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2 プラスマイナスの話をしよう

 眼鏡の少女が、機械を構えていた。それが、刀によって分断された、王女の最初の記憶だった。

 カシャ。ジィイイィ~。奇妙な作動音を数回繰り返して、納得したのか、少女は離れていく。機械より出てきた紙を、黒服に見せた。

「王女を洗ってさしあげろ」

 その一声で事態は動き出した。周囲の男達に抱えられ、王女は部屋を退室。赤絨毯の廊下を進んで、木造りの床と湯気の部屋に通された。

「失礼」汚れたドレスを掴まれ、上に脱がされる。把握が追いつかず、されるがまま。下着に手がかかった時、

「ストップ、ストーップ。男子は出ていけ!」

 赤髪の少女がやってきた。男達をどつき、蹴飛ばしながら、

「姫のお風呂係はあたしなんだから。ねぇー」

 扉を閉めると、強引に王女を裸に剥いた。木板でできた釜から、桶で湯を汲んで、金の髪にざぱんとかける。脚のあいだを、薄まった赤色が流れていった。

「本物の刀じゃないからね。姫。安心して」

 もう一杯。ざぱん。赤が肌を伝う。

「振ると血糊が噴き出す仕掛けなの。まぁこれがまた取るの大変なんだけど」

 化粧箱入りの石鹸を出して、泡立てる。王女の髪を洗い始める。木張りの浴室に、カオルの鼻歌が響く。

 創作の歌だ。アズマの音楽でも、アスレイの国歌でもない。

 独特なメロディに混じって、すすり泣く声が上がった。頭を洗われながら、王女は体を震わせて泣いていた。

「ど、どうしたの姫」

 カオルが覗き込む。王女は鼻水も垂らして、一度息を詰まらせると、堰を切ったようにわんわんと泣き喚いた。

「……あ、お腹すいたよね。ごめんね。上がったら食べようね」

 泣き声は止まらない。

 カオルは逡巡する。

「……そうだよね。酷い目に合わせちゃって、うん……。今から綺麗にするから」

 王女はぶんぶんと首を振った。

「え? じゃあなんだろ。うんちですか? 姫」

 って、赤ちゃんじゃないんだから、とカオルは一人ツッコミを入れる。「なら、これかな。ちょっと腋の下を失礼……。こちょこちょこちょー」

 王女は勢いよく身を引いた。真っ赤な目で睨みつけた。

「って、子供でもないってね。あはは。でもこれ、大人がされてもくすぐったいよ。あたしの必殺技」

「なんで!」

 ピタリと、カオルの動きは止まった。

「……あなたは、何なのよ……」

「カオルですけど」

「違う……違うの……」

 王女は彼女の服を掴んで、揺すった。ぼろぼろと涙を零しながら。

「わたし、こんなに弱くなかった……。世界が、少し想像と違ったくらいで、苦しいなんて……。それが戻ってきただけで、こんなに救われるなんて……」

「あたしが好きです? 姫」

「大好きよ! 大好きなの! もう裏切らないで! ずっと傍にいて!」

 カオルの胸に飛び込んだ。よもぎ色の軍服が濡れる。しゃくり上げる背中が、優しくさすられた。

「仕方なかったんですよ。処刑写真だけは本物らしく作らなきゃいけなかったから。冷たくして……ごめんね」

「最悪だった!」

 また王女は喚いた。袋の中でずっと考えていた。囚われ、恐らく命はないであろう自分。十五年の人生を思い返しては、ひとつひとつに別れを告げ、空っぽの心に残ったもの。たった一人の友人の記憶。

 彼女に赦されたかった。最初から敵だった人間に。

「わたし……自殺するわ」

「え!?」

「あなたが、わたしを離れていくなら自殺する。もう、

この世界に他の喜びなんてないもの」

「ひ、姫~。あたしは敵国の兵士だよ?」

「何だっていい。カオルはカオルだもん……」

 赤髪が揺れて、溜息をついた。

 びくんと、突如その体が跳ねた。

 王女の手がまさぐっている。軍服の、腰、背中……首元……。ボタンを探り当て、はずし始める。

「一緒にお風呂で、また優しくして」

「姫、ちょっと、今あたし仕事中というか……あわわ」

 駄々をこねる子供のように、一心に脱がしていく。下着に手がかかる。

「ぬ、脱がされるのは得意じゃ……。ひああっ」

 軽々と剥かれた。その時、

「桃山ぁ。早くしろ。王女には次の予定が…………あ」

 浴室入口で、黒髪軍服の少女の何とも言えない表情。

 室内には、裸の少女二人。

「……何故、お前まで脱いでいるんだ」

「いや、あのね、これは」半笑いで後ずさるカオル。

「わかった。気をつけよう、お前に。これから同室で寝泊まりの時は」

「ち、違うって……」

「とにかく急ぐように」黒髪は表情を正して言った。「終わったらすぐに作戦室へ。今後の伝達がある。王女もです。それでは」ガラガラ、ピシャン。「おい! 軍内にレズビアンがいるぞーー! 女性兵は全力で貞操を守れーー!」

 カオルは固まって、真っ白になっていた。


 アズマ帝国軍女子制服と金髪の王女は、異様な調和を成していた。急げ急げとカオルに押され、髪も乾ききらないうちに廊下の先、特務作戦室へと通される。

 汚い部屋だった。広さはあるが、書類が散乱している。軍服の女子が二名。眼鏡の者と、先程の黒髪だ。更に部屋奥には黒服の男がいる。

「桃山、遊んでいたそうじゃないか」

 怒りを込めた口調で彼は言った。四十近い風貌に、口髭。上官だろう。

「大佐殿、レズえっちであります」

 カオルは踏ん反り返って敬礼した。

「き、貴様、アスレイの王女だぞ」

「愛し合っていますので」

 王女は言葉が正確にはわからないが、とんでもないことを言ったのはわかった。黒髪と眼鏡の二人も固まっている。

「なーんちゃって、冗談冗談。でも仲良しなのは本当だよ。ほら似合うでしょ、軍服」

 王女の後ろにまわって抱きつく。黒服の大佐は咳払いをした。

「席につけ。これより経過と、二次作戦説明をする。王女も、桃山の隣へ」

 書類の散らばる長机の端に、カオルと王女は座った。

「モモヤマ……?」小声で訊いた。

「あ、うん。桃は果物ね。桃山香。香は、えっと、ニオイかな」

「その訳はどうかと思う」隣に座る黒髪が言った。

「こいつは影下ね。影下忍。影下って呼び捨てていいよ」

「ふざけるな。……王女、忍とお呼びください。アイ・アム・シノブ」

「見ての通り外国語駄目だから、迷惑かけると思うけどごめんね」

 憤慨する忍と、更に挑発する香。取っ組み合いの奥から、眼鏡の少女が顔を出した。

「花坂沙智です。よろしく」

 西大陸の共用語だ。声や外見からも理知的な印象を受けた。

「リサ・サリア・アスレイ……です」

「リサ? サリア? どっち?」

 黒髪の顔を押さえて、香が訊いてきた。

「どっちもですよ」と沙智。

「いや、王女と呼べよ」と呆れ顔の忍。

「ひめっ!」

 香は大声を上げた。

「リサとかサリアより、姫がいいよね? 姫」

「……え」

 どちらも、母から貰った名だった。

「そりゃないだろ桃山」

「えぇ、だって漢字で書けるし……」

 ぶつぶつ言いながら、手元の書類にペンで書く。

『姫』『香』『姫』『香』『沙智』……。

「怒るぞ」と忍。

「姫、でいい……」

 俯きがちに言った。呼ばれ慣れているし。自分の世界は、香だけだ。他の呼び名なんていらない。

 すぐ隣の、彼女の左手をとった。強く握りしめた。

 香は少し顔を向け、うんっ、と頷いた。

「今日から姫ね。帝国軍、特務隊の姫」

「おいおい、勝手に入隊させるなよ。…………まぁ、よろしく。姫」

「私も改めて、よろしく、姫さん」

 何故か全員で握手を交わし、騒ぎ合っていると、

「……いつまで無視する気だ、貴様ら」

 黒服の大佐が鬼の形相で言った。

「姫が最初に喋り出したんです」

「え……」

「王女だからいいでしょう」と忍が言った。「一国の王族に軍の雇われが物言いですかぁ」

 大佐の歯ぎしりが響く。しかし、彼の視線は冷静だった。遠慮がちに、それは姫に向けられる。忍もふざけた態度をやめた。

「……失礼ながら、我々は貴女を王女と扱いません。もう、お解りと思いますが」

「戦争を、始めるのですね」

 大佐は頭を下げかかり、咄嗟に止まる。視線の先には香がいる。

「貴女は特別護衛対象、そして特別秘匿対象となる。これより、この特務作戦室での生活をして頂く」

「……」

 アスレイ国王女は死んだ。血塗れの写真が、恐らく送りつけられるのだ。ここにいるのは、いるはずのない者。

 大佐は咳払いで言を区切る。

「特務の以降の任務は、エルミナの偵察となる」

「へ?」と声が漏れた。香だった。

「アスレイはすぐに陥落する。次の敵は連合国だ」

「なんでエルミナが出てくるの。関係ないじゃん」

「お前……」忍が溜息。「国の情勢知らないでよくこんな仕事してるな」

「アスレイとエルミナは同盟国です。歴史を保持する姿勢から、連合には未加入ですが」

「そもそも王女を攫ったことも、エルミナへ向けて売った喧嘩のようなものだ。今の世界で突飛なことをやれば、間違いなく連中に睨まれる」

 大佐が言った。わかりやすい開戦のかたちだったというわけだ。自分の身に起きたことは。

「じゃあとにかく、次はエルミナを潰す方向で動けばいいんだね。いきなり乗り込んで暴れても」

「駄目に決まっているだろう」

「……」

 香の口ぶりに、姫は違和感を覚えた。いや、それはここに来てからずっと漂っていたものだったが、今はっきりと、言葉で現された。

 この者達は、アスレイ国、及びアスレイ国王の思想とは真逆の位置にいる。攻撃し、世界を乱すことを目的としている。

 宿命とばかりに、表情、言葉の端々にそれが染み付いている。

 多様な思想があることは理解していた。国が違うともなれば、それが顕著になることも。だが、結局は実際に目にせずして納得していたことだった。

 桃山香の、目の色は違う……。色だけではない。輝きの質が違う。何に喜びを感じ、何を悲しむか。わたしとは、決定的に違う。

「何故、戦争を……」

 姫は訊いた。大佐という、敵国の男に向けて。隣に座る少女達は、見れなかった。

「大国とぶつかるとわかっていながら、何故。あなた達の生活は、充分なはずです。世界にはもっと貧しい国もある。……危険とわかって、戦いを起こすのは何故です」

 大佐は黙った。何か答える素振りもない。王女として扱われない自分に、与えられる言葉はないのか。

「生活が充分……、姫、よく知ってるよね。外国のことなのに」

 香が言った。

「でも、単に数値じゃ測れないものもあって……。姫、あたしが離れたら死んじゃうって言ったよね」

「えっ! そ、それは、あの」

 しどろもどろになった。

「どうして死んじゃうの? あたしが好きだから?」

「う……」

「おいおい」と忍の声。

「なんていうか、アスレイの方って一途なんでしょうか」沙智が頬を手で覆った。

 決して、言い過ぎではなかった。香が自分を見なくなった世界に、価値はないのだと断言できる。一度終わった世界の、唯一の希望なのだ。

「はっきり言うと、それ、甘えんなって話」

 香は笑顔を崩さず言った。

 俯いたまま、言葉が出なかった。

「傷つけたらごめんですけど、姫。そういうの、弱いんだよ」

「う……ん」

「で、弱い人間の末路ってのが、まさにこの国の現状。資源に恵まれて、食料も溢れてて、楽な生活してる人、最後はどうなると思う?」

 言われていることが頭に入ってこなかった。恐らく、とても重要なことのはず。なのに、聞くための自分が揺らいで、言葉が届かない。

「自殺するんだよ」

 今は春。

 アズマでは四季がずれるのだろうか。

 姫は着せられたばかりの軍服を、汗で濡らしていた。

「この国は閉塞している。それは鎖国と関係はなくて、ただ裕福さが人の心を圧迫している。東のラハン国、ワーパ列島諸国、アスレイにもそれはある。アスレイ王女にも……」

 香の目を見れなかった。

「人が自ら死なない国――という言い方も変だけど、活発に周辺国の取り込みを行うエルミナ、また取り込まれた小国は、そのような現象は皆無に等しい。どういうことかって、もうわかるよね」

「烈しい、現実……」

 香はにまっと笑った。「いい言葉じゃん、姫。それそれ。要は怠い環境が人の精神を衰えさせる。改善するには、波を立ててやることだよ…………と」

 少女の口が、その名を紡いだ。

「帝様は仰っているんだ」

 アズマの王、帝。世襲制の一族であること以外、数年前に開示されたどの情報にも載っていない。このことがエルミナの不信を買う原因となっていたのだが、結果、それは正しかったということだ。

 狂っている。一国を導く者が達していい結論ではない。戦争を引き起こす……? 人の心の為……? 暴力は命そのものを奪うというのに……。

「ま、あたしは楽しそうだから乗ったんだけど。帝とかどーでもいいってね」

 香は席を立って、机に腰掛けた。「貴様、この場でその発言は……」大佐が咎めかけるが、

 そこに姫の声が被さった。

「楽しいって、何……」

 敵国。軍内。

 平和主義のアスレイで育ったことが、反発を招いている。自分はあらゆる思想から脱したのだと思っていた。違ったのだ。人は必ずどこかに属している。アスレイ王の掲げる理想の中で、守られながら、姫は色々な夢を見ていただけ。

「退屈より、楽しいこと。姫もつまんなそうにしてたじゃん。お城で」

「それは、きっと、それでよかったのよ……。父は、間違っていなかった」

「……間違いとか正しさじゃないんだけどね。まぁいいや」

 プラスマイナスの話をしよう。香は言って、大佐の側に跳んだ。

「放っておけば、国っていうのはマイナスなんだよ。力が内に向いちゃうから。自殺だったり、内乱とか。アホでしょ」

 口調が荒い。

「だから外に、プラスを求めていくしかないの。人間ってのはそうできてるの」

「それが、戦争だなんて」

「うっさいな。弱者が口聞くなよ」

「……!」

「生かしてもらってるんだから。あたしの善意で。姫は」

 見れば、他の少女達は黙って聞いている。上官である大佐という男も、香が話すのを止めようとはしない。

「弱さが間違った争いを生むんだ。強い者は、侵略する。正当に」

 左手の甲を、彼女は握りしめた。

 帯の巻かれたそこに、何があるのかは知っていた。古い傷だ。

 香は、ぱっと明るい顔になった。「と、そんな具合です。――って、わああ」

 姫は涙ぐんでいた。急いで駆け寄ってきて、香が言う。

「ご、ごめんごめん。あたし語り出すと熱くって」

 左手で涙を拭った。

「まぁ、簡単に今のが、帝って奴とこの国の基本姿勢みたいな? その信条に則ってあたしは好き勝手やるから、覆ったら困るんだよね。なんていうの、人殺しの正当化だよ、正当化。あはは」

「香が、助けてくれたの……」

「え、まぁ、うん。なんとなくね」

 こほん、と咳払いの音。大佐が言う。

「任務の褒賞を全て免除と引き換えに、その要求が通った。……無茶苦茶だ。呑まなければ王女を渡さないなど……」

「通ったならいいじゃん」

「貴様! 私がどれだけ苦労したと思っているんだ! 反乱だぞ、貴様のやろうとしたことは!」

「結局、帝が許可したでしょ。あの方の意思は軍全体の意思。終わってからぐだぐだ言っちゃだめだよ、大佐ちん」

「ぬぐ……」

 髭が引っ張られる。大佐はされるがまま。

 姫も状況に流されるままだった。

 わけがわからない。破天荒な国風というのを、香と、帝という人物の行動は端的に現していた。

「さっきは冗談っぽく流されたけどさ」

「ん」

 香の言葉に忍が反応する。

「姫は特務に入れるよ。それで秘匿にも護衛にもなる。ただ匿うだけなんて、ねぇ」

 そう言って、姫の方を見た。

「そこに烈しい現実はないじゃん」

「……」

 室内に、一斉に嘆息が満ちた。

「まぁ、いいんじゃないか。何でも」と忍が言う。「桃山さんが言うなら通るんでしょうね」と沙智。大佐は後ろを向いて、髭を直しながら動かない。

 異様な空間を感じていた。

 これが他国の、全く違う思想の場所。

 友への失望が流させた涙は、乾きかけていた。


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