序幕
はじめまして。
例えるならその男は、妖し。
名を、ミカドという。
女らしい柔和な目には墨汁を落としたような瞳がのり、黒髪は細いネコ毛で愛嬌がある。派手な目鼻立ちをより一層艶めかしく、唇は紅を塗ったように紅い。
礼服を好まず、白妙の狩衣を着回し、唇と同じ朱色の扇子をいつも口許にあてている。
華やかな御所に不釣り合いなその格好にもかかわらず、凛とした佇まいと妖艶な顔立ちは宮中の女たちの目を奪った。
例えるならその男は、快活。
名を、カヲルという。
ありがちな碧眼に陽にかざせば透き通る金色のサラサラヘアー。一度目が合った女はその秀麗な顔立ちに眩み堕ちる。
礼服が馴染まず、艶やかな明色の小袖袴を着回し、日夜問わず紐でくくった瓶子と竜笛をぶら下げている。
その呆けた格好と佇まいにもかかわらず、甘いマスクとチャラさは宮中の女たちを多いに蕩けさせた。
二人が肩を並べ歩く回廊は花が咲いたように明るく、香が薫る。
例えるなら二人は、陰と陽。
月と太陽のように、御所には欠かせぬ至宝の魂。
一人の女の来訪により陰陽が乱れ、御所の平安を狂わすことになろうとは、占にも測れぬことだった。
*
例えるならその女は、古の紙。
燃えやすく、脆いが不思議と色褪せはしない。
懐に入れても煩わしさはなく、肌に馴染むようだ。
傍に居れば居るほど心身が日だまりのように温まり、妙に離れがたい。
「ふぅ、できた!」
垂れる桜の軒下。
縁に腰を据えていた折姫は火灯し皿の炎が消えかかる頃、ようやく顔を上げた。
隣でちまと座る小さな黒猫が漸くかと、ふぅと息を吐く。
猫の毛並みのように黒光りした板場には針と糸、桜模様の妙の切れ端に折り紙が散らばっていた。
首から提げる園児の名札を作っていたのだ。
布地で作った花型の額縁に、名前を綴った折り紙を挟んでいる。
時を余した折姫がひとつひとつ、丹精に作っていると陽の方が待ちきれず沈み、夜もとっぷり更けてしまった。
明日は待ちに待った念願の《折姫保育園》開園日。
「みんな、喜んでくれるかな」
出来上がった名札を満足げに眺め、ふと、その中からひとつ摘まみ出す。作ったはいいが、あの人は掛けてくれそうもない。というより、折姫には手渡す勇気がない。
「えへへぇ──、縁結び、縁結び」
折姫はそれを首にかけ一寸みつめたかと思うと、ソッとその名に口付けた。
その様子を黒猫が真下で目を光らせながら、じぃと見据えている。
「ご、ご主人様にいいつけたら、メンメッだからねっ」
猫の視線に気付いた折姫はそそくさとその名札を懐にしまい、そのまま簾を潜った。
後片付けは早朝にでも暇した舎人に任せればよい。
「お待たせ、クロ」
敷妙に寝そべり掛け衣を上げると、脇に埋まり二の腕にちょこん、と顎を乗せる。
先に寝ていればいいものを犬のように律儀に待っているものだから、ずっと後ろめたかった。
放っておいた償いにぎゅぅ、と胸に手繰り寄せた。
仔猫のわりに妙に落ち着きがあるその猫は、毎夜火灯し頃に現れ、陽が昇る前には消える。
独り眠る女御を気遣い、陰陽師が使役してくれたのだろうと折姫は思う。
いつもならホームシックが手伝い家族の話や子供達の話をするが、今日は夜更かしに付き合わせた分、背を撫でながら静かに眠るのを待った。
眠りを待っていたのは、クロの方だが。
クロは折姫がすやすやと寝息をたて始めると、するりと腕から抜け出し、名札の紐を口で手繰った。
その名を読んだクロは嬉々と身ごと跳ね、帳台の中をくるくる駆け回る。
興奮が冷めた頃、ようやく折姫の胸へと潜り込むが──、その顔は猫らしからぬほど、ニタリと頬が緩んでいた。