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5 帝なんていない

 帝国軍本隊、アスレイ城完全包囲。

 三日後の早朝である。姫は現実感を伴わない精神のまま、朝食をとっていた。好物になりかけていた煮豆も、歯で押しつぶされ喉を下っていくだけ。父と母のことと、危機感から逃げていた自分への嫌悪が交互に頭をめぐり、酔いに似た感覚を起こしていた。

「大丈夫……?」

 心配げな香の顔が覗き込む。頷くだけで精一杯だった。

「六時より帝の間にて出立の儀を行う。その後、港へ」

 忍が予定を伝達した。姫に目をやって言う。

「彼女は置いていく」

「駄目」

 香が睨みつけた。

「お前は何がしたい。一人の人間を追い詰めているようにしか、私には見えない」

「姫は特務に不可欠な存在になる。前に言った意味でも、別の意味でも」

「目障りなんだ。士気に関わるんだよ。私だって人間だ」

「少尉が弱いだけでは?」

 かちんと音が聞こえる程に、忍は表情を変えた。

「やめて……」

 消え入りそうな姫の声。小さな争いでも、今は見たくなかった。

「今は、あなたたちと同行する身。感情との区別はつけるわ」

 自己を律した。半分以上残した弁当に蓋をして、立ち上がった。それが容易くできた理由に、姫自身はこの時気づいていない。


 アズマに来て最初に目にした光景、艶やかな木の床と装飾の部屋、『帝の間』。あの日と同様に、壁際には男性兵が並び、黒服の草村大佐、それに加えて他の軍高官達も室内にはいた。

 部屋の最奥、紋の入った布の奥に、人影が見える。

「この儀により、隊に神のご加護が与えられるんです」

 膝立ちの沙智が言う隣で、さっそく香が欠伸をした。

 浅い器に、透明な液体が注がれたものが配られた。

「お酒……」匂いでわかった。

 四人は盃を飲み干し、入室した和装の老人によってお祓いを受ける。

 大佐が厳かに口を開いた。

「これより特務部隊は、エルミナ東岸の港より潜入を行う。明日、本隊はアスレイ城内へ突入。アズマと帝の力を示す為――」

 天井の一点を見つめ、言い切った。

「国王、王妃をその場で処刑、それが宣戦布告であり、同時にエルミナの目をアスレイの本隊に向ける意味を持つ。そこから一日を空けて特務はエルミナに到着、任務を開始。敵戦力と、基地内兵器の調査を行う」

 姫の呼吸は止まっていた。

「現地での通信連絡は期待できない。よって、無事帰還、報告が任務の完遂となる。貴君らの活躍を期待している。以上だ」

 忍の号令により、特務隊は起立、敬礼を行う。布の奥で人影が揺れた。

 殆ど無意識だった。

 姫は一歩前に出た。

 流れるようにもう一歩、大佐の横をすり抜ける。懐から短刀を抜き、部屋奥へと駆けた。

 紋の入った布を切り裂く。何か別のものが姫を動かしていた。

「アスレイへの攻撃を中断しろ!」

 金で装飾された椅子の後ろにまわり、座っていた人物へ刃を突きつけた。仕切っていた布が落ちた。驚く大佐の顔があった。

 香たちは、 平然と見つめていた。

「本隊に今すぐ連絡をとれ! こいつを、殺すわよ!」

「こいつって誰よ」

 香の呟き。姫はゆっくりと視線だけを動かして、握った短刀の先を見た。

 精巧な造りの、人形が座っていた。ゼンマイ動力の駆動が、微かに聞こえてきた。

「……なにこれ」

「見ての通り。帝なんて最初からいないんだよ」

 壁際の兵達が刀に手をかけた。それを制し、香は姫に近づいた。

「正確には、滅んだんだ。一族すべて。醜い争いで」

 落ちた布を手に取る。帝の紋を見て、可笑しそうな顔をした。高官達の咳払いが次々に聞こえた。

「少し、歴史の話をしようか」

 そう言って香は続けた。


 ――帝国アズマは、神に護られし土地とされていた。

 約一世紀前の東大陸との交流でわかったことは、アズマには疫病も天災もなく、ただ穏やかな気候と豊作があることだった。

 それは国を治める帝一族に、強い加護が働いているからだとされた。その容貌、髪色、全知全能の力によって、彼らは神の子達と呼ばれ、信仰の対象であった。

 自給自足が成り立つアズマに国交の必要はなく、外との繋がりが邪を持ち込むとの危惧もされた為、自ず鎖国となった。刀工芸、染物、花火、人形細工。以後の百年はそうして国の中だけで繁栄していくはずだった。

 帝一族で内乱が起きた。覇権をめぐる争いだった。帝となり得る者はすべて滅び、軍本部の帝の間は永遠の空席となった。

 一族滅亡の事実は隠された。急激に増加した国内の自殺者、近親の争いなと、目に見えて国は荒れはじめた。作物の不作、各地の飢饉。神の加護が消えた為と、国民に悟られてはならない。

 軍は国民に戦争の必要性を説いた。鎖国は愚手だった。アズマの、帝の有り余る力は、外に向かうことでしか健全たり得ない。やがて自らを滅ぼすのだ。

 帝の言葉として伝えることで、国は恐ろしいほど従順に動いた。誰も、公に出なくなった一族を疑ったりはしない。国民すべてに兵役を課し、そこで訓練と信心の向上を施す。一億人の兵士が作られた。


「そのへんの酔っ払いも、花の湯の番台も、刀を持てば戦える。今アスレイにいる本隊だって、殆どが元々の軍人じゃない」

「窮鼠……」

「アズマっていうのはそういう国だよ」

 追い詰められ、牙を剥いた獣。崩壊した信仰。なるべくして、彼らはそうなった。

 香は優しく微笑んで、歩み寄る。

「それ、この国の工芸品ですから。壊さないで」

 からくり人形だ。端正な顔立ち、銀の髪、豪華な衣装が着せられている。姫の瞳からこぼれた涙が、それに落ちた。

「例え軍がやめろと言っても、帝を信じた兵は止まらない。国を動かしているのは、見えない意思。帝の亡霊なのかもしれないね」

 短刀を掴まれた。姫の手からするりと抜けたそれを、香は拾った鞘に納めた。そして高らかに言う。

「施設内での抜刀は問題ですなぁ! あと国宝級の人形に傷をつけようとしたことも。これは任務帰還後に相応の罰を与えねば! 彼女の母国への賠償も必要だ!」

「貴様、帝……」

「帝なんていない」

 大佐は一言で黙らされた。

「出立の儀は何事もなく終了した。これから特務はエルミナへと向かう」

 高官達に目を向ける。無言の敬礼が返された。

 おぼつかない足取りで玉座の段を降りた姫は、ばしんと尻を叩かれた。

「しっかりする。高官殿に敬礼を返せ、特務隊員」

 香に言われ、口を結んで挙手礼をした。

 帝の間を出て、四人は軍用車に乗り港へ。

 そこにあったのは、巨大な鉄の船だった。鉄車両を見たとき同様の感覚が、姫を襲った。

 数人の兵士に案内され船内へ。操舵室にはエルミナ軍服を着た船員二人がいた。西大陸語による会話がされ、打ち解けた雰囲気で出航準備が進む。

「ほとんど海賊ですね」

 沙智が言った。奪った船を潜入に使う。まさにそうだ。「海賊国家……」姫はつぶやいた。

「素敵じゃん。七つの海を股にかけ、神々の隠した秘宝を手に入れるのだ、特務海賊団。海賊船アズマ号!」

「エルミナの船ですけどね」

「清々しい盗っ人根性だな」

「……」

 頭の中がごちゃごちゃだった。

 怒ることも、泣くことも、もう意味はない。国を救うただ一つの手段も、無為に終わった。

「進路よし。これより出航します」

 現実は止まらない。わたしはこの場所で、何を思って生きればいいのか。

「姫」

 香から短刀が返された。逡巡して、受け取った。

 姫が柄を、香が鞘を。

 笑顔で香が手を引くと、銀光りする刃が現れた。

「あなたの両親は、あたしたちが殺した」

「……」

「許せないなら、その意を示したらいい。喉を一突き、やれ」

 手が震えた。

「できないのなら、あなたは特務として戦争に参加することとなる。罪もない人々の命を、その手で奪う」

「う……」

「今なら、正当に復讐ができる。意思を貫き、アスレイの王女として死ねる。――その手を」

 重力に負けかかっていた姫の手が止まる。

「その手を下ろせば、あなたは誰よりも卑しく汚い存在だ。親を殺した者に与するのだから」

「う……うぅう!」

 歯を噛み締め、柄を強く握った。

「あたしは、あなたを軽蔑するよ。ゴミ以下の魂。ここで仇を取れないような奴に、何かを為すなんてできやしない。蔑まれながら生きたいか。それが嫌なら殺せ」

「うああぁぁぁああああ!!」

 踏み出す。勢いのままに伸ばした短刀は、

 香が出した鞘のなかにスポンと納まった。

 汗びっしょりの赤髪。

「怖くなったな」忍が冷ややかに言った。

「うう! う……」ぼろぼろと泣きながら短刀を押し引きするが、鞘口を押さえられていて刃は抜けない。一本ずつ指が引き剥がされ、得物は奪われた。

「ああっ、返して。返して……」

「やーだよー。危ないので没収です」

「父の、母の仇……」

「頑張って寝首をかくなりしてください。あ、まずはエルミナで生き残ることだけどね~」

「香、あなた……」

 姫が睨んでいると、忍が言った。

「桃山、それはあんまりだ。殺されてやれ」

「私もそう思います。姫さんが不憫です」

「ええ!?」

 ははは、と兵士たちの笑い。

「――というか、一番不憫なのはわたしの両親よ! なにこの空気! 人の死を冗談っぽく済まさないで!」

 泣きながら憤慨する姫の肩に、香の手が置かれた。

「悲しみは、乗り越えていかなきゃ……」

「だからそうやって終わらせようとしないの!」

「でも本当の話だよ。あたしも親は死んでるし、これから人死はいくらでも出る。いちいち感傷とか、弔ってる暇はない」

「……」

「ごめんね。そういうことなわけ。姫の気持ちは、確かに受け取ったよ」短刀の鞘を持って言った。「それとは無関係なところで、特務は動く」

 船が大きく揺れた。港を離れたのだ。

 姫はやりどころのない気持ちだった。挑発されてつい刺しかかったが、香を殺すのだってそもそもお門違いだ。ならばどこに矛先を向ければいいかというと、それもわからない。

 心をかき乱され、叫ばされて、うやむやにされて、つい先程までの悲しみや怒りは薄れてしまっていた。思い返せば、すぐにでも泣けるだろう。だが無為にそれをする気にもなれない。

 虚無感のなかで、周りの景色だけが動く。

「おふろ」

 眼前に香がにやけた面を晒した。

「エルミナ式の船内風呂、すごいよ。また顔ぐしゃぐしゃだし、姫」気づいて、目を拭った。

「入ろっ」

 手を取られて、配管の巡った廊下に出る。

「本当、ことあるごとに風呂……」忍の呟きが聞こえた。香はひらめいたように目を光らせ、引き返していき、「ほら、おまえもだよっ!」忍を引っ張ってきた。後ろから楽しそうに沙智もついてくる。

「私はやだからな! 子供じゃないんだ!」

「少尉、全裸で潜入の任務はどうなりましたか!?」

「ぐ……」

 苦い顔の忍は手を引かれ、姫は背中を押され、四人はばたばたと走った。

 ――恐らく、香が言った最低の人間に、わたしはなる。

 大勢の死を、国や両親の死をも忘れて、一瞬のきらめきに心躍らせているのだから。

 船窓から見えた空は晴れやかで、海は輝いていて、そこに一人の少女を責めるものなどひとつもなかった。


「あ」

 作戦日程二日目。船上で一夜を過ごし、揺れにも慣れてきた朝、特務四人が集まる船室からトイレに立った姫は、廊下で帝国軍兵士の男と鉢合わせた。

 敬礼をされた。姫は慌てて返す。

 道をあけ、通そうとする彼に声をかけた。

「あの、船員の方たちは」

「はい」堅い口調。

「エルミナの方なのですよね……」

 自分は何を言っているんだ。見るからにそうだったじゃないか。

 しかし彼は上手く汲んでくれたらしい。期待した返答が返された。

「彼らの待遇はいい。裏切りに見合うだけの報酬を得ています」

「……そうなのですか」

「連中は冷めていますよ。貴女の方がずっと人間的だ」

「……」姫は顔を赤くした。

 あと、聞いておくことはあるだろうか。冷静に考えて、こういう機会は少ない。常に香たちといるからだ。

「上陸の際は、どうするのですか」

「アドリブですよ。向こうの状況次第です」

 ここでもアドリブか。

「もし難しい事態になれば我々は退避するのみですが、貴女方は逆に飛び込まなくてはならない。頑張られて下さい」

 敬礼をして別れる。

 そのような場に、たいして訓練も受けていない自分がいてもいいのだろうか。散々言われたように、重荷になるだろう。

 何事もなければいい。警戒がなく、すんなり潜入して重大な敵の弱点を掴み、一滴の血も流れず戦争は終わる。

「……」

 馬鹿かわたしは。

 と思いながらトイレで服を脱いだ。

 今このとき、アスレイ王、王妃の処刑が行われている。その考えを心で見据えつつ、姫はひたすら前を向いた。

 乗り越えられそうだった。ひどい話だが。エルミナ兵のように、冷たくなりつつあるのかもしれない。

 香が、あの三人が、好きだった。ほんとうに、ひどい話だ。

「遅かったね、姫」

「うんこですか?」と沙智。

 特務一人ひとりに与えられた船室の、ここは沙智の部屋だ。と言っても彼女が持ち込んだ物はなく、簡易のベッドに机椅子があるだけの小さな部屋だが。

 帰ってきた姫はベッドの隅に座った。

「で、石鹸なんですけど」

「うん、要らないよ、顔洗うのに石鹸なんて」

「水だけだよな」

 何かと思えば、数分前にしていた旅先での入浴や身だしなみの話をまだしているらしい。

「なんで!?」沙智が絶叫した。「顔にうんこがついたらどうするんです?」

「そ、そのときだけ石鹸で洗えば」

「知らずうんこがついていたらどうするんですか!」

「お前、前々から思っていたけど桃山とは違う方向に下品なんだよ! 見ろ、赤面してるだろ桃山が」

「うん……もろに排泄物の話題はちょっとね……」

 姫はそれどころか退室しようとしていた。

「まったく。水で洗うだけなんて考えられません。皆さん不潔ですよ」

「そうか……」

 ぷんぷんと怒る沙智を他所に、香は部屋内の引き出しを物色した。元はエルミナ兵の部屋であり、死んだ彼らの持ち物がそのまま残っているのだ。

「外国の入浴品。これ使うしかないね。アスレイでも似たようなのずっと使ってたけど、悪くはないぜよ」

 さらに物色。姫は嫌な予感がした。

「おお……」

 エルミナ兵の性欲処理用の本が出てきた。

 机に広げて、沙智、忍も覗き込む。

「凄い製本技術だな……」

「写真が全彩色です。エルミナは予想以上に進んでいる」

「あんたら真面目な顔して凝視しないの」

 うん……、この三人が、好き、だ……。

 顔を引き攣らせながら、姫は少し自信がなくなってきた。


 船の一室の窓から、忍が一羽の鳩を飛ばす。鳥餌と糞だらけになった部屋。元の持ち主が知ったらどう思うだろうか。

「伝書鳩……」

「エルミナの通信技術は飛び抜けている。当然傍受もだ。徹底して原始的に、我々は対抗する」

 アスレイでも通信を利用していたこの時勢に鳩を飛ばす……逆に有効と言える。

 三日目の朝である。『順調にエルミナ周辺海域を進行中、正午頃上陸の予定』との文書がアズマに向け出された。操舵室ではその高性能の通信機器を用いて、港基地との連絡が続いている。数日前に連絡を絶ったエルミナの船である。乗員は全員生存、機器の不調により連絡がとれなかった、という内容で、入港の段取りは済ませた。

 正午近く。操舵室前の廊下に、身を低くして特務隊は潜む。

「有効な侵入経路はなし。正面突破が唯一の道ですね」同じく屈んで、兵士の一人が言った。「普通に港から入って下さい。見た者は我々が倒します」

 実力に頼った荒々しい手段だ。作戦とも呼べない、これがアズマのやり方。

「恩に着る」香は本を手渡した。「あたしからの気持ちだ。終わったら皆で回し読みしろ」

「はっ」

 姫は冷めた顔をした。

 港からの拡声された声が響く。入港指示だ。隠れて操舵室窓を覗いた兵士が、警戒は少ない、と伝える。

「姫、ただ遅れないようについてこい」と忍。

「……ええ」身体が強張る。

 香から短刀が手渡された。無言で、目でやりとりをし、懐に仕舞った。

 船員一名と兵士一名を残し、特務とアズマ兵は船内廊下を駆ける。船が大きく揺れた。甲板では、別の船員が入港作業をしていた。

 橋がかかると同時、兵士達が飛び出す。つられて出ようとした姫の体を、香が押さえた。

「覚えておいて。特務はいつもこうだから」

 港から罵声、悲鳴が上がる中、全てを切り裂くような破裂音がした。姫は驚いて、甲板から顔を出す。

 何人ものエルミナ兵の屍の中、アズマ兵の一人が海に落ちた。

 もう一度、ばあんという音。アズマ兵が二人、突然に倒れた。

「連中、知っていたな」

「船員から聞いたんでしょうね」

 不自然に離れた位置にいるエルミナ兵の手に、筒状の物体が構えられていた。それが火を吹く。アズマ兵が倒れる。――未知の武器だ。

 姫は震えた。目の前で犠牲が量産されていく。それが彼らの使命なのだ。

 武器を構えた兵の首が飛んだ。血を払い、アズマ兵はこちらに目を向ける。

「今だ」三人は駆け出す。姫も慌てて追いかけた。

 瞬間、破裂音が鳴る。合図をした兵が倒れた。特務は一気に橋を抜ける。

「散々だな。行くしかない」

 忍が速度を上げた。その先には武器を向けるエルミナ兵。発砲、瞬間に黒髪の少女は地面に手をつき、姿を消す。武器ごと軍服の腕が飛んだ。見失った位置の遥か先に忍はいた。さらに建物の陰を一突き。伏兵も倒れた。

 香が姫の手を引いた。一同は倉庫らしき建物の間を走る。

「基地まで一キロ。この騒ぎではのんびり潜入は無理だな。最速で敵戦力を探り撤退する」

「アスレイ国境から出るしかないね」香の視線の先には、港を離れゆく船があった。「又はここで皆死にますか!」

「冗談じゃない……!」息を切らしながら姫。

 と、香が前に出る。目にも留まらぬ動きで道出口の敵を斬った。

 視界が開ける。鉄色の建物が目の前に現れた。高さはそれほどない。しかし大きい。面積は港部全域に及ぶと思われた。港入口まで伸びる水路も目に入る。

「船員の話では、基地は軍用船の整備に特化したものとのこと。信用に足るかは知らないが」

「常識で考えたら、ここに車両を配備しても無意味ですよね」

 四人は右手より大きく回り込むコースを取る。事前に知らされていた、基地横の通用門からの潜入だ。警戒が波及するのを脚で追い越す算段。

 入口の兵二人を始末し、鉄門より施設に入る。

 赤青黄、色とりどりの光が点灯した、そこは機械制御の基地だった。高速船を船員数名で動かす程である。アスレイに持ち込まれている技術などとは桁が違った。

 出会いがしらに丸腰の敵を斬り捨てながら奥へ。途中、忍が兵の一人から情報を訊き出す。

「ドゥ、ドゥユーノー、……」

「この基地に陸戦車両はあるか」沙智が西大陸語で訊いた。

 彼は首を振る。口やら体は女子四人の手で拘束されている。

「他の兵器は」

 首はまた横に振られた。同時に沙智は胸に短刀を突き刺した。姫が悲鳴を上げそうになった。

「船か。それと例の筒。それだけでアズマには脅威になる」

「正直、本隊が勝てる気がしません」

 筒の兵士を一人倒すのに何人やられたろう。

「弓ならある程度捌けるんだけどね。なによあれは」

「魔術の類いとしか……」

 忍が静かに言った。「作戦次第だ。あの武器に不利な地形、盾など、対策はいくらでもある。まずこのことを本隊に伝える。――通信機は?」

「準備します」がちゃがちゃと、沙智は背負った大袋から機械を取り出した。キーを打ち、作業をし終えるとまた袋に戻す。

「写真機も持ってきたんですけどね。あまり意味ないです」

 とんでもなく大荷物だ。これを抱えて走っていたというのか。

「敵地の只中からの通信だ。傍受はおろか遮断されたかもしれない。それぐらいのことは考えられる」

「つまり生きて直に伝えて、ようやく任務完遂ということ。円陣組む?」

「速攻敵がやってきますよ……」

 廊下を進み、迷路のような道を更に奥へ。「花火です」と言い沙智が見せたのは、球状の爆弾だった。忍と香も少量だが爆薬を持っているらしい。

「もう少し経験値が溜まったら、姫にも持たせてあげるね」

「遠慮する……」

「外の水路から直通の位置に、十中八九ある。船の整備場が」忍は何度も角を曲がりながらも迷うことなく、先を進む。

 会敵――、斬り倒す。筒の武器が床に転がった。

「近い。次の扉だな」

 見えてきたのは大きな鉄扉だった。押しても引いても、横にも開かないと見るや、香は刀でこじ開ける。電子制御は壊された。一気に開け放つ。

 潮の匂いが濃くなった。これまで室内であったことを疑うような巨大な空間には、建造中の軍用船が三隻、確認できた。

「まだ奥に色々ある」入口間近にいた数人を斬り捨て、香は仰ぎ見た。

「行ってみたい気持ちは山々だが、ここで充分だ。沙智」

「はいっ」

 眼鏡の小柄な特務隊員は、着火した爆弾を投擲。優に数百メートルは離れた船の甲板に、それは吸い込まれるように落ちていった。

 直後、轟音が空間を揺らした。甲板は内部から光を放ち、

「え……」

 船は真っ二つに割れ、大量の飛沫を飛ばした。

「人形に次ぐ伝統工芸ですからね。こんなもんです」

「鉄に効くのか」忍も驚いていた。

「いえ、あんな作りかけでもないと駄目です。丁度継ぎ目に当たったんでしょうね」

 二つの鉄塊は沈んだ。遥か向こうの騒ぎが聞こえてくる。沙智は爆弾を次々投げた。吊り上げられていた鉄材が落下、天井が崩落し、船に直撃する。

「ちょっと嫌がらせのつもりが……」

「本当に破壊活動になったな」

「抵抗がないのが悪いんですよ」

 姫は絶句しつつも、三人に付いて引き返す。来た順路はまずい。何度か道を逸らして進む。走って来た兵士は次々に斬られていく。筒の武器は香の前ではあまりに作動が遅すぎた。

 来たときと別の出口から基地を出る。最後にありったけの爆薬を設置し、ある程度走った位置から沙智が爆弾を転がした。爆炎が上がり、エルミナ軍港部基地、北部通用門周辺は滅茶苦茶に変形した。

「よしっ、任務完了」

 思い切り伸びをした香に、「これからですよ」と沙智が返す。小規模の倉庫が並ぶ中を駆け、四人は港区域を脱出した。森の中を進んで、休憩をとる。

 忍が地図を広げた。エルミナ製の正確なものである。

「このまま森を通って北西へ。バレバレの進路だが、他に道がない。敵の予測を越えれるのはこちらの個々の実力だけだ。それに賭ける」

「……」そんなことを言われたら、姫はますます自分の力不足を気にしてしまう。三人なら恐らくこの休憩も必要なかっただろう。

 頬を汗が滴った。陽光の遮られた森の中でも、全力疾走した身体は冷えきらない。姫は空を見上げる。

「市街地を通るとか」

 沙智がおもむろに言った。

「あたしもそれ言おうと思った」

 地図に目を戻す。森を出て市街地を進路にしてしまえば、国境へは直通だ。

「街ね……。敵がそれで手加減してくれると思うか?」

「少なくともあの筒を防ぐ壁にはなる」

「アズマと違って非力な一般人でしょうからね。束になっても脅威にはならないし、向こうの軍には邪魔。いいことづくめです」

 ……この二人はとんでもないことを言っている。……いや、それでこその戦争なのか。疑問を持つ感覚すらも麻痺してきた。

「それが最速か」

 忍は顎に手をやった。

「だが、だとしても最低二日はかかる。市街地でどうやって寝泊まりしろと」

「匿ってもらえばいい」

「親切な人はいますよ」

 親切というか、そこには少なからず脅しが介在するのだろう。忍は唸りながら考え、やがて、

「無茶でもなければこの状況、突破は不可能か」

 意見はまとまった。

 そこにどんな手段があろうと、姫は彼女たちに従うことでしか生きられない。

「……」

 現実は、弱い理想を許してはくれない。

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