生きるポーションはサポートに徹します
異世界の勇者と結婚した白魔道士の話です。
短編のつもりでしたが長くなったので分けて投稿します。
エマの手から買い物の袋が滑り落ちた。
大理石の床に卵が落ちて割れた。
「おい! 誰のおかげで飯が食えてると思ってんだ! 自分の立場を考えろ。生意気に意見するんじゃない!」
石造りの豪邸に怒号が響き渡った。
声の主は、勇者レオン。
国王による魔王退治の選抜メンバーに選ばれた剣士である。
この男がエマの夫だ。
エマの胸元には、小さな鼻ですぴすぴと寝息をたてている、生まれてまもない息子のヒューが抱かれている。
風邪をひいた。
レオンがそう言ったから、買い物に出かけたのだ。
それなのに、その短時間のうちに、夫は家に女を連れ込んでいた。
出て行って、と言ったら怒鳴られた。
エマには自分の前で起こっていることが夢のように感じられた。
レオンの隣には、昼間というのに露出度の高い赤いドレスを着た女が、悪びれもせず座っている。
エマが出た後のパーティーの後釜に抜擢された若手の赤魔導師だ。
長い髪の毛を巻いて、目を引く赤い口紅をつけている。
「ミリュエルさん、でしたね」
「えぇ。お邪魔してます、奥様」
悪びれずに女は言う。
いったいどういう神経なのだろうか。
「率直に言いますけど、いったいどういうおつもりですか」
「どうもこうもないでしょ? 私たち、次のダンジョンの攻略について話し合っていただけですよお」
「妻がいないうちに、ですか?」
レオンがガシャンッとカップを机に置いた。
「いい加減にしろよ! 変な想像をするな、俺たちはただ……次の冒険のために攻撃をどうするかって話し合ってただけだ」
「そうですよぉ。あっ、奥様はヒーラーでしたよねぇ? 攻撃魔法が使えないのかぁ。ごめんなさぁい、分からないですよね。攻撃って難しいんですよぉ……打ち合わせをしておかないと、連携できないでしょう? ね?」
ミリュエリュは上目遣いにレオンを見上げながら、甘ったるい声を出す。
「エマ、お前の勘違いだ。いちいち突っ立って見てないで、さっさと夕飯の準備でもしろ」
そんなはずはないのだ。
帰宅して、リビングのドアを開けた瞬間、彼らは情熱的に深く口づけ合っていたのだから。
赤魔導師ミリュエルは、不躾にじろじろとエマを見た。
「でもぉ〜、勇者様の奥様っていうから、もっと華やかな方かと思ってましたぁ。赤ん坊抱いてる普通の主婦っていうかぁ……あっ、ごめんなさい! そんなつもりじゃなくてぇ……いい意味で? 地味っていうかぁ?」
クスクスと嘲笑を混ぜながら、ミリュエリュは手入れされた長い爪を弄くった。自分を悪者にせずに相手を攻撃する女の典型的なやりかただ。
そして、蔑むような視線をエマの着古した服へと向ける。
「でもでもぉ、正直、攻撃魔法の一つも使えないのに、後ろからヒール打つだけなんてぇ……ぶっちゃけ、生きてるポーションみたいなものですよね! あたしだったらつまんなくなっちゃうかもぉ。すごいですよね、結婚するまでそんなこと何年も続けてたんでしょう?」
「俺たちが同じパーティーだったころだから……もう五年か。あの頃はかわいげもあったのに、もうすっかりオバサンだな」
「えー、まだ全然、奥さんの年齢にしては? 若い? ですよね」
「ミリュエル、お世辞とかいらないから。まあ、俺と結婚して勇者の妻になったんだから、勝ち組だよな」
レオンは喉を鳴らして笑っていた。
エマはじっと夫だったものを見つめた。
(生きるポーション、か……)
ぎりぎり繋いでいた最後の一筋の細い糸が、ブツンッと音を立てて切れた気がした。
いや、堪忍袋の緒だったのかもしれない。
元々、夫のレオンとは魔王軍との戦いへ向かう途中のパーティーで同じ仲間だった。
激戦の最中も、エマは白魔導師として夫たちの後ろで、ひたすら回復と支援に徹してきた。
しかし、ある日。エマはレオンから熱烈なプロポーズを受けて結婚した。
君を一生幸せにしたい、と言ったレオンの言葉に心を動かされなかったといえば嘘になる。
パーティーを脱退して家庭を持ち、子どもが産まれ、これからは裏から夫を支えようと気持ちを切り替えたのだ。
しかし、レオンは変わってしまった。
いや、本性が出ただけだったのかもしれない。
自宅でのレオンは、外でのストレスをすべてエマにぶつけた。暴力こそないものの、暴言を暴言と感じなくなるほどに、エマをあらゆる言葉で攻撃した。
さらには今。
自宅のリビングに堂々と女を連れ込み、あげくの果てには開き直って、この期に及んで妻を侮辱している。
エマは胸元の息子の可愛い寝顔を見た。
可愛い息子のヒューのためを思って、これまで耐え忍んできた。
が、こんな男とこれ以上一緒に居ては、息子に悪影響だ。
そう思えば、夫をかばいだてする理由はもう何もない。
「離婚しましょう」
静かに、はっきりとよく通る声でエマは言った。
勇者の口があんぐりと開く。
「は? お前、何言ってるんだ? こんなのただの冗談だろ」
レオンが不機嫌そうに眉をひそめたが、エマは無視した。
そして、隣で勝ち誇った顔をしている赤魔導師に視線を向けた。
読了ありがとうございました!
クスッとしてもらえれば幸甚です。




