0102
――――その日の夜。
「……このルピナスのあるウィステリア市は、長らく財政難に苦しんでいるんだ」
過呼吸に陥りしばらく寝込んでいたジャンだったが、どうにか意識は正常レベルに回復。
まだ顔色は良くないが、それでもベッドから上体を起こし、ポツポツと俺に事情を説明し始めた。
当然、日本語で。
「元々、亜獣の住処が近くにある所為で治安が悪くて、余り人口が多くない地域だったんだ。でも、このハイドランジアが栄えてからは安全性が確保されて、その結果住民も増えた。少なくとも、五年前までは順調だったんだ。全てが」
けれど、その五年前に状況は一変した。
カメリア王国にだけ突然前触れなく現れ、国中を畏怖と絶望で染め上げた『陽性亜獣』。
冒険者達に話を聞いたところによると、通常の亜獣とは違い、意味もなく人間を襲ってくる上に知性が高く群れを成す事もある凶悪な亜獣の総称らしい。
そんな人類の敵に対抗すべく、ハイドランジアから十数人もの冒険者が派遣された。
その中の一人が、当時一四歳のジャン。
彼らは苦心惨憺の末に陽性亜獣の殲滅に成功し、救国の英雄となった。
特に最年少のジャンには、国中から称賛する声が届いたという。
若くして大きな名誉を得たジャン。
でも、例えば多くの子役がそうであるように、まだ未熟な段階で高過ぎる評価を得た人間は高確率で堕落する。
そしてその堕落の原因の殆どは、汚い大人が持ちかけてくる旨い話に乗せられてリスクの高いビジネスに手を出すというもの。
世界は違えど、それはここリコリス・ラジアータでも同じらしく、ジャンもまた――――
「僕の知らない所で、いつの間にか色々な話が決められていったんだ。その中には、ダーティなビジネスも幾つかあった。リスクの高い、普通に生きていくならば決して手を出してはいけない、裏社会と密接に関わるような仕事も」
「……」
その後の顛末は、容易に予想出来た。
「僕にその手の仕事を持ち込んできたのは、みんな人当たりのいい人達だった。当時まだ浅慮だった僕は、彼らの表層だけを見て、巧みな話術に魅入られ、信じた。でもその裏側で彼らは僕の名前を巧みに使い、資金洗浄や闇組織との癒着等、薄汚れた仕事をしていたんだ。それが明るみに出ると、今まで僕をチヤホヤしていた大人たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなったよ。あっという間に」
一度英雄視された人間に悪い噂が流れると、その悪評は山火事のように大きく燃え広がる。
彼らはそれを知っていたんだろう。
にしても……資金洗浄だの、蜘蛛の子を散らすだの、俺がしたり顔で適当に教えた日本語、用法までよく覚えてるな。
「僕は気付けば世紀の大悪党のように扱われ、そして転落していった。同時にハイドランジアも僕の道連れとなって、一気に寂れてしまった。そして、ハイドランジアによって栄えたこのウィステリアの経済にまで影響が及んでしまったんだ」
一つの犯罪がその犯人の人生だけでなく、周囲の人達の人生まで狂わせる例は元いた世界にも少なからず存在していた。
リコリス・ラジアータにはテレビもラジオもないから、伝搬速度は遅かっただろう。
けれど、そういう環境だと情報に対する警戒心や猜疑心も育っていない筈。
ジャンの悪評を疑う人間は、殆どいなかったのかもしれない。
「なんて言うか……悲惨だな」
「それでも僕は生きていかなくちゃならない。必死で仕事を探したよ。でも、僕の名前を出すだけで誰もが僕を遠ざけた。その後も色々あったけど、最後に残ったのはこのギルド。今の僕にとっては唯一無二の居場所であり、第二の故郷でもあるんだ」
その故郷が今、取り壊しの危機にある。
なのに何も出来ない。
俺を受け入れてくれた、この一見冷静で大人しそうな青年は実のところ将来への不安、更には過去の栄光と現状とのギャップに苦しみ続けていた。
特にその不安を煽っていたのは、市長の息子リチャード。
俺がここへ来てからの半年間、奴は何度も視察と称してはハイドランジアを訪れ、ジャンに挑発的な態度をとっていた。
きっとジャンの過去をこれでもかと言わんばかりに嘲っていたんだろう。
ジャンが英雄としてチヤホヤされていた事を妬んでいたに違いない。
俺にはわかる。
あのリチャードの顔は、かつて栄華を極めたものが堕落していく様を見るのが楽しくて楽しくて仕方がないって顔だ。
嫉妬した相手が落ちぶれていく無様な姿が狂おしいほど愉快でたまらない、そんな顔だ。
俺も――――かつて、似たような顔をされた事があった。
「なあ、ジャン」
俺は床に転がり、ジャンの腰かけるベッドの側面に背を預ける。
ハイドランジアは二階建ての建物で、二階には幾つかの個室があり、この一番奥の部屋はジャンの自室として使われている。
(普段は)しっかり者のジャンらしい、綺麗に整頓された部屋だ。
「俺が元いた世界でイラストレーター……こっちでいう"画家の卵"みたいなものだった、ってのはもう知ってるよな?」
「勿論。ここに来て直ぐに聞いた話だし、実際ユーリは絵が上手だしね。こっちでも画家を目指すのかい?」
「……いや。違うんだ」
「違うって……画家を目指している事が?」
綺麗な場所にいると、心が洗われる――――なんて事はない。
自分の中の醜い部分、ウンザリするような過去が浮き彫りになってくるような奇妙な感覚に陥ってしまう。
だからかもしれない。
ずっと仕舞っておきたかった、元いた世界の事を話しているのは。
「いや。正確には、画家とは違う職業に就いてたんだ。絵を描くって意味では同じだけど、画家とは全く違うんだ」
「……?」
こっちの世界には、デフォルメという文化は殆どない。
あっても、俺がいた世界のデフォルメとはかなり様式が違う。
だから俺はこっちにきてから一度も"自分の絵柄"でイラストを描いた事はなかった。
なんとなく、写実的じゃない絵が恥ずかしいモノ、下手くそなモノに思えていたからだ。
何しろ俺がいた国――――日本は『デフォルメ天国』。
とにかく何でもかんでも縮めたがるし、やたら目をデカくしたがる。
そしてそれはイラストやマンガに限らない。
例えばフィギュア。
アニメキャラやロボットを八分の一くらいのスケールにして立体化するフィギュアが主流だったのは昔の話。
近年では二頭身のフィギュアの方が有名かもしれない。
具体名を挙げると『ねんどろいど』あたりがそうだ。
しかもその『ねんどろいど』から更にデフォルメが進んだ『ねんどろいどぷち』なんてのもある。
それだけじゃない。
別の会社も『キューポッシュ』や『ワンコインミニ』、或いは『でふぉめmini』など、どんどん少子化ならぬ小子化が進んでいる。
デフォルメの道に終焉はない。
そんな国で育った俺は、身体の芯までデフォルメされた絵が染みついているって訳さ。
「ユーリ……?」
俺の奥歯に物を挟んだような物言いを不審に思っているであろうジャンを手で制し、俺は肌身離さず持ち歩いているペンとインク瓶を取り出し、ジャンの部屋の机に向かい、その上にあった紙と向かい合った。
時代はデジタル。
ペンタブレットとペイントソフトを使えば、より綿密、より綺麗なイラストが最小限の道具と時間で描けるとあって、俺も早々にデジタルへ移行した。
でも、このリコリス・ラジアータにデジタルは存在しない。
ウィステリアから外に出た事はないんだけど、ジャンの話を聞く限りではリコリス・ラジアータの文明レベルは地球の近世~近代ヨーロッパレベル。
鉄道や水道、鉛筆がようやく普及し始めたくらいだ。
Gペンや丸ペンなんて区分もないし、ミリペンのような万年筆タイプのペンは存在こそしていても普及には程遠いレベルらしい。
そんな環境で……いや、そんな環境だからこそ。
俺はかつて身体で覚えていた感覚を頼りに、一心不乱に羽根ペンを奔らせた。
そして――――
「……これを見てくれ。どう思う?」
完成したイラストをジャンに見せる。
スマホゲー『エルフェ&プリンツェッスィン』で人気投票3位に入った俺の代表キャラクター、タマヨリヒメ。
巫女の姿をした、長い黒髪の女性だ。
当然、この時代には存在しない、過度にデフォルメされた美少女。
写実的な絵と比べて、目の大きさをはじめ、あらゆる構造が歪だ。
「これは……」
案の定、ジャンは絶句していた。
そりゃそうだろう。
フザけて書いた落書きと思われても不思議じゃない。
この世界の価値観とは余りにかけ離れた絵だ。
ここ半年、ジャンには何度も自分の描いた絵を見せてきたけど、この手の"マンガ絵"を見せたのは初めてだった。
でも――――これが俺の絵。
俺の今の実力の全てだ。
「実はさ……俺もお前と同じなんだ」
「僕と同じ? 何が?」
「落ちぶれた人間。お前ほど落差がある訳じゃないけど、昔は俺も結構チヤホヤされてたんだよ。割と有名なイラストレーターだったんだ」
来栖結理――――その名前でウィキペディアの個人ページが存在するくらいには認知されているペンネームだ。
手がけた仕事は、ライトノベルが四作、スマホ向けゲームのキャラクターデザインを八人(三作)。
この内、ラノベの一作はアニメ化、スマホゲーの一作は大ヒットを記録した事もあって、来栖結理の名前はそれなりに知れ渡っていた。
某有名イベントで俺のコーナーが設けられた事もあったし、某雑誌の好きなイラストレーターランキングにランクインした事もあった。
「スゴいじゃないか。君の描いた人物画が多くの人に評価されていた、って事なんだろ?」
「ああ。でもな……」
「でも、なんだい?」
きっと、鬱憤が溜まってたんだ。
いろんな鬱憤が。
「……こんな……こんな絵、誰だって描けるんだよ!」
「え、えええ!?」
ジャンが腰砕けになるほどの大声。
でも、一度溢れ出た感情は雪崩のように次々と押し寄せていき、自制が利かなくなっていた。
「こんな今時の絵柄を判で押したような絵、ちょっと練習すれば誰だって描けるさ! ありきたりな線、ありきたりな比率、ありきたりな表現、ありきたりなポーズ! 見ろよこのキャラの目! 完全に目が死んでるだろ!?」
「ぼ、僕はよくわからないけど……」
「死んでんだよ! そりゃそうだろ! だって命の鼓動を感じないもの! 俺の絵からは生きてる人間の抱える葛藤や渇望や歓喜がどこにも感じられないもの!」
「いや、絵が生きていても困るけど」
「生きてなきゃダメなんだよ! 絵は……絵は一目でそのキャラの生き様が見えてこないと本来はダメなんだよ! イラストレーターはそれを一枚絵で表現出来ないと表現者って言えないんだよ!」
吠えるだけ吠えて、俺はつい今し方完成させたイラストをビリビリに破り捨てた。
それはもう、ビリッビリに破ってやった。
「……いや、わかってるんだ。本当はジャンの言うように、別に絵が生きてなくてもいいんだ。イラストを見る人がそんな事を気にしてる訳じゃない、そんな事で評価が決まる訳じゃないってわかってるんだ」
切れ切れ、ボロボロになって床に散らばった自分の絵を眺めて、ようやく我に返る。
そう。
俺のイラストレーターとしての最新の評価は、この絵と同じようにボロボロだ。
「偶々、最初に手がけた小説が人気出て、イラスト描いた俺も少し有名になった、ってだけ。案の定、その後の作品は鳴かず飛ばず。今時の絵柄だけどオリジナリティのない、背景もロクに描けない、ピクシブ見れば何処にでも転がってる典型的な『量産型イラストレーター』……それが今の俺の総評なんだ」
「えっと……」
「悪い。意味不明な言葉ばっかり使ってたな。要するに人気も実力もないから誰からも仕事の依頼が来ないダメな画家。そんなトコだ」
実際、高校二年までは学業より仕事の方がずっと忙しかった。
『こりゃ受験勉強どころじゃねーなー、どうすっかなー、困ったなー』って口にこそ出さなかったけど、そう心の中で常に息巻いていたし、それはきっとツイッターや打ち上げの席での会話にも滲み出てただろう。
今になって思えば切腹モノの醜態晒しだ。
でも、受験シーズンに突入する頃には仕事はパタリと途絶え、自暴自棄になった俺は美術大学でもイラスト科のある専門学校でもなく、普通の三流大学に進学。
一人暮らしを始めたはいいが、周囲には友達もなく、劣等感から他のイラストレーターとの交流も途絶え、いつしか俺は大学に通うのすら止め、アパートの一室に引き籠もり、かつて人気を博した自分考案のキャラクター達を延々と描き続けていた。
勿論、仕事の為じゃない。
『俺は今はこうだけど、俺が生み出したコイツ等は確かにヒットしたんだ!』
そんな、ヤバい部類の自己満足を得る事で、ギリギリ生きていられた。
ほぼニートだ。
自分の過去に閉じ籠もってる分、ネトゲ廃人より悲惨だったのかもしれない。
仲間もいない、友達もいない、信じられる他人も皆無。
イラストを担当したラノベの作家達とは殆ど絡んでもいない。
最初の打ち合わせで軽く挨拶を交わした程度で、後は全部担当経由でのやり取りだった。
ゲーム制作者についても似たようなもの。
担当編集やスタッフも、敵じゃないけど味方でもなかった。
自分の小さく短い全盛期だけを糧に、しょぼいマッチポンプで幸福感を生み出しては燃やし尽くしていく、なんとも惨めな生き物……それが当時の俺だ。
このリコリス・ラジアータに迷い込んだのは、そんな生活が当たり前になった頃だった。
どうしてこの世界へとジャンプしたのかは全くわからない。
誰かに召喚されるってのが異世界転生の王道なんだろうけど、今のところそんな奇行に興じている連中の噂を聞いた事はない。
敢えてそこに理由を求めるなら――――俺の願望が叶ったのかもしれない。
俺はとにかく逃げ出したかった。
『落ちぶれイラストレーター』
『ゴミ絵師』
『前にちょっと名前が売れただけに余計悲惨』
こういうレッテルや評価のない、真っ白な自分になりたかった。
リコリス・ラジアータへのトリップは、こんな俺の逃避願望が叶ったと言えるのかもしれない。
だからといって、新たなスタートを切れてる訳じゃないんだけど。
寧ろ今も尚、過去の栄光に縋っている。
この世界の言葉をロクに覚えようともせず、イラストを使ってコミュニケーションを図り続けているのは、そういう事だ。
『絵を描く技術、役立ってるだろ?』
『やっぱりイラストレーターをやっててよかったよな』
そう思えるからだ。
過去の自分を正当化、美化したいだけなんだ。
「……そうだったのか。君も僕と同じで、過去の栄光から逃れられないでいるんだね」
一通り俺の半生と心情を聞いたジャンが、同情の視線を向けてくる。
いや、同情ってより同調か。
スケールは違えど、俺らはかつての肩書きに縛られ続けている同類なんだから。
「一度堕ちた評価と信頼を回復させるのは難しいんだ。不可能かもしれない。どれだけ誠意を見せても、僕が悪い訳じゃないと叫んでも、誰も耳を貸してくれない。この受付の仕事にしても、僕を信用して雇用した訳じゃないのはわかってるんだ」
国の方針とハイドランジアの経営状況を考えれば、いずれここが潰れるのは想像に難くない。
ジャンは沈むとわかってる船の添乗員を任された事になる。
それでも、他に選択肢はなかったんだろう。
「俺達、もうダメなのかな……?」
思わずそんな事を呟いてしまう。
俺達の"達"には、ジャンや俺だけじゃなく、このハイドランジアも含まれている。
全盛期には沢山の冒険者が所属していたギルドらしいから。
俺らに出来る事は、もうないんだろうか。
打たれた杭が地面で眠りに就くように、黙ってここが潰れ終わるのを見届けるしかないんだろうか。