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折姫【改稿前】  作者: 紫 はなな
桜の御息所
11/50

十折

 翌朝。

 白い手が不気味に敷妙を這い、帳台で眠る折姫の肩を叩いた。


「ぴぎゃぁあああっ!」

「わたくしですー、姫様ー」


 余程疲れていたのだろう、その日折姫は初めてシオンに起こされた。几帳の隙間からぬらりと手を差し入れてくるという、その起こし方には問題があったが。


「悪趣味! 変態!」

「お褒めいただきありがとうございます。それより姫様、一大事でございますよ」


 パタパタと喋る手には文が握られている。


「本日、白百合殿の中宮が桜の壺に参られます」


 昨夜書いた文は早朝、シオンの手により届けられていた。届け先で中宮が返し文を綴りながらシオンへそう告げたという。

 美しい筆が目に眩しいその文には、簪を届けたいのでお時間をくださいと、簡潔にしたためられていた。


 態々お出でいただくのだから、失礼があってはならない。

 朝膳を済ませ、茶膳の準備を整えると折姫はいつもの《お掃除スタイル》へと装備を変え、使い猫と足並みを揃えた。

 帳台の裏手にある出居は使用頻度ゼロの為、(シオンの)掃除が行き届いていないのだ。あの舎人、普段うんざりするほど暇であろうにまるで役をこなしていない。

 畳まで吹き込んでいる桜の花弁を庭へと掻き出しながら、そういえばその姿がないことに気付いた。

 中宮を迎えに出たのだろうかと回廊で惚けていると、掃除が途中だというのに拌、と一斉に猫共が消えた。

 次には帖、と簾が落ち、また次には沙、と簾が上がる。


「きゃぁああ!?」


 折姫を踏み台に、コロコロと中から女が転げ落ちてきた。


「ぎゃあっ」

「ぃたたたたたっ、尻餅ついちゃったぁ」

「い、息ができな」

「わぁああっ、紫陽花殿の桜よりずっときれい!」


 女は下敷きとなった折姫を跨ぎ、桜の垂れる縁へと走る。

 折姫は暫くぽかん、とうつ伏せたまま考えた。

 無邪気にぴょんぴょん跳ねるが、その着衣は二単の唐衣裳。銀糸で縫われているのは白百合模様である。


「そ、そそそそそそそそそしょちゃ(粗茶)ですがっ」

「へぇえええ!?」


 薬草の花が浮かぶ水差しと湯呑みを滑らせ、折姫は縁へと躍り出た。

 驚いた女はすてん、とまた転ぶ。よく転ぶ人だ。

 折姫もまた下敷きになった。

 何をしているのか、この二人。


「ご無事ですかー」

「いや、貴女がご無事ですか」


 二度も下敷きにして気の毒に思い、女は折姫の手をとった。

 日本人形のような黒髪を腰まで伸ばし、厚い前髪の下には凛とした鈴の眼。

 目の前の女は絵にかいたような儚げヒロイン美少女風情だ。

 目の保養に涎を垂らす折姫へ、女は優しく語りかけた。


「わたくし白百合殿から参りました、中宮のシオリと申します。桜の壺の女御はどちらに?」

「わたくしですが」

「へぇえええ!?」


 驚くのは無理もない。

 たすき掛けは覚えたものの、衣の裾を帯に挟み、ほっかむりを被った女御がこの世のどこにいるのか。

 ここにいるが。

 今更遅いが扇を開き口許に添えると、中宮はぷっと吹き出し、ケラケラと笑った。


「文の通り、なんだか憎めない人ね。簪を返すついでに宣戦布告してやるっ、なんて意気込んで来たのに拍子抜けだわ」

「少々お待ちをーっ」


 宣戦布告と聞き、また折姫は水屋に走る。白旗の代わりに菓子の盆を掲げての参上だ。


「なにこれ」

果物(かし)ではありませんよ、正真正銘の菓子でございます」

「菓子? あげパンみたいだけど……──うっ、うま」

「うま?」

「甘い……! あげたて、さくさく、凄く美味しいー! どうしたのこれ!」


 小麦粉で練った生地を胡麻油で揚げたものだ。揚げたてに昨日ミカドからいただいた甘葛シロップを上がけしている。

 中宮は捧げられた菓子を扇の中で秒殺で平らげた。シレッとしているが唇はグロスを塗ったように艶めいている。

 うっとりと余韻に浸る中宮を前に、今だ! と懐紙に包んだそれを中宮の手前へ差し出した。可愛らしい朝顔の簪だ。


「泥棒のような真似をしてしまい、本当に申し訳ございません。アスナ様には可哀想なことをしました」


 最初は折姫の簪を羨みとったのだと思っていたが、アスナはこの簪をとてもよく気に入っていた。きっと今頃、姫君は深く落ち込んでいることだろう。

 すっかり腰が落ち着いた中宮は折姫を責めるどころか、板場に手をついた。


「ち、中宮さま?」

「もとはと言えば、私がアスナに桜の壺の簪を見てきなさい、なんて言ったからよ。ごめんなさいね」


 そういって差し出された桜の簪。

 折姫が手に取ったのを見届けると中宮は桜に目を移し、悲し気にその意味を語った。

 藍昌石が嵌め込まれた花簪。

 たとえるならダイヤモンドが嵌め込まれたプラチナリング。

 主上が正妻と決めた人へ贈る結婚指輪のようなものだという。鏡都では藍昌石は守護を意味し、「一生貴女をお守りします」という言葉が籠められているらしい。

 中宮の右耳には可愛らしい百合の花に、藍昌石が朝露のように上品にあしらわれている。

 だがその簪をつける者にしては、寵妃とは程遠く悲愴に満ちた顔だ。

 折姫は手のひらに乗る桜の簪を前に、固く決意した。


「私、もう二度とこの簪つけません」

「でも、それでは主上が──」

「まだ一度もお会いしたことはありませんし、今後桜の壺に下られてもお断り致します」


 アスナとコトハは両親を深く慕っている。中宮はもとより、主上は家族を大切にされている方なのだ。

 占だろうと、御所の為だろうと関わるべきではない。


「本当に、お会いしたことないの?」

「はい、全く! 見てくださいっ、この日記を……っ」


 じゃっ、と自信満々に広げた暦の巻物は見事に何も書かれていない。「蝶々がきた」「シオンのおでこにてんとう虫がとまった」など、虫の往来程度である。 

 折姫はせっせとお茶を注ぎながら、普段どれだけ侘しい生活を強いたげられているかも語った。暇すぎて語るも五分かからなかったが。


「でも、それでは貴女が喚ばれた意味が」

「お気になさらずっ、こう見えて少しは楽しんでおりますのでっ」


 黒猫に愚痴ったり。シオンに八つ当たりしたり。妄想したり。黒猫に愚痴ったり。シオンに八つ当たりしたり。妄想したり。黒猫に愚痴ったり。シオンに八つ当たりしたり。妄想したり。妄想したり。ミカドとあんなことする妄想したり、こんなことする妄想したり。妄想したり。

 中宮は茶を啜りながら、悶える折姫を黙視していた。

 顔は扇で隠しても耳は端まで紅い。


「好きな人がいるのね? 御所に仕える方? それとも日本に恋人がいた?」

「え、あ、うあ、えー」

「薫の君はやめといた方がいいわよ、チャラいから」

「それはない(きっぱり)」

「えー、じゃあ誰、誰!」


 万が一、御所に知れたらミカドの立場が危うくなるかもしれない。そう思い、折姫は口をつぐんだ。

 また中宮もその意味を理解し、深くは問い詰めなかった。

 むず痒い空気が流れる僅かな間で、折姫にはふと疑問が過る。

 

「日本……、チャラい……? 中宮は日本をご存知なのですか」

「知るもなにも、私も五年前に喚ばれたのよ」


 中宮は齢十六歳の春に鏡都へ喚ばれ、右も左もわからぬまま白百合殿へ入内し、主上に見初められたという。

 

「ということは……今年二十一歳? 私達同い年ですよっ」 

「同い年!? 見えなーいっ、折姫若いね!」

「中宮も若作りですよ」

「なんですとー!」


 その後、折姫と中宮は一刻ほど語り合った。どことなく似た二人は、話せば話すほど気があった。

 出身も近く、地元話に華を咲かせては、鏡都にはない料理や甘味の話で盛り上る。

 そして語り合えば語り合うほど中宮は主上を好いていて、彼を愛しているのだと、じんわり折姫に伝わった。


「シオリちゃんがいるのに、何故主上は私を喚んだのかなぁ」 

「二人も産んだのに、男君ができなくて……だからだと思う」

「たった二人で諦めたの? 三人目は、三人目」

「あのお転婆娘二人で手一杯なのに?」

「私がお守りする! これでも保育士だったんだからっ」

「そうなんだぁ」


 なんとも和やかな空気が流れていた昼膳の頃、一枚の紙吹雪がふいに庭へ降ってきた。

 拌。

 二本足の使い猫である。


「みつかっちゃったみたい。私、そろそろいくね」

「また、こうして会える?」

「もちろん! 約束しよ」


 中宮は懐紙袋から折り紙を取り出すと、「栞」と一文字書き綴った。

 名を交わし、懐に納める。

 鏡都での縁結びだ。

 シオリに倣い折姫も筆を取るが少し迷い、やはりミカドとの約束を守りこちらにしようと決めた。


 シオリには「折」が、イオリには「栞」が。


「またね、シオリちゃん」

「バイバイ、折姫」


 名を交わし次には、猫に拐われ消えていた。



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