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落ちぶれ絵師の正しい異世界報復記  作者: 馬面
第1章 下書きの日々
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 何かを始めようと決意した次の日の目覚めは、決まって良い。

 例えば、新しいキャラクターデザインを思いついて、そのラフ画を描くと決めている日。

 これから始める自分の作業にワクワクしながらの起床ほど爽快なものはない。


 そしてこの日は、今までで一番心躍る朝。

 さあ、今日から新しい日々の始まりだ――――


「おはよう、ユーリ。早速だけど、今日から君にはカメリア語を覚えて貰う。カメリア語は日本語ほど複雑じゃないし、文字数も少ないから簡単に覚えられると思うよ」


 ……でも、直ぐに二度寝したくもなる現実が待っていた。


 とはいえ、ジャンの言う通りだから仕方がない。

 これからは本格的にここリコリス・ラジアータで生産活動をしていく事になるんだから、言語の習得は必須事項だ。

 今まで言葉を覚えずにいたのは、絵心の誇示だけじゃなく、心の何処かで旅行気分が抜けてなかったからかもしれない。


「取り敢えず、朝に三時間、夜に三時間。日常会話と仕事に必要と思われる単語と文法をしっかり覚えて貰う。いいね?」

「嫌だ! ……とは言えないわな」


 何せジャンは、俺と会話する為だけに半年足らずで日本語をほぼ完璧に覚えてみせた。

 相当頭もいいんだろうけど、何よりその心意気がとてつもない。

 それに比べれば、この国で生きていくと決めた俺がこの国の言葉を覚える事なんて、普通過ぎて断わる要素がない。


「……でも、せめて夜だけにしない?」


「                」


 ああっ、ジャンが無言で圧力を!

 仕方ない……腹を括ろう。


「それより、早速依頼が来てるよ。冒険者にも通達済みだから、近い内に初仕事をお願いする事になりそうだ」


「そ、そっか」


 いかん、ちょっと緊張してきた。

 昔、初めての仕事依頼を受けた時もこんな感情を抱いたもんだ。

 あの時はラノベだったっけ。


 ピクシブにアップしてた俺の絵を見た某レーベルの編集さんからメールで連絡を受けて、打ち合わせして……懐かしい思い出だ。

 あの頃はよかった。

 自分が認められた感覚、昇っていく感覚だけだったから。


 ま、その何年後かには落ちていく感覚だけになっちゃったけどね……


「いや! まだ俺はやれる! やれる筈だ……よな?」


「よくわからないけど、やって貰わないと困るよ」


「ああ、俺はやる。で、肝心の依頼内容はどんなもん?」


「それは――――」


 ジャンの説明があった三日後。

 ハイドランジア初、いや世界初となる〈絵付き報告書〉は完成し、依頼主にそれを渡す事になった。


 依頼主の反応は――――


「あら、まあ。変わってるけど、中々味があって面白い絵ねえ。嬉しいわあ。ありがとうね」


 俺の密かな不安を余所に、概ね良好。

 ちなみに依頼をくれたのは近所の絹織物店――――要するに服を売ってるお店のご主人で、年輩のおばあさんだ。


 依頼内容は『店内整理』。

 冒険者ギルドの仕事は、こういう雑用も結構多い。

 服も嵩張ると結構な重さになるから、力仕事を受けてくれる冒険者を一人募る……そんな依頼だった。


 なので当然、報告書の中身は『店内で棚卸しをしたり商品を並べたりした』という極めて薄い内容になり、俺の描いた絵も『冒険者が服の入った箱を担ぐ様子』という地味極まりないものになったんだけど、どうにか新鮮さが勝って満足して貰えたらしい。


 とはいっても、こういう依頼に関してはあんまり〈絵付き報告書〉のメリットがないのも事実。

 なるべくなら亜獣退治みたいな、ハデなアクションが期待出来る依頼が欲しいところだ。


 でも、そこには問題が一つ――――


「さて。今日皆さんに集まって貰ったのは他でもありません。先日も説明したように、僕たちはハイドランジアの存続を賭けた一大事業を行う事になりました」


 ハイドランジアを拠点としている冒険者たちに対し、ジャンと俺は事業説明会を開いていた。

 これで三度目の説明会なんだけど、集まった冒険者は三人。

 正直、予想以上に集まりが悪い。

 ハイドランジアの現状を痛感せざるを得ない。


「一大事業だとぅ……?」


 怪訝そうに聞き返したこの屈強な身体付きの男は、亜獣ハンターのヴァンディ。

 亜獣退治を専門とした冒険者だ。


 一見戦闘力は高いそうだが、冒険者としてのキャリアはまだ浅く、ランクは4。

 ランク5以下はヒヨッコレベルだそうだ。


 このランクは、冒険者ギルドの親会社的な存在の組織『冒険者連盟』っていう所が各人の実績を一定の基準に基づき数値化し、その累積によって発行しているらしい。

 なので、冒険者ギルドには各冒険者の実績を月一で報告する義務がある。


 ちなみにリコリス・ラジアータの数字表記はローマ数字の表記に近く――――


 1=I、2=II、3=III、4=IIII、5=+、6=+I、7=+II、8=+III、9=+IIII、10=++


 ――――こんな感じ。

 これは流石に直ぐ覚えた。


「あの……失礼ですが、受付の方が勝手にそんな事やって大丈夫なんですか?」


 おずおずと手を上げて何か問いかけてる彼は、小柄なフィールドワーカーのエリオット。

 冒険者本来の仕事、各地域の現地調査を行っている少年だ。

 冒険者ランクは3。

 まだまだ実績はないに等しい。


「ブハハ! ここの責任者なんてもう何ヶ月も見てねーし! ってか近い内にどうせ潰れるに決まってるだろ!? ブハハ!」


 そして最後の一人、ムカつく笑い方をしている男の名はダエン。

 元々は傭兵ギルド所属だったけど、問題を起こして出禁になった為に仕方なくここで仕事を請け負っているそうだ。

 なんで、冒険者ランクはまだ2。


 つまり―――全員ヒヨッコレベルの冒険者。

 今日来ていない冒険者も大体似たり寄ったりだ。

 問題とはつまり、文字通り"絵になる場面"を作れるほどの依頼をしっかりこなせる冒険者がいない点にある。


 とはいえ、こんな潰れかけのギルドに質の高い冒険者が集う訳もなく、彼らの存在と頑張りが不可欠。

 なんとかやって貰うしかない。


「――――という訳なんだけど、協力してくれるかい?」


 カメリア語で説明を終えたジャンに対し、冒険者たちの反応は――――


「このオレ様の活躍を描いた本だと!?」


「それって、女の人にも読んで貰えるんですか!?」


「ブハハ! やってやるぜブハハ!」


 余りにも安直な点はどうかと思うけど、概ね好意的に受け入れられた。


「それじゃ早速、君達にこなして欲しい依頼を紹介するよ。北東の『ダフニー鉱山』にレベル6相当の亜獣が現れたとの噂が流れてるから、確認に行って欲しい」


 レベル6――――それがどの程度の強さの亜獣なのか、俺は知らない。

 ただその数字を聞いた瞬間、三人の顔色が一気に変わった。


「そ、そういやオレ、風邪気味だったんだよなぁ! ゴホゴホ! ゴホゴホ! ま、またくるぜぇ! ゴホゴホゴボグファ!」


「僕は戦闘は専門外なので無理です。では本日はこの辺で……」


「ブハハ! 自分の足で鼻ほじるくらい無理ブハハ!」


 そして、一目散にギルドから逃げていった。

 ……他はともかく、ヴァンディって冒険者の見かけ倒し感が尋常じゃない。

 俺が言うのもなんだけど、メンタル弱すぎだろ。


「やれやれ、仕方ないね……雑用系の依頼から地道にこなしていこう」


「それで大丈夫なのか?」


「〈絵付き報告書〉の一番の魅力は君の絵だから、最初の内はきっと問題ないよ」


 いずれはもっと刺激的な内容の報告書が必要になるけどね――――そう付け足しつつ、ジャンはカウンター奥の自席に腰かけた。


 実際、ジャンのその目論見は半分だけ当たっていた。

 その後の一週間で、なんて事ない依頼の報告書を一〇ほど制作したけど、依頼主からの評判は上々で、事業のスタートとしては上出来と言えた。

 俺の絵への評価も、ジャンほど大げさに褒める人はいなかったものの、最初の依頼主同様『変わってるけど悪くない』が大半。

 殆どの依頼人が年輩の方だった事を考えれば順調な船出だ。


 けれど――――ジャンの見通しを妨害する問題がここで浮上する。


「……ギルドの統合?」


〈絵付き報告書〉の制作を始めて一ヶ月が経過した日の事。

 ジャンが珍しくゲッソリした顔で、俺のカメリア語に頷いた。


「君も知ってる通り、カメリア王国内には沢山のギルドがある。ウィステリアも例外じゃない。傭兵ギルド、商工ギルド、農林漁鉱ギルド、術師ギルド……そして冒険者ギルド。様々な職業の互助組合が存在していた」


「……ん? 今の過去形か?」


「そうだよ。随分カメリア語の聞き取りが上達したみたいだね」


 そりゃ、ここ一ヶ月は地獄の特訓をさせられたからな。

 俺は決して、ジャンに日本語を教える時にスパルタな教育はしなかったってのに……


「で、君の指摘通り、ウィステリアに数多くのギルドが犇めくという状態は過去のものになった。ギルドの統合計画が実行されたんだ」


 統合計画――――それは、カメリア王国が推し進めている政策で、増えすぎたギルドを整理し、各地域に総合的かつ巨大なギルドを一つ置く『ギルド一本化』を念頭に置いた計画だそうだ。

 ハイドランジアが淘汰されようとしている理由の一つでもある。


 その巨大総合ギルド設立が正式に決定すれば、ハイドランジアは吸収合併、若しくは消滅って事になるだろう。

 とはいえ、実行されるのは当分先って話だった筈。

 実際、ここはまだ合併も消滅もしていないし。


「どうやら、国や市が動く前にナルシサスが自主的に合併を進めていたみたいでね。早速、新しい建物の建設が始まってたよ」


 傭兵ギルド〈ナルシサス〉。

 ウィステリアで一番規模の大きなギルドだ。

 特に街中のゴロツキや盗賊、山賊の討伐実績は群を抜いているらしく、警察よりナルシサスの方が街の治安維持に貢献している……とさえ言われている。

 国も傭兵ギルドの活性化を掲げているし、市長も傭兵ギルドの繁栄に尽力しているとかで、その存在感は冒険者ギルドとは対照的にかなり大きい。

 その反面、横暴な傭兵が増えていて、酒場を占拠して大騒ぎする、警察と癒着し犯罪に目を瞑って貰うなど、問題も増えているみたいだけど。


「ウチには合併の話は来なかったのか?」


「今の所は……ね。来ても断わっただろうけど……」


 ジャンの顔には焦燥こそなかったが、明らかな疲弊が見て取れる。

 無理もない。

 吸収合併を免れたとしても、ナルシサスが他の分野のギルドを吸収し総合ギルドになってしまえば、ただでさえ薄いハイドランジアの存在価値は完全に消えてしまうだろう。


 例えるなら、潰れかけの商店街の近くに大型ショッピングモールが建設されるようなもの。

 それで買い物客の数を維持出来る訳がない。


 そうなってしまうと、幾ら〈絵付き報告書〉がウケてもおっつかない。

 何せ、ハイドランジアに依頼を持ってくるのはギルドの近所に住む一般市民のみ。

 せめてウィステリア全域で認知されるくらいじゃないと勝負にならない。


「よう、ジャン。また視察にきてやったぜ。相変わらず哀れな、まるでお前の人生の末路みたいにしなび切ったこのギルドをよぅ」


 ……聞き覚えのある不快感満載の声が、入り口の方から聞こえてきた。

 金髪坊主の市長ご息子、リチャード=ジョルジョーネ。

 ただし今日は一人じゃない。

 その後ろからもう一人、見覚えのない男が現れた。


 サラサラの黒髪、整った眉、鋭い眼光、通った鼻筋、薄い唇。

 ジャンとは違うタイプのイケメンだ。

 身体はかなり大きく、俺と同じくらい身長のリチャードが小柄に見える。


「……パオロ?」


 そいつが視界に入った刹那、ジャンが搾り出すような声でそんな言葉を漏らした。

 多分、金髪坊主と一緒に来た男の名前であり、ジャンの知り合いでもあるんだろう。

 目が見開き、眉尻がピクピク動くジャンの顔は、明らかに動揺している。

 初めて見る表情だ。


「当然、知ってるわな。コイツはパオロ=シュナーベル。俺様の親友だ。昔はお前の仲間だったらしいがな」


「仲間?」


 まだカメリア語のマスターには程遠い俺だけど、幾つかの単語は聞き取りが出来る。

 仲間、そしてジャンのあからさまな動揺。

 まさか――――


「まさか、ジャンを裏切ったっていう元仕事仲間じゃないだろな?」


「お、なんだよお前。カメリア語喋れるじゃねぇか」


「まだ勉強中だから、早口だと聞き取れないけどな」


 この返し自体は定型句なんで、発音も文法も問題ないと思うけど、それより――――


「ま、今はお前のカメリア語の下手くそさなんざどうでもいい。それよりもジャン、お前だよジャン。なぁ、ジャン」


 粘着に絡んでくるリチャードに、ジャンの顔がますます曇る。

 ああ……俺こいつ嫌いだわー。

 後でこいつが惨殺されるイラスト描こう。


「パオロ。君は……」


 ただ、当のジャンはリチャードの嫌味を完全無視し、苦虫を噛み潰すような顔でパオロと向き合っていた。

 その狼狽ぶりは、辛酸を舐めた相手とか裏切られたビジネスパートナー……というのとはちょっと違う気がする。


「今日は最終通告に来た」


 第一声――――パオロは鋭く冷たい刃物のような印象の声でそう告げた。

 俺の方は見もしない。

 興味の外、って訳だ。


「オレはこのリチャードの父親、つまりウィステリアの市長の要請を受けて半年後に完成予定の総合ギルド〈ハイドランジア〉の代表を務める事になった」


「……な!」


 ハイドランジア……?

 ここと全く同じ名前……だと?


「このギルドは一年以内に畳んで貰う。これは市長、引いては市民の総意でありカメリア王国の大意でもある。お前に抵抗する権利はない」


「そんな……! パオロ、君は間違ってる! そんな形で名前を残しても、僕達の罪は償えない!」


 ……罪?


「勘違いするな、ジャン。オレは償いの為だけで動いているんじゃない。ハイドランジアを掲げるのは、この名前に利用価値があるからだ。かつての栄光のお陰で、諸外国にも知名度だけはあるからな」


 パオロという名の男は、終始淡々とした口調でそう説明した。

 一体、何の罪なのか気になるところだけど、その補足がなされる事はなく、代わりにリチャードが暑苦しい顔を歪ませジャンに凄む。


「来年完成する総合ギルド〈ハイドランジア〉はなぁ、傭兵ギルドだけじゃねぇ、街中の各種ギルドを統一的に運営する世界でも類を見ねぇ注目度抜群のプロジェクトなんだよ! そんな革新的なギルドが誕生するのに、同じ名前のこのギルドがあったら邪魔だろぉ? さっさと畳んじまえ……そう言いに来たって訳さ」


 その理不尽な要求を浮け、ジャンの肩が少しずつ震え出す。

 泣いてる訳じゃない。

 あれは……歯痒さに耐えてるんだ。


 俺も似たような経験がある。

 偶々巡回先で見た、ツイッターの一文。


『こんなどうでもいい絵師掴まされて、作者かわいそう』


 その書込みが、悪意によるものなのか、ただの素直な感想なのか、それとも極めて真っ当な正論だったのかは最早どうでもいい。

 ただ、思う。

 ――――苦い経験だった。


「わかっただろ? お前もこのギルドも、ウィステリアのお荷物なんだよ! 身の程知ったなら荷物まとめて出て行けや。さ、そろそろお暇するぜ。これから俺達は総合ギルド建設の為に多額の寄付をしてくれた良識ある市民の皆様に謝礼の挨拶をしにいかなきゃいけないからよ。なんだったら、お前らも寄付するか? そうしたら敬語使ってヘコヘコしてやるぜ? ヒャッハハハハハハ!」


 既にお馴染みとなった下品な笑い声と共に、リチャードが帰っていく。


「……」


 その後ろを、振り向きもしないで無言のままパオロがついていく。

 嵐のような時間は、こうして過ぎていった。


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