとっくにやってるだろ? 全員で力を合わせないとな」
「それってつまり、僕達と二人の王女が協力体制を築くべき……そう言いたいの?」
「ああ」
俺は短い言葉で、力強く断言した。
ジャン達もメアリー姫も、目指す方向は同じなんだよ。
古典派の暴走を食い止め、亜獣から国民を守る。
でもジャン達は『亜獣は人間を襲わない』というスタンスで、メアリー姫は『亜獣は人間を襲う可能性が高い』というスタンスで動いている。
もっと言えば、イヴさんは亜獣に対して好意的なスタンスであり、メアリー姫は否定的なスタンス。
そこが大きく食い違っている。
「理想を言えばそうなるけど……難しいと思うよ。特にメアリー殿下はイヴをかなり嫌ってるし」
「その理由は誤解なんじゃないのか?」
「そうだけど……あれ? その件まで君に話したっけ?」
「普通に考えればわかるだろ」
イヴさんは国王に対し、亜獣の絵を献上し続けている。
そしてそれが、メアリー姫がイヴさんを嫌っている最大の理由だ。
でも昨日の話を聞く限りでは、イヴさんは国王を"亜獣漬け"にするのが本意じゃなさそうだ。
なら何が目的なのかと考えた場合――――
「国王の誤解を解こうとしてるんだろ?」
それ以外は考えられない。
亜獣は危険な生き物じゃないと、そう国王に認識して貰おうとして、亜獣の絵を描き続けているんだ。
イラストレーターだからこそ、その感覚がわかる。
例えば悪魔やモンスター。
本来なら怖い筈の存在が、イラストとして普遍的に存在するようになった事で、いつの間にか"カッコいい"とか"勇ましい"とか"美しい"と認識されるようになった。
何度も絵に描かれた被写体は、身近な印象を持ちやすくなる。
それは描く方も見る方も同じだ。
国王は変なモノが好きな人だという。
なら、亜獣を変なモノ、歪な存在だと考えている筈。
イヴさんはその誤解を解きたかった。
『亜獣は決して危険な生き物じゃない。他の動物と同じ生き物』
彼女のその言葉が、俺がそう推察する最大の根拠だ。
「……驚いたね。彼女の事を説明なしにそこまで理解した人間は、君が初めてなんじゃないかな」
どうやら正解だったらしい。
ジャンは感心した――――というより呆れた様子で自分の膝を軽くペチッと叩いていた。
「でも、例えそれが真実であっても、メアリー殿下の誤解を解くのは容易じゃないよ。彼女は陽性亜獣の提唱者だ。ゴットフリート様に利用された可能性が高いとはいえ、ね」
「……お前はメアリー姫をどんな人間だと思ってるんだ?」
「少なくとも、相容れるのは難しい立場の人だと思ってるよ。ユーリもそうなんじゃないの?」
唐突に同意を求められた俺は、思わず顔をしかめた。
一体何の根拠があって……?
「ユーリは本当に、彼女達を信用しているの?」
ジャンの目は真剣だ。
それなら真面目に答えなくちゃならない。
俺は、お姫様二人とリエルさんを信じているのか?
本当に、あの人達を信用しているのか?
《絵ギルド》の価値が下がるのを承知して、古典派の巨匠に金を握らせて《絵ギルド》を模倣させ、古典派を失墜させようとした黒幕である可能性は?
陽性亜獣の存在をでっちあげたゴットフリート殿下と、裏では結託している可能性は?
……現時点での答えは"わからない"。
こんな事、本人達に聞く訳にもいかない。
幾ら俺が無礼でも、余りにも礼を失した質問だ。
信用ってのは、過去の実績やその人となりに対しての評価だ。
そういう意味では、俺は彼女達を知らな過ぎる。
そんな関係性で信用なんて言葉を使うのは、ちょっと違う気がする。
あるとすれば、信じたいという願望だ。
彼女達と接してきた、それほど多くはない機会の中で、そう思うだけの理由に心当たりはある。
けどそれは、正しい感情なんだろうか。
王族や騎士っていう、自分とは全く住む世界が違う彼女達に、そこまで気持ちを入れているんだろうか?
それこそ、絵の中の登場人物に感情移入するのと同じで、現実とは一線を画した思いを抱いているんじゃないか……?
俺は、『王族や騎士と親しくしている自分』『頼られている自分』に酔ってるだけなんじゃないか?
「……バカバカしい」
敢えて、過去の自分をなぞって一通り自分を疑ってみた。
出た答えは言葉の通り。
ジャンの問いかけに全く心当たりがない訳じゃないけど、俺は彼女達を信じたい。
彼女達の力になりたいんだよ。
頭も良くない、人間としての力も足りない俺に、彼女達はよくしてくれたんだから。
「僕の誤解だったのかな」
ジャンは俺の言葉より先に、表情で答えを悟っていた。
でも、そこで終わらす訳にはいかない。
「誤解なのは俺に対してだけじゃなくて、お姫様達についてもそうなんじゃないのか?」
ジャンはアルテ姫やメアリー姫と殆ど面識はない筈だ。
なら、彼女達の事は表面上しか知らないだろう。
俺は知ってる。
メアリー姫が、聡明で優しく茶目っ気のある人物だと。
あの人はきっと――――
「とっくに気付いてると思うぞ。イヴさんの狙いにも、亜獣が危険な生き物じゃないって事にも」
「え……?」
驚くジャンとは裏腹に、俺はそう確信していた。
だってそうだろ?
亜獣が危険な生き物だと本気で思ってたら、経過観察なんて呑気な事は言ってられないだろう。
亜獣は先に手出しさえしなきゃ安全、そういう目算があって初めて成り立つ作戦だ。
イヴさんについても同じだ。
本気でイヴさんを諸悪の根源だと思ってるのなら、王族の権限で彼女を追放してるだろう。
幾ら国王お気に入りの宮廷絵師でも、その国王が正気を失っている今なら、どうにでも出来る筈。
それに気付けないのは、メアリー姫への先入観がジャンの中にあるからだ。
「……得心がいった、って言うんだっけ? こういう時」
「その日本語堪能アピールいい加減止めろ」
「はは。でも、君の言う通りかもしれない。僕には王族への偏見があった。っていうのも……」
「ストップ。お前の過去話はもういい。それより、お前に見て欲しい絵がある」
俺の制止にジャンは一瞬不満顔になりながらも、さっき仕上げたばかりの絵を差し出すと直ぐに受け取った。
「完成したばかりの絵だね。こっちからは何を描いていたのか見えなかったけど……どれどれ」
そしてその絵を目にした瞬間――――ジャンは表情を変え、俺の方に強張った顔を向けた。
「こ、これは! まさか……あの時の!?」
「だーっ! 声が大きい!」
「あ……いや、でも! この絵はスゴい! スゴいよユーリ!」
人差し指を唇に当てて『シーッ』のジェスチャーをした俺に一旦自重を試みるも、ジャンは結局興奮を抑えきれず騒ぎ出した。
描いた方としては嬉しいリアクションだけど……
「騒がしい……一体何……呪……呪……」
案の定、ルカが奥の方から目を擦りつつ現れた。
「……ジャン?」
「あ」
当然、ジャンと目が合う。
いともあっさりと、ルカに見つかってしまった。
今まで何の為に隠密活動をしてきたのやら……
「その……ルカ、久し振り。元気だった?」
「……」
俺としては、このマヌケに対しルカがどんな反応を示すのか興味津々だったが――――彼女は無言のまま暫くフリーズした後、これまで見た事ない険しい顔で両手をポキポキと鳴らし始めた。
「あ、あれ? もしかして……怒ってる?」
「この後に及んで……そんなトンチンカンな発言……確かにジャンが帰ってきたと実感する……懐……壊……」
そういえば、元いた世界では"懐かしい"と"壊す"って字、似てたっけ。
と、そんな事を思いつつ、俺は今にも暴れ出しそうなルカと顔を引きつらせ後退るジャンの間に立つ。
そして――――
「ユーリ、気持ちはありがたいけど、これは僕とルカの……」
何か言ってるジャンに背を向けたまま、俺はルカの利き手にイヴさんから貰ったバンテージ代わりの包帯をしっかりと巻いてやった。
「印刷業に支障が出るのは困る。くれぐれも自分の骨は折らないように」
「ええ……感謝……感謝……」
「あ、やっぱりこうなるんだ」
すっかり観念し脱力したジャンが、俺よりも数段鋭い拳の餌食となり宙を舞ったのは、その一秒後の事だった。
ともあれ――――幼馴染み同士の久々の再会は、流血沙汰となった。




