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3 エルミナへの潜入を裸で行う。これでいいかな

 アズマ帝国軍特務作戦室は、軍本部とは別体系の組織らしい。直属の管理者は草村 大一ダイイチという髭の男。階級は大佐。

 姫は、桃山香という赤髪の少女をこの部隊の言わばリーダーだと思っていたが、違った。作戦室を指揮するのは黒髪の、影下忍少尉。ちなみに彼女だけでなく、桃山香と花坂沙智にも少尉の階級が与えられているが、これは先日の潜入任務のような単独行動の際に尉官以上の権限が必要となるためだ。

「軍内、規律……。頭髪の色染は、きん……禁止」

 辞書を片手に、渡された入隊関連の書類を読む。特務作戦室のいくつもの空席の一つは、姫の席になった。

 早朝四時である。機密を扱うこの部屋に窓はない。デスクの灯りを切れば真っ暗だ。昨日はすんなり通されたが、入口も通常、厳重に施錠されている。といっても、「盗られて困る物や情報はここにはない」と香は言っていた。

 ガタンと机が揺れた。姫の向かいの席で、寝癖の赤髪がむくりと起きた。

 空席のいくつかは香のベッドとして機能しているのだ。ペンを握ったまま、姫は視線をやる。

「おはよ……。やっぱこの時間には起きちゃうね」

 海を隔てて隣国。アスレイとの時差はあまりない。一時間、こちらが早い程度だ。

「おはよう……」姫は返して、すぐに書類に目を戻した。

「やっと、パンではなく米が食えますなぁー。なんだってずっと食べたら飽きるんだけど」

 香は跳び降りて、寝癖を触りながら入口扉へと歩いていく。この軍本部には食堂があるらしい。手元の案内図に書いてあった。何重もの錠が外される。香は廊下へ出て行った。

 しばらくして、弁当箱を二つ持って彼女は帰ってきた。

「はい、姫のぶん」

「……ありがとう」

 机をひとつ、ざーっと書類をどかして、その上に弁当が置かれた。

 中身は野菜炒め、玉子焼き、焼魚など。本で知ったのと変わりない、アズマの食事だ。

「お城の食事よりは味落ちるけど、この国では最高級だよ。素材もいいし」

「……美味しい」

 恐る恐る口にした姫は、目を瞬かせた。

「あ、お箸はこう持つ。難しいけど」

 香の手が触れる。姫の指に、上手に木箸を挟み込んでいく。言われた通りに動かすと、箸も動いた。

「豆で練習するといいよ」弁当の端の和え物を指した。

 自分の弁当も持ってきて、香は姫の隣に座った。

 何の、悪意も感じない。敬語はなくなったけど、お城の頃と変わらない香。昨日見たあの顔が、幻であって欲しかった。

「手本見せるね」

 そう言って、箸で豆を摘まんだ。目の高さまで持ち上げた。

「すごい」姫も真似するが、できない。

 香の摘まんだ豆は、姫の弁当の豆のところに置かれた。驚いていると、次の豆も置かれた。素早い動作で、香は豆を移動させる。

 やがて弁当の端が山盛りになると、

「あーんして」

 次は姫に与えはじめた。小さく開けた口に、豆は次々放り込まれていく。

 口を閉じれない状況のなか、楽しそうな香の顔を見た。

 彼女は手を伸ばして髪を撫でてくる。

 人形……のようなもの、なのだろうか。香にとってわたしは。

「綺麗な髪色なんだけど、んー……。秘匿ってことだしなぁ」

 なんだか悩ましげな顔をされた。

 香は「うむっ」と立ち上がると、部屋奥の小さな空間に入っていった。昨日案内された記憶によれば、物置になっている場所だ。

 瓶詰めの液体を持って、香は戻ってきた。

「姫、知ってるでしょ。アズマの染物」

 有名だ。綺麗に色のついた着物や布材。刀工芸と共に、アズマが世界に誇る芸術文化だ。ただ鎖国と国交態度のせいで正当な評価はされていない。

「染液がいいんだよね。水生植物から取れる色素で、水に強い。熱には弱いけど。……で、これを姫の髪に塗ろうと思うんだけど」

 黒液をたっぷり染みさせたハケを、香は持ち上げた。姫は身を引いた。ひどい臭いだ。

「大丈夫。あたしみたくはならないよ。健全な黒」

 姫は嫌とは言わず、しかし身を硬くして俯いた。

 されるがままだ。どうしようと、香の思うようになる。自分に拒否権はない。

 香はしばらくそんな姫の様子を見つめて、

「うーん……やっぱり」

 ハケを瓶に戻した。「綺麗な金だもんね。てか大佐の白髪染めとか嫌だよね」

 瓶に蓋をして、物置に返しにいった。

「ごめんごめん。まぁなんとかなるさ。大体髪を染めたって顔立ちがどうにもね」

 席に戻って、食事が再開される。とりあえず安堵した姫の口に、「はい、あーん」豆がまた放られる。

 ……今思った。彼女はこの豆が嫌いなだけでは……。

「おはようございます」

 扉が開いた。軍服の、眼鏡の少女が現れた。花坂沙智だ。その後ろから影下忍も入室する。

「桃山が起きてる。潜入任務のお陰だな」

「ん」香はぱっちりとした目で見た。「じきにもとに戻るよ」

「やめろ。来て一番の仕事がお前を起こすことなんて」

「そうですよ。嫌ですよ。あ、姫さん、おはようございます」

「……おはよう」

 豆を飲み込んで、挨拶をした。

「朝刊読むか?」と忍。手にはその新聞紙のみ。刀も差していない軽装だ。

「要らない」

「お前な。私は大佐じゃないけどな。例えば任務中、今自分がどんな国でどんな任務に就いていて、成否でどう情勢が変化するかぐらいは把握しておけよ」

 呆れ顔。

「動きたいように動くし、必要があれば国に不利益があってもいい」

「ちょっと、桃山さん……」

 沙智が困った声を出すが、香は椅子にふんぞり返って続ける。

「文字って嫌いなんだよね。――ていうか、新聞読むとかオヤジだよ」

「……なんだと」

 着席して朝刊を開きかけていた忍が顔を上げた。

 空気が不穏だ。姫はあたふたした。この二人は仲が悪いのだろうか。

「オヤジ女子」

 駄目押しとばかりに香。にやついている。

「お前……」新聞を畳んで、溜息をついた。「諜報としてどうなんだ。情報を否定するのは」

「あたしは空気で判断する。何でも。言われたまま動いても、連絡を待ってても、今回のあたしは死んでた」

「……」

「それを責めるのもおかしいし。だからあたしは初めから好きにやる。国とか、軍との関係なんてそんなもの」

 何かを堪えるような忍に、香は笑って続けた。

「ああ、影下少尉は少なからず愛国心があるようなので、はは、失礼しました」

「……私には家族がいる。お前との差はそこだ」

 今度は香の顔色が変わった。

「守るものを持てば強いとは言わない。だが、どこかに属する理由にはなる。お前は……無属だ。…………というか、なぜお前が無属なんだ」

「影下さん!」

「お前は、逃げ――」

 瞬間、机が散乱した。見上げた宙に、木片が舞っていた。斬り刻まれたのだ。

 火花が散った。気がつくと、眼前で鍔迫り合いが行われていた。香の小太刀を受ける、忍の、身の丈ほどもある長刀。……どこから出したのか。丸腰だったはずだ。

「駄目です、建物内での抜刀は」

 沙智が間に入った。姫はただただ驚愕していた。

 目にしたのは二度目だ。やはり信じられない。剣の名人は城に何人かいたし、体術に長ける者もいた。それらとは動きの次元が違った。そもそも、その精鋭達が香に軽々殺されていったのだ。

 自分と変わらない年の少女……刀を受けた忍も、沙智だってそうだ。一体アズマという国は、国交を閉ざして何をしていたんだ。

 かちん、と、納刀の音で事態は収まった。互い、それを自席の横に立てかけて、ふぅーと息を吐き出す。

 次の瞬間、床が蹴られる。掴みあい、猫のように引っ掻きあう香と忍。服を引き裂かん勢いだ。沙智が仲裁に入るが、今度は蹴られて吹き飛んだ。

「ばぁーか! 処女! それらしく三つ編みにしてやる!」

「じゃあお前は一生縁がないだろうから頭を丸めて出家しろ!」

 足元に眼鏡の少女がごろごろ転がってきて、きゅう、と突っ伏した。髪を引っ張り合い、腕を噛み合い、二人は暴言を浴びせ合う。

 貧乳! 便秘! 肌荒れ! ブス! チビ! 生理不順!

「て」

 低俗……。

 姫はよろけた。色々な意味で、この国は理解の限界を超えていた。


 現在、姫を含む特務作戦室の四人は、軍本部施設内はずれの剣道場にいる。板張りの床の中央には正方形の枠がとられ、上着を脱いだ香と忍が向かい合う。両者、手には竹刀がある。

 場内端で、沙智と共にその様子を見守る姫。状況に狼狽えつつも、今から二人が何をやるのかは想像がついた。

 模擬戦だ。先程の喧嘩の決着をつけようというのだろう。

「姫さん、あれは竹刀といって」

「知っています」

 剣道は刀による戦闘の模擬訓練より発展した武道だ。斬れない刀で体各所を打ち合う。似たようなことをどこの国もやっている。

 香、片手持ち、忍は両手持ちで竹刀を構える。「……」姫は流石に言った。

「防具は」

「臭いから付けないそうです」

 ……危険だ。そう思った瞬間、試合が始まる。合図はない。香の横一閃が、忍のいた位置を切り裂いた。当たれば打撲じゃ済まない。だが最も恐ろしいのは掠った場合だ。皮は吹き飛び、肉を削がれる。

 ともすればそうなっていたであろう、竹刀の軌道の僅か外側に忍はいた。刀は上段。振り下ろされる。

 剣先は板張りの床を叩いた。明らかに初手の体勢では無理な筈の後方に、香は飛びのいていた。竹刀を握る手は大きく引かれている。突きの動作。一方、床で跳ね上がった忍の刀も、下段から突きを狙う。

 目に追えたのはそこまでだった。突きの応酬が展開された。どう躱しているかもわからない。ただ双方立っていて、攻撃が繰り出され続けていることだけが確認された。

「危険よ……やめさせて」

 まだ取っ組み合いの方がよかった。これではほとんど実戦だ。

「命が惜しいので……。すみません」

 沙智は頭を下げた。

「これが普通なの……。この国では」

「私はできませんよ。あはは。男性だってこうまでは……。あの二人は特別です」

 眼鏡の少女は言う。姫はそれでも信じられない。香も忍も、超人というのが相応しい。あの細い体で。何故。

「どんな訓練を……」

 答えは期待していなかった。自然と口から漏れた言葉だった。

 しかし返答はあった。

「影下さんは家柄ですね。桃山さんは……うーん、わかりません」

 沙智が言い切るかのところで、ばちんと場内に音が響いた。竹刀が大きく舞っていた。手を弾かれ、仰け反ったのは――香。

「勝負あり!」

 沙智が立ち上がる。しかし香は素足を蹴り出す。見越していたらしい忍がさらに振った刀を、躱して飛び込んだ。二人はもつれ合い、服を掴みあい、引っ掻きあい、脱がしあい、数十分前と変わらぬ様相となった。

「ぎゃーーっ! 噛んだあぁあーー!」

 香の悲鳴。腕には歯型。

「私の勝ちだろうが。潔く負けを認めろ」

「三本勝負って言ってなかったっけ!?」

 香は涙目で言い張った。その場の全員が呆れ顔をした。

「だいたいあたしは小太刀の二刀流なの。専門じゃないの。竹刀とかずるいし。忍ばっかずるいし。ばーか、ばーかっ、あたしの得意分野でも勝負しろ、卑怯者」

 言いながら号泣していた。

「なんだよ、得意分野って」忍は立ち上がって、腕組みして見下ろす。

「走力対決……」

 にやりとして香は言った。


 明け方の空の下、運動場のトラックを周る少女二人。

 木陰に入り、姫はうしろの軍本部施設を見上げた。木造二階建ての巨大な建物だ。小国アスレイと、土地面積、人口共に変わらない国(公開情報が虚偽でないと捉えた場合だが)。戦力は、ここが遥かに上だろう。平和主義国と比べれば当然かもしれないが、だとしても大きい。人員も、確認できただけだが相当いる。軍を有していることは情報にあったが、明らかに規模を偽っている。

 ずっと開戦に備えていたのだ。

「沙智、さん」

「はい?」

 木陰にかける彼女に話しかけた。トラックでは赤髪の方が相手を大きく離して、四〇〇メートルコースの四週目に入った。

「馬は、使わないの? 軍は」

 ああ、と沙智は納得したような声を出した。

「車ですよ。石炭の自動車」

 なんと。これも知らされていなかった。アズマの軍は、世界最先端の技術を有していた。エルミナのあれには負けるだろうが……。

「あ」

 姫は思わず声を漏らした。沙智が「何です?」と訊いた。

 言うべきか、これは。あの大国が巨大鉄車両を開発していて、戦線に投入してくるであろうこと。

 これから特務はエルミナの情報を集める。彼女らの知らない情報をわたしは知っている。

 そして、母国アスレイは、アズマに攻め込まれようとしている。進捗はわからないが、大佐は「すぐに」と言っていた。船で、恐らく、大挙している。香のような、超人の兵達が。

 姫は昨晩、横になったとともに一つ諦めた。香に倣って机に寝て、目を閉じて、思考が頭を満たしたとき、母国を心で見捨てた。汗と尿にまみれた袋のなかと同じ。姫の中で眠りと諦念は同義となりつつあった。

 姫の握ったこの情報が、アスレイを助けられるか。…………何にもならないだろう。国は一方的に蹂躙され、滅ぶ。

 だが、もしわたしが正義を貫くなら。

「……何でもないわ」

 素知らぬ顔をして、トラックに目をやった。香と忍の差は凄いことになっている。一周追い越し目前だ。

 沙智が、「影下さんも速いんですよ。あの赤い人が普通じゃないだけで」と言う。

 ――もし元アスレイ王女が、今も世界の平和を望むなら、大国エルミナによる危険国家への裁きを導くことができる。口を噤むべきだ。機を待ち、父の想いを成し遂げる。

 姫の眼差しが急激に潤んだ。ずっと先の香を強く睨みつけることで、涙をこらえた。

 嫌いだ。

 好きだけど、嫌いだ。

 あなたは、沢山の城の者を殺した。これからも、その残酷さを厭わない。

 わたしは、何もしない。天が与えるであろう罰を、黙過する。

「桃山香少尉、二周半の大差をつけて鈍足亀に圧勝、圧勝ー!」

 ばんざいをして五キロ走の余剰距離を走る香。半周先の位置には、黒髪を項垂れて死人のように距離をこなす忍の姿がある。香は馬鹿のように速度を上げ、彼女の横についた。

「頑張って! ゴールはもうすぐだよ!」

 前に出て、ぱんぱんと手を叩きながら、

「ほれっ、走らんか。餌をやらんぞ」

「……」忍が無視をしていると、

「みんなの応援、届いてたろ!? ここで終わっていいのかよ。あと二周、全力で走らなくていいのか? そんなんでお前……満足なのかよ!?」

 香は挑発の限りを尽くした。忍は意に介さない様子で黙々と走る。やがてゴールに達したとき、また取っ組み合いの喧嘩が始まった。

「とりあえず、一対一ですね」

 仲裁に入った沙智が言った。「次で決着です。勝負は……」

「その前に。負けた方が行う屈辱的な罰を決めようよ。基本は裸で、生涯トラウマになるものがいいな」

「はりきって決めろよ桃山。自分に返ってくるんだからな」

 二人は互いににやにやと笑みながら、恐ろしい罰を挙げていく。裸踊りに始まり、裸で初恋の思い出を告白、裸で袋に入れられ尿にまみれたあと優しく洗われる、……それはわたしじゃないだろうか……。

「エルミナへの潜入を裸で行う。これでいいかな」

「構わない」

「だめですよ!」

「駄目なことないよ。戦略的にも」

「ああ、理にかなっている」

「あんたたち、自分で何言ってるかわかってます!?」

「沙智、囮だよ、囮」

 敬語も危うくなるほど憤慨するその肩に、香が手を置いた。

「当然、他の人員は別行動。裸の変態が全ての目を惹きつけている間に、特務は楽々潜入する」

「あ……」

 忍が言葉を継ぐ。

「むしろ栄誉ある任務だ。成功すれば勲章ものだろう。どうしてもと言うなら、沙智にこの役を譲ってやってもいいが」

「え、私……」

 沙智は逡巡する顔をした。姫は素で「え……?」と漏らした。

「勲章……。栄誉……。わ、私……」

 眼鏡の奥の瞳が揺れ、頬が薄赤く染まる。

「是非――」

「ちょ、ちょっと、二人の勝負でしょ! 脱線してるわ!」

 慌てて姫は割って入った。

「あ、そうだったな。じゃあまず、罰はこれでいいか」

「うん」

 二人は元の会話に戻っていく。沙智ははっとして呟いた。

「……私、欲に目が眩んで……。すみません」

「え、ええ……」

 気を取り直し、勝負の内容が香から告げられる。

「一戦二戦目と得意分野できたから、最後は公平であるべきって思った。それと同時に、特務の能力が最大限に発揮される勝負」

 一息吸って言った。

「捕物対決」


 姫は現在、軍の秘匿対象、警護対象である。殺された筈のアスレイ王女が衆人の前に姿を出してはおかしい。そのため、本来なら施設内廊下を歩くこともあってはならず、軍外に出ることなどもってのほか。なのだが……、

「姫、あれが銭湯。今度いっしょに行こう」

 高い煙突を有した木造建築物を指し、香は言う。「うん……」と、とりあえず返事をしておいた。

 アズマの〝首都〟と呼ばれる地域。軍施設の門を出てすぐ目の前には、雑多な商店街が広がっていた。行き交う着物、洋服の人々。

 金髪を軍帽に隠し、沙智の予備の眼鏡をかけて、姫は外に連れ出されていた。「この類の決め事って、厳しめに見積もってるんだよ。ばれると面倒だから秘匿にしてあるだけ」と香は言っていた。

 街の中心に来て、立ち止まる。香はおもむろに切り出す。

「指名手配犯を捜し出して捕まえる競争をしようと思ったんだけど、剣道場の鍵借りるついでにさっき司令部に寄ったらさ」

 ぺらりと、一枚の紙を出した。

「こんなものが」

 軍内の伝達事が書かれている。緊急通達。

「本日明方、アスレイ国よりの使者、港より入国せり……」

 姫は、目を大きくして読み上げた。

「討伐の任なき者も、手柄をあげ、帝に認められる機会である。存分に、力を示されよ……」

「すごい!」香が言った。「読めるんだね。さすが姫」

「なにこれ……」

「顔立ちが違うからすぐわかるよ」

「人数は五人か。もう捕まってるだろ」

「騒ぎがないということは、上手く隠れているのかもしれませんね」

「ちょっと……」

「奇数で良かったね」香は腰の刀に手を添えた。「多く倒した方の勝ちだよ」

 各人、動き出す体勢に入る。

「ちょっと待ってよ!」

 姫の叫びは、沙智の動きを一瞬止めた程度だった。

「……殺すの?」

「ん、自由かな」

「どちらにしろ殺される。捕虜を養う余裕はない」髪を結びながら忍。

「街に入ったというのは危険です」

「わ、わたしを捜しにきたのよ。なのに、あなたたちが攻撃するから、逃げた」

「そうかもな」

「理由なんていい。この期に及んで話し合いなんて馬鹿だって教えてやらないと。――沙智」

 呼ばれて、眼鏡の少女は顔を向ける。

「姫をお願いね。万一敵と遭遇したら気にせず対処していいから」

「了解」

 香と忍は同時に走り出す。雑踏の中へと消えて行く。

「だめっ!」姫は追おうとするが、沙智に後ろから拘束された。

「あと数日で、軍の本隊がアスレイに着きます。戦いは止められません。姫さん、全体を見ましょう。どうせあなたの国は滅びるんです」

「それで納得する人間がどこにいるっていうの!」

 姫は喚いた。沙智の声は少し不機嫌になった。

「嫌なら止めればいい。できなければ黙ってください。うるさくされたら困ります。……お茶でも飲みます? 美味しいお店ありますよ」

「……」

 姫が黙ると、沙智も腕を解いた。正対し、微笑を向けられた。

 沙智に連れられて、商店街から裏道に外れる。「お団子を食べた事は?」

 首を振ると、

「よかったです。ここは昔ながらのお店で、私の馴染みなんですね」

 立ち止まって見上げた古い造りの木家には、『だんご』『茶』と看板がかかっていた。

「今は半端に喫茶店なんてものもできてしまって、こういうお店は廃れかけなんですけど」

 店先に長椅子。絵に描いたようなコテコテのアズマ色だ。沙智が注文をすると、老店主は団子と茶を一組ずつ出した。

 眼鏡の少女二人、並んで食す。

 姫が団子の一本を持ち、これをどうしたものかと考えていると、隣からしゃぶしゃぶと音がした。

 沙智が団子のたれのみを舐めていた。

「あなたの母国のことは、私たち、どうとも思わないんですよ。仕事ですし。……あの、お魚って、捌いて食べますよね」

 姫は頷いた。

「マグロとかを調理する人は、当然、いちいち感傷は覚えなくて、だけど、うえっ、気持ち悪い、とも思わないんですね。じゃあ何を思って包丁を握るかというと、手早く終わらせること、みたいです。魚が苦しまないように。仕事に徹している職人なんですけど、その瞬間は確かに、小さな命を見ているんですよ」

「そんな話をされても……」

「介錯というのにも似ています。それが強者の務めなんです」

 団子三つを一気に食べた。次の串をとって、たれをべろべろと舐める。

「いつ見てもきたねえな、おめえは!」

 後ろから声がかかって、沙智の頭が叩かれた。老店主だった。

「横の子は新入りか? おめえにもやっと後輩ができたか」

「うっさいですね……」

 店主は笑いながら空の皿を下げていった。姫は俯いていた顔を上げる。沙智は頭をさすりながら、幸せそうな顔をしていた。

「私の楽しみは……、姫さん」

「……はい」

「裏道散策と、食事です。どちらも、国が廃れたらできなくなってしまう。だから必死なんです」

 言葉を変えたのだとわかった。

 彼女が大切にしているのは、人だ。

「勝手だとわかっていますが、よく知らない犠牲の為に私が涙を流すこともできません。あなたの憤りは至極当然のものと思います。ですから、もしあなたが手を付けられない時は」

 懐から短刀を取り出した。

「儀礼をもって、一太刀で終わらせます」

 日差しに照り返す刃の光。姫は押し黙ってしまった。

「半分冗談です」沙智は刀を仕舞った。

 今頃、アスレイの使いは殺されている。香と忍の身体能力を見たあとでは、万が一にも生き残れるとは思えない。同様に、アスレイ国も。

 国を棄てる。彼女に異を唱えないということは、即ちそれを意味する。わたしが、ここに属することを意味する。

 命を、失うのが怖いのか。兵たちは死んでいるというのに。

「お団子、苦手でした?」

 一つだけ食べて放置していたのを沙智に指された。

「いえ……」正直、合わなかった。

「美味しくないんでしょ。わかりますよ。というわけでいただきです」

 食べかけを彼女は口に入れた。至福そうな顔。

 人の少ない裏通りが、その時ざわめく。

「そっちに行ったぞ!」「外人だ!」

 思わず立ち上がった。沙智が懐に手を構え、前に出た。

「姫さん、店内へ」

 動けなかった。通りの向こうからやってくる、自分と同じ髪色の男。傷だらけのマントを着て、その下に鎧は見えない。

 瞬く間に、沙智と男は対峙する。

「成る程、元より使いの方だったんですね。エルミナが手を貸したんでなければ、早すぎると思った」

「軍人か……!」

 西大陸語でのやりとりだ。

「我々は戦いにきたのではない。王女を返してもらいにきた。説明をしてくれ。ここの方々は言葉が通じない」

「……処刑のことは知らないんですね。意図的に知らされてないのかな」

 姫は今更ながら隠れる必要性を感じ、店内へと下がり始めた。男の青い目は、それを目ざとく捉えた。

「王女!」

 沙智が短刀を抜く。男がマントの下に隠した剣を抜いたのも同時だった。

「駄目っ!」

 姫は騒然とする通りと、後ろの店主を見て言った。

「下がりなさい。ここで騒動を起こせば、それは国家の主義に反すことです」

 自分は、何を言っているんだ。

 彼に、死ねというのか。

「引き返せ。王女はここにはいない」

「ば、馬鹿な。貴女は」

「もう滅んだのだ、平和を願う心は!」

 瞬間、影が眼前を遮った。銀の光が瞬き、血飛沫が後を追った。

 男は倒れた。納刀の音が響いて、返り血を浴びた忍が振り向いた。

「……失態だ。まぁ仕方ないか」

 沙智から手拭いを渡されて、忍は顔を拭いた。その数動作のあいだに、手にあった長刀は消えていた。

 裏通りの路面に血溜りが広がっていく。姫は震えだし、後ずさってそれを避けた。

 この瞬間に、平和国家の王女も死んだ。姫は己の、血と、肉と、きたない臓器だけの体を想い、願った。

 わたしに罰を与えろ。

 死んでいった者たちの無念よ、この醜い女を焼け。

 ……悪はここにいる。殺せ!


 軍服の男達が忙しなく街を横断していく。人の大きさの袋を抱えて戻っていく者達もいる。

 三人に香も合流して、対決の結果発表の段となった。

「言っとくけど、申告が嘘でもすぐばれるからね」

「わかってる」

 香は三秒ほど溜めて、ばーん! と三本指を立てた。

「三人……、ということは」沙智が視線をやった。

 忍はふてくされた顔で〝二〟を示している。

「圧勝! 任務遂行能力においても、あたしの右に出る者はいなかった! これは特務のリーダーの座も」

「それは駄目です。桃山さん忘れっぽいから」

「……。まぁいいよ。とにかく負け犬は全裸でエルミナ潜入か。楽しみだね。早く作戦立てないと」

 ぐっ、と忍が声を噛み殺す。

「これから暑くなってくるし、気持ちいいだろうなぁ。敵の視線を浴びて、色々な意味で快感だろうなぁ。あっ、そういえば忍の裸見るのあたし初めてだ! きゃーっ!」

 アスレイの使いを見殺しにし、その罪に苛まれ半ば放心状態にあった姫は、次の瞬間、現実に引き戻されることとなる。

 忍が土下座をしたのだ。

「許せ……。いや、むしろ殺せ」

 商店街を行き交う人々は、何事かと視線をやっては去って行く。三人は驚愕した。

「お、おいおい、そりゃないよ。大和魂はどうした」

「そんなもの、死んだ!」

 姫は衝撃を受けた。全裸を逃れるために、こうもあっさりと信念を捨てるなんて。

「全裸になりたくありません。貧相な体を晒したくありません。どうか勝負をなかったことにして下さい!」

「ほう、つまり少尉は黒い乳首をそんなに見せたくないと」

「く……、黒乳首を見せたくないので、お願いします」

 屈辱のオーラが見えた。

「そこまで言うなら仕方ないか。ただし、この桃山香を神と崇め、未来永劫の忠誠を誓え」

「はい……」

「足を舐めろ。念入りに。かわいい女の子の足だから汚くない。遠慮なく舐めろ」

「……」

 香は腕を組んで素足を突き出した。忍は、頬を痙攣させながら、口を小さく開けた。

 ここまで、人はプライドを捨てられるのか。生きるために……。

 誠に遺憾なことであるが、自分の中の苦悩がとてつもなくちっぽけに感じられた。

「……」

 忍の舌が、香の足の指をなぞる、瞬間。

 見上げた視線の先に、

 鼻くそをほじりながら見下す香の顔がある。

「いっ……、痛あーー! 噛んだああああ!」

 商店街はまたも騒然とした。

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