五折
同刻。
御所、紫陽花殿。
三十畳の板場端から端まで識陣を張り巡らす鏡都大結界──その正中部でミカドは座禅を崩し、来客の顔をニヤリと見据えた。
「待っていましたよ、右大臣──いや謀反者、九尾の宮」
蒼白くたなびく霊気を臆しもせず踏み込むは浅黄色の束帯を身にまとう長老。
「待っていたとは、見くびられたものだ。柔腰の若造が私に勝てるか」
「どうであろう──」
九尾の宮の抜刀と同時にミカドは識陣を鞘に地から剣を抜いた。霊気を帯びた聖剣はライトセーバーとそう違いはない。
一手も同時──打ち合った刀越しに睨み合う。
「ご老体なのですから、ほどほどに」
「小僧がぁあ……っ!」
右大臣はお飾りの官職ではない。
鏡都の結界を守護するは帝であり、左大臣、右大臣はその綻びを埋める補佐官。鬼の反乱があれば時に軍をまとめ戦にでる。
この為従三位以上は総て皇族、陰陽師家の血筋である。
九尾の宮は剣に長けた武人、陰陽道の修行を始め一年足らずの春宮など一太刀で終わると思っていたのだろう。その太刀を拐い、板場にねじ伏せたのはその若造だった。
「はて、ご存知では? 薫の君の遊び相手はいつも私でしたが」
「く……っ、直ぐに助太刀がくる。近衛のいない御所など、我が軍にて一捻りであるぞ」
「では、先手をうち首を落としておくか」
躊躇いもなく刃身を首にあてられ、九尾の宮は背中をゾッと総毛立たせた。聖剣から溢れてくる霊気は経験のない鋭さ。血を見るだけで目を眩ませそうな優男だと蔑視していたのに。
「時の春宮が手を汚すでない、始末は臣下に委ねろ」
ミカドは再び九尾の宮の首をねじ伏せ、その場にひざまずいた。
「主上、畏れながら賊は」
「この通りだ。右大臣、貴様の従軍百余名は一人残らず蜘蛛の巣にかかったぞ」
主上の右手に掲げられた魔鏡には、白い蜘蛛糸に絡む無様な武士が映し出されている。御所四十八箇所に放っていた折り紙の毒蜘蛛に、今朝には折姫が糸を吐かせていたのだ。
「一人残らず、な」
左手を振り上げ、掴んでいた男を板場に転がす。蜘蛛糸で蚕のように縛られた冬桜の君である。
「さぁ──、次は何処の孤島へ流すか」
主上は冬桜の名を耳にした時から内通者が御所にいることを覚っていた。警衛の厳しい御所をすり抜け、鬼に餌をやるには抜け穴がいる。一年もみつからぬのなら、内通者は余程の高位仕官。
では一人しかいない。右大臣──九尾の宮以外には。
世は左大臣の権勢。主上自身、左大臣家元の皇后の御子であり、ミカドの母桜の御息所もまた左大臣の第三皇女。ミカドの正妻に右大臣家の血筋である二の宮が入内し御子を成せばまだ権力は保てたが、その座は異国の娘に奪われた。このままミカドに玉座が移れば右大臣家の低迷は免れない。では玉座ごとひっくり返してやろうと企んだのだろう。
冬桜の君は左大臣の二男だが、島流しの際に縁切りされている。玉座につけば絶縁を理由に左大臣家ごと御所から追放できるだろう。後宮では右大臣一の宮のカリナが中宮に、春宮がクウガとなった暁には右大臣家の摂政時代が幕を開ける。
この春、性急に二の宮を継室に望んだり、カヲルを婿に迎えたのは権勢を強める為の外堀。
近衛が出払う曲水の宴を狙い、主上とミカドの暗殺を目論んだのであろうが、主上が一枚上手であった。二の宮とカヲルの縁談をなに食わぬ顔で傍観していたのは今日を知ってのこと。折姫の手を引き御所を彷徨いていたのは、人払いを逆手にとり網を張る為だ。
「特に薔薇の壺にはたんと罠を仕掛けておったからな。いやぁ、四肢を奪われ転げ回る桜は見物であったぞ」
「おのれぇ……! カリナを何処へ隠した!」
「誰にも手の届かぬ処よ。案ずるな、二度と逢うことは叶わぬ」
謀反者二人を人屋へやろうと数少ない兵士を呼ぶ。幻術で逃げられぬようにと二人に気を張り、主上とミカドは板場の結界の綻びに気づくことができなかった。
ミカドがその異変に目を細めたのは兵士がうつ伏せた二人の手首を縛り、連れ去ろうとした時だ。川神の社の印がほどかれ紅く点滅している。社近くは宴の席、嫌な予感が胸に沸々とわき、カヲルの名を喚んだ。
「何があった」
『奇妙な風が吹き牛車を巻き込もうとしたんだ。川神の力を借りて散らすことができたのだが──』
「だが、なんだ?」
『折姫とクウガが消えた』
ザワリと胸が騒ぐ。
主上もこれには瞠目を隠せなかった。宴の席は近衛が護衛している。万が一何かあっても術に長けたカヲルと折姫がいる。まさかその折姫が消えるとは──またクウガはカリナと共に逃したものだとばかり思っていた。
その場で声高らかに笑うは冬桜の君。
「用心は怠らぬものだな、神を祀れば本命が釣れたか」
「神……だと?」
「流された島には長年祀られるもののいない憐れな天狗神がいてね、供物を対価に力を借りたのさ。愚かな貴族共を供物に、な。今頃愛しい春宮妃様は天狗風に拐われ、遥か彼方の離れ小島だ」
「なに、を……!」
冬桜の君に斬りかかろうとするミカドを主上がおさえた。
「そうそう、島には神を祀るため、陰陽道の心得ある侍従を十名ほど残している」
不気味に笑い続ける冬桜の君に疑惧する。島流しにした孤島は馬の足を急がせても一日かかる。そこでハッ、と思い出したようにカヲルへ問うた。
「消えたのは牛車ごとか」
『はい。一台のみ跡形もなく』
「袖の紋は、その牛車の紋を覚えているか」
いつしか折姫が占じた凶を不吉に思い、折姫を薔薇の壺の牛車に乗り換えさせたはずだ。正しければ薔薇の紋様──。
『桜の紋でございます』
主上が息をのむ姿に、ミカドの胸の鼓動が速まる。
今朝、薔薇の壺の牛車は確かに折姫を迎えに上がったのだが、その途中で車輪を傷めたらしく、山道を進むには不安だった。やむ無く牛車は春宮御所に乗り捨てられ、一同は桜の壺の牛車で宴へ向かった。
「ふっ、はは──、我が侍従は仕事が早いな。無理もないか、あれは美しい女だ」
勝ち誇ったように笑う冬桜の君に目を向ければ、呪縛の蜘蛛の糸がほどけている。四肢が自由となった男に危惧し、印を結ばせぬようにと、兵士は縄を指先までかたく縛り上げた。だが尚も笑いが止まらない。
主上とミカドがその野蛮な声を制することはなかった。止めさせることよりも、重視すべきものが魔鏡に映っている。
武士を呪縛していた蜘蛛の糸までもが、はらはらと散っていく。妖術が解け音もなく床に落ちたのは、折姫が折った蜘蛛の折り紙。折姫の霊力が瞬く間に朽ちていく。皮肉にも陽は天空高く昇っている。
冬桜の君は折り紙などという奇怪な術をつかい、己の術を何度も討つ、折姫の力を疎んでいた。これを機に奪おうと密かに企んでいたのだ。
生意気なミカドの気勢も削げるだろうと。
冬桜の君は部屋に響く声で、はっきりとこう言いはなった。
「春宮妃をみつけたら、すぐに犯せと命じている」
再び。
主上は冬桜の君に斬りかかるミカドを必死でおさえた。刀を奪い、羽交い締めにしても尚怒り狂う。その様子にようやく事を理解した九尾の宮がさも愉しげに笑いだした。
「みろ、若造のこの顔……! 見事な逆転劇ではないか、なぁ主上!」
憎きその笑い声を息の根ごと止めてやりたいが、殺せば折姫とクウガの居場所がわからなくなる。だがこのまま動かずにいれば、蜘蛛の糸から解放された軍がこの部屋に攻めこみ、言葉通り局勢が逆転してしまうだろう。まずは狼狽える兵士ごと謀反者を人屋へ転移させるか。だが一度に何十人も難しい。まずは暴れる息子を先にと愚考していると、腕のなかでミカドが急に力を緩めた。
「春の君……?」
「どうした、気でもふれたか……!」
嘲笑う九尾の宮は真っ当だ。
主上が手離したミカドはその場で小さく踞り、子供が拗ねたようにブツブツと一人、何かを呟いている。
「──してやる」
「……今、なんと」
「しゅしてやる」
主上が覗きこめど前髪が垂れ、顔の半分が影に隠れみえない。紅い唇だけがやけに映え、忙しなく動いていた。
「しゅしてやる。しゅしてやる。しゅしてやる」
──呪死てやる。
ずっと。何度も何度も。
ミカドはそう、呟いていた。
「よせ……っ!」
主上がミカドの手のひらを辿れば、その手が支配するのは御所結界。蒼白い識陣の中で御所だけが血のように赤黒く染まっていく。このままでは御所内の人間が総てミカドの手に堕ちる。それだけではない、百名もの人間を呪い殺せばおのずと呪い返しに遭い、ミカド自身絶命は免れない。
「ぐっ──」
「はぁっ、……く!」
間もなく鏡の中で、また周りの兵士や主上までもが床に膝をついた。内から昇る毒々しい何かに急速に身体が蝕まれていく。ぱたぱたと次から次、泡を吹き倒れていった。
声を発せられなくなる前にと、主上は呪を絞り出す。
識神を喚ぶ呪である。
現れた二匹の大きな狛犬は状況をのみ込むと目の色を変え、ミカドの手のひらに噛みついた。痛みをもろともしないミカドに、もう一匹が倒れ込む。口を塞がれたミカドの言霊は散り、呪が解けた。
しん、と静まり返る部屋。
うっすらと息づき、意識があるのは主上と冬桜の君ただ二人。縄で縛られた冬桜の君に手立てはないが、その顔にいまだ浮かぶ笑みは主上の心に怨を積んだ。
「阿吽、その男を死に際まで苦しめろ。殺すなよ、手前だ」
「何故そのような面倒を申すのじゃ」
「申すのか」
「折姫の仇だ」
顔を見合わせる阿吽。
その瞳はすぐに怒りに燃え、白毛が逆立ち喉が鳴る。
「男の真名は」
「──ソウマ」
ソウマと呼ばれたその男がか細くヒッ、と哭く音は獰猛な犬の咆哮にかき消された。肉を引き裂くいやな音が響き血飛沫が舞う。
すぐに近衛とカヲルを呼び戻さなくてはと主上はため息を吐くが、その一息が吐血となった。ふらつく足をミカドへ向け、その身体を起こす。
「なんと、まぁ──」
呪い返しを案じ顔を拝めてみれば、気を失うどころか目に涙を溜め、唇から血を流している。恐らく自我を保つため己で噛みちぎったのだろう。
「カヲルを喚び戻せ。明日には島へ出立だ」
「……御意に」
百名もの人間を呪い殺そうとした男が、平然とまた呪を口ずさむ。霊力の欠片も残っていない主上は、血塗れの犬を背もたれに横たわった。
「我が息子ながら、恐ろしい男よ」
島に残る人間は骨ひとつ帰ってこぬだろうと、近い未来を想い数多の運命を憐れんだ。




