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折姫【改稿前】  作者: 紫 はなな
桜の御息所
5/50

四折

 翌朝、折姫は寒さで目覚めた。

 花冷えしたのだろうか、掛け衣を肩まで被ってもまだ寒い。横に寝返りをうち小さく縮こまると、コンドはホッと息を吐いた。腹回りが湯たんぽを抱えるように、じんわり温かい。


「よかった、無事だったんだね」


 昨夜畳場でみた黒猫だ。

 優しく撫でると手にすり寄り、喉をゴロゴロ鳴らした。

 この局に迷いこみ、出られなくなってしまったのかもしれない。


「君も、私といっしょだね」


 母猫とはぐれてしまったのなら探してやらねばならない。

 あまりの愛らしさに胸へぎゅっと抱き寄せるが、苦しかったのか勢いよく飛び出していってしまった。

 追いかけようと起き上がるが、そこは折姫の想定していた場所とは異なる、御帳台の上だ。

 昨夜は酒が手伝ったのか話に花が咲き、瓶が底をつくまで二人、夜桜の酒を愉しんだ。

 愉しんだのはいいが、畳場でうとうとし始めた後の記憶がない。

 てっきりそのまま寝てしまい、ミカドが親切に衣を掛けていってくれたのだと思っていたのに。

 まさか、襲われた!?

 というわりには敷妙は乱れておらず、ミカドの姿もない。身体にもそのような形跡はなく(どうなるものかも知らないが)、代わりにどういうわけか──髪が伸びていた。


「えぇ!」


 とんでも長く。

 いや、平安貴族のような床に垂れる長さではないが、首にすらかからなかった髪が腰に届いている。髪を伸ばしたことがない折姫は後ろに引っ張られるようなその重さにまず驚いた。その髪の一部を掬い、繁々と眺める。

 目線を上げ、仄暗い畳場を見渡す。

 見える──。

 髪の艶も、畳の縁も、い草の繊維も、小さな埃も。


「よしっ──、やるぞ!」


 折姫は腕捲りをしながら、勢いよく立ち上がった。




            *




「あわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわっ、ひ、ひひひひひひひひひひひひひひひひひ姫様ぁああああぁああああ」

「おはようございます、シオン」


 あれから部屋中黒猫を探し回ったがおらず、代わりに竹箒をみつけた折姫はせっせと畳場を掃いていた。半分ほど掃き終わった頃シオンが現れたが、彼を隠す几帳はすべて角へ寄せている。気を抜いただらしない顔から、目が飛び出るまでの顔が総てさらけ出され、折姫を大いに楽しませた。


「ひ、ひひひひひひひひひひひひ姫様、ななななななななななななななななななななっ、そそそそそそそそそそそそ(姫様とあろうお方が何故陽も昇りきらぬうちから掃除をしているのですか。それにそのはしたないというか愉快な格好は!)」


 言いたいことはわかる。

 たすき掛けを知らない折姫は袖を内へ突っ込み、腕は半袖。着物の裾は折り返し帯に挟んだので、膝上までめくれ上がり生足が放り出されている。

 髪を結ぶ道具もみつからず、布をターバンのように頭に巻き付けていた。

 シオンはどこから手をつけてよいやら解らずアワアワと手を游がせている。


「姫様にこのような俗事をさせたと主上に知れたら、私は火炙りにされてしまいます!」

「嫌です。お部屋を綺麗にしてから朝御飯いただきたいです。働かざるものは食うべからずっ」

「姫様は畳の上で優雅に扇を扇いでいるのがお務めでございましょう!」

「や! お掃除しゅる!」


 膨れっ面で箒を抱く折姫を前に、シオンの胸が「キュン」とした。主の可愛い我が儘は舎人にとってご馳走に値する。舎人の必殺技その二、《仰せのままに》が発動した。


「しゅる! って可愛いすぎるでしょうがぁああ! 者共よ、姫様を伏侍しろぉおおお!」

「はひ!?」


 シオンはおもむろに懐へ手を入れると、袂に隠しているのか一掴みの白い紙吹雪を舞い上げた。


 (パン)

 拌、拌、拌、拌、拌。


 ヒラヒラと落ちる紙は着地地点で甲高い衝撃音を奏でながら、桜色の猫へと変化した。

 可笑しなことに皆二足歩行でほっかむりを被り、はたき棒やら雑巾やら手に持っている。


「私は板場の雑巾掛けを。半刻で終わらせますよ、いざ……!」

「は、はい!」


 猫達は言葉は喋れないが心は通じているようで、折姫の行く手の埃をはたき、折姫の後ろ手を雑巾で丁寧に二度拭きしていく。煤汚れた畳は新床のように蒼々と磨かれ、回廊はシオンの一人雑巾掛けレースで垢一つない鏡面の輝きを放った。

 元はこんなに美しかったのかと見惚れるが、それだけ役を怠っていたのかとシオンをジトと見据える。そんな折姫の視線を犇々と感じながらシオンは手拍子で猫を消していった。


「ですから、私も喚ばれたばかりでしてね」

「シオンも陰陽師なの?」

「とんでもない。私は主の力をお借りしているだけですよ」

「へぇ」


 もしかしたらシオンはミカドが使役した識神なのかもしれない。

 昨夜結界を張るためにここへ訪れたのなら、彼はこの局を護る立場なのだろう。近いうちにまた会えるだろうか、などと考えている間に、垂髪の毛先は朱色の紐で総髪され、単衣は白と桜色の二単の唐衣裳へと着せ変えられていた。

 

「いつの間にスッポンポンにぃ」

「姫様、この扇はどこで? それに、御髪も」


 仕上げに扇を帯へ挟みながら、シオンが訝しげに問う。折姫は頬を染めながら「昨夜、ミカド様に」と小さく呟いた。

 ふむ、と渋い顔で首肯するシオン。

 待たずして運ばれた膳は二つある。

 その日は食事作法の指導を名目に、簾越しでシオンと膳を共にした。早起きして働いたためか飯は喉にするりと入っていく。昨夜の出来事を語りながら箸を運び、折姫は一粒も残さず膳を平らげた。

 ──鏡都の食を胃に馴染ませるように。

 綺麗になった漆塗りの椀を眺めながら、鏡の運命に従おうと、折姫は心に誓った。


 ──総ては、ミカドの為に。


 一人眠れぬ夜に現れた、月の精のような人。目を癒し、世界の美しさを教えてくれた。

 可愛らしい扇も、艶やかな髪も、総て彼が能えてくれたもの。

 彼と盃を交わし、縁で語らう愉しさを折姫は知った。昨夜だけで幼馴染みとの会話十年分、消化したと思う。

 今や彼に名付けられた名も、名を奪われたことさえも、特別に感じる。

 この世界に折姫が喚ばれたのはミカドの占術がきっかけであり、彼の方術によるものだ。本来なら恨むべき相手といえる。

 ならば恨む代わりに、密かに想い続けるくらい、神様も仏様もお許しになる筈。

 

 主上の側室であっても、心はいつも彼の元に。

 入寂するまで重たらしく、お慕いしようと心に誓った。


「そんなわけで、明日からこの局をお化け屋敷にしようかと思うの」

「どんな訳ですか、姫様」


 だって陰陽師と言えば、妖怪退治じゃない?

 桜の壺でものの怪が出ると、御所で噂が流れればきっとミカドが退治しに現れる。

 妖怪屋敷には主上も寄り付かないだろう。

 まさに一石二鳥!

 

「それは逆効果では……ごほん。まあ、姫様の望みとあらばわたくしは従うまでですが」

「ありがとう、シオン。私にも生き甲斐ができたわ」


 まずは「こわーい!」とか何とか言ってミカドに抱き付くのが第一目標。

 恋らしい恋が初めての折姫は妄想に涎を垂らした。

 ようやく東雲が白じむ、曙の頃の話だ。



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