8 両の翼
緑の離宮・応接室
ひどく静かな部屋。壁を伝う蔦が陽を遮り、ほの暗い空間に、老司祭ウルバヌスは杖を突いて進んだ。
奥の椅子に、小さな影が二つ。ひとりはまだ七歳の王子、エドワード。もうひとりは彼の従者として寄り添う、同じ年頃の少年アウレリウスだった。
二人は揃って立ち上がり、ぎこちなくも丁寧に頭を下げる。
「……遠いところを、お越しくださり、ありがとうございます」
エドワードの声は震えていたが、言葉の選び方にはすでに聡明さが滲んでいた。
人の目を正しく見つめることも忘れてはいない。
対してアウレリウスは、堂々と胸を張って一歩前に出る。
「俺がエド様をお守りします!だから……どうか、エド様を助けてください!」
声は大きく、瞳は炎のように強い。年齢に似合わぬ気迫が、場の空気を一変させた。
老司祭は二人を見つめ、穏やかに目を細めた。
「ふむ……王子は聡く、従者は烈しき心を持つか。なるほど、よき組み合わせよ」
そのとき、背後からオズワルドが一歩進み出て、深く頭を下げる。
「猊下、この子らこそ、我らが守るべき希望にございます。
幼き王子はまだ己を駒とも思わぬでしょうが……彼には光があります」
セラフィーナが横で小さく頷く。
その姿を見て、エドワードはぎゅっと小さな拳を握った。
「……わたしは、駒になってもかまいません。
でも……アウルと一緒に、最後まで負けない駒でいたい」
その言葉にアウレリウスは力強く頷き、迷いなく言い切った。
「エド様は駒じゃありません!王になるお方です!」
一瞬、空気が張りつめた。
だがウルバヌスは静かに笑みを浮かべ、杖の先で床を軽く叩いた。
「どちらも正しい。
駒であろうと、王であろうと、道を歩むのは己自身。
余がここに来たのは、その歩みを見届けるためだ」
その泰然たる声に、エドワードの肩から力が抜けた。
アウレリウスはなお歯を食いしばっていたが、セラフィーナが背を軽く押すと、渋々ながらも口を閉じた。
――こうして、第三王子の小さな居場所に、
宗教界の重鎮という大樹の影が加わったのだった。
◇◇◇
緑の離宮・応接間
子どもたちを休ませた後、薄明かりの下で三人が向き合っていた。
セラフィーナはいつものように背筋を正し、オズワルドは柔らかい笑みを崩さない。
そして老司祭ウルバヌスは、椅子に腰を下ろしたまま瞼を閉じていた。
長い沈黙ののち、彼は静かに口を開く。
「……王子は聡明な子よ。だが、聡明であるがゆえに迷いもまた深かろう。
己の弱さをよく知り、己を駒と呼んだ。その慎ましさは尊い。
されど、駒であると自らを定めたままでは、いずれ盤上から消える」
セラフィーナの手が膝の上で震える。
オズワルドは小さく目を伏せ、言葉を挟まなかった。
「一方で……あの少年、アウレリウス。烈しすぎる心を持っている。
主を駒と呼ばれることに耐えきれず、己の身を顧みずに声を荒げた。
忠誠は揺るぎないが、烈しさは時に刃となり、王子をも傷つけよう」
「……つまり、エドには強さが足りず、アウルには抑えがない、と」
オズワルドが静かに問い返すと、老司祭はゆっくり首肯した。
「だが、二人は補い合える。
王子が慎ましさをもって烈しき心を受け止めれば、その炎は己を支える力となろう。
また、烈しき従者が王子の迷いを振り払い続ければ、その才は揺るがぬものとなる」
セラフィーナが小さく息を呑んだ。
「……まるで、両の翼のように」
「さよう。片方では飛べぬ。両の翼がそろってこそ、空を翔ける」
ウルバヌスの瞳が一瞬だけ、淡い光を帯びる。
「そして――その空の果てに、第一王子がおられるだろう。
彼は王たるべくして生まれた御方。
第三王子と従者は、やがてその背を支える柱となる」
セラフィーナは胸に手を当て、深く頷いた。
オズワルドは穏やかに笑んだが、その瞳には鋭い光が宿っていた。
「猊下のお言葉、しかと承りました。
我らは盤を整えましょう。駒が散らぬよう、翼が折れぬように」
ウルバヌスは再び目を閉じ、祈るように両手を組んだ。
「よい。幼子はまだ何者でもない。だが……正しく導かれれば、駒ではなく柱となろう」
――その夜、第三王子と従者の未来を照らす言葉が、静かに刻まれた。




