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ライバルのあいつ

作者: ちょむ

誰にでも絶対に負けたくない相手、というライバルはいるものである。

私にもいるのであるが、あいつにだけはどうやっても勝つことが出来ない。

とても悔しい。

悔しいので、聞いてほしい。

私とあいつの話を。



私は、小さい頃、音楽家である叔父の影響でピアノをやっていた。

だが、ピアノは好きなわけではなく、聞くことさえ嫌で嫌でどうしようもなかった。

叔父が教えている週三回のピアノ塾を抜け出したのは数えられないくらい。

それくらい、私はピアノを弾くことが……いや、ピアノの存在自体が嫌いだったのだ。


それは何故かと聞かれても、なにぶん昔のことなので、はっきりと答えることは出来ない。

だが、大好きな叔父が、やたら黒光りするあいつにとられてしまいそうだと思っていたことは記憶している。



ピアノ塾の生徒達が帰った後の、静かで淋しい教室の真ん中、慈しむようにピアノを弾く、叔父の後ろ姿。

幼い私は、儚げな彼が、黒いあいつといつか消えてしまうような危機感を覚えたのだ。

思えば、その感覚はあながち間違っていなかったのだが。


ある日、いつものように一曲弾き終えた叔父の背中に、声をかけてみた。

私がいたことに若干驚きつつも、柔らかに微笑んだ彼は、こっちへおいでと私を手招く。

その瞬間、叔父の体が薄く透けたような気がした。

人間の体が透ける、なんてあり得ないが、私は確かにそれを見たのだ。

微笑む叔父の体が、ふっ、と。


びっくりした私は、嫌だ嫌だと泣きながら、必死で叔父に抱きついた。

抱きつくことが出来たことに安堵し、流れる涙を、茫然とする叔父の前で乱暴に拭う。


もう黙っていられない。

私は、涙と鼻水にまみれたぐちゃぐちゃの顔で、ピアノに人指し指を突きつけて言い放ったのである。


私の叔父さんを連れていっちゃいそうなおまえなんて大嫌いだ!

おまえなんて絶対弾いてやらない!

私はおまえに勝ってやる!



まさに宣戦布告。


幼い私は当時五歳。

ピアノ相手に何を戦うのかもわからぬまま、

黒いあいつをライバルとみなし、私とあいつとの戦いの火蓋は切って落とされたのであった。



しかし、そうは言ったものの、私には武器がない。

あいつには、澄んだ音色があった。ムカつくほど綺麗なメロディーがあった。


そこで、私はある奴に協力を要請したのだ。


金色でほどこされた装飾、金属で作られたとは思えない、なめらかな曲線。

嗚呼、美しい。

これなら勝てる。

何て言ったって、黒より金のがかっこいい。

ほくそ笑んだ私が選んだのは、

そう。

父親が昔少しやっていたというアルトサックス、Selmerのマーク7。


叔父が音楽家であるのに対し、父親は何でもないただの公務員であったが、昔、趣味でアルトサックスを吹いていたのだ。

埃を被ったそれを、私は綺麗にし、一生懸命に練習した。

ピアノ塾でアルトサックスを一生懸命に練習した。


ただただ、あいつに勝ちたい。

それだけの、ために。



小学生になった。

吹奏楽部に入って、県大会で金賞をとることができた。

あいつはどうしただろう。

にやにやしながら賞状を持っていったら、あいつの上にもっと凄いトロフィーが乗っているではないか。

負けた、と呟いた私の頭の上に、優しく微笑んだ叔父の温かくて大きな手が乗り、じわりと涙が出た。

泣いたら負け?

そんなこと知らない。

叔父に抱っこされながら泣いた。どうだ、羨ましいだろうとあいつを見たら、やっぱりかっこいいトロフィーが見える。

もっと泣いた。



中学生になった。

アルトサックスのソロコンテストで金賞を取った。ぶっちぎりの金賞で、周りからとても誉められたが、私は別の意味で嬉しかった。にこやかに賞状とトロフィーを受け取りながら、私は心でほくそ笑む。

これであいつもついに敗北を認めるだろう。

晴れやかな気持ちであいつに会いに行くと、読めない異国語の賞状が額縁に入っていた。

驚きに腰を抜かすと、やっぱり微笑んだ叔父の温かい手が私を撫でる。

ぐ、と歯を食い縛ったけれど、ポロリと涙がこぼれた。

不覚。



高校生になった。

もはや昔とは違う私。

プロのアルトサックスの師にスカウトされ、ウィーンに留学。


様々なことを勉強するなかで、あの時の異国語はドイツ語だったのだと理解し、ドイツ語を勉強する私は、やはりあいつに敗北感を味わっていた。

でも、もう違う。

私は音楽大学に入ることを決意したのだ。

今に見とれ、憎きライバルよ。

いつかおまえに勝ってやる。

あいつに勝つ意気込みをドイツ語で言いながら、相棒アルトサックスを綺麗に手入れしていた。

そんな時、鳴った携帯。

父親からの、電話。


いつもより低い、父親の声を理解するのに時間がかかる。


叔父さんが、トラックに、轢かれた…?


私はすぐに飛行機に飛び乗って、ただただ祈った。

神様に。

憎き、あいつに。

叔父を、連れていかないで、と。



しかし、私はまた、あいつに負けた。

医者の努力の甲斐なく、あいつは叔父を連れていったのだ。




叔父の葬式は、つつがなくとりおこなわれた。

茫然とする私を取り残して、立派に。


嘘でしょう?

この人は違う人でしょう?


嘘ならやめて。

夢なら覚めて。

こんな冷たい叔父の手なんか知らない。

無表情な叔父なんて知らない。


知らないことが多すぎて、涙は全く出なかった。




ふと、気が付いてあいつを思い出した。

あいつはどうしただろう。

今度は何を取っただろう。

ふらふらと、あいつがいる部屋を開けると、叔父はやっぱり居なかった。


かっこいいトロフィーも無かった。

異国語の賞状も無かった。


しかし、黒いあいつの上には、無駄に白く目立つモノがある。


紙だった。

一枚の紙だった。


一枚の紙は、ライバルのあいつ……そう、ライバルで大好きな私の叔父から。


『良く頑張りました。降参です』

私は泣いた。

黒いピアノにすがって泣いた。


叔父さん、叔父さん。

私、私。

言葉にならない声が出た。


あいつに勝ったけれど、私は負けたのだ。

しょっぱい涙で滲んだ文字。

勝ちたい。

……叔父に。

ぎゅ、と握り拳を作ったら、温かい手が、肩に乗ったような気がする。

また泣いた。



あれから六年が経った。

相棒アルトサックスと駆け抜けた六年は、忙しくて、それでいて充実していて。

たくさんのことを学んだ私は、今日、大きな晴れ舞台に立つ。


ホールにぎっしり詰まった観客、こちらに笑顔で頷いた指揮者。


金色の相棒を構え、目を閉じる。

このコンサートが終わったら、あいつに自慢しに帰ろう。

叔父の相棒だった、ライバルの黒いピアノに。

大好きで、私の目標だった、優しい叔父に。


深く息を吸って、音楽に身を委ねる。

上の席に、ふわりと微笑んだ叔父がいた気がして、緊張がゆるりと解けた。


……叔父さん、私、どうやっても勝てそうに、ないね。


涙が一粒、頬を滑り落ちた。


短編に挑戦。


大泣きしながら書いた。

かなり恥ずかしい。

とりあえず、すいません。

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