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折姫【改稿前】  作者: 紫 はなな
桜の御息所
3/50

二折

 

 国の名は、鏡都。

 鏡の都、きょうと。

 日本の京都かと問えばそうではないらしい。

 鏡は国の名だと少年は言い切った。

 然れど織の視野が捉えているのは黒い板張りの廊下に畳の部屋。部屋を区切る簾や几帳。そして少年の艶やかな袴姿。

 平安時代にタイムスリップかと問えば、そうでもないらしい。

 まあ、現に目の前の少年はどうみてもベルサイユ宮殿の方がよく似合う。

 

「というか、あなたは誰なんですか」

「申し遅れました。わたくしはこの局に仕える舎人(とねり)、名はシオンと申します」


 二人の男は二度(ふたたび)顔を見合わせると同時に立ち上がり、競うように立ち去ってしまった。

 すれ違い様に入ってきたのが、このシオンである。

 鮮やかな藍染めの褐衣(かちい)を着た細長いその少年は犬のような愛嬌のある顔立ちだ。彼が後ろに総髪している銀髪は軒に咲く桜の色を映し、ピンクに発色している。

 先程の二人といい、シオンといい、まるでお伽噺のような──イケメン。


「今、ちまたで流行りの乙ゲーですか」


 織は必殺、《現実逃避行》に走った。


「落ち着いてください、愛しい姫」

「平安時代を舞台にした異世界といったところでしょうか序章で蔑ろにされたヒロインを忠誠心のある犬のような侍従が甘い台詞を吐いて即刻フラグを立てるとは何ともありがちというかベタなストーリー──xyz」


 織は人(主に家族)に蔑まれたり、虐げられるのは慣れている。

 だが流石に夜が開けたばかりの闇の中、一人取り残された織は捨てられた子猫の気分になっていた。

 シオンは織の言葉がさっぱり訳わからなかったが、右から左へ流した。主の乱心は見て見ぬふり、聞かぬふり。

 こちらは器用な舎人の必殺技、《なかったことにする》である。


「それで、何故姫様が喚ばれたのかと申しますと」

「物語に関係のない話はカットの方向ですね」

「この桜の壺で主上(おかみ)の嫡男を産んでいただきます」

「なるほど。この古めかしい小さな邸から察するに女御の位がせいぜいですが、嫡男を産むとなりますと側室から正室に成り上がれ的な下克上物語でしょうか。ゲームクリアすれば現実同時刻に戻れる的な」


 織は「またか」とうんざり頭を垂れた。

 どうやら織はどの世界でも伴侶を押し付けられる運命らしい。


「いえ、姫様は入寂されるまでこの鏡から出られません」

「にゅうじゃく? ゲームクリアの別称ですか」

「入寂とは、神に召されることです」

「へぇ。神に」

「はい」

「死ぬまで、出られない」

「左様で」

「へぇ」

「…………」

「…………キュー、パタッ」

 

 織は、卒倒した。

 原因は寝不足だ。眠れば夢から覚めると考え、欲に抗わず眠りこけた。

 目は覚めても、夢からは覚めなかったが。

 シオンに運ばれたのだろうか、織は思いの外ふかふかしたベッドに寝ていた。階段一、二段分高いその寝台は三畳分の広さがある。上掛けされていた桜色の妙をはらい起き上がると、パンダのパジャマではなく、妙と同じ桜色の(ひとえ)を羽織っていた。

 それに下半身がスースーし、どうも心許ない。


「…………パンツ」




 ハ、イ、テ、ナ、イ。




「おそようございます、姫様。陽は昇りきっておりますよ」


 どこからかシオンの声が聴こえるが、ど近眼の織には視界がぼやけて何も見えない。

 眼鏡はどこ。

 いや、その前に聞きたいことがある。


「私のパジャマはどこでしょうか」

「あの呪われし単衣のことですか。主上の詔により処分致しました」

「私の、パ、パン、し……した、下着は」

「腰にはいていた小さな小袖のことでしょうか。背面にこれまた面妖な獣が描かれていたので処分致しました」


 キュートなくまさんのアップリケのことでしょうか。


「問題は誰が私を着替えさせたかです」

「私ですが」

「へぇ」

「左様で」

「…………」

「…………あ、姫様の扇はこちらに」

「あ、ありがとうございます。これは眼鏡といいます」

「めがね、ですか」

「はい」


 たっぷり睡眠時間をとった織は眼鏡をかけ視界をハッキリさせると、自分でもおかしなほど冷静になっていた。

 今座っている寝台は御帳台(みちょうだい)という主の寝床である。几帳で囲われテントの中にいるようだ。踏み板のある入口は几帳が上げられており、その隙間からひれ伏すシオンの頭頂部が見える。奥には昨夜いた畳場があり、畳と回廊を仕切る簾は開け放たれていた。部屋の広さは保育園の教室ひとつ分といったところ。御帳台の上からは、垂れる庭の桜がよく見える。季節は東京と変わりがないようだ。 

 パジャマはお気に入りだったが、手遅れらしい。諦めよう。

 パンツも然り。

 平安時代と同じ文明ならば、パンツの代用はない。ノーパン文化万歳。

 更衣、女房なる侍女役がいないのなら、舎人のシオンが身の回りの世話役なのだろう。

 納得しよう。


「…………無理むり無理むり無理ぃですぅ! 見も知らずのイケメンにパンツ脱がされたなんて、もうお嫁にいけません!」

「舎人のシオンです。お見知りおきを」

「知りました! 一生涯忘れません!」

「愛しい姫、どうかお気になさらず。なかなか見栄えのする御体に成長されておりましたよ」

「ぁああああああっ、みてる! しっかりみてるぅう!」

「それに有り難いことに姫様は生娘」

「キムスメ……?」

「左様で」

「…………」

「…………これはいけない、陽が影って参りました。さぞかしお腹が空いていることでしょう。今すぐ膳の用意をさせますので」


 織は何とか持ちこたえた。

 どうやって新品、中古を分別したのかは考えないことにした。

 問い詰めない代わりに膳が運び込まれるまでの間、昨夜訊きそびれた事の詳細をシオンに話させた。


「私も喚ばれたばかりの身でございますので詳しくは存じませぬが──なにやら五年前より御所で産まれる御子は女君ばかりだそうで。陰陽師が占えば主上には男君が授からぬ呪がかけられていたそうです」

「陰陽師?」

「はい。鏡の女には産めないのです。この桜の壺に喚ばれた異国(とつくに)の女だけが、主上の嫡男をお産みまいらせると占で表れたのでございます」


 鏡都の太陽と月の満ち引きは、織の母国とピタリ対称なのだという。つまりは双方、陰陽道で繋がりがあり、路も拓ける。

 織が選ばれたのも、偶然ではないらしい。

 ふと隣家に住む従妹の顔を思い浮かべる。妖怪好きの彼女なら喜んで喚ばれただろうに。 


「それで、肝心の主上は何処に」

「それが──、実に申し上げにくいのですが、現在主上は白百合殿の中宮に夢中でございまして」


 中宮とは、正妻のことだ。

 つまり主上は占術に惑わされずに、正妻を寵愛しているらしい。

 織は「またか」と、今度はホッと息を吐いた。

 どうやら織は押し付けられた伴侶に愛されない宿命らしい。

 まだ主上に愛着が湧く前でよかった。

 いきなり主上にガッカリされるのは御免だし、後宮争いにも巻き込まれたくない。

 帰れないというのなら、この運命は受け入れるしかないが、できることなら喚ばれる前と同じく、存在を忘れられるほど影薄く余生を過ごしたいと願う。


 御所は正殿の紫陽花殿を中心に主上の夜御殿ある芙蓉殿、中宮の住まう白百合殿が並び、その周りを囲うように、いわゆる側室にあたる女御が住まう(つぼね)が建てられている。桜の壺は御所の端の端。

 今日も主上は一日中、白百合殿に入り浸りだという。織は心から安堵した。


「本日は初日ですので苦言は申しませんが、姫様には明日から宮中に相応しい礼儀振る舞いを身に付けていただきます。よろしいですね」

「はい」

「明日は陽が昇る前には起床していただきます」

「はい」

「おや、今宵は霞が晴れ美しい月夜になりそうですね」

「はい──」


 夕闇に白々と光る鏡都の月は、東京で見る月と違いはない。

 軒下まで垂れる桜といい、長い廊下といい、まるで鏡のように実家の縁側とよく似ている。

 この世界に喚ばれて半日が過ぎてしまった。今頃家族は心配しているだろうか。

 ──いや、それはない。

 修学旅行で三日家を空けた織に土産を渡され、「あんた、いなかったっけ?」と首をかしげた家族だ。

 保育園も働き始めたばかりで、織は居てもいなくても差し障りのない存在。

 それでなくても一年で一番忙しい入園シーズン。一、二週間は誰も気付かない。

 婚約者にも裏切られ、見事にフリー。

 織が選ばれたのは、世界で最も必要とされない女だったからではないだろうか。


 出てきた膳は想像通りの和食、小鉢にのった惣菜の総てが想像以上に舌に馴染み、茶碗の飯も嬉しいことに白米だ。 

 それでも、織の箸は思うように進まなかった。


      

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