4 堕天使と対峙しました。・・・無理くね?
「本当に大丈夫なのか?」
学校からの帰り道。
薫が元気になるまで待っていたために辺りは真っ暗になっていた。生徒もみんな帰ってしまったらしく、静かな道を二人で歩く。
何でもないかのように振る舞う彼女に、優雄は何度目か分からない質問をしてしまう。対する薫の返答も同じ。
「もう大丈夫です。魔法で回復しましたから」
「魔法・・・」
よく小説や漫画なんかで聞く言葉だが、実際に見たのは今日が初めてなのだ(昨日も見たがよく覚えていない)。本当に回復しているのか、自分には分からない。
「私、攻撃系よりも補助系や回復系の魔法の方が得意ですから」
あまりにも心配そうな顔をしていたのか、薫にクスクスと笑われてしまった。
「そ、それより、倉庫で会った男だけど・・・」
咳払いしつつ話題転換を図ると、彼女の顔が曇る。
「ミシュレですね」
「ミシュレ?」
「あの堕天使の名前です。アイヴズの右腕とも呼ばれています」
「アイヴズの・・・」
そこまでの力を持つ堕天使がユリウスを狙ってやってきた。だが・・・
「何故俺を殺そうとしなかったんだろう?」
それが二人の共通の疑問。
ミシュレは優雄を殺そうとはせず、連れて行こうとした。ユリウスが復活する事を恐れて邪魔するつもりなら、殺した方が手っ取り早いはず。・・・自分でこんな事を思いたくはないが。
「私も不思議に思っておりました。アイヴズが真っ先に狙うのはユリウス様の生まれ変わりであるあなただと予想はしておりましたが・・・。とはいえ、危険な事に変わりありません。優雄様は私がお守りします」
「・・・やっぱり、あいつまた来るのか・・・?」
この時優雄の頭にあったのは薫がぐったりと倒れていた時の光景。また彼女が怪我をするような事があれば自分は・・・。
「あれ~? ネクラじゃん」
聞こえてきたのは男の声でなく女の声。思わず身構えてしまった二人だが、少しホッとして肩の力を抜く。だが相手が誰か分かった優雄は再び身を強張らせた。
「こんな遅くに学校の帰り~? 二人で何してたんだか」
相手はクラスメイトの木内響香だった。優雄を苛めていた中の筆頭である彼女は、クラスのリーダー的存在だ。というより、支配者と言った方が近いかもしれない。
彼女の家は結構な金持ちで、学校にかなりの金額を寄付していると聞く。必然的に彼女に逆らえる者はいなくなり、生徒や教師から一目置かれていた。ただ高飛車な物言いが目立つ彼女に、敬う人間がいるかどうかは不明だが。
「あんたもモノ好きだね。こんな暗くて陰気臭い奴が良いなんて。あたしだったら近寄りたくもない」
矛先は優雄だけでなく薫の方にも向いた。
いつもオシャレに気を使っている自分より綺麗な薫に、嫉妬しているようだ。薫の場合は意識しているわけではなく、基が良いだけなのだが。
嘲笑を顔に浮かべながら木内は続ける。
「二人で駆け落ちでもすれば? そしたらキモイ顔見なくて済むからさ~」
キャハハ、と下品な笑い声を上げて、楽しそうに学校の方へ向かって歩いていった。
「・・・ごめんな」
思わず謝ると、薫はキッと強い視線を向けてくる。
「優雄様は何も悪くないのですから、謝る必要はありません」
「でも、俺のせいで君まで悪口を・・・」
「気にしていません」
そこでニッコリと笑ってくれる彼女に、優雄はついありがとうと礼を言ってしまいそうになった。だが彼女はそれすらも拒むだろう。礼を言われる理由もないと。
気恥ずかしくてそっぽを向いていると、視界の端に何かが映った。そちらを見ても今は何もない。
暗いから何かを見間違えたのだろう。
そう思ったが、何か気にかかる。
変な顔をしていたのか、薫が「どうしました?」と訊いてきた。
「何でもないよ。ただ黒い何かが見えたような気がしただけで・・・」
「黒い何か?」
「黒猫かも―――」
そこまで言って、ハッとする。
黒、と聞いて連想されるのは・・・
薫も同じ考えに至ったようで、顔を強張らせる。
「まさか・・・ミシュレ?」
「ですが、私達を襲わないなんて・・・」
「・・・俺達以外の人間を襲う事なんて・・・ないよな?」
「ないとは言い切れませんが・・・」
黒い何かを見たのは今来た道、つまり学校へ向かう方角だ。そこまで考えて、まさか・・・と息を呑む。
「木内さん、学校の方へ向ってたよな・・・」
「・・・! 急いで追います! 優雄様は家へお帰りください!」
そう言って薫は来た道を駆け戻っていった。優雄が声をかける暇もない。
「お帰りくださいって・・・」
女の子が危険かもしれない場所へ行くのに、男が逃げるのか・・・?
しかし昼間に味わった恐怖が優雄の足を震えさせる。
自分はこんなに弱いのに、行って何が出来る? むしろ足手まといじゃないか。
そう思って反対方向へ足を向けたが、一歩が踏み出せない。
「・・・っ」
その時頭をよぎったのは「気にしていません」と言った薫の笑顔。こんな自分の味方でいてくれた、家族以外の唯一人大切な人。
そんな人を見捨てるのか。
「・・・出来るかよっ、そんな事!」
震える足を叩いて自分を叱咤し、優雄は急いで薫の後を追った。
もう遅いため閉まっていた校門を、よじ登って中に入る。そこで女の悲鳴が聞こえてきたので、慌ててそちらに向かった。
視界に飛び込んできたのは腰を抜かしたようにしゃがみ込んでいる木内と、彼女を庇うように眼前に立つ薫、そして少し離れたところで宙に浮いているミシュレだ。
優雄に気付いた薫が一瞬驚いたように眼を見開くが、すぐに嬉しそうに笑った。
「来てくださったのですね」
嬉しそうにしてくれたのが気恥ずかしくて、優雄は「ああ」とぶっきらぼうに答える。
「木内さんをよろしくお願いします。あいつは私が押さえておきますので」
「分かった」
ミシュレの方を気にしながら木内のもとへ行くと、彼女の腕を引いて立たせようとした。が、腰どころか足にも力が入らないらしく、立てない。堕天使を見たショックだとは思うが、全身震えながら恐怖に見開いた眼でミシュレを見る姿は尋常ではない。
「ミシュレに何かされたのか?」
今までずっと苛められてきて、恨む気持ちがないわけではない。だがこんな場面で恨み言を言うつもりはないし、彼女の様子を見てその気持ちすら吹っ飛んだ。
ざっと見たところ怪我はしていないようだが・・・。
「気に中てられたのでしょう。慣れない者が堕天使を前にすると気圧されますから」
ミシュレを油断なく睨みながら薫が言う。
確かに体育館倉庫でその姿を見た時は優雄も圧倒された。その時の事を思い出して身体をブルリと震わせると、笑う気配がした。
「そいつはユリウスを苦しめていたのだろう? 何故守ろうとするのか、理解に苦しむ」
見ると男の顔には苦笑めいたものが浮かんでいた。馬鹿にするかと思ったが、意外だ。
「それが人間というもの。あなた達堕天使には分からないでしょうね」
薫はまた何かを呟き、掌に光を集める。それが魔法だという事はもう理解しているが、慣れないせいか違和感がつきまとう。
(何なんだ・・・これ・・・)
だが今は考え事をしている場合ではない。
優雄は木内の腕を持ち上げると、自分の肩に回して身体を支えた。
いつもなら肩がちょっと触れただけでも「キモイ」と黴菌扱いだが、今は抗うどころか素直に歩き出す彼女に苦笑してしまう。
「ハッ!」
薫が手に集めた光をミシュレに向けて放つ。体育館倉庫で見たものよりも威力が強く、眼を開けていられないほどに眩しかった。
だがそれほどの力をもってしても相手には全くと言っていいほど効かず、手の一振りで光を弾き返されてしまった。
「きゃ・・・っ」
返ってきた光が地面を抉り、その衝撃で薫は軽く飛ばされてしまう。
「やはり私程度の攻撃魔法では・・・優雄様!」
彼女の悲鳴に振り返った優雄が見たものは、薫には目もくれずこっちに向かってくるミシュレだった。
「その女、私の姿を見たからには消しておくか。奴隷にする価値もない。ユリウス、お前は生かして連れて行かなければならないからな。早くこっちに来い」
そう言って腕を伸ばしてくる。言葉を向けられたのは優雄だったが、反応したのは木内だった。
「何であたしが殺されなきゃいけないの!? 全部あんたのせいなんでしょ!?」
どうやらミシュレに対する恐怖より怒りが上回ったらしい。
いつもの高飛車な言い方に戻って怒鳴り散らす。
「だったらあんたが何とかしなさいよ! あたしは関係ないんだから!」
それまで支えていた身体が全てを拒絶するかのように暴れ出す。偶然、彼女の腕が優雄のこめかみに当たった。そのせいで眼鏡が吹っ飛び、視界がぼやける。
「チッ、騒々しい女だ」
「・・・ひっ!」
ミシュレから発せられる威圧感が増し、逃げようとしていた木内は怯えて動けなくなった。怒りで紅潮していた顔色が、サーッと青くなっていく。
このままでは彼女は殺されてしまう。
そう思った優雄は震える身体に鞭打ち、一歩踏み出して彼女を庇うように背にした。
「・・・理解に苦しむ」
ミシュレがボソリと呟いた言葉はどこか寂しそうだった。優雄はそれを不思議に思いながらも、ぼやける視界の中、必死にミシュレを睨んでいた。
(俺だって自分がこんな事をしてるなんて信じられないよ・・・)
普段の気弱さはどこへいった、と自問したい。
ミシュレはいい加減嫌になったのか、自分の羽を一本取ると鋭く投げ付けた。黒い弾丸となった羽は優雄の顔の横を通り過ぎ、後ろの木内へ。
「きゃあああ!」
慌てて振り向くと、頬を押さえて泣き叫ぶ彼女の姿が。
「あたしの顔が・・・!!」
押さえる手の間から血がぼたぼたと流れている。どうやらかなり深い傷らしい。あれでは治ったとしても痕が残るかもしれない。
「なんて事を・・・!」
思わず優雄が叫ぶと、ミシュレはフッと鼻で笑って再び羽を構えた。
「ダメ!」
優雄が反応するより速く飛んだ羽が木内に届く直前、彼女の身体が突き飛ばされた。突き飛ばしたのは薫だ。代わりに薫の腕に羽が突き刺さる。
「つっ・・・!」
「薫!」
傷を押さえてくずおれた彼女の身体を支え、顔を覗き込むと辛そうに唇を噛んでいた。無理に羽を抜く事も出来ず、優雄はミシュレを睨む。
「貴様・・・!」
「悔しいか? 女一人守れない自分が腹立たしいか? だったら強くなる事だ。昔のユリウスのように」
腕の中の温もりを守るように抱き締めながら、優雄はグッと唇を噛み締めた。
みんなしてユリウス、ユリウスと煩い。俺は俺だ。俺は彼女を・・・薫を守りたい。強く・・・強くなりたい!
「もう手加減はなしだ。その二人は殺す」
そう言ってミシュレは手に光を集め始めた。薫のような呪文はない。
・・・そうだ。呪文がない。
先程感じた違和感はこれだ。
(・・・違和感?)
何故そんなものを感じるのか? 自分は魔法の事は知らないはず・・・
その時、ふと脳裏に何かが過った。これは・・・旋律・・・?