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折姫【改稿前】  作者: 紫 はなな
桜の御息所
8/50

七折

 友を探すが西陽に正規を妨げられ、日陰を渡りながら御所を彷徨う。妙に肌寒く人気がないなと、ふと見渡せば丑寅の果てまで流されていた。

 もしや桜の壺へ出向いているかもしれんと、もう少し足を伸ばしてみる。

 二度目の来訪となるその局はどこも綻び朽果て、まだ昼日中だというのに(しとみ)が下ろされていた。ただでさえ夜は鬼が跳梁するこの周辺、これでは誰も寄り付かんなと、踵を返そうとしたが──桜の枝下に隠れる戸が、僅かに空いていることに気付いた。

 ──やはりミカドが来ているのだ。

 気のない振りをして密に通うのは俺の興味を削ぐ為だろう、それだけいい女だということだ。

 思えば女を喚んだあの夜、俺に近付けさせぬようにと、ものの怪を理由に局へ急がせたのではないだろうか。

 

「あぁ、くそ……!」


 戸を潜ったはいいが、閉めきっているせいか夜のように暗く、緑と桜は空を覆い木漏れ日さえ届かない。ただでさえ視界が悪いというのに草は膝まで伸び、歩みを阻む。

 手入れが行き届いていないという程度ではない。これは明らかに人の入りを嫌う幻術。ここまで厳重に隠されては引き下がる訳にはいかない。一目会い茶化そうと袴が草露で汚れても気にせず、ズンズン奥へと進んでいった。

 徐々に緑が拓き足場が軽くなってきた頃──。


 陽を集め、燦々と琥珀色に輝くそれが、コツンと爪先の邪魔をした。


            *


「姫様、せめて(うちぎ)を脱いでから召し上がってください。万が一汚れでもしたらっ」

「イヤッ、もう我慢できない! お腹と背中がくっついちゃう!」


 あれから着せ替え人形どころか髪型、顔まで弄られるという拷問をうけ、シオンが満足する頃には陽が陰っていた。

 折姫はようやく流れてきた出汁の香りに吸い寄せられ、紅を落とさぬまま箸を取る。興奮のあまり膳の角に膝を当て、うっかりミカンを転がしてしまった。

 果物は折姫の知るところ鏡都で唯一の甘味である。

 折姫は猪突猛進で後を追いかけた。


「これ姫様っ、その衣裳で庭へ出てはなりません!」

「待てぇい、私のミカーン!」


 回廊から落ちた弾みで、ミカンは茂みの奥へとどんどん転がっていく。草を掻き分け現れたのは、ミカンと同じ色をした金色の着物と金色の髪。


 ──男だ。


 折姫は一気に防御線を引き、退いた。扇は膳の前に置きざりだ。袂で顔を隠しながら逃げようとするが衣裳が縺れ、躓いてしまう。


「おっ、と──危ない」


 ひょいと腰を抱かれ、そのまま腕の中へと引き寄せられる。男とこんなに密着するのは初めてのことで、益々折姫は恐怖に駆られていった。男に支えられながら、どうしたものかと内で震える。


「そんなに怖がらないで。ほら顔をお挙げなさい、これを探していたんだろうに」


 袂からチラチラと覗く甘い誘惑。

 目を合わせるのは怖い。

 でもミカンは欲しい。

 怖い。ミカン。怖い。ミカン。怖い。ミカン。怖い。ミカン。怖い。ミカン。怖い。ミカン。怖い。ミカン。怖い。ミカン。怖い。ミカン。怖い。ミカン。


「ミカンっ」


 食欲に負け、両手を椀にして捧げた。

 コロンッと手のひらに重みを感じ胸を撫で下ろす。

 そろそろと見上げた先にある顔には、見覚えがあった。

 微かに薫る薔薇の香。

 ビー玉のように澄んだ、碧色の瞳──。


「カヲル様──?」

「驚いた……貴女は、垂れ桜の君──」

「しだれ、ざくら?」


「姫様、ご無事ですか!」

 

 シオンの呼び掛けにハッと我に返り、邸へと走る。男の来訪にはシオンも驚いた。


(かおる)の君──、どのようにして、この中へ」

「いや、ミカドを探していてな。ここへ来てはいないか」


 薫の君とは、御所でのカヲルの愛称である。女のような華やかな香りにカヲルの名をかけ、そう呼ばれているのだろう。

 カヲルはシオンの問いかけに応じながら、折姫を見据えたまま問うた。その美しくも熱い視線と質問の内容に折姫は戸惑う。


「ミカド様とは、九日前にお会いしたきりです」

「──そうか。ならいい、邪魔したな」


 カヲルはそれだけ言うと、道のない道をまた戻っていった。

 まるでミカドがここにいて当然のような口振りだった。本来ならばもっとお会いする機会があるのだろうか。

 粋な女御ならばカヲルのような美しい公達(きんだち)は唄や遊びで引き留めるのだろうが──。


「あぁ、もう限界」

「姫様っ、その前にお着替えを!」


 腹を空かせていた。


            *


 同日、春霞の宵。

 白百合殿の中宮は恨めしくその背中をみつめていた。

 肌が離れてすぐ、乱れた敷妙から衣を掬うと、いそいそと身支度を済まされる。

 春風が冷たく残り香まで浚っていくようだ。


「今夜もこちらで御休みにはならないの」

「すまない、これも役だ」


 これ、とは平等に後宮を渡り歩くことだろうか。いまや己はその一人でしかないとでも。

 拗ねる妃を思いやり優しく肩を抱くが、この後他の女に同じことをするのかと思うと中宮の胸は悋気で燃え盛る。

 

「男君が生めないとわかると、お捨てになるのね。ミカドは酷いお人」

「誤解なさるな。総ては貴女をお守りする為、暫くの辛抱だ」


 桜の壺の女御が入内されてからというもの、主上はこの白百合殿で一度も御休みになっていない。

 愛らしいその笑みすら疎ましいと思う。


「それでは──」


 御帳台を降り、畳を擦り歩いていく。

 板場へ踏み出した足音は高く弾み、猫の影を落としていた。

 


平安時代は一日二膳のところ、鏡都では三膳に。(二膳だけなんて、私堪えられません!)さらにお風呂あり、トイレ完備のご都合よろしく設定です。ご了承くださいませ。

お読みいただきありがとうございます。

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