Vol.4
山で遊んだ楽しい記憶のほとぼりがまだ冷めぬ間に、ふたりにとっては猛烈な書き入れ時がやってきた。
聖也はほとんど睡眠が取れない状態で、依頼された長編ものに取り組んでいた。これだけの睡眠でよくやれるな、と我ながらまだ自分の若さが充分あることに自信が持てるような気がしていた。
会社の連中は全国のチェーン店へのキャンペーンにおおわらわで、その傍ら、梓も打ち合わせに時間を取られていた。もしかしてこの会社は海外にも進出しようとしているのではないかと思われる勢いだ。
事実、翻訳担当の社員を数人採用して、作家の許可を得て英訳本を付けて出版しているものもある。この先、聖也の本がもっともっと売れるようになればいいと期待もし、そのことでは梓は上司たちの意向に細心の注意を払っているのだった。
「オファーがあったよ。これは特注だからなんの制限もなく自由に書けるんだ。梓ちゃん、きみの趣味の技量でカバー描いてくれないかな」
聖也から仕事以外でこんなうれしい依頼があるたび、梓は聖也の大きな仕事が完成していくのが自分のことのようにうれしかった。
「いいわよ。素人のわたしで良かったら」
「たのむよ。こういう技量梓ちゃんはプロ並みだからな」
「この仕事いつごろ完成の予定なの?」
「そうだね。なるべく早くしたいけど、早くて三、四か月ってところかな」
「そう。じゃあ原稿が仕上がったら見せてもらいたいわ」
「OK!」
聖也の原稿が仕上がったのは、梓に電話があった三か月後の九月だった。梓が描いたカバーのセンスは見事だった。
――さすが! 梓ちゃんは巧いなあ。これで売れ行きも上がるっていうもんだ。聖也は独り満足していた。
「出版のお祝いをしなきゃね」と梓から連絡があったのは、暮れも押し迫った十二月の半ばだった。
「もっと早くと思ってたんだけどね。仕事がやっと一段落ついたからいいかなって」
聖也が呼び出しを受けてレストランに着いた早々、いきなり梓は抱えていた花束をさし出した。柔らかな淡いピンクの薔薇が三十本ほど、和紙に包まれている。
「まるで結婚式だね。うれしいよ、ありがとう」
「それにしても、今度の聖也さんの本の売り上げ、予想をはるかに超えてるらしいわよ」
「そっか! 装丁も立派だしね」
「そう言ってもらえるとうれしいわ」
「じゃあ、印税もかなり入るかな」聖也が冗談っぽく言った。
「かなりになると思うわよ」梓は真剣な顔で答えた。
聖也には、あと少し金が貯まれば広い土地を買って家を建てるという夢があった。そのために、時々ふらりと電車に乗り下調べをしておいた駅に降りて町の様子を探ったりもしていた。もう子供を持つ気はなかったが、老後を支え合える二人の暮らしも悪くないとも思っていたのだ。




