12 ある休日の過ごし方 1
ほぼ回想シーン。
学生の大半が待ち望んでいるであろう、土曜日。
学校が休みの今日、優雄はいつもと同じ時間に起き、朝食の用意をしていた。勿論二人分。自分と、アイヴズの分だ。
アイヴズはこちらの世界の学校に通い出してから、優雄の家に居候している。最初は地界から転移魔法でこちらに来ていたのだが、面倒だ、の一言でここに居着いてしまったのだ。優雄自身はそれで構わないので、こうしてご飯の用意をしているわけだ。
「けど堕天使は食べなくても生きていけるだろうに。そんなにこっちの世界の食べ物は美味いか」
お椀に白米をよそって渡してやると、アイヴズは「いただきます」もそこそこにガツガツと食べ始める。最初の頃はこの『いただきます』もなかったので、それに比べれば少しは進歩していたらしい。
「おはへほへひがうはいはらは(お前のメシが上手いからだ)」
かなり不明瞭ではあったが、言葉の意味をなんとか聞き取れた優雄はウッと押し黙る。
そんな風に言われたら照れるじゃないか。
やはりアイヴズは親友のあしらいが上手い。
それ以上言い返しもせず、二人は黙々と朝食を終えた。
ピンポーン
優雄が皿の片付けをしていると、インターホンが鳴った。
「鍵は開いてるから!」
外に向かって大声を張り上げる。
入ってきたのは華岡薫だ。
「おはようございます」
「おはよう。まだ早いから、お茶でも入れるよ」
「いえ、お構いなく」
遠慮する彼女をリビングに通し、紅茶を入れようと台所に立つ。
カップを持ってリビングに行くと、彼女は隣の部屋をジッと見ていた。かなり険しい形相で。
「どうした?」
「どうした、じゃありません。さすがにあれはどうかと思います」
そう言って不機嫌さを隠さない彼女に、優雄は苦笑する。
隣の部屋ではアイヴズがテレビゲームをしていた。どうやら格闘系のゲームらしくガチャガチャと乱暴にプレイしている。こちらの世界に来て初めてプレイした時は悪戦苦闘していたようだが、それに比べれば少しは慣れてきたらしい。
しかもその隣ではいつの間にやってきたのか、ミシュレまでコントローラーを握っていた。恐らく優雄に挨拶する前にアイヴズに捕まって、相手役をやらされているのだろう。
「優雄様の手伝いもせず、朝からゲームとは・・・」
薫は額に手を当てて、はああ、と盛大に溜息を吐く。嘆かわしい! という感情がありありと出ていた。
「いくら親友と言えど、今は居候なのですから手伝いぐらいさせるべきです!」
まあ、彼女はアイヴズが何をしていても気に入らないようなので、文句はいつもの事なのだが。
「良いんだよ。俺は家事が好きだし。それにたまに手伝ってくれてるよ。洗濯物干しとか」
「・・・どうせ魔法を使っているのでしょう」
・・・図星なので反論できない。
「こちらの世界には魔法は存在しない事になっているのです。他の人間に魔法を使っているところを見られては面倒な事になりますよ」
「まあそうなんだけど。あいつ結構不器用だからなぁ」
魔法なしに家事なんてさせたらどうなる事やら。
「天界にいた頃も、手先の細かい作業は苦手だったみたいだし」
代わりに優雄もといユリウスが請け負っていたのだ。
すると薫は突然眼をキラキラ輝かせて身を乗り出してきた。
「そういえばお二人が天界にいらっしゃった頃のお話はほんの少ししか聞いていません。ご迷惑でなければ、昔のお話をお聞かせ頂いてもよろしいですか?」
・・・女は好奇心の塊と聞いた事があるが、あれは本当だったらしい。
いつも丁寧な言葉遣いの彼女だが、今日は丁寧過ぎるほど丁寧だ。
優雄は苦笑混じりに頷いた。
「この後みんなで出かける約束をしているし、それまでだったら」
昔を懐かしむように眼を細めながら、優雄は顔を綻ばせた。
天界、地界、人間界と隣り合わせている世界。三つは別々の世界でありながら、どこか似通った部分があった。
一つは自然だ。どの世界も緑豊かで、たくさんの草花が咲いている。ただ種類となるとその世界ごとに異なっており、天界は光あふれる場所なので鮮やかな色合いの花が多く、地界は光があまり射さない場所なので蔦や蔓、光がなくても育つ花(見た目はおどろおどろしいが)などが生い茂っている。人間界はその中間、と言ったところか。
次に建造物。どの世界でも石を積み上げて建物を作るので、形も似ているのだ。天界では白を基調に、地界では黒を基調にし、人間界ではその中間、という色調ではあるが。
他にも細かい部分を上げれば色々と出てくるが、尤も似通っている部分と言えば心かもしれない。互いを憎み、敬い、恐れる感情は誰にでもあるのだから。
ユリウスとアイヴズが生まれた天界は、白を基調として作られているので世界が輝いて見えていた。少なくとも、小さな頃はそう思って育った。
天使は神によって生み出されるが、天使と人間の間に生まれたユリウスは例外だった。
人間界に降り立った天使が人間の男を愛し、身ごもった。その天使が天界に戻って生んだのがユリウスだ。背には白い翼があったので、天使として育てられる事になったのだ。
その母とも言うべき天使は出産の後すぐに亡くなってしまったが、ユリウスを愛してくれていた事は身体に記憶している温もりが教えてくれる。
だが他の天使は人間の血を引くユリウスを認めなかった。生まれたばかりの赤子を殺せ、とまで言った者もいたそうだ。それを説得したのは神である。天使の本分は魂の導き手なのだから、殺生は許さぬ、と。
しかしそれでユリウスに対する態度が変わったわけではなかった。みんなユリウスを敬遠し、近付く事さえなかったのだ。
そんな中、唯一人ユリウスの親友と呼べる天使がいた。アイヴズだ。
彼はユリウスと同じ時期に神に作られ生み出されている。外見が金髪碧眼が多い天使の中で、珍しく黒髪と赤眼を持っていた。ユリウスの外見が天使らしいものだったので、見た目だけならアイヴズが人間の血を引いているように見えただろう。
幼馴染とも呼べる彼らは、小さな頃からいつも一緒だった。遊ぶ時も、眠る時も、何をするでも一緒だった。
「アイヴズ、それ、何?」
まだ幼く、少し舌足らずな声が訊ねる。
その大きな瞳は、相手の手元をジッと見ていた。
「花輪。あたまにのっけるんだぜ」
返す声も生意気そうだがまだ幼い。
アイヴズは小さな手でせっせと花輪を作ろうとするが、不器用なのかどうしてもぐちゃぐちゃになってしまう。
横で見ていたユリウスは、見よう見まねで彼の作っている花輪を作ってみた。時間はかかったが、うまい具合に出来上がる。
お互いに花輪を交換した二人は、ユリウスの頭にところどころ花が飛び出した花輪を乗せ、アイヴズの頭に綺麗な花輪を乗せ合った。
「つぎはもっとうまく作ってやる!」
負けず嫌いな彼の言葉に、ユリウスは鈴が鳴るような綺麗な声で笑う。すると、
「何やってるんだ」
とほのぼのした雰囲気をぶち壊す不粋な声が割り込んできた。
二人よりも年上の天使だ。彼の後ろにも数人の天使が立っている。
「あんたらには関係ないだろ。あっちいけよ」
アイヴズがフンと胸を反らしながら言う。
身体が小さいのであまり迫力はないが、ユリウスを守ろうとしているのは背に庇うように前に出ている事から分かる。
その生意気な態度が気に入らなかったのか、天使達は眉を顰めるとアイヴズの肩を強く押した。小さな身体はそれだけでよろりとふらついたが、足を踏ん張って尻餅をつく事だけは避けた。
「そんな人間混じりを守るなど、天使の風上にも置けない奴だ。まあ、見た目からして天使とは言えぬお前だ。そこのなり損ないと似合いだな」
人間混じり、なり損ないとは、ユリウスを蔑む呼び方だ。アイヴズ以外の天使からは名前で呼ばれた事はない。
冷笑を浮かべて罵る天使に、アイヴズが吠えた。
「てめえの方が天使らしくねえよ! 思いやりもなんもないてめえらなんか、堕天使じゃねえか!」
天使にとって堕天使は憎むべき存在だと教えられている。よってこのアイヴズの発言は天使達の怒りを買った。
「何だと!」
「堕天使のような姿をしているお前が何を言う!」
「堕天使はお前だろう!」
その後はもう取っ組み合いだ。
だがアイヴズ一人に対して数人相手では、さすがのアイヴズでも勝ち目はない。
彼が殴られるところを見たユリウスは、自分でも気付かないうちに拳をグッと握り締めていた。胸の奥から湧き上がる感情を抑えられず、魔法の力となって迸る。
ユリウスから光が放たれた。何条もの光の矢となって、天使達に襲いかかる。二人ほどかすってしまったが、後は地面を抉るに止めた。が、それだけでは終わらず、次々と攻撃魔法が発動された。
魔法を簡単に行使する天使と言えども、まだ幼いうちはコントロールが難しい。暴走状態になってしまったユリウスは、力を止める事も出来ずにただ見ている事しかできなかった。
「ユリウス!」
恐慌を来たしかけていたユリウスは友人の声に我に返った。見ると天使達の前に立ちはだかって、自分を心配そうに見ている。
「あ、アイヴズ・・・」
このままでは親友に当たってしまう!
それを恐れたユリウスは咄嗟に握り締めていた拳で自分の頬を殴った。すると身体から放射されていた光がすうっと消えていく。
おかげで魔法は止まってくれたが、力いっぱい殴ったせいでしばらくズキズキと痛む事になる。
「ユリウス! だいじょうぶか!?」
頬を押さえてしゃがみ込んだユリウスに、アイヴズが駆け寄ってきてくれた。まだ覚束無い回復魔法を唱えて治療してくれる。少しだけ痛みが和らいだ気がした。
「ありがとう」
礼を言うと、素直じゃない友人は頬を赤くしてプイッと顔を逸らしてしまう。
「これくらいなんでもねえよ。それより・・・」
アイヴズは天使達の方へ向き直った。彼らは腰を抜かしたようにへたり込んで、ユリウスとアイヴズを見上げている。
「見ただろ。ユリウスの方が力は上だ。これいじょうちょっかいかけるんなら、命があぶないぜ」
子供らしくない物言いにも、彼らは生意気だとは言わなかった。ただ何も言わず、怯えたようにその場から走り去ってしまった。翼で飛んだ方が速い事を忘れているらしい。
「ユリウス、お前はつよいな。たぶんこの天界でいちばんつよいぜ。だからみんなにみとめさせてやれ。そうすればお前をバカにするやつはいなくなる。もちろん俺様だってつよいけどな」
最後につけたした言葉が彼らしい。
ユリウスはアイヴズの悪戯っぽく笑う顔を見上げ、強張っていた顔に笑みを浮かべたのだった(おかげで頬が痛かったが)。
それから二人は成長し、もうすぐ天使としての仕事に就けるという年頃になった。
その時には天界で一、二を争うほどの力を身につけている二人である。
ある日、剣の訓練で手合わせしていた二人は、数人の天使に声を掛けられて動きを止めた。
「ユリウス、お前に仕事だ」
ついに来たか、とユリウスは思った。アイヴズも同じように思っている事は顔を見れば分かる。
「魂を引き取りに行くんだな」
剣を鞘に収めながら、ユリウスは彼らを見やった。だが次に発せられた言葉に、眼を見開いてしまう。
「いや、人間界での監視だ」
「人間界の監視? どういう事だ?」
「堕天使が人間と契約を結ぶ事は知っているだろう。それを防ぐために、お前は人間界に留まって奴らの監視をしろ」
「何だよそれ!」
大声で反論したのはアイヴズだ。
「何でユリウスがそんな仕事をしなきゃいけねえんだよ! ってか別に天界にいたって出来るだろ!」
「お前には関係のない事だ」
「な、何だとぉ!?」
肩を震わせて憤るアイヴズに内心嬉しく感じながらも、ユリウスは彼を押し止めた。憤懣やるかたない、という顔で見返してくる友人の前に出て、天使達に言う。
「その仕事、引き受けよう」
「よし。準備が出来次第すぐに向かえ」
天使達は一つ頷くと、もう用はないとばかりに背を向け、飛び去った。
ユリウスは小さく溜息を吐くと、背後で不機嫌なオーラを出しまくっている友人に向き直る。
「・・・何で引き受けた」
「そんなに怒るなよ。別にこれが最後の別れってわけじゃないんだ。それに堕天使を抑える事は天使の仕事でもあるだろう」
「だからって、ずっと人間界に留まれって・・・」
彼の問題はそこらしい。
「お前は馬鹿だよ。あんな奴らの言う事きいて。あいつらは自分が弱いくせにお前を認めようとしないだけだ」
確かにアイヴズの言う通り、自分は馬鹿かもしれない。だがこの仕事を聞いて、引き受けたいと思った自分がいたのだ。自分の中に流れる人間の血が、人間界に特別な想いを抱かせるのかもしれない。
「私はアイヴズが認めてくれているからそれで良い。今回の仕事については・・・私の我儘だ、許せ」
そう言うと、友人は呆れたように溜息を吐いて首を振った。
「お前が決めたのならもう何も言わねぇよ」
「ありがとう」
最後まで心配してくれる親友を誇りに思い、ユリウスは嬉しそうに微笑んだ。
この時、すでにアイヴズがある事を企んでいたのだが、ユリウスに分かるはずもない。かなり後になって彼の企みに気付いた時、ユリウスは親友を想って涙する事になる。